第54話 一人、迷走

 ルカたちがアルベールと別れたそのころ。セシルは街の外れの森の中で一人、静かに歩いていた。


 木々の隙間からオレンジ色の光が差し込む。セシルはただぼんやりと考え事をしながら前を見つめ、ため息をついた。


「結局……ルカはいなかった」


 自分を助けてくれたルークという人物を追えば、彼にたどり着けると思っていた。ミカインの街で話を聞いて、ルークの噂を聞いて、まさかと思った。


 心が躍らせ、一秒でも早くと思い、セシルは走り出す。人にぶつかりながらも、ギルドの扉を開けて、黒鎧の男の前に立った。


 でも、現実は違った。ギルドの席に座っていた黒鎧の男は偽物。期待していただけに、それを裏切られた時の絶望感は強かった。


 あの墓所でルークを見た時、間違いなくあれはルカだと感じた。これまでずっと一緒にいたセシルだ、ルカという人物から出ているオーラがどんなものかはわかる。心が温かくなるような、そんな雰囲気だ。


 黒い鎧を身に纏っているのに、まるで内側から光が漏れているような、優しさに溢れた人物。セシルは彼こそがルカだと確信していた。


 しかし、冒険者ギルドにいた人物からはそんなものは一切感じない。そんな不愉快な存在がルークを名乗っているんだから、心底腹が立つ。


 もしかして、全て自分の勘違いだったのだろうか。自分を助けてくれたルークという人物と、ルカは別人で……そんな気持ちが胸の中で渦巻く。


 もし、そうだったのなら。本物のルカはどこにいるのだろうか。ルシウスが言う通り、ルカはどこかで行方不明になってしまっていたとしたら……最悪な想像ばかりが膨らむ。


 そこまで考えたところで、セシルは首を横に振って、息を大きく吸った。


 そんなことを考えても仕方ない。今は自分が、ルカのことを信じてあげなくては。きっと彼は生きていて、どこかで会うことができると。


 とはいえ、昨日ルークの偽物に会ってから、セシルの頭の中はそんな悩みでいっぱいであった。忘れようとすればするほど、ルカを心配する気持ちが膨らんでくる。


 だからセシルは今日、この森の中を一人で散歩しているのであった。美しい自然を見れば心が落ち着くかと思っていた。


 しかし、やっぱり心の中の靄は消えない。結局、無駄に一日を消費してしまっただけだった。


「……帰ろう」


 ミカインの宿でもう一泊して、明日クノッサスに帰ろう。そう思って街の方を向いた時のことだった。


「うううう……うううう……」


 セシルの耳に入ってきたのは、何かのうめき声。苦しんでいるようなその声は、どこからともなく、風に乗って聞こえてきた。


「誰!?」


 セシルは警戒し、さっと身構えてから辺りを見回す。まさかモンスターか。最悪なケースを想定して、何かが近づいていないかを確認する。


 しかし、セシルの周りにはただ木が何本か生えているだけで、何かが近づいてきている様子はない。ひとまず、脅威はないようだ。


「ううう……うううう……」


「何よこの声……?」


 モンスターの声にも聞こえなくはないが、人が苦しんでいるように感じる。セシルは声がする方角がどこなのかを割り出すため、走り出す。


「誰かいるの!?」


「ううう……」


 どうやら、今自分が走っている方向から聞こえてきている声らしい。セシルは音の正体を突き止めるべく、どんどん足を進めていく。


 そして、走り続けた彼女の目の前には、あるものが現れる。


「洞窟……?」


 正確に表すなら、洞穴ほらあなだろうか。子供の背丈ほどの小さな穴が壁に開いていて、そこからうめき声が聞こえている。穴の先はうっすらと暗く、不気味さを感じさせる。


「この中に誰かいるの!?」


「ううう……」


 もしかしたらクマでも眠っているのかもしれない。しかし、なんとなくそうではないような気がする。完全に自分の感覚だが、セシルはその勘をあてに、洞窟の中へと潜り込んでいった。


 洞窟の中は狭く、何より暗い。じめじめとしていて、セシルは不快感を覚えた。


「<点灯ハンディ・ライト>!」


 魔法で手のひらに小さな光源を作り出し、かがんだまま洞窟の奥へと進んでいく。先はずっと真っすぐ伸びていて、声は奥から聞こえる。


「!」


 少し進んだその時だった。人がいるのが見えた。洞窟の壁にもたれかかって、誰かが倒れている。うめき声も、その人物から発されているものだ。


 その人物は、一人の中年の男だった。真っ黒な髪をしている筋骨隆々な男で、口元には無精ひげが無数に生えていた。


 何より印象的だったのが、全身が傷だらけであるということだ。服は袖が無くなっていて、腕からダラダラと流れていたであろう血は固まってしまっている。無数の傷を持った男性は、痛みに苦しみあえぎ、声にもならない声を上げていたのだ。


「あなた、大丈夫!?」


 セシルはそのことに気付き、すぐに駆け寄った。男はかろうじて意識があるようで、セシルに一瞥をくれた。


「ひどい傷! それに、傷口をこんな不衛生なところに晒したら!」


 セシルは急いで回復魔法を発動した。魔導士ウィザードの彼女には、いきなり彼を全快させられるような魔法は使えない。応急処置的な魔法だが、ないよりはましだ。


 魔法で傷口が少しずつ閉じていく。しかし、彼自身が極限状態きょくげんじょうたいに置かれているようで、呼吸も荒く、筋肉がある割に不健康そうに見えた。


「すぐに街へ連れていくわ!」


 セシルが彼に手を伸ばそうとした時、男はセシルの手を掴む。


「すぐにあの街から逃げるんだ……あそこに行ってはいけない」


「何を言っているの!? そんなこと言っている場合じゃないでしょう!?」


「私はもうじき気を失うだろう。だからその前に君に伝えておきたいんだ。あの街には怪物の息がかかっている……!」


 男の必死な言葉に、セシルは思わず息をのんだ。極限状態の人間が、自分のことよりも先に伝えたいことがあるなんて。彼女にとって信じられないことだった。


「あなた、名前は?」


「……ダンテ・デオダート。とにかく、あの街はもう――」


 そこまで行った後、ダンテは気を失い、ガクリと力を失った。


「ダンテ・デオダート……」


 セシルは最後に聞いたその男の名前を反芻はんすうしたあと、彼を担いで洞窟の外へ出るのだった。

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