弟
インターフォンが鳴った。よいせ、なんて言葉がうっかり口から出てしまわないように気を付けて立ち上がる。弟が来たのだろう。
ドアスコープから外を覗いて弟の姿を確認した。静かに鍵を開けて、家内に入れた。
「おはよう。姉さん」
「おはよう……」
弟に言った方がいいのだろうか。否、すぐに気付くだろうから放っておこう。
弟はどんどん居間に近付いていく。口をつけていない朝食を見つけて、まだ食べてないの?と訊いた。私は小さく頷く。
動かないネコの姿を視界に捉えて不審に思ったのか、一瞬動きを止めた。
お前、まだ寝てるのか?いつも起きてるよなぁ。その小さくて黒い背中を撫でて、不思議そうな表情を浮かべた。
「姉さん…。トルタピオン…え?」
父が亡くなったときとは打って変わって動揺している。二十代後半の男が当惑している姿を見るのは私にとっては稀な機会だった。
「今朝ね。私が起きたらもう冷たかったから、夜の内だろうね」
「……」
弟は何も答えなかった。唇を噛んで、耐えるように下を向いている。視線の先にはネコ、もといトルタピオンが横たわっている。
可愛がっていたために、その悲しみは大きいのだろう。いずれはこうなる日が来ると弟だって分かっていた筈だ。いざその日が来るとまた違うのだろうか。
私は思い付いて、静かに朝食を食べ始めた。弟が振り向いて、よく食べられるねと言った。
…食べられないものなのだろうか。よくわからない。
「姉さん…。悲しくないの?ネコネコって、可愛がってたじゃないか」
悲しい…?悲しい、悲しい…。悲しくは、ないような気がする。私が答えられないでいると、弟は冷たい視線を送った。
「そんな人だったんだ」
厳しく鋭く言い放って、それきり口をつぐんだ。
私はびっくりした。そんなに非常識めいたことをしている自覚はこれぽっちもなかった。
確かにネコは可愛かった。媚びないが愛嬌があった。私も弟までではないにしても、毎日可愛がった。
そのネコが、もう動かない。何をしても反応することはもう二度とない。でも悲しいとは、思わない。思えない。寿命だったからだろうか。関係ないか…。
ただ、お疲れ様と。それだけだ。
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