2、汚嬢様、婚約者を紹介する!!
馬車の中でペシリ、ペシリと音が響いていた。音の出所は、ミアの手元で弄ばれる赤い扇だ。
本当は手に馴染んだハリーを持ってきたかったが、祖父に見られれば冷えた目で見られることは確実なので、扇を代わりにしたのである。落ち着かない気持ちを誤魔化すように、また扇をひるがえして手の平を打とうとすれば、前から伸びてきた武骨な手に手首をつかまれた。
「止めておけ、それ以上は華奢な手を痛めるぜ。それほどに気おくれするとは、らしくないなミア」
「あら、優しいじゃない。心配してくれるの?」
オスカーはミアの手の平を労わるように固い指で撫でて、片眉をあげる。
「笑顔が固いぞ。そう身構えずともオレが側にいるだろ? 大事な婚約者を一人で立ち向かわせるつもりはないぜ。たとえ相手がお前と血の繋がった祖父であろうと、敵対するなら容赦はしない」
「おおげさねぇ……なんて言えたらよかったんだけど。とにかく、穏便に挨拶を終わらせてさくさく帰りたいものね」
「不安なのか?」
「いいえ、どちらかといえば心配の方が強いわ。オスカーと一緒だしそこまで深刻なものではないんだけど、面倒事が降りかかりそうな予感がするのよ。あなたにも説明した通りに気難しい方だから。もし、おじい様が厳しい態度を取られたとしても、まずは私に話をさせてくれるかしら? 初対面のあなたが対応するよりもその方が上手くいくと思うの」
「ああ、最初はそれでいいさ。孫娘のお前の方がケイリッヒ卿を知っているからな」
「ありがとう。じゃあ、そういう形でよろしくね」
なにげなさを装ってオスカーの手から自分の手を取り戻す。気恥かしさが声に滲まないように気をつもりだけど、バレなかったかしら? チラリと正面を見れば、甘ったるい眼差しが返されて余計に恥ずかしくなってしまった。
婚約者になってから、オスカーは過保護なほどミアを大事に扱ってくれている。それは嬉しいが幼なじみとして過ごしてきた期間が長かったので、すぐに慣れるものではなさそうだ。
ミアが扇を転がしていると、馬車の音が止まった。御者にトントンと馬車のドアを叩かれる。
「お嬢様、オスカー様、大旦那様のお屋敷に到着いたしました。ドアを開けてもよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわよ」
「失礼いたします」
ドアが開かれる。ミアはオスカーの手を借りて馬車を降りると、屋敷の前に降り立った。屋敷の大きさはミアの住む家より一周り小さく、もともとは祖父が避暑地として使っていたものだと聞いている。
幼い頃に何度か父に連れられて訪れた記憶があるが、楽しい思い出はあまりない。おばあ様が作るクリームシチューだけは好きだったけどね。お母様もお好きだったと聞いたことがあるし、レシピを教えてもらおうかしら?
祖父が隠居先として選んだのは、アールハイトという比較的のどかな領地だった。チーズの名産地で放牧や農業で生計を立てる者が多い小さな町だ。都ほど栄えてはいないが、のんびりと過ごすにはいい場所だろう。
オスカーが懐中時計を開いている。私の屋敷からここまで三時間ほどかかるのよね。狭くはないけどずっと乗ってるのは疲れるわ。本当は、私とオスカーなら馬で駆けてきた方が早いし、そうしたいけど……そんなことしたら、おじい様に叱責されるでしょうね。
ミアは扇でため息を隠して御者を労う。
「ご苦労様、帰る時まで休んでいてちょうだい」
「はい、お嬢様」
屋敷の扉を前に心を静める。敵陣に飛び込む兵士はこのような心持ちなのかもしれないわね。猪と対峙したことはあるけど、その時よりも緊張するわ。血の繋がっている祖父に抱く気持ちにしては残念なほど重苦しい。息の詰まるような緊張感だ。ミアはドレスの裾を直すと、無言で扉を見つめているオスカーに声をかけた。
「オスカー?」
「……孫娘から訪問伺いの手紙を送られているというのに、使用人の出迎えもないとはなはオレ達を歓迎する気がないようだ」
「私が婚約破棄したことを、それほどご不快に思われているのかもしれないわね」
「ふん。ミアは悪くない。オレ達がやった報復も周囲から咎められるものではないしな。それに、前の婚約者よりオレの方がいい男だ。それでも文句をつけるなら、そりゃあただの難癖だぜ」
「あははっ、清々しいほどはっきり言うわね」
それが当然だと言わんばかりの不遜な表情のオスカーに、ミアは思わずは声を出して笑ってしまった。幼馴染から繋がる関係の気安さは心地いい。
その時、屋敷の扉が開かれた。中から現れたのは穏やかな顔立ちの祖母と数人の三人の侍女達である。年齢はバラバラだが、オスカーの男振りに見惚れるように目が釘付けだ。まぁ、今日は濃い紫の布地に金の装飾が施された上着という上流貴族らしい恰好だし、もともと社交界で女性に騒がれるほど顔のいい男だものね。
「いらっしゃいミア、しばらく見ぬ間にこんなに美しくなって……あの子にますます似てきたわ。隣にいらっしゃる方が婚約者の方がオスカー・ウォンクル将軍でございますね? ようこそお越し下さいました。ミアの祖母のシーナと申します」
「シーナ夫人、お初にお目にかかります。私は遠からずミアと婚姻しますし、お父上であられるエドモンド伯爵とも親しくさせていただいているので、どうぞ気軽にオスカーとお呼びください」
「お優しいのね。こんな素敵な男性に巡り合えてミアは本当に幸運ですこと」
「わたくしもそう思いますわ」
おばあ様が優しく微笑んでくれるので、ミアも素直に答えながらオスカーを見上げる。上品に微笑んでいる姿はまさしく好青年そのものだ。あなたも猫かぶりが上手よね。婚姻したら似た者夫婦になるのかしら……って、私ったらなにを考えてるの!? き、気が早すぎるわよね! オスカーが遠からずとか言うから……っ。これからおじい様とお話しするのに気が緩み過ぎだわ。落ち着かないと。
「ミア? 馬車で移動したから疲れたのか?」
「顔が赤いわ。ミアの住む屋敷からは遠いものね。もし、ミアが辛いのなら、旦那様には私がお伝えするから少し休んでからお会いするようにしましょうか?」
「いえ! わたくしなら大丈夫ですわ! これはそう、ちょっと馬車酔いしただけのことで、もうすっかり治りました」
「そうなの? 無理せずに客室で休んでもいいのよ?」
「いえ、お待たせするのも申し訳ないですし、わたくしもおじい様とお会いするのを楽しみにしておりましたから」
「そういうことなら案内するわ。わたくしも同席するから気を楽にね」
「ありがとうございます、おばあ様」
「いいのよ。このくらいしか出来なくてごめんなさいね。さぁ、貴方達、美男子であられるオスカー様に見惚れるのはほどほどにして、四人分の紅茶を用意してちょうだい。それから旦那様をお呼びして」
【か、かしこまりました、奥様!】
ピシリとおばあ様が鞭打つように侍女に命じる。孫娘の婚約者に対して失礼だと思ったのかもしれない。どことなく申し訳なさそうな祖母に微笑みかけて、ミアは拗ねた振りをしてオスカーを詰ってみせる。
「オスカーったら罪な人ね。わたくしの心だけでなくおばあ様の侍女の心まで奪おうとするなんて」
「だが、残念ながらミアのおばあ様の心までは奪えなかったようだぞ?」
「まぁ! うふふっ、ご冗談がお上手ですわね」
オスカーの冗談に祖母がクスクスと笑う。すっかりリラックスした様子だ。さすがオスカーね、いい返し方をしてくれたわ。これでおばあ様が謝る必要がなくなったもの。ミアは目で婚約者に感謝を伝えると、祖母の後に続く。
リベンジですよ、汚嬢様! 天川 七 @1348437
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