27、汚嬢様、唯一無二の人を選ぶ!

 オスカーの腕の中でミアは真っすぐに顔を上げて宣言する。


「──えぇ、そうよ。オスカーはわたくしの婚約者ですわ」


 ミアの言葉に、二人の表情が一変する。それまで見せていた優しさの押し売りを止めた彼等は権力に対する欲望を剥き出しにした。もはやなりふり構っていられなくなったのだろう。叔父もスタンも狐顔を怒りで赤くしながら、ミアを睨みつける。


「そんなことはこの私が許さんぞ! お前はスタンと婚姻するんだ! それが伯爵家の為だとなぜわからん!!」


「そうだよ。僕達が婚姻するのが一番いい形であるはずだ。将軍なんて言ってるけれど家柄はどうだいっ? 在住兵団の新しい将軍の話は僕も聞いた覚えがある。だけど、彼は元は男爵家の人間だろう? たとえ今の彼が伯爵の地位であったとしても、誇りある伯爵家の令嬢である君には相応しくないよ」


「はんっ、今度は人の粗捜しか。引き際を見極められないとは情けない男だぜ。貴方方は家柄を考えよ立場を考えよと言うが、ミア自身の幸せは二の次か? 伯爵令嬢という重責を背負う彼女にこそ相手を選ぶ権利があるはずだ」


「なにを言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい! 伯爵家の令嬢にそんな甘えが許されるか」


「そこまで叔父の貴方が口出しする権利はないだろうよ。エドモンド伯爵はミアに選ぶ権利を与えてる。そして、そんな彼女が選んだ相手はオレだ。このはねっかえりを最高に幸せにしてやれるのは、このオレ以外にあり得ないんだよ!」


 どこまでも不敵な笑みを浮かべて断言したオスカーに、叔父は悔しそうに歯噛みする。ミアを抱く腕には二人から守るように力が込められていた。理不尽なことをまるで正当性があるように主張する相手に脅えるほどミアは可愛い性格はしていない。けれどそんなミアであっても、オスカーの頼りがいのある姿には思わず鼓動を高鳴らせた。


 ミアはオスカーの腕をとんとんと叩いて解放をお願いする。ゆっくりと離れて行く腕の中から一歩出るとミアは上品な微笑みを二人に向ける。


「気はお済みかしら? わたくしは自分の考えを変えるつもりはございません。幼い頃より見知った仲であり、痛みを知る者同士でもあるオスカーこそ、わたくしの定めた唯一ですわ」


「僕からの求婚を断って、こんな男と婚姻するというのかい? きっとこの男もすぐに君を裏切るよ。可哀想に、君はまた捨てられるんだ。将軍で顔がいい男なんて女が放っておくはずがないんだからね……」


 目を暗くしたスタンは、まるで呪いのような言葉を吐く。ジョルに裏切られたミアの心に杭を打ち込むように。それは傷つけようとする意図を込めた言葉の針だ。──だけど、お生憎様。ミアは青い目を蔑みを込めて優しく細めると、クスリと笑う。私はもう以前とは違うもの。汚嬢様とオスカーに呼ばれるくらい、まっさらな乙女心は一度どす黒く汚れたんだから、この程度の挑発で傷つくわけがないでしょう? 鋼を纏った心は、針を弾き返す。


「オスカーより貴方の方が誠実であるとおっしゃりたいの? うふふっ、面白い冗談ねぇ。親子揃ってオスカーよりも派手な女性遍歴がお有りなのに」


「それは嫉妬かい? 僕と父上は女性に好かれやすかっただけさ。君が僕を選んでくれるのなら、いくらだって縁を切るとも」


「わかっていないわね、スタン。わたくしは常識のない叔父様とその息子である貴方とは絶対に婚姻関係になるつもりはないと言っているのです」


「お前までなにを言うのか、ミア!」


 叔父が怒鳴り出した所でミアは、袖から華麗に細く折りたたんでいた紙を抜き出した。そして丁寧に紙を開くと澄んだ声で情感たっぷりに読み始める。


「『奥方になった貴方の美しさにようやく気付いた愚かな私を許して下さい。貴方を想うだけで、夜も眠れぬほどの嫉妬に駆られるのです。それなのに、つれない貴方は視線一つ寄越しては下さらない』」


「そ、それは……っ」


「父上?」


 叔父の顔色がいきなり悪くなった。息子の問いかけにも答えず、額に汗を浮かべて見るからに動揺している。ミアはさらに朗読を進めていく。


「『兄上よりも私の方が貴方を、ミディアを愛している。必ず、兄上から貴方を奪って見せます! 貴方に胸を焦がすブレンダンより』うふふっ、とっても熱烈な恋文ですわよね? けれど、既婚者の、それも自分の兄の奥方に横恋慕なんて、わたくし開いた口が塞がりませんでしたわ」


「違う! 私はこんなことを書いた覚えはない! 全てでたらめだ! ミア、お前がそんな手紙を捏造したんだろう!?」


「あらあらあらぁ、言い逃れなんて出来ませんわよ。叔父様のサインが、ほ~らここに、しっかりございますでしょう? そんなことをおっしゃるなんて、よほど隠したい過去なのかしら?」


「まさか、父上、本当にミディア様に懸想なさっていたのですか!?」


「違う! 違うんだ! スタン、この父を信じてくれ!」


「しかしこうして実際に手紙があるではないですか! 筆跡を見ても間違いなく見慣れた父上のものですよ!?」


 笑顔で責めるミアに、叔父の顔色が青いものから茶色に変わっていく。スタンも引き攣った顔で自分の父を見つめている。後ろでオスカーだけが笑いを堪えるように息を詰めているのを感じるが、ミアは気づいていない振りをして、手紙を再び丁寧にたたんで袖に戻しながら止めを指してさしあげる。


「叔父様、ご安心なさって! 叔父様がわたくしのお母様に贈って下さったドレスと靴もこちらでしっかり確保していますからね。専門店で調べてもらいましたら、間違いなく当時の流行物でしたわ。亡き母に代わりお礼をしなければいけませんから、手紙とそちらを添えておじい様とお父様に提出させて頂きますわ。お二人ともきっとこの素晴らしい恋文を読めば心を打たれることでしょう」


 ミアの言葉に叔父は白目を剥いて直立の姿勢のまま背中から倒れた。バターンッと大きな物音が響く。あまりのショックに気絶したらしい。まったくそんな体たらくでよくこちらに喧嘩を売れたものだ。


「はっ、えっ、父上!? しっかりしてください、父上!」


 スタンが慌てて抱えて揺さぶるものの、白目を剥いたままぴくりとも動かない。ミアは頬に手を添えて、困ったように首を傾げて見せる。


「叔父様ったら、そんなに感動したのかしら?」


「はーっはっはっ! あぁ、お前の素晴らしい朗読のおかげだろうよ。それじゃあ従兄殿にもお引きとり願おうか? ここからは婚約者同士の時間なんでな」


「く……っ」


 オスカーが真っ直ぐに玄関を指で指し示す。スタンは真っ青なを悔しそうに歪めると、父親を半ば引きずるように抱え上げてあたふたと屋敷を出て行った。使用人が扉を閉めたところで、ミアはようやく台風が去ったことを実感した。台風後にやってくる晴れた空のように清々しい気分だ。けれど、ミアはわざと胡乱な眼差しを作って背後を振り返る。


「婚約者を突然名乗るんですもの、私がどれだけ驚いたかわかってる?」


「悪かったな。オレの予定ではもっとスマートに伝えるつもりだったんだが、あの二人のせいで計画が狂っちまった」


 悪びれも照れもせずに肩を竦める幼馴染の気持ちがわからなくて、ミアはもどかしくなった。両腕を組んで、堂々とオスカーに尋ねてやる。


「どんな計画を立てていたのかは聞かないわ。だけど、これだけは教えてちょうだい。オスカーにとって、私と婚約することの意味はどれなの? 都合のいい相手だから? 気軽に破棄出来そうだから? 私が可哀想だったから?」


「そんなもの、お前を愛してるからに決まってるだろうが」


 男らしく大きな口元をつり上げて、それが当然であるかのように言うのだから、堪らない。緑の瞳が熱を帯びてミアに本気を伝えてくる。なんなのよ、この男は! ミアは熱くなる顔を見られないように逸らすと、上ずった声は隠せないまま捲くし立てる。


「あ、愛って……っ。そんなことちっとも知らなかったわ!」


「お前が鈍いだけだ。だが、お前はオレを選んだんだからな、もう取り消しは出来ないぜ」


「こっちだって取り消すつもりはないわ。仕方ないから、あんたで妥協してあげる」


「そりゃどうも。……これでようやく、オレだけのミィだ。これから末永くよろしくな、愛しい婚約者殿」


 背後から両腕を回されて抱きしめられる。低い声が初めて聞く甘ったるいものに変わり、髪にちゅっと優しく口づけられて、恥ずかしさにミアの全身は爆発した。


「豹変し過ぎよ、馬鹿ぁっ!」


 真っ赤な顔で叫んだミアの声に、オスカーの朗らかな笑い声が大きく続いた。


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