26、汚嬢様、唯一無二の人を選ぶ!

「……ちくだ……」


「いる……う!」


 ふと部屋の外の騒がしさに気付く。この大事な日に望まぬ来客が押し寄せたのだろう。予想していたよりも遥かに早い訪問だ。ミアはドレスの袖に仕込んだものを感触で確認してから、落ち着けたばかりの腰をソファから上げる。


 ここぞという時に邪魔をされることほど苛立つことはないわね! 内心じわりと生まれる腹立たしさを抑え込み、伯爵令嬢の被り物をして落ち着いた表情を張りつける。そして、扉に手をかけて廊下に出ると、漏れ聞こえた声の元に向かう。扉を開くと怒声混じりの声がミアを呼んでいるのがはっきりと耳に届くようになる。


「お前達では話にならん! ミアを呼べ!」


「ですから! お嬢様はご予定がありますので今はお会い出来ません!」


「どうかお帰り下さい!」


「ええい! たかが使用人ごときが伯爵の弟であるこの私に指図するか!」


「ミア、聞こえているんだろう!? 出てきてくれ!」


「叔父様もスタンもなにをそんなに騒いでいらっしゃるの?」


 しずしずと歩み寄るミアに、玄関口で男性使用人に押しとどめられていた狐顔の二人が、血走った目を向けてくる。乱れた髪とよれた服を見れば、慌ててこの屋敷を訪れたことがわかった。


 ミアの登場に顔色を明るくしたスタンは、使用人の腕を無理やり外して屋敷の中に踏み込んでくる。


「ミア! 今日は一段と美しいね。君が不幸にもジョルとの婚約を破棄したと聞いて、居ても立ってもいられずに来てしまったよ。大丈夫かい? 君の心が傷ついていないか心配なんだ。どうか力にならせておくれ」


「こういう時こそ私達を頼ればいい。伯爵家を継続するためにも、新しい婚約者が必要だろう? しかし兄上も新しい相手を探すのは大変だ。姪の一大事だからね、私も考えてみたのだが……ここはやはり、私の息子のスタンと婚約するべきだよ。親戚同士の婚姻なら血の結束を深められるし、スタンもお前を憎からず思っているのだから悪くないだろう?」


「君のせいではないけれど、一度婚約破棄した女性を受け入れる男は少ないと思う。けれど、僕なら君を受け入れられるよ! ミア、今度こそ僕を選んでくれるよね?」


 汗をかいた生温い手に手首をきつく掴まれて、ミアは眉をひそめる。この二人はなにを好き勝手ほざいていらっしゃるのかしらねぇ。私に伯爵令嬢という肩書がなければ見向きもしなかったでしょうに。


「放してくださる? たとえ従兄であっても淑女の身体に許可もなく触れるなんて失礼だわ。それにわたくし、今日は予定がございますの。そのお話はまた日を改めてくださいませ」


「そんなつれない態度を取らないでくれよ。僕なら君を幸せに出来る。ミア、僕の妻になってくれ!」


「……っ」


 掴まれた腕が痛くて言葉を飲むと、一瞬の風を感じた。そして金色のなにかが飛び込んでくる。


「なにをしている!? ミアから手を放せ!」


「うわぁっ!?」


 誰かがスタンの腕を捻りあげてミアの腕を解放してくれた。そのまま二人の間に入ると、広く逞しい背中で守るように立ってくれる。それは金色の髪の持ち主、オスカーであった。金色の髪を撫でつけて将軍として正装姿で現れた彼は、ミアを僅かに振り返り目を尖らせた。


「大丈夫か、ミア? この二人は誰なんだ?」


「以前お話しした叔父様と従兄ですわ。突然訪ねてこられて強引に迫られたものだから困っていましたの」


「君、失礼じゃないか! 僕がミアと話していたんだぞ、邪魔をするなよ!」


「キャンキャン吠えるなよ、青臭い坊やだな」


「なんて失敬な! 貴様こそ誰だ!? 私の息子に無礼な振る舞いをしおって!」


「ミアに手を出すからだ。あなたの息子は女の扱いも知らないのか? 痛がっている女に気づきもせず無理やり迫るとは、大の男のすることか!」


 オスカーの厳しい一喝に、叔父もスタンもビクリと身体を震わせる。そして、そんな自分の反応にますます逆上したのか、顔を真っ赤にして怒鳴り返す。


「な、名前を名乗れ!」


「怪我をさせられたと兵団に突き出してやる!」


「やってみろ。笑われて終わるぞ。そんな戯言を聞き入れるほど兵団は暇じゃないからな」


「貴様が兵団のなにを知っているつもりだ!」


「お前達よりよほど知っているとも。オレは在住兵団最高責任者、オスカー・ウォンクル将軍だ。そして──ミアの婚約者だ!」


 オスカーの腕がするりと腰に絡んだと同時に発された言葉に、ミアは頭を真っ白にする。ええええ──っ!? いつからそんな話に!? 私だって知らないわよ!? 口から飛び出しかけた叫びを固く閉ざすことで封じてミアは内心の激しい動揺を押し隠す。そんな風に動揺したのはミアだけではなかったようだ。叔父と従兄の二人もざっと顔色を失う。


「こ、婚約者!? それも将軍が相手だと!? 馬鹿な! ミアはまだ婚約破棄したばかりでそんな隙はなかったはずだ!」


「そうだ! お前が嘘を言っているんだ! ──ミア、正直に答えてくれ! こいつは君の婚約者なんかじゃないんだろうっ?」


 悲鳴のような声で叫ぶスタンから逃れるように、ミアは振り仰ぐように視線を移す。オスカーは傲慢なほど余裕の見える態度で、ミアをただ見つめていた。なんて目で私を見るのよ……っ。ミアは戸惑いながらも、顔を熱くなるのを抑えらなかった。


 オスカーの眼差しには妖しく燃える熱があった。同じような眼差しを一度だけ向けられたことを思い出す。一瞬で消えたのを、演じたのだと思っていたがそうではない。オスカーが意図して隠していたのだ。


 妖しく誘う緑の瞳は、ミアの恥じらいを見つけ出し、女に変えようとしている。本当に愛しい人に向けて熱を注いでいるのだ。

 

 ミアはそのことに気づいた瞬間、悟った。オスカーは最初から自分が婚約者になるつもりでいたのだ。そして、彼はミアがどう答えるのかをすでに知っている。雨粒くらいの悔しさとしてやられたという気持ちと、笑い出したくなるような愉快さが胸に弾けた。



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