19、汚嬢様、珍客の来訪に目を疑う!

 厄介事を一つ片付けたミアは、子爵との約束の日まで実に優雅に過ごしていた。オスカーにハリセンの指南を受けたり、久しぶりに洋服店に行ってみたり、愛読書を読んで恍惚のため息をついたり、庭の全力疾走して体力作りに励んだり、と日々を満喫していたわけである。


 そうして日常を取り戻すといかに自分が婚約者に盲目的に囚われていたのかがよくわかった。恋に目を曇らせてお淑やかな令嬢であろうとするばかりに、自分というものを見失っていたようだ。だからだろうか、今の開放感がたまらなかった。一種の快感である。


「あ~っ、自由って素晴らしいわ。きっと、自分を装うことばかりに気を向けていたから長い間忘れていたのね」


 オスカーいわく、解き放たれた汚嬢様は、整えられた屋敷の庭をのんびりと眺めてクッキーを摘む。感傷に浸りながら指に付いた粉をぺろりと舐めれば、微笑みがこぼれる。口うるさいばあやがいないからこそできる所業だ。このくらいのマナー違反は許してちょうだい。心の中で嘯く。


 爽やかな風が髪を優しく撫でていく。ミアはそれを穏やかな気持ちで受け止めた。清々しい空気深く呼吸していると、一人になりたくて遠ざけていたはずの侍女が、ミアが寛ぐテラスに足早にやってくる。


「お寛ぎ中に失礼いたします、お嬢様。男性のお客様がお二人いらっしゃいました。その方々はジョル様の兄君を名乗っておられるのですが……いかがいたしましょう?」


 侍女は言葉を濁しながらミアの顔色を顔色をうかがっている。ジョルのお兄様方とは年が離れていたこともあり、ほとんど関わりがなかったため詳しい人柄までは知り得ない。それが突然会いに来たとなれば理由は約束の期日となる今日父上であられる子爵が下した決断についてだろう。


 けれど、こちらとしては監視をつけているため、特に求めてはいないことである。さらに言うなら、なぜ子爵本人ではなく息子達が来たのかも疑問だ。子爵が疑心暗鬼となって動けなくなっているのか、それとも豹変したしたミアに怯えて息子に役割を押し付けたのか。他にあり得そうなのは、自分達の未来を摘まれたことに対する不平不満を言いに来た、くらいだろうか。


 このどれかであるのなら、こちらの返答は一つである。お相手してさしあげようじゃないの。ミアの中で黒く燃える炎がパキリッと爆ぜた。


「こちらにお通しして。どのようなご用かは存じ上げないけれど、お会いしたいというのならお受けしましょう」


「ですが……本当によろしいのですか?」


「何か気になることでもあったの?」


 返事に揺らぎを感じてそう問いかけると、侍女は目に不安を浮かべた。


「その……本当にあの方々がジョル様の兄上様でいらっしゃるのかが疑わしく思えまして……」


「うふふ、ばあやに怪しい者は通すなと言われているのね? いいのよ、本物だろうと偽物だろうと関係ないわ。ご本人のお顔は以前拝見したことがあるから実際に目にすればわかるはずよ」


「わかりました。それではこちらにお連れいたしますね」


 侍女が一礼して下がると、ミアはクッキーで乾いた喉を紅茶で潤して、椅子の上で居住まいを正した。どんな人達かしらねぇ? ミアはお嬢然とした微笑みを貼り付けて、男達がやってくるのに備えた。扉に視線を向けて心持ち構えていると、外側からドアノブが回された。


「は……?」


 入室してきた男の姿にミアは目を疑った。男は頭に白い猫の被り物をしていたのである。どことなく見覚えのある猫顔は、屋敷の倉庫で見つけた金を抱えた猫に似ている。東の国の輸入品で名前は【招き猫】と言っただろうか。縁起物だとお父様から聞いた覚えがある。なぜそんなものを被っているのかしら? その後から次男と思しき男の苦笑の混じった声がかかる。


「ほら見ろ、兄上。お嬢様が驚いておられるぞ」


「このような姿で失礼を。改めて対面するのは今回が初めてかと思います。ディオン・ファーレと申します。私の顔は次男のルクスと違い、ジョルとよく似ているゆえに、お嬢様がご不快な思いをなさられないように熟考した次第でございます」


「我が兄は堅物で真面目過ぎるほど真面目な男でして、この三日間、我ら子爵家の不敬をどのように償うべきかと胃を痛めるほど悩んでいたのですよ」


「よさぬか! 私のことはどうでもよい。ジョルの手酷い裏切りに、父上と母上の不敬とあらば、お嬢様のご心痛はどれほどのものか。私の胃痛など口にする価値もない」


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