12、汚嬢様、褒美をねだられる!

 自分の行動を間違っていたとは思わないが、ジョルを駆け落ちに走らせた理由の一つにそれが入るとしたら、屈辱過ぎる。


 怒りに震えるミアに気づかず、オスカーは設置された丸太の出来具合を確認しているようだった。


「よしよし、これならすぐには壊れないな。ミア、なんの為にこれを用意させたかわかるか?」


「簡単よ。ジョルに見立てて叩く練習をするためよね!」


「笑顔に狩る気やるきが滲んでるな。これは、お前にわかりやすく人体の急所を教える為に用意してもらったんだ。人の身体には撃たれ弱い個所がある。そこに打撃を加えると意識を失ったり、激痛で悶絶する部分だ。今回は狙いやすい部分だけを教えてやるよ」


 オスカーは人形の顔を指差して説明を始める。


「頭部ならこめかみと顎がいい。どちらも頭を揺らすから、上手くやれば相手の意識を失わせることが出来る。腹ならみぞおちだ。肋骨の下、ここに打撃を受けると動きを止められるだろう。だからその瞬間に逃げたり、さらに攻撃をするのがよくある手だぜ。さらに下半身なら、膝、脛なども打撃を受ければ悶絶するほど痛い。そのハリセンなら広めの胴が狙いどころだろうな」


「じゃあ、叩くのは胴ね?」


 ハリーを握る手にぐっと力を入れて、オスカーを見上げる。イメージはこんな感じかしら?


 正面からこめかみにハリーで一撃入れて、倒れたジョルのみぞおちに狙いを定めて再びハリーを振りかぶる。イメージの中ではジョルが倒れて気絶した。やったっ、倒したわよ!


「それがいいだろうな。が、ひとまず今回は試しに一通り叩いてみろ」


「わかったわ! いっくわよ~っ、やぁっ!!」


 かけ声と一緒にハリーを振りかぶり、ベシッベシッと打ち付ける。でも、思ったよりも音が鳴らないみたい。教えられた急所を一通り叩いたら、腕が疲れてしまったのでハリーを止める。


「はぁ、はぁ、ど、どうかしら?」


「気持ちは籠ってるが、体力と力のなさが目につくな。こっちはすぐに解決するものでもないからじっくり戻すとして、手だけで叩かずに腕をちゃんと動かしてみろ。こうだ、こう」


「ちょっ、ちょっと……っ」


 オスカーがミアの後ろから腕に手を添えて動かしてくる。耳元に息が当たりくすぐったい。思わず首を竦めて後ろを見上げると、オスカーの緑の瞳に妖しい光が宿る。舌舐めずりする気配を感じて思わず離れようとすれば、腰に腕がするりと絡んで低い声に囁かれる。


「──どうした? オレを意識してるのか?」


「ひゃっ!」


「随分と可愛い悲鳴を上げるじゃないか、お嬢様」


「オスカーふざけるのはよして! 教えてくれるという言葉は嘘だったのっ?」


「嘘じゃないさ。こうして、しっかり教えてやってるだろ?」


「やめ……っ」


 大きな手がミアの腕をなぞるように撫で上げた。ぞわぞわと鳥肌が立つような変な感覚がして、ミアはハリーを手から落としてしまう。顔が熱い。なんでこんな恥ずかしい目に会わなきゃいけないのよ! ミアは羞恥心に唇を噛んでオスカーを睨んだ。瞳を潤ませて自分を睨むミアにオスカーは僅かに目を見張ると、我に返ったようにぱっと身を離して距離を取った。


「……悪い。やり過ぎた」


「こんな悪ふざけをするのならもう頼まないわ!」


 ミアは恥ずかしさで肩を怒らせて、落したハリーをそのままに屋敷に踵を返す。信じて練習しようとしたのに、これはあんまりよ! 裏切られたという思いで胸が痛い。この痛みは嫌なことを思い出させる。ジョルに裏切られたと知った日のことを。


「待て、ミア!」


「もう嫌っ、放してちょうだい!」


「悪かった。恋仲の練習も兼ねようと思ったら予想外に可愛い反応をされて、情けないが、つい暴走しちまったんだよ」


「か、か、可愛いって、あんた頭でも打ったの!?」


 オスカーの口から出たとは思えない言葉に、ミアは顔から湯気が出そうになった。だって信じられない。ミアの反応にオスカーは気恥かしそうに僅かに頬を赤くしている。


「オレだって男だぜ。小生意気な汚嬢様だとわかっていても、そんな反応されたらそりゃ可愛いくらいは思うさ。これは普通の男が持つ感性だ」


「開き直らないでくださる!?」


 偉そうに腕を組んで言い放たれても、どう反応すればいいのだろうか。ミアは混乱したまま言葉だけを反射で返す。しかし、あれほど腹が立って胸が悪くしていたのに単純なもので、可愛いという言葉を嬉しく思ってしまったのである。いいえ、いけないわ! これだからジョルに簡単に駆け落ちされる羽目になったのよ! ミアは頬の熱さを散らせるように深く呼吸をすると、ちろりとオスカーを見る。


「恋仲の練習なら練習と先に言ってちょうだい。からかって、私を無駄に恥ずかしくさせるのもやめてほしいわ。それから今回のご褒美はなしにして。今後これを守ってくれるのなら、今回のことは許してあげてもいいわよ」


「それだけでいいんだな? わかった、全て受け入れる。こういう悪ふざけはもうしない。……くそっ、もっとゆっくり慣らすつもりが……」


 最後が小声で聞こえなかった。ミアはいつもの調子を取り戻すと、ハリーを拾いながらオスカーを振り返る。


「なにか言ったかしら?」


「いいや。練習を再開しようぜ。次はオレが見本を見せてやるよ」


 拾い上げたハリーを軽く振るうオスカーに、ミアは首を傾げた。


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