8、汚嬢様、金縛りを跳ねのけようとする!

 うっ、身体が動かないわ……まさか、これが令嬢の集いで聞いた金縛りと言われるアレなのかしら!? 幽霊はお断りよ! 呪うならジョルとアンディにしてちょうだい! 


「お嬢様、ばあやでございます。ご朝食の準備が出来てございますよ。……お嬢様?」


「はっ、と、解けたわ……と思ったけど、やっぱり身体が動かない! というより、なにこれ全身が痛いわ!?」


「筋肉痛でございますね。お嬢様がお若い証でございますよ。ばあやの年になると三日ほど遅れてやってきますから。不貞寝をしていたお嬢様が急に運動をしたのですから、身体が悲鳴を上げているのでしょう」


「くぅっ、なんのこれしきぃっ!」


「まぁまぁ、ご無理はいけませんよ。──お前達、お嬢様のご起床をお手伝いなさい」


「はいっ、エバ様!」


 ばあやことエバが一緒に入ってきた侍女達に声をかけると、三人がかりでベッドで筋肉痛に悶えるミアを助け起こしてくれる。


 はぁ、起きるのも一苦労よ。それもこれもあの二人のせいよね! 清々しい朝に不似合いな八つ当たりめいた怨みを今頃キャッキャウフフしているだろう二人に飛ばすと、ミアは差し出された洗面器で洗顔を済ませて、よろよろとベッドを下りた。


「膝って本当に震えるのね? まるで生まれたての仔鹿みたいだわ」


「なにを呑気におっしゃいますか。本来普通のご令嬢はそんな体験をするはずもなく日々お淑やかに過ごされることをお忘れなく! 幼き日よりお世話をさせて頂いているばあやも、昨日は久しぶりに心臓が止まるかと思いましたよ。お嬢様は勤勉で社交性もおありです。目下の者にも辛く当らずお優しい方ですのに、なぜに思考だけは斜め上に向くのです?」


「そんなにおかしなことはしてないはずよ?」


 寝間着を脱いでドレスに着替える。どこに出かけるわけでもないので、コルセットは付けずに軽装だ。いつもコルセットなんかつけてたら、死んじゃうわよね。今日もクルクルと自由に跳ねてる赤髪を梳かされて両サイドの髪を結いあげて真ん中に長い髪を通し、背中に流す。


 そうして身だしなみが整うと、侍女達に支えられたまま部屋を出る。膝を震わせながら歩くミアにばあやから反論が飛んでくる。


「いいえ! ばあやはこれだけは言わせて頂きますよ! 思い出してくださいませ。幼き日には、屋敷の屋根に登ってはしゃいでいるところを、オスカー様に発見され絶叫されたこともございますし、ある時は湖で行方をくらませ大騒ぎとなり、なぜか野生のイノシシに乗って現れたこともございましたね。モグラを手づかみで持っていき、ジョル様をお泣かせしたこともあれば、エドモンド様と狩りにお出かけになった際は、お嬢様が鷹を仕留めてお帰りになられる始末。どこにこれほどのことを起こすお嬢様がございますか?」


「ジョルのことは子供の無邪気なプレゼントじゃないの。少ないかもしれないけれど、大陸中を探せば何人かはいるわよ、たぶん」


「この全てを起こすような方はミアお嬢様しかいらっしゃいませんよ! お淑やかにお健やかにとお育てしてきたつもりですが、ご気性だけはお変わりなかったことを、ばあやは昨日思い至りました。これまではジョル様の手前抑えていらっしゃったのでしょう?」


「そうね、否定はしないわ。本当はお嬢様の行儀作法は堅苦しくて苦手だし、伯爵家の令嬢同士のお茶会は自慢話の出し合いでちっとも楽しくなかったわ。お茶くらい自由に飲ませてほしいっていつも思っていたもの。それもこれも、ジョルに可愛い人と思ってもらいたかったから、そして私が片親であることを理由に難癖を付けられて我が伯爵家が侮られないようにと心がけていたからよ」


 なのに、なーのーに、あの裏切りである。そりゃあもう、被っていた猫も脱ぎ捨てようというものだ。ミアは廊下をゆっくり進みながら視線を遠くに飛ばす。なにもかもとは言わないが、ジョルに関しては時間をドブに捨てていたようなものだ。まったく無駄よ無駄。そこにかける時間があるならもっと別のことに使えばよかったわ。


「おいたわしや、お嬢様!」


「一途に思っていらしたのにこの仕打ちですもの!」


「仕返しをする権利は十分すぎるほどございますよ!」


「そうですわ、見つけ出したら腐った生卵でも投げつけてやりましょう!」


 ばあやが両手で顔を覆うと、侍女達が憤怒の表情でミアに同情の声を上げる。自分達の主であるミアが馬鹿にされたので、自分達も馬鹿にされたような気がしているのだろう。


 この状態で社交場にいけば、実際にありえることだ。令嬢同士が自らの魅力を競いあうように、侍女達も自然と主の格を競う。だから、ミアは主の性格を知りたい時は侍女を見る。高慢な主の侍女は不思議と同じような高慢さが匂うものなのだ。



 社交界の場では他人の醜聞は格好の笑い話である。特に華やかに見える女性達の囁き合いは毒を含むものが多い。これまでは面倒でのらりくらりとさばいてきたが、今はミアが話題の中心であるはずだ。どうせ醜聞が上がっているんだから、もう必要以上に隠すこともないわね。ジョルを成敗すると決めた時からミアは脱ぎ捨てた猫をもう一度被る気はなかった。


「まぁ、お待ちなさい。仕返しの方法ならすでに決めてあるわ。でも、このことはお父様には内緒よ? 昨日のことも含めてこれから暫く、私がオスカーとなにをしていてもあなた達は見て見ぬ振りをなさい。これは屋敷中に言い渡す私の命令です。いいわね?」


「それはもしや、昨日のフライパンに関係することですか……?」


「えぇ。探しものがあるから、食事の後で倉庫に入りたいの。鍵を用意しておいてちょうだい」


「わかりました。ご用意いたしますけれど、お嬢様、危ないことはもうお止めくださいね。ばあやをあまり心配させないでくださいませ」


「安心して。昨日みたいなことはもうないから。ねぇ、ばあや、お腹が空いちゃったわ」


「まぁ! 食欲がおありなのですね! お前達、お嬢様の朝食をお持ちして!」


 食堂のテーブルは五人用程度の小型のものだ。これは生前広いテーブルを寂しいと言った母の言葉を聞き、父がわざわざ用意したものだそうだ。伯爵という家柄にしては可愛らしいサイズのテーブルだが、ミアも一緒に食べる相手の顔が見えることを気に入っている。椅子に腰を下ろすと、ばあやに指示された侍女達が足早に朝食を運んでくる。まずは腹ごしらえよ。それから倉庫を漁るとしましょう。


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