7、汚嬢様、ブツを求める!

 友人を見送り、軽く昼食を食べ終える頃になると、程よく日差しも柔らかくなっていた。


 ミアは一カ月の引きこもりで弱った身体を元に戻すために、さっそく運動をすることにした。庭の一角でゆっくりと体を動かす。久しぶりに太陽の光をたっぷり浴びて運動するのは気分がいい。ちょっと調子に乗って大きく腕を振るってみる。


「ワンッ、ツゥーッ、スリィィ!」


「おおおお嬢様! あ、危のうございます!」


「お止めくださいませぇっ!」


「誰かーっ、うぉおおお嬢様をお止めしてぇぇっ!」


「大、丈、夫よ! 絶対に、離さない、からっ!」


 ばあやと侍女達の悲鳴混じりの叫びを声援と受け止めて、ミアは両手に握ったブツで素振りを繰り返す。つるつるしてすり抜けそうな取っ手にぐっと力を入れて握りしめ、もう一度!


「ワンンッ ツゥゥッ、スリィィィィ!」


「騒がしいな。いったい何を──どあっ!?」


「あっ」


 昨日聞いたばかりの声に気を取られたら、すぽんっと手からブツがすり抜け飛んでいった。飛ばされたものは狙い澄ましたように、顔を出したオスカーに向かっていく。間一髪、飛びずさったオスカーの足元をそれはすり抜け、壁にぶち当たって落ちた。


 あ、あら? 壁の一部を壊してしまったわ。……これは事故ね! とっても不幸な事故! しらっと視線を流して、ドレスの袖で汗を拭って気持ちのいい空を見上げる。まぁ、なんていい天気でしょう。オスカーは直撃しなかったことに安堵したのか、飛んできたものを拾いあげている。ミアが飛ばしたブツ──その正体は。


「フライパン、だと? お前、なんてものを振りまわしてるんだ!? 病み上がりの運動にしては過激過ぎだろう! 物を選べ、物を!」


「選んだからそれにしたんじゃないの」


 よく考えて選んだつもりよ。自信を持って答えたら、オスカーの口元がぴくぴくと痙攣を起こした。


「そうか、そうか、お前はお嬢様じゃなくて汚嬢様だから、知らなかったんだなっ? これは料理をするものであって、こんな風に振りまわすもんじゃないし、あまつさえぶん投げるものでもないんだよ!」


「そのくらい私だって知ってるわよ! 体力作りに素振りをしてただけよ。剣は重くて持ちあがらないから、手頃なフライパンにしたんじゃないの。今のはちょっと失敗しただけだわ」


「おい、オレに当たりそうになったのはちょっとになるのか?」


 にこやかにお嬢様らしい微笑みを乗せて答えると、オスカーの額にびきっと青筋が浮かんだ。大きな拳を震わせている。ゲンコツが落ちてきそうな怒り具合に、ミアはさりげなく距離を取る。


「大げさねぇ、当たらなかったでしょ? それにほら、あんたの昨日の無礼と相殺よ。お互い水に流しましょ」


「なにをジリジリ離れようとしてるんだ。そんなにお仕置きされたいか。ここで素直に謝ったら許してやってもいいぞ? どうする、ミア?」


「……ごめんあそばせー」


 どんなお仕置きをされるか想像しただけで鳥肌が立ち、ミアは棒読みで謝った。偉そうに腕を組まれて上から見下ろされると、反抗心がむくむくと湧き上がってくるのだ。


「まったくもって素直じゃないな。お前自身や侍女に当たったらどうするんだ! 二度とやるんじゃない。体力作りならもっと安全な方法がいくらでもあるだろう」


「嫌よ。なんでそこまで決められなきゃいけないの。あんた何時から私のお父様になったのかしら? チップスを返してちょうだい」


「誰だって?」


「そのフライパンの名前よ。私はチップスと一緒に身体を鍛えて、あの二人を狩る、いえ、料理してやるのよ!」


「お前、実は頭が怒りで振り切れてるな!? まずな、チップスだかポップスだか知らないが、フライパンを擬人化するのは止めろ」


「間違えないで、チップスよ」


「わかったわかった、美味そうな方のチップスな! そのチップスが泣いてるぞ。料理するという本来の仕事を彼? 彼女? まぁ、どっちでもいいが、奪うのは可哀想だろう? 存在意義を否定されているに等しいぞ」


「使い方は違うけど料理することに変わりはないわよ? ただちょっと鈍器としても使うだけで」


「恐ろしいことを言い出したな! ジョルとアンディを物理的にぶちのめすつもりか!? その気持ちはわかるが冷静になれ。淑女という言葉を思い出せ」


「忘れてないわよ。このくらいは淑女の嗜みの内じゃないかしら?」


「オレの知る淑女はフライパンで撲殺を狙ったりはしない!」


 オスカーに突っ込み混じりの説得をされて、ミアは仕方なくチップスに別れを告げた。ちょっとへこんじゃったけど、あなたのことは我が家のコックが大事にしてくれるはずよ。あなたで調理された料理なら私たくさん食べるからね。どうか、元気で……っ。


 オスカーに拾われたフライパンはばあやに手渡されると、ミアから遠ざけるように屋敷に運ばれていく。遠くなるフライパンを名残惜しく見つめながらため息をつく。やっぱり名前を付けると愛着が湧くものね。ついつい感情移入しちゃうわ。フライパンがダメとなると、代わりの物を探さなきゃ。


「これだけ広い敷地内なんだから今は散歩で我慢しておけよ。もう少し体力が戻ったら久しぶりに共駆けに行くのもいい。身体の為にも今は大人しくしていろ」


「あら、いいわね! 乗馬……馬で踏むのもありかしら?」


 ぽそりと思いついたことを呟いただけなのに、オスカーに目を剥かれた。そんな態度を取られるようなこと言ったかしら? 言ってないわよね?


「だから武器から一旦離れろ! お前の目的は運動であって武器の入手じゃないだろう」


「どっちも出来れば得じゃない。そう言えば、あんた今日も来ているけれど大丈夫なの? 将軍になったばかりなのだから仕事が忙しいのではなくて?」


「アンディの件に片をつけるためにしばらく休暇を取っている。書類仕事はまったくしないわけにはいかないが、最低限は済ませてあるからな、それほど忙しくもない。だから、お前が復讐心に駆られてとんでもない行動を起こさないように見張ることも可能なわけだ。いいか? アンディとジョルのことはこちらに任せておけ。くれぐれも危ない真似はするなよ?」


「危ないことなんてしないわよ。だけどジョルとただ婚約破棄するだけじゃ、私の怒りが収まらないわ! 私自らの手で絶対に、ぜーったいに成敗してやりたいの!」


「……わかった。どうしてもお前が折れないというなら仕方ない。こうしよう」


 オスカーはため息をついてミアの耳元でコショコショと囁く。聞こえた言葉は考えもしていなかったことで、ミアは目を丸くして苦笑する彼を見上げた。


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