第2話 メガネの曇り

 子供の頃は視力がいいのが自慢だった。大学に入ると夜遅くまでレポート課題や自由な時間の影響でだんだん目が悪くなり始めた。コンタクトは怖かったのでまずはメガネからかけることにした。大学生にとってメガネは決して安いものではない。バイトで貯めたお金を使うのもあれだし、久しぶりに実家に帰ることにした。そう、実家に帰る理由はメガネを買ってもらうためだけだった。

夏休み。大学生の夏休みなんてバイトか遊ぶ以外ない。あまり社交的とはいえない自分は帰省するタイミングでバイトもやめた。前からここの店長のことが気に食わなかったのでちょうどよかった。バイトを辞めたからと言って友達と遊ぶということはない。そもそも、大学に友達はいない。唯一連絡先を知っているのはゼミの人たちのみ。それも連絡事項しか使い道はない。他のゼミ生はみんなで海に行くらしいが自分は断った。それも一応仲間外れはしていないよというアピールなのか聞くだけ聞いて断れよという雰囲気を醸し出していた。まあ、元々行く気はないので問題はない。やることも特にないので夏休みの間は実家にいようと思う。あまり乗り気ではないが。



 新幹線と快速、バスに揺られること3時間。何もないと言っては失礼だが自然が豊かな一応故郷に帰ってきた。実家はこの辺で唯一の診療院をやっている。実家に行く前に昔よく行っていた神社にお参りに行くことにした。途中、近所のおばあさんに話しかけられた。

「あら、珍しい顔じゃない。いつ帰ってきたの?」

「たった今だよ。おばあさんこそ元気でよかった。」

「ここら辺も人が少なくなってきて働き盛りの若い子もほとんどいないから私たちが元気でいないと。そうだ。もう診療所には顔出したかい?」

「いやこれからだけど。一先ず帰ってきましたって報告を神様にしようかなって。」

「昔からあんたはこう言ったこと本当に欠かさなかったよね。」

「死んだ母さんと良くここにきてたから。癖になってね。行かないと気持ち悪いし、習慣みたいなものかな。」

「でも、次早く帰ってやんなね。なずなちゃんずっと心配してたんだから。」

「なずな帰ってきてるの?」

「もう2年くらい前になるかね。看護学校を卒業して都市部の大きな病院じゃなくて、わざわざこっちに帰ってきてくれたから。あんたのお父さんも喜んでたよ。」

なずなとは義理の姉のことで年は3つ上。自分が12の時に父親が再婚した時の女の連れ子。その女は1年後に田舎の暮らしが嫌だと言ってなずなを置いて出て行った。その時に父親と喧嘩して仲が悪くなった。あまり帰りたくなかったのはこのためだ。なずなは姉弟という感じではなく母親よりの近所のお姉さんという感じだった。仲は悪くなかった。近くに同世代の友達がいなかったのでいつも一緒にいた。自分が高校に上がると同時に都会の方の学校に行ってしまい、もう帰ってこないと思って自分も実家を出た。もう5年もあってないことになる。

「そうなんだ。神社にお参りしたらすぐに帰ってみるよ。」

おばあさんにはこう言ったが内心神社よりはやく実家に帰りたかった。



 神社の参拝を済ませ、足早に実家に帰る。自然の中に不自然に現れる白い家。東京ドーム3つ分と、以前父さんが自慢していた。父さんは昔、大学病院で働いていて副医院長にまでなった人だ。心臓の世界では知らない人がいないほどの権威で、手術の予約は2年後まで埋まっているほどだったらしい。その頃はまだ自分も幼くてあまり覚えてはいない。スケジュールがパンパンなため家族の時間はほとんどなかった。そんな父さんがなぜこんな田舎にいるかというと、母さんが死ぬ時に自分をよろしくと頼んだかららしい。母さんの死因は心臓病だった。自分が、一番自信があって、実績もある場所で最愛の人を亡くしたのだから父さんのプライドはズタズタだったのだろう。そんなこともあり、決まっている仕事だけを片付けて自分と一緒にこの田舎町に引っ越してきた。この町には医者がいなく、地元の人からとても歓迎された。馬鹿でかい家兼診療所を作って積極的に患者さんを迎えた。全盛期よりは仕事量が減ったので父さんとの時間もできた。その時が一番、仲が良かった気がする。こっちに引っ越してきてから2年後に突然あの女がうちにきた。なずなを連れて。自分との時間よりあの女との時間の方が優先されてしまって、自分は孤独感に襲われていた。そんな時に一緒にいてくれたのがなずなだった。なずながうちに来たばかりのころ、なずなには痣が各所にあった。どうやらあの女が暴力を振るっていたらしい。でも、うちに来てその暴力がなくなって安心していた。寂しい自分と、少し安心して心に余裕があったなずなは自然に仲良くなった。今思い返すと、年上で心の余裕があるなずなに自分が一方的に甘えていたのかもしれない。あの女が出ていく時に、なずなを連れて行こうとしたがそれを拒否した。またなずなに手を上げようとした時にもともとあの女のことをよく思っていなかった自分が盾になった。あの時初めて人を殴った。そのことで結果的にあの女は家から出ていき、父さんと喧嘩になった。でも、なずなが自分たちと暮らすことを選んでくれたことは嬉しかった。だからこそ、都市部に行ってしまったことが悲しかった。今はまだ診療時間。表玄関から行くと、迷惑になってしまうと思い、裏口から入った。そこにはちょうど休憩中だった父さんがいた。



 「帰って来たのか。久しぶりだな。」

「そうだね。2年ぶりくらいかな。色々と忙しくて帰ってこられなっかったけど。夏休み中はこっちにいる予定だからよろしくお願いします。」

「そうか。ゆっくりしていけ。ここはお前の家なんだから。待ってろ。今なずな呼んでくるから。」

そう言って父さんは診療室に向かって行った。父さんがなずなを呼びに行ってすぐに、なずなが飛び出して来た。

「涼介なの?」

「そうだよ。ただいま。」

「久しぶり。」

なずなは近づいて来て自分を抱き寄せた。身長は自分よりは少し低め。女性らしい体系で何より香水なしでいい匂いがする。

「恥ずかしいよ。」

「大きくなったね。5年ぶりだもんね。急に黙って出て行ってごめんね。」

「いいよもう。すぎたことだし。」

自分もなずなのハグに応えるように抱きしめた。

しばらく、この体勢でいたかったがなずなは仕事中なので早めに切り上げることになった。

「亮介の部屋はそのままにしてるから。掃除もきちんとしてるし。きれいだと思うよ。長旅で疲れてるだろうから。ゆっくりしてね。」

そう言い残しなずなは仕事に戻った。

久々に自分の部屋に入る。なずなの言った通り、部屋はきれいに整理整頓されていた。男子特有の恥ずかしいものは全部向こうに持って行ったはずだから心配はない。多分。スーツケースから荷物を出していると、部屋のドアが少しあいた。

「入っていい?」

「いいよ。」

なずなだった。

「仕事はいいの?」

「お父さんが今日はもういいから久しぶりに2人っきりでいなさい。って言ってくれたから。」

赤面して応えるなずな。その反応を見て自分も恥ずかしくなって来た。

「彼女とかいないの?」

久しぶりに帰って来て、最初の質問がこれか。まずいな。かなり恥ずかしい。

「いないよ。できたこともないし。向こうだと基本1人でいるから。」

「そうなんだ。よかった。」

何かボソボソと話していたが聞こえなかった。

「なずなこそ、婚約者とかいるの?」

「何、突然。いるわけないじゃん。」

「そっか。もったいないな。なずなきれいなのに。」

なずなは顔を伏せて黙ったままだった。

「夏休み中はずっとこっちにいるからよろしくね。」

「うん。」

何を話していいか分からなくなって無言の時間が続く。仕方なく持って来た荷物を整理整頓する。

「私も手伝う。」

急に立った反動でなずなはつまずき自分にもたれかかって来た。

「ごめん。すぐに離れるね。」

離れようとするなずなを抑え、抱きつく。

「ごめん。離れたくない。このままがいい。久しぶりに好きな人と会えたから。」

少し体をはなし何かを確認するように顔を近づける。なずなは抵抗することなく自分を受け入れてくれた。無論、自分にとって初めてだった。



 それから1時間。なずなと自分の間では全く会話がなかった。顔を見ることすらできない。帰って来て5年ぶりにあってすぐに告白は少し急だったと思う。少しも我慢できなかった自分の幼さに少しガッカリする。体だけ大人になって精神的には何も成長していない。心の奥底で馬鹿にしていた女のケツを追っかけ回す同級生と同じじゃないか。そんな自分が情けなかった。

「亮介。さっきのことなんだけど。」

先に口を開いたのはなずなだった。

「ごめん。我慢できなかったんだ。なずなの気持ちも考えずに。」

「ううん。いいの。嬉しかったから。じゃあこれからも一緒にいていいんだよね?」

「そんなの当たり前じゃないか。血はつながってなくても姉弟なんだから。」

「違う。姉弟じゃなくて、その。」

なずなは口をモゴモゴさせてなかなか詰まった言葉を出してくれない。

「何?」

「こ、こ、恋人としてがいい。」

両者、顔を赤くして俯く。後から知ったことだがなずなも男性経験もなければ、お付き合いしたこともなかったらしい。学校では同級生のノリについていけなくてずっと1人でいたらしい。

「いいの?俺たち姉弟だよ。」

「血はつながってないから大丈夫だと思う。ていうかもう亮介以外私ダメなんだと思う。」

「俺もそうだよ。」

20代のいい大人が中学生みたいな恋愛をしている。でも、大人の損得感情とかお金のことが判断基準にならない、純粋なものだった。

「じゃあこれからもよろしくお願いします。」

「こちらこそお願いします。」

お互いに床に座り頭を下げあった。その様子は初めて対面する許婚のような感じだった。



 そこからの時間が経つのは早く、色々なことを話した。5年分の思い出、小さかった頃の話。思い出話に花を咲かせた。荷物も2人で協力したため、早く片付け終わった。気づけばすでに夕飯の時間で父さんが自分の部屋になずなを呼びに来た。

「色々と話せたみたいだな。なずな、話しているところ悪いけど夕食の準備をしてくれないか?」

「はい。わかりました。」

「なら、俺も手伝うよ。飲食店でのバイトの経験もあるし。」

「亮介はここに残ってくれ。話があるから。」

父さんに呼び止められて、仕方なく部屋に残った。なずなは部屋を後にして、父さんと2人きりになる。

「話ってなんだよ。」

自分が少し威圧的に質問する。すると父さんは床に座り、頭を下げた。

「すまなかった。これがずっと言えなかった。」

突然のことに少し驚いた。

「俺はあいつがなずなに暴力を振るっていたことに気づかずになずなを渡すことを拒否したお前を頭ごなしに怒鳴りつけた。そのことを聞いたのはなずなが帰って来たときだった。何も見えていなかっ、た知らなかった父親を許してほしい。この通りだ。」

父さんは頭を地面に擦り付けるように頭を下げた。手にはかなり力が入っていて、血管が浮き出ていた。

「もういいよ。今も、なずなと一緒にいれているから。それに知らなかったなら仕方ない。父さんはあの時あの女ばかり見てたから、なずなのことも、俺のことも見えてなかっただろうし。母さんが亡くなって一番傷ついていたのは父さんだと思うから。何か心の依代が欲しかったんでしょ。今ならわかるから。もう謝んなくていいよ。」

父さんは顔をあげた。

「本当にいいのか?」

「いいさ。俺たちが喧嘩していることを母さんはよくは思ってないだろうから。」

「そうか。ありがとう。いつの間にか大人になってるんだな。」

「そうでもないよ。まだまだ未熟者でさっきだって。」

先ほどのことを言いかけたがいて地位ことなのか正直迷った。

「さっきってなんだ?なずなとなんかあったのか?」

「まあれは後々ということで。」

タイミングよくなずなの声が聞こえて来た。

「ほら、飯できたって。腹減ってるから早く。」

質問から逃げるよう自分は部屋を出た。



 キッチンからはいい匂いがしていた。なずなの料理も5年ぶり。最初のころは悪戦苦闘しながら作ってくれていた。よく指も切ってしまっていたし、火傷も絶えなかった。そのきれいな手が傷つくのが嫌だった自分は途中から手伝うようになり、2人でキッチンに立っていた。基本的に器用貧乏でなんでもある程度こなせる自分はいつの間にかなずなよりも料理の腕が上がっていた。それが悔しかったのか、

なずなはそこから1人で料理の練習をしていたのを思いだす。あれから5年。とても楽しみだ。

「亮介。できたから並べるの手伝って。」

なずなに呼ばれ、キッチンに向かう。

「どうかな?」

心配そうに自分の顔を覗く。

「とても美味しそうだよ。」

自分の言葉になずなの顔がパァーっと明るくなった。

「へへへ。」

照れるように顔を背けた。なずなが作ったのは白身魚の南蛮漬けだった。向こうの学校に行っているときに日本料理店でアルバイトをしていてそこでかなり料理が上手くなったのだという。自分はどちらかというと洋食よりも和食派なので嬉しい。

「なずなはお前がいなくてもお前が好きだった和食ばかり作ってて、俺の好きな洋食はあまり作ってくれなくなったんだよ。」

父さんが降りて来た。

「なら、今度はおれが洋食作ってやるからそれで我慢してくれ。」

なずなとは逆に自分がアルバイトしていたのは洋食店だった。洋食店に働くことになったのはなずながどちらかと言えば洋食派でいつか自分が作ったものを食べて欲しかったから。この家では洋食派2人、和食派1人。和食派の劣勢で昔3人で暮らしている時は圧倒的に洋食メニューが多かった。

「そう言えばいつの間に仲直りしたの?」

「まあさっき色々と話したからな。」

「そうなんだ。」

「そんなんこといいからさ。早く食べようよ。腹減ったしさ。」

出来立ての料理を仲良く3人で囲んで食事をした。



 次の日。父さんからしばらく休みのもらえたなずなと電車に乗って街に出た。恋人同士になってから初デート。お互いに緊張していた。なんせ経験がお互いないもんで。手を繋ぐのかどうなのか。そんなことに一喜一憂していた。街に出ると大きなショッピングモールがあり、そこで色々と買い物をすることにした。当初帰って来た目的のメガネも買うことにした。せっかくなら好きな人に選んでもらいたい。

「なずな。どれがいいと思う?」

正直自分は見えればいい。ファッション性などは気にしない。

「私が選んでもいいの?」

「俺はあまりこだわりがないから。好きな人の趣味に合わせた方がいいかなって思ってさ。」

「どれも似合うと思うけど。」

様々なフレームを試しにかけ、あれでもないこれでもないと真剣に悩んでくれた。ようやくなずなが選んでくれたのはシンプルな黒いものだった。

「ごめんね。長い時間悩んで、結局一番シンプルなものにして。」

「何言ってるのさ。ありがとう。」

「へへへ。」

フレームを選び、視力を調べてからいろいろなオプションの相談をする。今のメガネはブルーライトカットや汚れがつきにくくなるもの。いろいろなレンズがあるらしい。今までかけてこなかった自分は少し感動を覚えた。

「オプションはどうしますか?」

「どうせなら色々とつけてください。」

適当に必要だと思ったものをつけてもらった。どうせ父さんのお金だしつけられるだけ付けた。そこそこの値段になったが、問題はない。でも、完成までに2週間はかかるということだった。またこなければならないが、なずなと一緒ならいいか。

メガネ屋を後にして、今度はなずなの買い物に付き合う。服や、化粧品。こういうときにある程度買っておかないとすぐになくなってしまうらしい。約5時間。ヘトヘトになりながら買い物を終えた。この頃には自然に手は繋げていた。



 メガネができるまでの2週間。父さんに隠れながらなずなとの時間を過ごした。

メガネができる当日もなずなと2人で街に出て、デートついでに撮りに行った。その日、家に帰ると家の中で何か揉めている雰囲気だった。なずなの呼吸も荒い。そう言えば忘れていた憎い声が聞こえて来た。

「なずなはどこ?いい加減返してもらいますから。」

感情を前面にだし、声を荒げる女性がいた。あの女だ。

「なずな。ここで待ってて。もし不安なら俺の部屋にいて待ってて。」

そう言っても、なずなは自分の手を離さない。

「行かないで。1人はいや。そばにいて。」

自分はなずなの顔を見て、

「いい機会だと思うんだ。父さんにも自分たちの関係をいつまでも黙っておくわけにも行かないでしょ。あの人の呪縛から離れて俺と父さんとなずなで一緒に過ごそう。大丈夫、いざとなれば色々とては考えてるから。」

なずなの手を優しくほどき、強めにドアを開けた。


 「帰って来たか。」

新しくできたメガネをかけていることでその醜い顔をしっかり確認することができる。やっぱりなずなの母親だ。1目見ただけで悪寒がする。この女は自分が好きな人を傷つけ続けた人間だ。もし死んだとしても許しはしない。むしろ、自分から手をかけてやりたいくらいだ。自分はカッとなる気持ちを抑えて冷静に言う。

「なずなはあなたのもとには行かせません。なずなはもううちの家族です。あなたは違う。いい加減関わるのをやめていただきたいのですが。これ以上騒ぐと警察を呼びますけど?」

「何を言っているの?なずなは私の娘です。自分の娘を迎えに来るのがいけないことですかね?」

こちらが敬語で冷静に対応しているのを見て、向こうも声を若干抑え、いかにも冷静ですよと言った感じを出している。

「いけませんね。もうあなたには親権がありませんし、何よりなずなに暴力を振るっていた人は余計に無理です。」

「何のこと?身に覚えがないんですけど。私がなずなに暴力を振るっていた証拠でもあるのかしら。あるもんなら見せてもらいたいですね。」

当時の自分が中学生だったため証拠など残っていないと思っているのだろうが、残念ながらある。しっかりとしたものが。

「ありますよ。見せましょうか?」

女の顔の色が変わる。自分はスマホを出して、ある動画を再生する。その動画は、なずなが暴力を受けている動画だった。顔もしっかりと写っている。

「何でこんなものが。」

「当時の俺が中学生だったからって油断していたでしょ。甘いですね。こうしてしっかりと残ってます。ちなみにスマホを壊しても無駄ですからね。その動画はネット上の自分のデータベースにちゃんの保存されてます。その動画の2日後に撮ったなずなの痣の写真もあります。期日も残っているので逃げることはできませんが?」

当時中学生の自分がここまでできたのは、たまたまその時浮気の事件で裁判で立証するためには動画が一番いいと言う番組を見ていたからだ。なずなのことを好きで良く見ていた自分がなずなの変化に気づかないわけない。あの女の暴力に気づかなかったわけじゃなかった。でも、父さんはあの時話は聞いてくれない状況だった。だからいずれ使えると思って証拠を残すことに集中してしまった。2人の間に入ってなずなを守ることもできた。当時のなずなには悪いことをしてしまったと思っている。

消すことのできない証拠を見せられて女は青ざめていた。

「わかったなら出て行ってください。あなたはここにいていい人ではありません。そして2度とか変わらないでください。なずなにも、父さんにも。」

女は腰を落とし、途方にくれた顔をしていた。

「なら、お金だけでも頂戴よ。今、借金で首が回らないのよ。」

その女から出て来た言葉に呆れと同時に殺意が湧いて来た。何なんだ。いったいこの女は。そう思っていると自分の部屋にいるはずのなずなが入っきた。


 「何で入って来た?俺の部屋で待っていてくれって言っただろ。」

自分が急に吐いた強い言葉に少し驚いた様子のなずなだったが、それに喰いつくように言い返して来た。

「だって、私が直接話さないとしっかりと過去から抜け出せないと思ったんだもん。亮介の後ろで隠れて守ってもらってばかりじゃいつまで経っても亮介と肩を並べて歩けない。」

見たことのない見幕で自分に訴えかけてくるなずなに、自分は口を竦んでしまった。なずなが入って来たことに気づいた女はなずなに駆け寄り、しがみついた。

「なずな。わかるわよね。お母さん困ってるから助けてほしいの。短い時間で大きなお金が入る仕事があるんだけど・・・。」

部屋中にすこし鈍く、響く音がした。女は急なことに驚いていた。もちろん、父さんも自分も驚いた。なずなが手をあげたことに。

「いい加減に出て行ってよ。関わらないで。私の家族は亮介とお父さんだけ。あなたなんか知らないし、私はあなたのものでもない。私はこれからもずっと亮介と一緒にいるの。私たちの邪魔しないで。」

なずなから発せられた言葉に女は呆然としていた。なずなの声は割れ、怒鳴るより叫んでいるように感じた。なずなは瞬きを忘れ、目は血走り、涙が流れていた。自分はなずなに近づき、女から目を外すように抱きしめる。自分が抱きしめてもしばらくなずなは息が荒かった。少しずつ落ち着いて、自分の腰に手を回し、泣き崩れた顔を自分に近づけ、口づけをした。その口づけはすこししょっぱかった。

「と言うことなんで帰ってくれませんか?あなたの居場所はここにはありません。私もこの2人のことをあなたに邪魔されるのは耐えられないものがあります。お金も払う気はありませんし、お金を貸すこともしません。私はこの2人に今までひどいことをして来ました。だからこそ、2人が歩みたい道を全力で応援する義務があります。一種の罪滅ぼしです。その邪魔をするなら、私はあなたを許さない。しっかりと法のもとで戦いましょう。私はその覚悟がある。」

自分たちのことを見て父さんが言った。女はそれを聞いて大人しく家を出て行った。それでもまだ、なずなは自分の唇を離してくれない。

「いい加減離れてくれ。息子たちのキスシーンを目の前で見せつけられるのは親として恥ずかしい。」

父さんの一言でなずなは自分から離れた。


 あれから正式に父さんに説明をして快く自分たちのことを受け入れてくれた。と言うよりずいぶん前から気付いていたらしい。どうなるかはわからなかったが2人の決めたことなら受け入れるしかないと思っていたらしい。

なずなの母親はどうなったかわからない。死んだか、自ら身体を売ったか。父さんにもらおうとしていたお金は相当の額だったらしく、一生かかっても正攻法で払える額ではないらしい。今となってはどうでもいい話だ。

母親からの呪縛がなくなったなずなはいつもより積極的に自分と関わるようになった。父さんに隠す必要がなくなったことも大きい。患者さんにも最近明るくなって、さらにきれいになったと評判らしい。

自分たちの関係は、患者さんたちにもすぐに広がり、狭い町の中で大袈裟なくらい話題になった。町ですれ違うといじられるようになった。刺激が少ない田舎町ではいいいじり相手だったのかもしれない。今までの自分ならいじられることを嫌がっていたが不思議と嫌ではなかった。小さい頃から知っている人ばかりだからなのか、好きな人が隣にいて人間として余裕ができたのかは、わからない。でも、はっきり言えることは今までよりも遥かに綺麗に世界が見える。

夏休みを終え、なずなと離れることになったが今度は休みをもらってこっちに来てと言う約束をして退屈な学生生活に戻った。でも、夏休み前とは気持ちの持ち方が違う。目標もできたし、帰る場所が自分にはある。嫌っていたゼミの人たちのも目が優しくなったと言われて悪いきはしなかった。

時が流れて2年後。

自分は白い服に身を包んで、ある人を待つ。扉が開けば逆光で見えにくいが綺麗な肌に、綺麗なドレスを身につけて自分に近づいてくる。

「ただいま。」

「おかえり。これからもよろしくね。」

数人しかいない小さな教会が大きな幸せで溢れた。


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