第56話 叙任式 後

「――断る」


 ラナーナのその一言は静まり返った洞窟に小さく、だが確かに響き渡る。

 対して、場の騒めきは無に等しかった。叙任式がこんな形で躓くとは誰も予測しては居なかったようだが、相手が古代龍種とナーガの長では纏う空気が違う。各々の表情から驚愕の感情は読み取ることが出来れども、それが音となることはなかった。


「ほう?」


 返すヴァンの声からは、特段何か感情が発露しているようには感じられない。ただ単純に、断りに対する疑問を発したに過ぎない、そんな様子。

 俺としても実際そこまで驚きはない。ラナーナがこの提案を呑むかどうかは正直半々程度だろうなと読んでいたからだ。更に、これ以上悪い方向に事態が転がらないとほぼ確信していたというのも大きかった。


 仮にここで反乱を起こされたとしても、ラナーナではヴァンに勝てない。森林に居るナーガを総動員してもまず無理だ。その程度で覆る実力差であれば、ヴァンはここまで生き永らえてはいないわけで。

 つまり、どこまで話が拗れようとも今ここで戦闘は発生しない。何よりここで争うことの意味が互いに無さ過ぎる。


 とは言え、ここからどう転がるか。先手をラナーナが握っている以上、こちらからは下手にアクションを起こせないのは地味に困りものだ。

 竜王国は間違ってもナーガたちと戦争をしたいわけじゃない。彼らの尊厳を最大限尊重しながら相互協力関係を築きたいがために、ここまで頭を悩ませている。提案が満足いかないものだったとしても、断られたからとてこちらから一方的に殴りかかるつもりもまたないのだ。これは最初から決めていたことでもあった。


 だが何にせよ相手方が提案を断るということは、内容に何かしら不服があるか、あるいは代案を持っているということ。

 そこを引き出さないことにはこの話は前に進まない。


「……ラナーナ・デイドラスカ。貴方は何を望むと?」


 ヴァンには叙任式に関わる台詞一式は覚えてもらったものの、こういうイレギュラーの対応までは教えられていない。というか教えてどうにかなるもんでもないしな。式の進行は俺に引き継ぐと宣言もあったし、ここは俺が出るしかない。


 俺の問い掛けを受けたラナーナは、それまでヴァンに向けていた視線をずらす。

 うーん、表情を見る限りではあるが、少なくとも怒っていたり不満を感じているわけではなさそうだ。どちらかと言えば穏やかと表していいくらいだろう。となると尚更、彼女の望みというか持っていきたい方向が分からない。


「……そもそもだが。我らはヴィニスヴィニクをそこまで信用していない。恐ろしく強いというただ一点を除いてな」

「ははは、そうか」

「……」


 わあ、初っ端から手厳しい評価。

 確かに話のついでではあれど、ラナーナはちょくちょくヴァンに対する愚痴をこぼしてはいたからな。というかヴァンは笑ってる場合じゃないだろ。国王に信が置けないと言われているんだぞ。

 過去にヴァンが何をやらかしたのかは知らない。どこでその信用を失ったのかも分からない。少なくともこの言われ方は、つい最近信用が置けなくなったというわけではない気がする。だが「そこまで」と表現するあたり、敵対とまでは言わないが信頼を預ける相手でもない、といった塩梅か。


 そんな他種族からの評価やら見られ方やらも全部ひっくるめてぶっ飛ばしてきたのが、彼女の暴力的なまでの強さなのだろう。ラナーナも認めている通り、俺もヴァンが負ける姿ってのは全く想像出来ないからな。


「しかし、ハルバよ。貴様は違う」

「えっ」


 えっ俺?

 突然の名指しに戸惑いを隠せない。俺がラナーナに対して行ったことと言えば、初対面の時に国家樹立のメリットを話したこと、ゲルドイル卿の侵攻を食い止めたこと、後は地方自治について説いたくらいである。

 更に侵略への抵抗に関しては俺が指示は出したものの、実際に手を下したのはヴァンだ。彼女の中で俺とヴァンの差は一体どこでついたのか。


「貴様は言ったな。『望むのは長期的かつ適正な管理と維持、繁栄』だと」

「……ええ、確かに」


 それは俺も記憶している。ヴァンに連れられてナーガの元へ初めて訪れた時、俺が自身の口から語った言葉だ。

 無論、そこに嘘や誇張はない。国を建てる以上それを目的とせず他にどうするのかという話である。これが会社であれば利益の追求になろうが、ここは竜王国。国なのだ。確かに利益も重要な項目だが、優先されるべきは国の存続と繁栄になる。

 どこまで実現出来るのかはさておいて、目標としてそれはブレちゃいない。


「正直最初は眉唾だったがな。だが、人間のくせに人間に抗う者など初めて見た」

「……私は、竜王国の宰相ですから」

「それは今決まったことだろう」

「では、竜王陛下の友人でもあるということで」

「……ふん」


 果たしてこれが答えになっているのかは分からない。ヴァンの友人であり続けることと、人間の国家と対立することは相反ではないからだ。別にヴァンと友好を築きつつ人間の国で暮らすことだって不可能じゃないだろう。

 何より侵攻当初、標的にされたのは大森林であってヴァンの住むブルカ山脈ではなかった。言ってしまえば対岸の火事で終わらせられたところに、わざわざ首を突っ込んだのである。竜王国という大義名分が出来るより前に。


 結局俺はその二つを両立させるのではなく、ヴァンの友人としての立場を貫くことを選んだ。そのために彼女の思い付きに協力し、彼女の思い付きを成就させるため森林地帯にまで出張り、結果片方の選択肢を捨てることになった。

 取った手段に疑問は残れど、選択自体に後悔はしていない。いつだかも思ったが、俺は人間ではあるものの心情的にはほぼ完全にこっちサイドである。ヴァンに拾われずたった独り、言葉も通じない世界で漂う未来を想像すれば自然と答えは出るというもの。

 俺は本当に運がよかったのだと思う。跳躍者としてこんな世界に突如ぶち込まれてしまったこと自体を幸運と呼ぶかは置いといて。


 そういう訳で、俺は基本的に竜王国の宰相であり、ヴァンの友人であり、竜王国とその支配下にある種族の安全を第一に考えるスタンスだ。人間の国が竜王国の安寧を脅かすなら、適切な範囲で反撃も辞さない。正しくハンムラビ法典を踏襲する所存である。


「ハルバ」


 ラナーナが、改めて俺の名を呼ぶ。


「宣誓出来るか。竜王国の支配下にある全ての種族を須らく守護し、また繁栄を約束することを」

「少なくとも私の目の黒いうちは、必ず」

「……そうか」


 俺の答えに迷いはなかった。

 確固たる自信があるわけでも、成し遂げられる確信があるわけでもない。

 だがつい先ほど俺は、竜王陛下に任せておけと強い言葉を投げたばかり。それはつまり、出来る出来ないではなくやらなきゃならないということ。男の子は一度言い切ったら頑張らなきゃいけないのだ。

 ただの一般成人男性の肩に乗せるには些か重すぎる重責だとも思うが、俺一人で全部背負う必要もない。ヴァンやフィエリをはじめ、沢山の人たちの力を借りて責任を果たす。それが俺を拾ってくれたヴァンへの恩返しにもなると信じて。


「ヴィニスヴィニク」

「うん?」


 しばらくの沈黙の末。ラナーナは再びヴァンへと向き合い、その口を動かす。ヴァンの反応が素に戻っているが、今ここで突っ込むのは野暮だろう。


 ちなみに。

 ナーガ族は腰から下が蛇であるがため、人間のように膝を折ることが出来ない。跪くという動作自体が構造上不可能である。

 なので、とぐろを巻いて頭を垂れるのが彼らにおいての恭順の姿勢らしい。というのは少し後で知ったことだ。


「同盟関係は必要ない。我らは正式に貴国へと下る」

「……はい?」


 思わず聞き返した俺を責められる奴は、多分居ないと思う。

 ラナーナの提案はそれ程に想像を超えた発言だった。


「……はははは! そうか、そうか!」


 上機嫌に笑う竜王陛下の声を耳にしてようやく、俺の思考は再起動を果たす。


 単純に考えてこれは、最良の結果であることは間違いない。ずっと頭の片隅を占領していた懸念が完全に払拭されたと言っても過言ではないだろう。

 ナーガを正式に支配下に置くことが出来る。この事実が齎すメリットは計り知れない。搾取するつもりは毛頭ないが、立地といい能力といい頼れる場面が多過ぎる。物資面でも戦力面でも国土面でも物事が一気に進むぞ。

 更にナーガが支配下に加わるとなれば、元々ナーガと主従関係にあるトレントも戦力として勘定出来る。直接の戦闘能力が如何程かは未知数だが、あの森林というエリアを幅広くカバー出来るのはかなり大きい。そしてヴァンの言を信じれば、トレントは対話こそ不可能なものの念話は通じるらしい。であればフェアリーを通した意思疎通も可能なはず。


 これは、デカいぞ。かなりデカい。


「……しかし、何故?」


 だが、彼女の言葉を聞いてなお俺の口を突いて出たのは、疑問だった。

 たとえ最上の吉報であってもそれを素直に甘受することはまだ出来ない。ラナーナがその結論に至った理由を明確にしておかなければ。

 俺の疑問を受けた彼女は巻いていたとぐろを解き、今度は身体ごと俺の方へと向ける。


「ハルバ、貴様がヴィニスヴィニクの手綱を握るのだろう? これでも私は貴様のことをそれなりに信用している」

「……」


 彼女の弁舌に、俺は無言で先を促す。

 俺を信用してくれているのは嬉しい。前職からそうだったが、やはり人から頼られたり信頼を寄せられることに悪い気はしないものだ。

 だがラナーナが先ず語ったのは結論であって、信を置くようになった過程がまだ不明瞭だ。何をもって俺が彼女の信頼を勝ち取ったのか、俺個人としても気になるし、臣下に迎えるにしても押さえておきたい。


「貴様の言動は最初から一貫していた。こちらのことを案じ、言葉通り人間が迫り、貴様自身が指揮を執り追い払って見せた。……私としてはあの時点で下ってもよいと考えていたんだがな、全体の意見を纏めるのに少々手間取った。気性の荒い者も多いのでな」

「……なるほど」


 確かに俺は最初に、人間が力を蓄えて侵攻してくる懸念を伝えていたし、それをさせないために国を作るとも言った。更に、支配下に入ることは何かを強制させることではないことも説いた。

 事実、魔鉱石という技術を手にした人間がこの地へ侵攻し、ヴァンと俺は大将首を獲ることで双方の被害を最小限に抑えた。

 結果として俺の言葉通りにことが運んでしまったわけだが、運が良いのやら悪いのやら。本当に幸運であれば人間側の侵攻という事件自体が起こらず、平和に物事が進んでいたはずだしな。


「とはいえ、だ。貴様の言葉に偽りの色が見えたなら、直ぐにでもその喉元に迫ってやる。それは忘れてくれるなよ」

「……肝に銘じておきます」


 どうやらナーガ族は無条件に恭順するわけではないらしい。

 まあその方がメリハリも効くというものだ。何も監視を求めるわけじゃないが、人間は抑止力がなければ簡単に狂うってのが俺の持論にある。特に権力や軍力を持つ立場となれば尚更だ。それは勿論俺も例外じゃない。自律ってのは言葉ほど簡単じゃないからな、俺も気合を入れねばならん。


「ははは、責任重大だなハルバ」

「竜王陛下もその一翼を担うどころか主翼であることをお忘れなく」


 こ、こいつ他人事だと思いやがって。お前国王やぞ、前提としてお前がしっかりしないとダメでしょうが。精いっぱいの返しをしてやったつもりだが、まあ堪えちゃいないだろう。ヴァンのメンタルは俺の言葉ごときで揺るぎはしない。


「それではハルバよ。こういう場合はどうするんだ?」

「えーっと……」


 ヴァンの言うこの場合というのは、ラナーナが竜王国に下る際の立ち位置、という意味だろう。正直言って流石にこの想定はしていなかったために咄嗟の言葉が出てこない。伯爵相当の地位ってのはそのまま伯爵位を授与する形にスライドさせればいいとして、問題は。


「……では、こういう形で――」


 全力で辻褄と言葉を合わせに走る。とは言ってもその提案は直接ラナーナに届かせるものではなく、俺からヴァンへの不格好な耳打ちとなってしまうが。

 一応、と言ってしまうともう体面もくそもないが、ここは腐っても叙任式という正式な式典予定の場である。そして叙任は俺ではなく、国王であるヴァンから賜らねばならないこともまた同じ。俺が考えたことをそのまま俺が発してしまうのは、国の在り方そのものに影響が出かねない。


「――うん、分かった。ラナーナ・デイドラスカ」


 ヴァンは再び竜王陛下としての威厳を取り戻し、ラナーナへと告げる。言葉を受け取ったナーガの長は先程と同じくとぐろを巻き、頭を垂れ、受け入れる態勢を整えた。


「貴君に伯爵位を授与する。並びに、ナーガ領の――」

「エイングルフだ」

「うん?」

「我が一族の地を我らはそう呼ぶ。貴様らがどう呼ぶかは知らんがな」

「そうか」


 ラナーナとの問答を終えたヴァンは、ちらと俺の方へ目配せをする。俺はそれをこのまま進めてもいいのかの問いだと受け取った。

 言葉は発さず、頷きを返す。彼女たちがそう呼ぶのならわざわざ呼称を変える必要もない。ドワーフ領イーフンフトもラプカン領バニエスタも、そのまま呼び名を拝借しただけだからな。

 というか領地の名称もそうだが、ホガフやリラが姓を持っていることの方が俺的には驚きだった。彼らには彼らなりの歴史が綿々と受け継がれていた証なのだろう。その歴史を俺たちの手で潰えさせることがないよう、これから頑張っていかなきゃならない。


「では、ラナーナ・デイドラスカ。貴君に伯爵位を授与する。並びに、ナーガ領エイングルフの領主を任ずる」

「……謹んでお受けする」


 こうして、最後の授与が終わり。

 一波乱ありながらも、叙任式は恙なくその役目を終えた。

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