第55話 叙任式 前

 フェアリーのピニーを先頭に、洞窟内を進む。

 今日がどのような目的を持った式典なのかを全員が全員完璧に理解している、とまでは言わないが、少なくとも空気は読めるのだろう。普段から楽天的なピニーやこういう風習に慣れないだろうブラチットも、無為に口を開くことはなかった。

 コツ、コツ、と、固い岩窟を踵が叩く音のみが木霊する。

 これだけの人数、それも異種族が一堂に会して無言で移動する様は、冷静に考えればかなりの異様だとも思う。そんなイレギュラーの只中に居るという認識が、俺の中に僅かばかりの緊張を植え付ける。


 本来の意図で行けば叙爵式と表すべきこの式典だが、ヴィニスヴィニク竜王国では爵位の授与等もまとめて今後叙任式と定めることにした。

 叙任式と言えば一般に騎士叙任式が連想される。しかしながら、竜王国で騎士の位を設ける予定は今のところない。近衛や警備隊などは編成してもいいだろうが、そこは称号というより役職の領域だ。

 今後爵位を授ける相手が増えるにしても、きっとそれ以上に役職を与える機会の方が増える。無論、逐一叙任式を開催するわけにもいかないから、重要な役職やそれこそ爵位を与える時に限定すべきではあるだろう。

 一応、爵位も含めて任ずるものと捉えて叙任式とする予定だ。どこかから突っ込みが入れば名称はまた変更すれば良し。触りはシンプルに越したことはない。


「よく来た。竜王国に名を連ねる者たちよ」


 この洞窟は確かに広いが一つ一つの空間が大きく、細部に渡って入り組んでいる訳でもないために、こういう取り留めのないことを考えていれば直ぐに目的地まで到達してしまう。そして目立った障害物もないために、ヴァンの偉容は否が応でも目に入り、耳にすることとなる。

 ヴァンの声は、人間態でも竜形態でも変わらず高く響くソプラノだ。しかしどんな声色とて、その音色に乗る感情はある程度、推察出来る。


 この場には、叙任式の詳細な流れや事細かな礼儀作法を知る者はほとんど居ない。フィエリとプラヴェス卿くらいだろう。俺にしてもこの三日間で教わることは教わったが、それでも実体験が無い以上は他の連中と五十歩百歩だ。


 だが、そんな状況下においても、古代龍種の持つ偉容は健在だった。

 先頭のピニーが漂う空気に中てられたか、数瞬硬直する。そのタイミングに合わせて俺は自然と膝を折った。

 示し合わせたわけではない。そうしようと考えていたわけでもない。相談もしていない。ただ当然と言わんばかりの流れでほぼ同時、全員がヴァンの前に跪く。


「面を上げよ」


 本来なら謁見の間を用意して、ヴァンが後から登場するのが正しいのだろう。生憎ながらそんな上等な環境は整えられなかった。

 しかし、まるでそのようなお膳立てなど不要だと言わしめるかのような彼女の立ち居振る舞い、そして古代龍種という種から放たれる圧力。

 確かに折角の機会でもあるししっかりとした威厳を、という話はした。したのは認めるが、これは些か気合が入りすぎではなかろうか。初めてヴァンを目にした時と同種の感情が頭の中でぐるぐると巡っていた。


 あまりの力強さに、ヴァンの声への反応が遅れてしまったのはどうやら俺だけではなかったようで。ぱらぱらと不揃いに頭が上がる様は少し可笑しくもあった。

 だが、別に俺たちは騎士団でもなければ憲兵隊でもない。これくらいでいいんだろう。何より全員が全員彼女に中てられていたのだから、苦言を呈する者もまた居ないのだ。


「先ずはこの場に集まってくれたことに感謝を。前置きもなく慌ただしくはあるが、これより竜王国における叙任式を執り行う」


 古代龍種の姿であるヴァンの表情からは、深くは読み取れない。読めて単純な喜怒哀楽が精々だ。だが少なくとも焦りや不安は微塵も感じられず、それは彼女が正しく国王を自覚していることに他ならなかった。


 ヴィニスヴィニク竜王国には歴史がなく、宗教がない。

 故に本来、式典を執り行う立場である司祭も存在しないし、典礼やミサといった儀礼もない。だから叙任式の進みは酷く簡素で早い。まあ、その辺りは時代を経て肉付けされていけばいいと考えている。もしかしたら宗教などもいずれ自然発生するかもしれないしな。人間以外が祈る神を持つのかは少し疑問だが。


「名を呼ばれた者は前へ。ナオキ・ハルバ」

「はっ!」


 フルネームで呼ばれるのは随分と久し振りだな、なんて場違いな感想を持ちながら俺はヴァンの方へと近付く。距離にして高々数メートルの進みだが、それでもこの雰囲気の中でヴァンとの距離を縮めるというのは同時に緊張が高まるものだ。


 再び臣下の礼を取るべく跪いた俺の肩に、ヴァンの爪が乗る。

 剣の代わりにヴァンの爪なんてどうだ、などと提案した三日前の自分をぶん殴りたい。これめちゃくちゃこえーわ。勿論、ヴァンがこのまま俺を切り裂くなんて露程も思ってはいないが、それでも肩に感じるズシリとした重み、それが齎す恐怖は何物にも代えがたい。


「ナオキ・ハルバ。貴君に侯爵位を授与する。並びに、ヴィニスヴィニク竜王国の建国に際し大きく寄与した功績を認め、竜王国宰相の地位を任ずる」

「……謹んで拝命致します」


 おかしいな、ここは単純に侯爵の爵位と宰相の地位だけを読み上げるフレーズのはずなんだけど。微妙にアレンジが入っている気がする。まあいいか、そう気にするようなところでもない。嘘は言っていないし。


「ハルバ」


 任命を承り山場を抜けた俺の精神に、ヴァンのソプラノが響く。

 俺が思わず顔を上げてしまったのは、肩の重みが消えたからではない。

 先程までとは違って、いつも通り。いつも通りのヴァンの声が聞こえたから。


「出会いから始まり、我の言葉を真摯に受け止め、遂行し、時に諫めてくれたハルバには本当に感謝している。やはり君は最高の友人だ。ありがとう、ハルバ。これからも頼りにしている」

「は、…………おう、任せとけ」


 くそ、柄にもなく強い言葉で答えてしまった。ここは俺に出来る限りはねとか、程ほどにとかそういう言葉が無難だろうに。直前までの緊張も何処へやら、俺の胸中は嬉しさやら恥ずかしさやらで一杯になってしまい思わず素の反応が出る。


 叙任式という大切な場面ではあるが、この場この瞬間だけは、居たのは竜王と宰相ではなく、ヴァンと俺だった。


 いやでも不意打ちはいかんでしょ。こんなの予定にはなかったぞちくしょうめ。

 それとなく振り返ってみればそこには実に、それはもう実にいい笑顔でこちらを眺めているフィエリの姿。

 お、お前かこの野郎ー! こんなドッキリ要らなかったよ! いや嬉しかったのは認めるけどさあ! もっと考えなきゃいけなかったところ他にあるだろ!

 これが今の古代龍種ではなく、あの少女の姿であったならマジでやばかったかもしれない。それくらいには衝撃のある台詞だった。


「ははは。許せ、宰相」

「く…………畏まりました」


 今この場は叙任式という曲がりなりにも正式な場であるために、いつものように文句を垂れるわけにはいかない。竜王陛下が許せと言った以上、俺に反旗を翻す覚悟が無い限りは許さなければならない戯れの一種だ。


「これ以降、叙任式の進行は宰相であるハルバに任せる」

「……はっ」


 いきなり切り替えるな。温度差で風邪引きそうだよこっちはよ。


「んっんん! では……呼ばれた者は前へ。フィエリ・ディ・ファステグント」

「はい」


 何とかメンタルの調子を整え、ヴァンから進行を引き継ぐ。

 とは言っても、ここからの流れは俺の時とほぼ同じだ。名を呼ばれた者は前に出て、ヴァンのお言葉とともに爵位と職位を賜る。これを人数分繰り返すだけ。式典に付き物の午餐もないために、かかる時間自体は至極短いものになるだろう。

 この叙任式も確かに大切だが、本命はどちらかと言えばこの後にあるからな。


「フィエリ・ディ・ファステグント。貴君に侯爵位を授与する。並びに竜王国宰相補佐、筆頭政務官の職位を任ずる」

「謹んで、拝命致します」


 俺に続いてフィエリが侯爵と筆頭政務官の地位を。


「ホガフ・ジジ。貴君に子爵位を授与する。並びに、ドワーフ領イーフンフトの領主を任ずる」

「ははっ!」


 ホガフが子爵とドワーフ領主の地位を。


「ブラチット。貴君に子爵位を授与する。並びに、竜王国航空統制官の職位を任ずる」

「ういっす」


 ブラチットが子爵と航空統制官の地位を。


「ピニー。貴君に子爵位を授与する。並びに、竜王国情報統制官の職位を任ずる」

「はーい!」


 ピニーが子爵と情報統制官の地位を。


「リラ・バニエスタ。貴君に子爵位を授与する。並びに、ラプカン領バニエスタの領主を任ずる」

「は、は、は、はいぃ……」


 リラが子爵とラプカン領主の地位を。


「レイデ・フォウ・プラヴェス。貴君に男爵位を授与する」

「……はっ」


 プラヴェス卿が男爵の地位を。

 それぞれ賜った。


 プラヴェス卿に役職が与えられていないのは既定事項だ。彼は言ってしまえば亡命者の立場であるが故、現状行うべき職務も治めるべき領土も定まっていない。今の居所は野営地に毛が生えたレベルだし、領土とするには流石に小さすぎる。

 職務で言えばジャルバルの養殖がそれにあたるのだろうが、専任とするには些か業務の規模が小さく、またプラヴェス卿個人の能力で考えるとやや不釣り合いだ。


 文武ともに活躍が期待出来るプラヴェス卿には、もう少し大きな職務を担ってもらいたいと考えている。具体的には外交の要職とかね。まあ、その辺りは国内情勢がもうちょっと整ってからになるが。


「最後に、ラナーナ・デイドラスカ」

「……」


 俺の呼びかけに無言で答えたラナーナは、静かに前へ出る。

 彼女は臣下ではない。なので、彼女の肩にヴァンの爪は置かない。扱いとしてプラヴェス卿の次になってしまったのは国を優先する以上、仕方のないことだ。対するラナーナもヴァンの眼前で改めて腰を折ることはせず、真っ直ぐに古代龍種と向き合った。


「ラナーナ・デイドラスカ。貴君および貴君の一族と竜王国との間で同盟関係を提案する。またナーガ領の自治を認め、竜王国内においても伯爵相当の権限を認むものとする」


 これが、俺とフィエリが考え抜いて出した答え。

 ナーガ領と竜王国を正式に同盟関係だと宣言し、可能であれば相互不可侵まで持っていく。そして自治を認めた上でラナーナを伯爵相当の地位とするものだ。

 俺としてはナーガと争う理由もないし、何なら積極的に協力関係を築いていきたいと考えている。しかしながら、明確に下ったわけではない以上臣下としては扱えない。かと言って、完全に外様――プラヴェス卿以下の扱いでは収まりもつかないだろう。


 ヴァンの宣言を受けたラナーナは、俺と初めて邂逅した時のようにたっぷりと十数秒。その身に沈黙を湛える。


 その後。

 彼女はただの一言のみ、返答を発した。



「――断る」

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