第53話 最初の三人

「はー、疲れた……」


 大自然の空気を全身に浴びながら、ぐぐっと身体を伸ばす。

 身体的疲労は生命維持魔法のおかげでほとんどないものの、やはり半日もの間考えながら喋るってのは精神的に疲れる。この魔法も睡眠だけは肩代わり出来ないっぽいので、脳への負担までは対応出来ないのだろう。知恵熱とまでは言わずとも、脳を酷使した時に発する独特のだるさが全身を駆け巡っていた。


 ヴァンの居城であるこの洞窟は非常に広い。

 通り道一つとっても幅があるし、全容は俺も未だに把握し切れていない程だ。


 視界のほとんどが岩と石、たまに生えている苔程度に覆われる世界。空間が広い故に見通し自体は悪くないが、目に入るものは限られている。特段整えられているわけでもなく、残念ながら際立って目を引くものは見受けられない、そんな場所だ。

 だが、そんな一見見どころの無い居所ではあるが、いわゆる穴場スポット――知る人ぞ知る絶景も少ないながら存在する。ここの主であるヴァンはあまりそういうのを気にしないタイプなので、俺が勝手に見つけて勝手に名付けただけなんですけどね。


 それが今俺が居る場所。

 ブルカ山脈の中腹に位置する入り口から歩いて程なく、岩壁が延々と続くかと思いきや突如それは終わりを迎える。ぽっかりと空いた大穴とも呼べる壁の切れ目から向こう、人間では到底登れないような天然の絶壁が仕上がっている。安全管理の概念を空の彼方へ放り投げたような立地ではあるが、洞窟内では数少ない外の景色を拝める場所だ。


 剥き出しの崖から覗く大自然の営みは、朝昼夜で異なる景色を運んでくれる。

 山脈を超えて届く紅の調べは広く深く、大自然の緑を覆い尽くす。地平の向こうから輝きを示す朱、蒼、そして緑のコントラストは、月並みな表現にはなってしまうが実に綺麗で。疲弊し切った精神をリフレッシュさせるにはこれ以上無いほど効果的であった。


「……むにゃ……」


 秘かなお気に入りであるこの場所には、大体先客が居る。

 洞窟という環境上どうしてもある程度の湿気は篭ってしまうものだが、それから解放される数少ないスペースは同時に、ファルケラのお昼寝スポットでもある。彼女は今日も元気よく、固く冷たい地面の上で惰眠を貪っていた。


「よく寝るなあこいつ……」


 彼女の姿を見て、思わず感想がまろび出る。

 まあ、別に普段の彼女がどれだけぐうだらでも俺個人は気にしない。働くべき時に働いてくれれば文句はないからな。今日は俺の外出もなかったために、それこそ一日中眠りにつくことが出来たのだろう。


 今は彼女に用事があるわけでもない故、わざわざ起こすようなことはしない。昼休みに仮眠をとってたらどうでもいい用事で起こしに来る上司とか絶対に嫌でしょ。そうはなりたくないものだ。


「やあハルバ。今日は随分と遅出だね」


 ファルケラからやや距離を置いて腰を下ろし、外の景色に視線を預けてからしばらく。黒のワンピースのみを纏った絶世の美少女が、耳心地の良いソプラノを響かせてこちらへと近づいてきていた。


「まあね、フィエリと色々相談することがあってさ」


 普段よりも幾分か声のボリュームを抑え、挨拶を返す。


「ほう。やはりハルバは頼りになるな」


 言いながら彼女は俺の横へと腰を下ろした。

 その一連の動きは決して気品溢れるだとか所作が流麗だとかそういう類のものではないはずだが、ついつい彼女を目で追ってしまう。どこの動作を切り取っても絵になる美貌って本当にすげえな。今更だが何を思ってヴァンは人間態の姿をこの形にしたんだろうか。


「半分以上はフィエリの功績だよ。俺なんて大したもんじゃないさ」

「ははは。謙遜はよくないと聞いたことがあるぞ」


 別段謙遜をしているつもりはないんだけどなあ。

 実際に俺が動いて実になった部分は確かにあれど、竜王国全体の進捗で言えば間違いなくフィエリの功績が大きい。俺は彼女の知識に乗っかっているだけだ。なまじ俺が表で動いている分、フィエリへの評価が割を食ってしまっている気もする。

 多分、直接やり取りする機会の多寡もあるのだろう。ヴァンと一番接しているのは俺だが、同様にフィエリと一番接しているのもまた俺である。

 まあここら辺の評価はもう少し人手が充足して組織が正しく回り始めれば、自ずと矯正されていくはずだ。


「あ、そうそう。後日ちょっとした催しを予定してるんだけど」

「催し?」


 今夜にでも話を振ろうと思っていたが、今この場でも問題はない。ヴァンにも色々と覚えてもらわなければいけないから、早ければ早い方が都合がいいというものだ。時間は有限だからな。


「んー、簡単に言うとだな。この国に仕えてくれてる種族の代表者に地位や役職を正式に渡したいんだ」

「ふむ。ハルバがそう判断したのならいいんじゃないか」


 うーん、この投げっぱなし具合よ。

 別に普段はそれでいいんだ。国を作ってみたいという思い付きが始まってからこの方、考えるのは専ら俺の仕事だし。ヴァンは俺やフィエリが出した案について、最終的に首を縦に振るか横に振るかを決断してくれればいい。


「いや、今回はヴァンにもしっかり仕事がある。責任重大だぞ」

「うん? どういうことだ?」


 ところがどっこい、今回に限りヴァンは外野ではいられない。

 何故なら、爵位というのは王から授与されるものだからだ。竜王国がヴァンを頂点とした王制である以上、この道は避けて通れない。

 正式に爵位を授けるとしたら、授与する側は王になる。つまりヴァンから貰うものだ。それは俺の立ち位置も例外ではなく。仮に俺への爵位云々は置いておくにしても、宰相という地位はヴァンから戴くべきである。


 竜王国を統治形態で表すと、絶対君主制だ。

 ヴァンはこの国を統べる資格も、権力も、軍力も持っている。本来であれば彼女が俺や他の者たちに命令を与えて動くべきだが、実態は違う。俺が考えて決めていることが多いからな。

 国家としての体裁を整えるならば、俺は宰相の地位をヴァンから授与されなければならない。現状で言えば、ヴァンという絶対権力者が俺に政治の全権を委任しているという根拠がないからだ。


「誰にどの程度の爵位と職位を与えるのかは俺とフィエリが考えた。だけど、実際に与える役目はヴァンがやらないとな」

「むう……そうなのか」

「少なくとも、俺が知る限りの常識ではね」


 そして同時に、その話し合いが同じレベルで展開出来ていたフィエリの常識でもそうなる。それはつまり、この世界――少なくとも、リシュテン王国という一国家においての常識でもあるということだ。

 爵位や役職の基準にある程度独自性があるとは言え、形式自体はこの世界に多少は馴染みのあるものになっているはず。将来的なことも考えれば、世界との足並みは揃えておくに越したことはない。


「そのためにも、ヴァンには名前とか台詞を覚えてもらう」

「む……」


 お、ヴァンが僅かとは言え渋面を作るのは珍しい。どんだけ覚えるのが苦手なんだよ。興味の幅が狭すぎるでしょ。


「渡して終わり、ではだめなのか」

「こういうのはな、形式ってやつも大事なんだ」

「そうなのか……」

「そうなんです」


 若干の面倒くささを感じているヴァンの不満を切って落とす。

 そりゃあ形式ばった式典やら何やらってのを好きなやつは少ないだろう。俺だって好んで参加するかと問われれば難しい。服装から始まり所作や言動一つ一つにまで決まりや制限があったり、場合によっちゃ暗黙の了解まで蔓延ってるもんだから面倒だってのは分かる。ヴァンの場合は恐らく単純に、興味のないことを覚えるのが嫌なだけかもしれないが。


 だが形式、もっと言えば格式ってのは対内的にも対外的にも重要なことだ。何だかんだでモチベーションや意識の差にも出てくるし、ひいてはそれが国の歴史を作っていくことにも繋がる。


 そう、歴史だ。

 ここで重要になってくるのは、伝統を作れるか否か。


 俺やフィエリは人間だ。仮にヴィニスヴィニク竜王国が今後繁栄の道を歩んだとして、そう遠くないうちに俺は一線を退いて後進に道を譲るし、フィエリだっていずれはそうなる。変わらないのはヴァンだけだ。


 国の形や肩書はそのままに中身だけが世代交代した時、ちゃんと正常に組織が回るようにしなければならない。それが慣習であり、風習であり、伝統である。俺たちはそういうものも作っていかなきゃいけないわけだ。

 そして、それをどれだけ王であるヴァンが理解しているかも。


「国を作りたいって言ったのはヴァンだからな、付き合ってもらうぞ」

「むう……それを言われると弱いね」


 まあ結局どれだけ土台を固めようが、代替わりを繰り返すことによって上に立つ者が腐ってしまえば同じなんだけどな。それは皮肉にも、お隣の王国が体現してしまっている。

 だが、竜王国にはリシュテン王国とは違って絶対的なアドバンテージがある。


 それがヴァンの存在だ。

 彼女がほぼ不老でかつ最強であるからこそ、絶対の統治者として君臨出来る。


 この国でクーデターでも起こしてみろ、一派諸共一瞬で消し炭だ。誰もヴァンに勝てないから、最終的に従うか国を脱するかのどちらかしかなくなる。仮に将来困窮を極めたとしても、王が極めて無能でもなければ有能な片腕一本くらいは残ってくれるだろう。そこから再建を図ればいい。

 そしてヴァンは無能でも横暴でも無謀でもない。純粋に無知なところは若干見受けられるが、彼女には新たな知識を吸収し、また諫言を聞き入れる素直さがある。


 それに、ヴァンを相応に王足らしめるのは宰相予定である俺の役目だ。

 価値観もあるだろうから根本を変えるってのは無理にしても、それっぽい振る舞いと考え方自体は二、三十年あれば何とかなるはず。俺の寿命を考えたらそれくらいが限界だろうし。


「ヴァンさん、ハルバさん。こちらに居ましたか」


 いつの間にか俺が一生を終えるまで、ずっとヴァンに仕えている前提で考えていたことに自分自身少し驚いた。そんな驚愕を表に出すより前、所用を終わらせたフィエリが合流する。


「やあフィエリ。君も今日は随分と遅出だね」

「お疲れ。首尾はどんな感じだ?」

「ばっちりです! 正装でと厳命はしましたが、新たな服の仕立てや献上品までは必要ないとも伝えています」

「了解了解、十分だな」


 手応え十分、といった声色で結果を伝えてきた銀髪の少女は、やり切った表情を浮かべながら俺の隣へと座る。

 フィエリは俺との話し合いを終えた後、ピニーと連携して各所に散らばる要人にこのブルカ山脈まで来てもらうよう、連絡役の任を買って出ていた。

 正装で、というのはフィエリの拘りポイントだったが、種族によっては服を持っているかも怪しいし、プラヴェス卿もそのレベルの上衣は持ち込んでいないだろう。あまり間を空けたくもなかったために「身一つで結構、ただし出来る限りの格好で」という折衷案に落ち着いた。そもそもフィエリ自身が碌な服を持っていないからな。俺のジャケットでも貸すか。

 普段であればこの連絡自体も俺自身が各地を巡ってやりそうなところだったが、そこにフィエリが待ったをかけた。正しく上意下達を行うため、俺が向かうのではなくフェアリーを通して招集をかけた形である。


「時間の概念がどうしても薄いので……三日後、太陽が空の頂上に昇った頃に、と伝えました。多分、到着は多少前後すると思います」

「まあ、それは仕方ない。時計も無いんだし」


 昼夜の概念こそあるものの、具体的に指し示すものがない以上ここはどうしようもない。そもそも時刻を読み解けない種族が居る可能性もある。機械式の時計などは望むべくもないが、日時計くらいはどこか分かりやすい場所に建てた方がいいかもしれん。こっちが困る。


「それじゃ叙任式は三日後の昼か。こりゃ急いで仕込まないとな」

「ははは、何をするかは分からないがお手柔らかに頼むよ」

「いーえ! ここは大事な場面ですから! しっかりお伝えさせて頂きますよ!」

「フィエリ、ファルケラが寝てるからもうちょい静かに」

「あっ……はい、すみません……」


 いやでもこんだけ騒いでて起きないあいつも凄いけど。まあいたずらに睡眠を妨げるのは本意ではない。どうかそのまま安らかに惰眠を貪っていてくれ。


 右にヴァン、左にフィエリ。

 思えば俺がこの世界に突如飛ばされてから、何かとこの三人で動くことが多かった。単純に知り合った順番も大きいが、最初に出会ったのがヴァンでなければ、そしてヴァンに連れ去られた人間がフィエリでなければ、きっとこうはなっていなかっただろう。


 おじさんと少女、そこに古代龍種が加わるという何とも凸凹なトリオだが、今のところ上手くやっているんじゃないかと思う。願わくば締めるところは締めつつ、時折くだらないことで馬鹿を出来るような関係になればいいな、程度には考えている。それくらいには、何だかんだで俺は今の環境を気に入っていた。


「それじゃあヴァンさん、先ずは口上なんですけど……」

「口上?」

「そこからかぁー」


 今日は、長い夜になりそうだ。

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