第51話 ご立腹少女

「……ハルバさん、ハルバさん」

「……んぇ……?」


 微睡んだ意識の中、聞き慣れた声が微かに耳に届く。

 かけられた声に導かれるように薄っすら目を開けてみると、そこには整った銀髪と透き通った深緑の瞳。もう少し外に意識を向ければ、俺の身体が僅かに揺れているようにも思える。


「起きてください、朝ですよー」


 日の光など当たらないはずの俺の部屋が、暖かな光に包まれていた。


「……んん……おはようフィエリ」

「はい、おはようございます」


 次第にはっきりしてきた頭を軽く振り、改めて辺りを見回す。

 随分と明るく感じたのはフィエリの魔法のおかげか。部屋の中空をふわふわと漂う光の玉をじっと見つめ、脳の覚醒を待つ。

 転移といいこういう生活魔法といい、やはり魔法ってのは便利だな。俺でも使えるものなんだろうか。

 知っているファンタジー知識で言えば、現実世界と異世界では同じ人間でもその成り立ち自体が違うから、魔法を発動する能力だったり臓器がないって話も多い。まああまり期待せず、機会があれば習得を頑張ってみよう。

 何より、俺の役目に求められているのは魔法などの力ではないからな。


「珍しいですね。ハルバさんが起きないなんて」

「いや、昨日は移動もあったけど色々と話もしててな……」


 寒さの厳しい冬真っ只中、布団にくるまった俺を見るフィエリは、貸し出しているパーカーを羽織りながら言葉を続ける。


 ほとんどの工程をハルピュイアに運んでもらったとは言えども、昨日は中々の強行軍だった。

 結局あの後、ヴァンの転移で一緒にブルカ山脈に戻った後は、最低限の連絡をした後にすぐ眠りについてしまった。

 色々と整理する情報も多かったが、身体と心がまず休養を求めてしまったのだから仕方ない。良くも悪くも一日二日で解決出来る問題でもない故に、一旦は身体を休めることを優先出来たとも言える。


「くあぁ……」


 起き抜けの身体が酸素を求め、大きな欠伸が一つ。部屋に運んできた桶に漬けてある布で顔を拭き目覚めの刺激を与えた後、ダウンジャケットに袖を通す。

 ブルカ山脈の近くにも水脈自体は豊富にあるようで、このような生活用水に困らないってのは地味に大きい。水量で言えば湯船も張れると見ているのだが、水を温める手段に乏しいので致し方なし。

 日本人としては毎日風呂に入りたいところだが、それは流石に行き過ぎた贅沢だと思う。それでもジャパニズムが疼くのはどうしようもないのだけれども。落ち着いたら風呂にも浸かりたいものである。


 ちなみに、日々の生活で付着した汚れなどは同じく生活魔法である程度の除去が可能だ。ここら辺もフィエリを頼ることになってしまっているのは否が応にも申し訳ない気持ちが湧いてしまう。

 俺の知る中世の衛生観念はそんなに立派なもんじゃなかったはずだが、そこは魔法という概念が差し込まれたことで大分変化しているのだろう。

 何より、年頃の女の子がその辺りに無頓着だったりしたら逆になんとかしてあげたい、くらいは考えたかもしれない。それほどに、フィエリは一人の女の子として容姿内面ともに優れていると思う。


 そんな彼女と歪ながら一つ屋根の下で生活していることに、思う所がなくはない。どちらかと言えば罪悪感の方が大きいが。

 この生活も短くない期間が経過しているものの、フィエリからも特に何か不満なり不安なりを聞いたことはない。元々お家が断絶して没落した立場だからそう強く言えないという背景もあるかもしれない。直接聞いても彼女はきっと遠慮するだろうし。

 ことがある程度落ち着けば、俺とフィエリの住処も別に分けておきたいところだ。俺にだってそういう欲求がないわけじゃないから、いつまでもこの奇妙な同棲状態を続けるわけにもいかないからな。


「今日はどうするんです?」

「それなんだけど、ちょっと相談したいことがあって」


 手早く身支度を整えたフィエリから一言。

 俺としては今日の話題は決まっている。プラヴェス卿らの越冬に備える問題と、人間以外の種族が冬という季節にどう対応しているのか、または出来ていないのかの調査だ。


「プラヴェス卿から聞いたんだけど、今の状況だと越冬がきついらしくてさ。リシュテン王国ではどうだったんだ?」


 まずはすぐに聞ける人間に訊いておこう。

 プラヴェス卿もフィエリも元は王国のいいところの出身だ。必ずしも一般市民の生活と結びつくものではないだろうが、まあ一つの物差しにはなるだろう。


「えーっと、そうですね……その年の豊作不作にも寄りますが、農村部でちらほらそういう話が挙がっていた、くらいにしか……すみません」

「なるほどね……いや、謝ることじゃないよ。ありがとう」


 申し訳なさを醸し出すフィエリをすかさずフォロー。

 言った通り、フィエリが謝るようなことではない。そもそも、仮にも王国の貴族が日常生活を営むに於いて不便が出るレベルだったとしたら、それはそれで困る。

 つまりは、あくまで農村部や貧困層の一部が厳しい、という話であって、一定水準以上であればこの世界の技術力でも十分越冬は可能だということだ。そして、現在プラヴェス卿らが置かれている状況というのはその一定水準に達していない。

 その判断がしっかりと出来ており、かつ冷静に分析が出来ていたプラヴェス卿はやはり愚鈍ではないということか。


「プラヴェス卿たちのところは対策を練らなきゃいけないとして、他の種族にも聞き取りしておかないとな」

「はあ……」


 しかしそれはあくまでこの世界の人間、それも都市部に住む者であれば問題ないという話であって、この大自然豊かなアーガレスト地方に住まう者たちが全員大丈夫かと問われれば恐らく難しいだろう。

 動物の一部には冬眠をするものがいる。獲物が捕れないためにエネルギーを節約するためだったり低気温を凌ぐためだったりするわけだが、つまるところ一部の動物にとって冬と言う気候は生活に適していないということだ。

 だが、少なくとも今ヴィニスヴィニク竜王国の傘下に下っている種族に冬眠するものはいない。逆を言えば、冬自体が種の生存に対し致命的問題ではないという見方も出来るのだが、とは言っても全ての種族が死者ゼロで迎えられる保証もない。


「という訳で、各地を回るついでに色々聞いてこようと思う」

「……まさかとは思いますけど、ハルバさんご自身で回られるんですか?」

「ん? そのつもりだけど」


 フィエリからの質問に即答で返す。

 というかそれ以外の手段があるのだろうか。勿論、俺一人で移動できる距離ではないからヴァンなりハルピュイアなりに手伝ってもらわなければいけないから、単独ってわけでもないんだけど。


 ハルピュイアと言えば、プラヴェス卿のところに同行した三人もヴァンの転移で一緒にこっちに帰ってきている。プラヴェス卿に言われなければ危うく忘れて帰るところだった。他の二人はまだいいとして、ファルケラは何をしてくるか分からんからな、危ないところだった。


「はああぁぁ……ハルバさん、ちょっとお話があります」

「えっ何何、何なのそのため息」


 返答を受け取ったフィエリの表情は何というか、分かりやすく不服を訴えていた。盛大なため息も相まって、普段はあまり見られない貴重な顔である。

 一体何が問題なんだ。俺の答えがそんなに拙かったのだろうか。


「この国の国王は誰ですか」

「え? そりゃヴァンだろう。どうしたんだフィエリ」


 いきなり当たり前のことを訊いてくるフィエリ。問答の意図が全く掴めないぞ。彼女は何を言いたいんだ。


「そうですね、ヴァンさんです。じゃあ、その国王の執務を代行、補佐しているのは誰ですか」

「うーん……まあ、俺なんだろうな。あとフィエリとか?」


 この国のトップは確かにヴァンだが、その実務を考えたり実行したりしているのは何だかんだで俺が中心だ。自分でも宰相っぽい立ち回りだなと感じてはいるので、これも間違ってはいないだろう。

 しかし本当にフィエリは何を伝えたいんだろうか。今更こんなことの確認を俺らの間でしても意味がないと思う。


「分かってるじゃないですか……分かってて自覚ないんですか……わざとなんですか……?」

「いやごめんフィエリ。本当に申し訳ないんだけど話の意図が分からない」


 わなわなと肩を震わせるフィエリ。

 すまん。本当に分からないんだマジで。この国の国王はヴァンで、補佐は俺だ。その事実を確認しただけで何故こんな不穏な空気にならねばならんのか。おじさん訳が分からない。

 今更その前提に不満がある、という訳ではないだろう。流石にそこがポイントならもっと前に問題は露呈しているはずだ。

 じゃあなんだ、俺やヴァンの動きに拙いところがあったとか? これまでの動きの中で当然、良かったことも悪かったこともあった。その中で唯一今でも正解が分からないのはゲルドイル卿との一件だが、あれはフィエリ自身が俺の判断を間違ってはいないと評していたし。やべ、全然分からん。


「もぉーーーー!!」

「うわあっ!?」


 俺の理解力の低さに、ついにフィエリがキレた。


「国王と! 宰相が! そんな軽々しく勝手にぴょんぴょんどこかに行かないでくださいよぉ! おかしいじゃないですかぁ!!」

「え、えぇ……?」


 俺、困惑。彼女のキレどころがいまいち呑み込めていなかった。

 当のフィエリは一度爆発してしまったものは早々抑えられないのか、矢継ぎ早に捲し立てる。


「ハルバさんはこの国の重鎮なんですよ!? 国政の要なんですよ!? 何でそんなホイホイ遠出しちゃうんですか! 呼びましょうよ! 呼びつければいいじゃないですか! 重鎮ってそういうものなんですよぉ!!」

「い、いや、そう言われても……」

「そうもくそもないです!!」

「アッはい」


 アカン、これは聞く耳を持ってくれないパターンな気がする。


 フィエリの言っていることは分からないでもない。俺の基準で言えば、天皇陛下と総理大臣が現場の些事に対してわざわざ単独で出向いているようなもんだ。そりゃあ周囲の者からすれば気が気でない、というのも頷けはする。

 頷けはするがしかし、もう一つ。社会保険労務士としての物差しが俺を動かしているというのもあった。


 というのも、出来立ての会社であれば十分な数の社員がおらず、直接の営業や交渉に代表取締役が動くってのは割とよく見る光景である。俺だって幾つも中小企業や零細企業の対応をしてきたし、その中には社長も数多く居た。あの労基法守ってないクソ社長もそうだったな。ちょっと懐かしい。

 勿論、中堅以上の大きいところであれば管理課や総務課の課長といった、その役目を与えられている中間管理職が出てくることが多い。企業が大きくなるに連れて、人事労務の細部にまで社長が出張ってくるパターンは少なくなる。


 しかし、今のヴィニスヴィニク竜王国を会社に例えればさしずめ設立したての零細だ。十分な資本金も社員もなく、全てが手探り。これから社内の福利厚生や社外に対する事業内容を詰めていくというガタガタっぷりである。

 そんな状況では、まずはトップかそれに準ずる者が動くしかない。つまり、ヴァンや俺が動くしかないのだ。

 フィエリはリシュテン王国の、あるいはリシュテン王国で教え込まれた教義に沿って話を展開している。それ自体は何ら間違っていないが、国家の成熟度合いで行けば王国と竜王国は全く違うのである。成人男性と赤子くらい違う。同じ物差しで一様に測るわけにはいかない、はずだ。


 それに、呼びつけるにしてもそこに名目上の差がない。


「で、でもフィエリ。ヴァンはともかくとして、明確に俺と他の皆で地位や職位の差が決まってるわけじゃないし……」

「じゃあ決めましょう。決めて授与しましょう。そのために呼びましょう」

「えっ」

「えっじゃないんですよ! 国なんですよ! そういうのも決めて下ろしていかなきゃダメじゃないですか!」

「はい……」


 どうしよう、フィエリが強い。

 ていうか推定未成年の女子に説教される三十路のおじさんとか絵面やばすぎじゃない? 軽くへこむんですけど。


 だがしかし、彼女が主張していることは尤もでもある。


 現状、国王であるヴァンを除き、俺も含めて誰も地位や役職を賜っていない。

 実質的に俺が動いてはいるが、じゃあそこに身分の差があるかと問われればないのである。極端な話、今のヴィニスヴィニク竜王国の下では俺とフィエリは同列だし、俺とファルケラも同列だし、俺とピニーも同列である。須らくヴァンに従う、としか決まっていない。あくまで名目上の話ね。


 しかし、今後諸々を進めるにあたって確かにそれでは具合が悪い。

 国家という組織の中で、そろそろ指揮命令系統をはっきりさせておくべきか。フェアリーやハルピュイア等、既に実態として従ってくれている種族もあるにはあるが、お題目を整えておくに越したことはないだろう。


「はあ……前々からずっと思ってましたけど、ヴァンさんもハルバさんも動き過ぎです。ご自身が国の中枢である自覚をちゃんと持ってください」

「ご、ごめん……?」

「なんで疑問形なんですか」

「えっいや他意はないぞ。ちゃんと悪いと思ってる」


 でも俺が動かないと仕方なくない? みたいな疑問がつい言葉の端に浮き出てしまった。ただ言っていることはその通りだと思うので俺もごめんなさいしておく。


 まあ貴族社会出身というのはつまり階級社会出身でもあるわけで、そこに目が行ってしまうのは仕方がないのだろう。権力や貧富の過剰な差をつけるつもりは全くないが、組織運営に当たって正しい区別は付けておかなきゃいけない。


 それに、表向きの体裁を整えなければならない、という諫言はつい先日、俺がヴァンに伝えたことと同じだ。

 そう考えるとフィエリの言にも納得が行くというもの。ここは有難く彼女の言葉を噛み締めて次への行動に移るとするか。


「よし、じゃあ今日はそれを考えるか。地位や職位にしても色々あるだろ」

「そうですね、それが良いかと思います。私も手伝いますから」


 さーて、また考えることが増えたぞぉ。

 おじさん、程ほどに頑張る所存。

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