第50話 古代龍種の価値観
「えっあれ? ヴァン? 何で?」
この場に決して居るはずのない人物の登場に、思わず疑問符が飛び出す。
彼女は今、ブルカ山脈に居るはずだ。そして、俺がここに居るというのはついさっきフェアリーを通して話を伝えたばかりのはず。時間で言えば数分も経っていない。何をどう頑張っても時計の針が合わないぞ。
「うん? 森妖精から話を聞いて迎えに来ただけだが」
対するヴァンは俺の言葉を受け、傾げた首はそのままにきょとんとした表情を浮かべことも無げに答えた。
いや、迎えに来たのは分からんでもないが登場の仕方が強引過ぎる。
小さな燭台が頼りない明りを保つ木造家屋の中、奇妙な沈黙が数瞬場を支配する。
俺は俺でヴァンの出現に若干混乱していたし、ヴァンはヴァンで俺がどうしてそんなにびっくりしているのかが分かりかねている、そんな状態。互いが放った言葉のすれ違いも相まって、機を制し損ねた両者が生み出した絶妙な間が空間を満たしていた。
「……転移だぞ?」
「……あっ、そうか」
疑問、解決。そう言えばこいつ転移出来るんだったわ、忘れてた。
転移魔法を直接見たのはこの世界に来た直後、人間の国から攫ってきた二十人弱を返した時くらいだ。あの時も確かに音もなくパッと消えたような感じだったもんな。登場時も同様に音もなく出てきてもおかしくないか。
「いやでも、俺ここで一泊するって言わなかったっけ?」
それはそれとして。
フェアリーからどういう流れで話が行ったのかまでは分からんが、ピニーも事実を捻じ曲げて伝えるようなことはしないはず。そうならないよう単純な言伝に留めていたのだが、それがどうして迎えに来るという判断に至ったんだ。おじさん困惑。
と言うか、仮にも国王が一人間のために軽々と転移魔法をぶちかますんじゃないよ。フットワークが軽すぎるでしょ。
「外は危険だ。だから我が迎えに来た」
さも当然のように言葉を返す古代龍種。表情や声色にも大きな変わりはなく、額面通りと捉えてもいいだろう。
「……そっか、ありがとな」
少々の思案の末、俺の口から出てきたのは感謝の言葉だった。
俺は多分、過去の跳躍者であるユキの代替品だ。
自身を過小評価しているわけではない。ただ現状の認識として、この評価はそう間違ってもいないだろうと俺は踏んでいる。
もし仮に、ヴァンが初めて会った跳躍者が俺だったらどうだろうか。
きっと、今のようには進んでいない。ヴァンも日本語が話せたかは怪しいし、そもそも俺と対等とまでは言わずとも、古代龍種という超大物株を下げてまで付き合う理由も義理もないはずである。大量の人間を一瞬で殺す手段を持つ生物だ、俺個人を見逃すどころか懇意にする道理がなさ過ぎる。
それでも。
理屈では俺個人に向かないベクトルだとしても、こうして俺をヴァンが気遣ってくれる、というのは嬉しい。嬉しいと感じてしまう。
ユキとヴァンが一体どんな出会いを経て、どう過ごしたかは知らない。俺もそこまで知ろうとは思わないし、聞こうとも思っていない。
ただ何にせよその出会いがあったからこそ、俺はこうして奇妙な第二の生活を歩むことが出来ている。今はその事実だけを享受出来ればそれでいい。
それだけでいいはずだ。
俺は俺で、頼まれたことを出来る限り勤め上げよう。
「ハルバ、帰らないのか?」
ヴァンの声で我に返る。
いかんいかん、まーた変な方向に思考が傾いてしまっていた。そんなことよりも考えなきゃいけないことが多いんだ、息抜きは大事だが今はその時じゃない。
「あ、うん帰る、帰るよ。迎えは正直ありがたい」
思考を戻そう。
ヴァンの出迎えは言葉通り有難いことではある。ここで過ごすには寒さが厳しいし、おいそれと薪を使いまくれる状況でもない。俺一人を養わせるために他多数を殺すわけにもいかないからな。
そうだ。ついでにヴァンにもここの状況を伝えておこう。
「ところでヴァン、冬についてなんだが……プラヴェス卿から越冬は厳しいって話があってな」
「うん?」
ヴァンにこれを伝えたとして、じゃあすぐに解決するかと問われればそれは恐らく否だ。ただ、繰り返すがプラヴェス卿とその手勢100余名は既にヴィニスヴィニク竜王国の国民でもある。国民が死の危険と隣り合わせであるという認識は、王として正しく持っておかなければならない。
理想としては事故や病気、戦闘などを除いて、日常生活を営む上での死者はゼロに近づけたいところである。そのためには色々と整えなきゃいけないし、人間以外の種族が現状どうなのかの調査も必要だ。
人間だけの問題であれば最悪、種族特性の一つとして勘定も出来ようが、それ以外の種族――ナーガやラプカンなども冬に弱いのであれば、国として福利厚生を整えていく必要がある。無論、人間固有の問題だとしても放っておくつもりはないが。
「冬だからな。死ぬ時は死ぬし、そういうものだろう」
「やっぱりそうなるかぁー」
うーむ、半ば想定はしていたがやっぱりか。ヴァンに死生観を問うのがそもそもの間違いなのかもしれん。
彼女は古代龍種という一種のチート種族みたいなものだ。たとえ人間以外の種族であっても、ヴァンの前では須らく下位に位置する。有象無象の生き死にに対して興味の食指が動くはずもなし、これはやはり俺やフィエリで何か考えないとダメだな。
「まあ些事はいい。帰るぞハルバ」
「こら、些事で片付けるんじゃありません」
「うん?」
種族の生き死にを些事と言うのはやめなさい。
ヴァンにとっては文字通りそうなのだろうが、もうちょっと国家運営に対しての向き合い方ってものを学んでもらわないといかん気がしてきたぞ。
別に俺だって国を纏める知見があるわけじゃないが、今のような発言を外に向けられるのは少し困る。国を作りたいと言ったのはヴァンなのだから、そこら辺も教えていかなきゃいけない。
「国民の誰が聞き耳を立てているかも分からないんだ、そういう表現は今後控えた方がいいぞ」
「ふむ……そういうものなのか」
そういうものなんだよなあ。
今更ヴァンの価値観を変えようとは思わないし、変えられるとも思っていない。数千年を経て醸成された思考回路だ、俺なんぞが手を加えるにはあまりにも大きく固い。しかしながら、上に立つ者としての振る舞い方という視点で行けば矯正すべき点があると見ている。
彼女の考え方は圧倒的な個の力から来ている。実際ヴァンは強いしそれ単体は悪くないのだが、国家という巨大集団を纏める上ではやや不適だ。
「ヴァン、国家にとって国民って何だと思う?」
「うん? うーん……よく分からん。深く考えたことがない」
「だろうなあ」
何も、人間に興味を持てと言うつもりはない。別段興味を持つ必要性すら特にないと思っている。
ただ単純にこれからは一匹の古代龍種としてではなく、一国家のトップとして物事を捉えなきゃならない。よしんば物事への捉え方は変わらなくとも最低限、表に出てくる発言や感情はオブラートに包まれるべきだ。
「国にとって、国民ってのは血液と同じだ。上手く循環しないと身体が機能しない。で、国ってのはイコール国王のヴァンを指すものでもある」
ヴァンの言葉が人間種への評価で終わるのならまだ分かる。
俺もそうだが、人間は寒さに弱いし何なら暑さにも弱い。現代日本でも稀ではあるが冬に停電で凍死することもあるし、夏は熱中症で死者が出ることもある。古代龍種から見て人間ってのは脆弱に映るんですよ、という話ならそう問題ではない。
内心で何をどう思おうが、それは一個人の完全なる自由だからだ。
「国が、国民が傷付くってのはヴァンが怪我を負うのと同義だ。実際に怪我をするわけじゃないが、そういう意識を持って考えてくれ」
一方、これが自国の民に対する姿勢となると話が変わる。
名目上とは言え自国民である人間に対し、死の危険に瀕している最中「人間はそういうものだから死も已む無し」で終わらせる為政者では、俺が考える国という概念に対してちょいとばかし都合が悪いのである。
確かに時として、国民を数字上で判断して切り捨てる、あるいは割り切る冷徹さも必要と言えば必要だ。
だが、国家指針が「死ぬ奴は勝手に死ね」では困る。それじゃあ誰もこの国に付いてこない。
表と裏というか、本音と建前というか。
そういう観点をヴァンには多少なり持ってもらいたいのである。
「価値観を変えろとまでは言わないよ。ヴァンから見たらそりゃ人間は弱いだろうし。でも表に出す言葉は考えような、国の信頼に関わる」
「……ふむ。つまり、我への信頼も損なうという意味か。なるほど、気を付けるとしよう」
「そういうこと」
俺の諫言に対し、ヴァンはその顔つきを幾分か神妙なものに変えて返答を紡ぐ。いくらか認識を持ってもらえたようで何よりである。
思えば、多少なりとも真面目なトーンでヴァンに異議を唱えたのは今回が初めてかもしれない。今までは彼女の価値観にわざわざ口を挟む理由も必要もなかったからな。何より古代龍種に意見出来る程、俺は強くも偉くもない。
だがこれからは違う。彼女はこの国家の象徴として君臨せねばならない。ヴァンを愚者と侮るものは居ないだろう。今は居ないだろうが、今後は分からない。俺自身、間違っても彼女を愚かなどと思っていないが、そう見えてしまいかねない振る舞いは避けられるなら避けた方がいいに決まっている。
「まあ今後気を付けてくれ。目に余るようならまた言うけどな」
「はははは、お手柔らかに頼む」
諫言を受けたヴァンの表情と声色は何というか、実に朗らかで。気分が良さそうにも見えるが、どうしたんだろうな。俺からのダメ出しなんて間違っても喜ぶようなもんじゃないはずだが。
まあ、それはどうでもいいか。経緯はどうあれヴァンが国家元首っぽい振る舞いを意識してくれるに越したことはない。
「ヴァンだって今ここで俺が死んだら困るだろ? その視点をもうちょっと広く持ってくれれば助かる」
ちょっと真面目な話を振り過ぎたかな。努めて明るく、おどけるように最後に一言を加えて諫言を終える。映画に出てくる三枚目のように、肩を竦めるのも忘れない。
これで困らないって言われたらちょっとショックだけど。ヴァンと俺の関係性は酷く薄っぺらいものだが、それでも俺なりに何とかこなしている自覚はある。
「むう……それは少し、難しいな」
「えっ」
先程よりも一層その顔つきを神妙なものに変え、ヴァンが呟く。
「ハルバは大切な友人だ。他と同列には並ばないな」
随分と後に判明した余談だが。
俺はこの時、大層間抜けな表情を晒していたらしい。
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