第49話 日没後の談
「死者って……えっ死者が出るんですか」
突如告げられた10名前後の死亡予測。俺としては簡単にはいそうですかと受け入れられる発言ではなく、思わずといった形で聞き返してしまった。
「冬とはそういうものだろう。なに、ハルバ殿らを責めるようなことはしない、行軍してきた以上彼らも理解している」
「いや、いやいやいや……えぇ……?」
然も当然のようにプラヴェス卿は言葉を重ねた。
当たり前だが、俺はそれに納得出来ていない。いやそりゃ確かに、兵士たるもの時に死ぬことも仕事に含まれる、みたいな台詞は聞いたことはある。聞いたことはあるが、今は違うでしょと。
彼らは曲がりなりにもヴィニスヴィニス竜王国の国民になるわけで、俺としては国民に易々と死んでもらうつもりはないわけだ。
勿論寿命や事故、病気などで死亡者は出るだろう。それは分かる。しかし、冬という季節を過ごすだけで少なくない数の死者が出るのは見過ごせない。
俺とプラヴェス卿とでは、死生観の捉え方が違い過ぎる。
中世頃の衛生観念とか死生観とかどんなもんだっただろうか。専門で勉強していたわけじゃないからいまいちピンとこない。
俺の認識だけで言えばこの厳しい冬の気候、更に山に近く天候も変わりやすい。俺が今着ているダウンジャケットのような防寒装備もそう十分に整っているものではないだろう。加えて雨風を凌ぐ家屋の不足。野営装備だけで耐え続けるには中々に厳しいといったところか。
ただ、それでも少なくない死者が出てしまうとまでは思っていなかった。人の生き死にがこうも簡単に自然の力で左右されてしまう。現代日本で大人しく生きている限りでは中々考えられない事態ではある。
何より、そのこと自体をプラヴェス卿らが受け入れている。
冬に人は死ぬものだと、はじめからそう認識しているのだ。
「何とか、出来ませんか。我々も協力は惜しみません」
「ハルバ殿は随分とお優しい。無論、何とかなればそれは嬉しいことだがね、現実どうにもならん。火を焚き続けるにも燃料が足らぬ。糧食も厳しい」
お伺いは立ててみるものの、返ってくる答えは非情、言い方を変えれば現実に即したものであった。
数日を凌ぐ程度であれば何とかなっただろう。事実、彼らが竜王国に下ってから今までは何とかなっていた。しかし今は冬真っただ中、季節の巡りが俺の知っている世界と多少違うと言えど、春の息吹を感じるまでに数カ月はかかる。
その間の防寒対策は勿論、食料だって確保しなきゃならない。彼らも数カ月の期間を過ごせる量の保存食は持ち歩いていないはずだ。一度引き返した時にいくらかは持ってきたかもしれないが、にしたって数は知れている。100余名をこの期間生き永らえさせるにはあまりにも乏しい。
これは、早急に対策が必要だ。
水に関してだけは問題がなかったのはせめてもの幸いか。
もとよりこの地方は面積のほとんどを山と森が占めている。河川はそこらじゅうを横切っているし、現代社会にありがちな汚染問題も少ない。この暫定関所からも歩いて程なくの位置に川を確認出来ている。
大体の生物にとって水分は必須だが、だからと言って水だけで生き続けることなんて出来やしない。料理や湯浴みをしようにも、その水を沸かす燃料も不足している。
だからこそのジャルバル。しかしながら、それも今日明日から十分な量を継続して確保出来るものでもない。森へ積極的に打って出てジャルバルを狩ってくる方法も考えはしたが、生い茂る森林の中で樹木系のモンスターを相手にするのはそれなり以上のリスクを伴う。ラナーナも擬態が厄介だと言っていた。
結局俺が戦えないので、それは誰かに任せるしかない。しかし如何に傘下に下った種族とは言え、何の見返りもなしに無償で他人のためにモンスターハントをやらせるのは少々旗色が悪い。それでその種族からの信頼度が落ちてしまえば本末転倒である。
「……ハルバ、ハルバ」
俺も人間だし、プラヴェス卿たちも人間だ。
だが、竜王国全体から見てみれば人間種は数ある中の一種族でしかない。そこにだけ比重を多く割くというのは運営全体を見ればあまりよろしくないだろう。ここら辺は本当に難しいな、心情的には人間をどうしても優遇したくなってしまう。
何か妙案は無いものか。如何に俺がこの世界にない知識を多少持っているとはいえ、もとはただの一般人。研究者でも開発者でも技術者でもない。そんな起死回生の一手が降って湧いて出てくるわけもなし。うーむ、何とかしたいが俺個人の力と知識では如何ともしがたい。
「……ハルバっ」
「んぉ?」
掛け声とともにダウンジャケットの袖を引っ張られていることに気付き、俺は考えを止める。いかん、また思考の海に沈んでしまっていたか。一概にそれが全部悪いとまでは思っていないが、あまりよくはない癖だ。おじさんちょっと反省。
「ファルケラ、どうした?」
「日が沈む……今日はもう飛びたくない……」
「えっ? ……あっ」
言われて空を仰ぎ見れば、こちらに飛んできた時に見えていた茜色は随分と鳴りを潜め。地平線に沈む灼熱の根源がもたらす地上に伸びる長い影も、すぐに暗闇に飲み込まれるだろう。
日没だ。まだ何とか周囲は見えるが、間もなく完全な闇がやってくる。
うわー、しくじった。もとより長居するつもりがなかったのでギリギリのスケジュールで飛んできたのだが、ジャルバルの話と今の話で時間を食い過ぎた。ちょっと様子見してすぐ引き揚げる予定だったんだがなあ。
「……むぅーーーー」
「痛っ、痛って! 悪かったって!」
ファルケラが実に珍しく直接的なクレームを飛ばしてきている。具体的に言えば強力な鉤爪を持った脚で俺の膝下辺りを蹴り込んできている。
地味に痛い。やめろ。スーツに穴が開いたらどうするんだ。この世界じゃスーツの直しも新調も目処が付かないんだぞ。
「ははは、随分と懐かれておりますなハルバ殿」
「痛ってて……そんな可愛いものではないと思うんですけどね……」
「ぶぅーー」
漆黒のハルピュイアの抗議を目にしてプラヴェス卿が茶々を入れてくる。
言う通り、懐くとかいう可愛げのあるもんじゃない。甘噛み……甘蹴り? 分からん。しかし決して甘いとは言い難い痛さ、そもそもこいつはとっととブルカ山脈の居城に帰って惰眠を貪りたいだけである。
その証拠に、俺を運んでくれたファルケラ以外のハルピュイアは「何してんのこいつ」みたいな微妙な表情と視線を投げかけてきている。そこに微笑ましさは見当たらない。ある意味で彼女の精神面の図太さは凄いな、見習うかどうかは別問題だが。
「しかし、どうしたもんか……」
ファルケラのちょっかいは置いておくとして、さてこれはこれで困った。
ハルピュイアタクシーで来た通り、ここからブルカ山脈は軽々と歩ける距離じゃない。更に日が沈んでしまえば道中の危険も増す。
端的に言えば、帰る手段がなくなってしまったのである。
ここで寝泊まりする予定ではなかったために、思わぬ話題で時間を食ってしまった己の行動に反省するばかりだ。
ファルケラにも本当に悪いことをした。夜目が利かない彼女に無理をさせるわけにもいかないし、長居はしないと自ら放った言葉を反故にした結果でもある。だから蹴られてもいい、とまでは思わないが、まあ彼女の気持ちも分かる。
「お困りならここで一晩明かしていくかね? こちらとしても恩人を寒空に放っておくわけにもいかんでな」
「ええっと……はい、お願いします……」
詰まるところ、もうここに泊まるしかないわけで。
プラヴェス卿から提案を頂戴したのはまさに渡りに船である。流石に自分のミスで帰れなくなったので一晩泊めてくれませんかは図々しさが勝ってしまうからな。
「承った。部屋を用意させよう」
「あ、その前にちょっと」
早速といった形で部下の一人に声を掛けようと動いたプラヴェス卿を制する。
それはそれでありがたいが、俺は俺でやっておかねばならんことがあるのだ。
「こちらに森妖精を派遣していたと思いますが、呼べますか?」
「ん、構わんよ。連絡かね」
「ええ、まあ」
プラヴェス卿の理解が早くて助かる。
と言うのも、俺は今日の予定では日が沈むまでにブルカ山脈へ戻る予定だったのである。連絡もなしに戻らないとなっては、ヴァンやフィエリに余計な心配をかけかねない。それに、報連相は社会人の基本だ。細かい部分ではあるが、こういう小さなことで少しずつ信用を削り落としてしまうものである。基本、大事。
プラヴェス卿は手近な部下に声を掛け、フェアリーをすぐに呼ぶよう命じる。
えーっと、ここに派遣していたやつの名前は何だったか。ブルカ山脈に居るのがピニーで、ラプカンのところに送っているのがパローで……
「はいはーい! 呼んだー!?」
あー、思い出した。プルーだ。
本当にフェアリーの連中、皆名前が似通ってて混乱する。それに加えて容姿も性格もほぼ同じだから、大量に並ばれでもしたらマジで区別がつかない。よかったわ一人ずつの派遣で。
「プルー、ブルカ山脈に居るピニーに伝えて欲しいことがあるんだ」
「はーい! なになに?」
ヴァンには、今日は予定が狂って戻れず、プラヴェス卿のいる場所で一晩を過ごすこと。
フィエリには、後日相談したい事案が出たということ。
この二点を伝えてもらうよう伝言をお願いする。
フェアリーは、かなり便利だ。
便利ではあるが実のところ、使い勝手という肝心な部分であと一歩及ばなかったりする。
遠距離でも問題なく念話が出来るのは、あくまでフェアリー同士のみ。例外としてヴァンの存在はあるが、まあ本物の例外だな。
電話感覚で使うことは出来ず、基本はフェアリーを通した伝聞となる。単純な伝言なら問題ないが、長時間にわたる相談や専門的な話になってくるとフェアリーの処理能力が追い付かない。それに、フェアリーの傍に伝えたい相手が居なければ意味を成さない。タイムラグもある。
なので、今回のように用件だけをコンパクトに伝える手法に絞られてくるのだが、結局は遠隔かつリアルタイムに相談が出来るわけではないので、使い方と使いどころは割と考える必要があるのだ。
まあそれでも遠隔で通信出来るってだけでかなりの強みだけどな。
時代背景的に携帯電話とかは期待できそうにないし、文を届けるにも足も紙も不足している。魔法でも使えたら、とも思うが、そういえば念話自体が魔法なのか能力なのか今一つはっきりしていない。今度聞いてみるか。
「準備が出来たようだ。とは言っても装飾も何もないがね。案内させよう」
「こちらです、ハルバ様」
「……あ、はい。お願いします……」
俺がプルーとやり取りをしている間、別の部下が俺の部屋を用意してくれていたらしい。案内役がプラヴェス卿から別の者に代わる。
しかしハルバ様とはまた大仰な呼び方だ。別にそんな大物になった自覚は全くないんだけどな。なんだかものすごくむず痒い。いやでも、一応竜王国における宰相っぽい立ち位置ではあるので合ってはいるのか? 分からん。
部下の人間に案内されるまま、一つの家屋に足を運ぶ。どうやら俺個人と、俺を運んできたハルピュイア三人はそれぞれ別の寝床に案内されるようだ。まあ異種族とは言え見目は麗しい女性である、部屋を分けてくれた方が俺としても有難い。
フィエリと一つ屋根の下で過ごしておきながらどうかと思うが、彼女はそういう目線ではなくて妹とか娘みたいな見方になっちゃうんだよな。歳が離れているのも大きいと思う。美人は美人なんだが、直接的な欲求よりも庇護欲が勝るタイプの人物だ。俺はロリコンじゃないし。
その意味で言うと、見目が成熟しているハルピュイアたちの方がどちらかで言えば好みに近い。だからと言ってお手付きするつもりも出来る自信もないけどさ。
「しかし、冬かあ。どうするかな……」
案内された先、小ぢんまりとした部屋の中で一人ごちる。
通された場所は簡素な木造家屋のようで、小さな燭台がぼんやりと辺りを照らしている。目に付くような装飾品や調度品も見当たらず、本当に必要最低限の生活環境を急ぎ整えました、といった趣だ。
部屋の奥には石積みの囲炉裏のようなスペースがあった。
これはドワーフが頑張ってくれたのだろう。石の切り出しと運搬にはかなり苦戦しているから、総ての家屋に付いているとは考えにくい。多分、俺のためにこの家屋を空けてくれたのだと思う。
囲炉裏の中を覗き見ると、よく乾燥した小振りの薪が入っているのが確認出来る。また、それとは別にくべる用の薪束も。
これらは恐らくジャルバルを狩ったものだ。数が十分に備わっているとは考えられないから、きっとなけなしの薪をこの部屋に集めてくれたのだろう。暖の取れる環境を精いっぱい整えてくれたように思える。
現在の環境下で、ここまでの状況を整えられる家屋は少ない。となるともしかしたら、ここはプラヴェス卿が使っていた部屋なのかもしれない。
「……ありがたいけど、これは使えないな」
そう考えると、軽々にこの薪を使うわけにもいかない。今ここに備えてある燃料の備蓄が減れば、その分死ぬ人間が増える。
それに、プラヴェス卿はこの集団の長だ。予測でしかないが、トップの座に居る人間の状況がこれでは他の者が過ごす環境は推して知るべしである。
ダウンジャケットを着込んで屋内に居る分寒さは大分マシなものの、これを脱いで眼前にある薄布一枚に身を包むには、些か心許ない。それこそ夜通し囲炉裏に火を灯さないと難しいだろう。
これでは確かに凍死者が出てもおかしくないと感じる。急ぎ対策を立てねば今年は勿論、毎年一定数の死者が出ることになってしまう。
「どうしたハルバ、火急の問題か?」
「ああ、越冬につい……て……?」
返ってきた相槌に反応しかけたところで、俺の動きが止まる。
慌てて振り返れば、そこには季節柄あまりにも似つかわしくない、黒のワンピースを纏った金髪玉肌の美少女。こてんと首を傾げ、可愛らしい顔に微笑みを湛えてこちらをじっと見つめていた。
いや、何で居るの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます