第47話 焼け野原の知恵

 何だかんだでファルケラがしっかり仕事をしてくれたことに安堵しつつ、空中から更に上へと視線を預ける。

 相も変わらず雪がちらつく空模様の中。三匹のハルピュイアに抱えられた俺はその行先をヴァンとフィエリが待つブルカ山脈ではなく、森林の外縁部へと向けていた。

 

 やはり、先程のジャルバルが気になってしまう。

 プラヴェス卿らが無事かという確認は勿論、まだ接敵していないのであれば、そのような脅威が居ることだけでも先に伝えた方がいい気がしてならない。

 ラナーナはジャルバルのことを「人間が対処するのは難しい」と評した。これが俺のような一般人であればなのか、鍛え上げられた人間の兵士でもなのかで、その危険度は大きく変わる。プラヴェス卿とその手勢100余名をもってしても敵わない、みたいなのは流石に御免被りたいところだが、こういうところで楽観的に構える訳にもいかないからな。


「うー……ヴィニスヴィニク様に言いつけてやる……」

「悪いがヴァンは多分、俺に付くぞ」

「うーーーー……」


 俺を運んでいるハルピュイアのうちの一体、濡羽色の翼を広げるファルケラが分かりやすく文句を垂らしていた。


 本来であれば、ラナーナとの話が終わればそのまま戻る予定だった。

 当然、そうなればファルケラもブルカ山脈へ帰ることが出来、後はのんびり洞窟で惰眠を貪るだけ。がしかし、そうは問屋が卸さない。というか俺が卸さなかった。

 折角の足と護衛と時間がある間に、森林の外縁部――プラヴェス卿らの様子も見に行ってしまおうと急遽予定を追加したのである。


 ファルケラは予想通りというか何というか、行先変更を告げた時はそれはもう物凄くダルそうな顔をしていたが「ブルカ山脈に戻るまで」が護衛として呼んだ条件であるが故、途中でその経路を変えようが契約に偽りなし、と我が侭理論で押し切った。

 流石に納得し切ってはいない様子でぶつくさ文句を垂れているが、仮にファルケラがこのことを俺の横暴だと告発しても、恐らくヴァンは俺の肩を持つだろう。普段から生命維持魔法のかかった洞窟でゴロゴロしているのだから、このくらいは働いてもらわないとな。腹が減ったら減ったでハルピュイアは元々狩猟種族だ、自分のメシくらいは自前で狩ってもらわないと困る。


「むぅ……でも私たちは夜目が利かないから……日が沈む前に帰りたい」

「おっと、そうなの」


 ハルピュイアも鳥目なんだね、おじさん初めて知りました。そこら辺は俺の世界での鳥獣の常識がしっかり反映されているということか。

 この世界、勿論ながらファンタジーっちゃファンタジーなんだが、ちょこちょこ俺の持っている常識も通用したりするから有難かったり予想外だったりする。跳躍者、転移自体も俺が初めてって訳じゃないし、探してみれば現実世界の名残も見つけられるかもしれん。いずれ余裕が出来たらそういう探索もしてみたい。


「まあ、そう長居はしないさ」

「早急に帰りたい……」


 ファルケラがブツブツと不満を漏らしている一方、俺を運んでいる他の二人は最低限のやり取りを除けばずっと沈黙を保ったままである。


 ハルピュイアという種族は、基本的に外部へ積極的に関わる種族ではない。

 別にこれは俺が知っていたわけじゃなくて、ブラチットやファルケラから耳にした情報だ。

 どうも彼女たちの中で俺は「古代龍種が懇意にしている謎の人間」という扱いらしく、誰にでも分け隔てなく接するブラチット、誰が相手でも対応が変わらないファルケラなどを除けば、どうも距離を置かれているパターンが多い。中には恐れ多いだとか、考えが分からなくて不気味だとか、変な評判もあるらしいが。

 元々内向的な性格なのもあって、俺に対して距離感を掴みかねているハルピュイアがほとんどなのだそうだ。

 そんなにビビられるようなことはやっていないはずなんだが……いや、ゲルドイル卿の時にやらかしたか。あれは未だに最適解が分からないものの一つだ。後悔、は多分、していない、と思う。あーダメだダメだ、これに関しては考えない方がきっと俺の精神衛生上よろしい。


 横に逸れた思考を頭を振って視線とともに元へと戻せば、広大な森林と平野地帯の切れ目。本来であればその趣は綺麗なコントラストを生むはずだが、不自然にぽっかりと開かれた大地にいくつかの建築物、いくつもの建築途中の建物、そして大勢の人影が目に入った。


「あそこだな、下ろしてくれ」

「はーい……」


 距離と高度が近付くにつれ、次第に輪郭がはっきりしてくる。

 この場にはプラヴェス卿たちだけでなく、家屋と関所の建築を依頼しているドワーフたちも居る。空からの突然の来訪に場が少し騒然となるが、騒いでいるのは主に人間たちだ。ドワーフにとっちゃ見慣れた光景とまでは言わずとも、ハルピュイアが人を抱えて飛んでいるくらいでは然したる注目もされないらしい。まあその方が有難いと言えば有難いんだが。いちいち騒がれてもリアクションに困る。


「よっ……と」


 両の足が地面に着くか着かないかのタイミングで俺の身体がハルピュイアの腕から解放される。意外なことにハルピュイア、人を運ぶのが上手い。聞けば、負傷などで飛べなくなった仲間を運んだりするのは割とあることのようだった。

 正にタクシーにうってつけというわけだな。色んな所に色んな事が転がっているもんである。世の中何が為になるか分からないものだ。


「おお、これはハルバ殿」

「どうも、プラヴェス卿。突然で申し訳ありません」


 人間を中心とした喧騒は屋内にも伝わったのか、いくつか既に出来上がっている家屋の一つからプラヴェス卿が顔を覗かせる。

 こういうのはやっぱり偉い人のところから整えるもんだよな普通。見栄えなども考えれば、国家元首と丞相が洞窟に居るってのもおかしい気がしてきた。いや別に喫緊の問題でもないけどさ。ヴァンもあそこから動くつもりはなさそうだし。


「ははは。最早、卿と呼ばれる立場ではなくなったがね」


 自身の部隊を率いて敢行された突然の離反と脱走。それをやり切ってしまった主演は、思いの外すっきりとした顔をしていた。


 初めて目にした時とは幾分か違う装いに身を包み、豪快な――しかし粗野ではない表情を見せる初老の男性。

 年齢で言えば恐らく、40代から50代といったところか。決して浅くない皺が刻まれた顔は、それでも老いを感じさせず。どちらかと言えば老練、ベテランの空気を醸し出している。

 短く刈り揃えられた茅色の髪、笑みを飛ばした仕草からは、彼の人の好さがよく表れていた。一方で、それなり以上に鍛えられたであろう身体からは相応の圧力も感じられる。第一線で剣を振るう辣腕は、見目ばかりが先行してもいない、しかし頭でっかちな偏屈でもない、正しい熟練の気配を漂わせていた。


 言う通り、手勢を率いて出奔した彼は既に貴族の地位を失っている。

 率いている兵たちは恐らくほとんどが徴兵だろうから身一つあれば大きな問題ではないにしても、プラヴェス卿自身はそうは行かない。身内や家族も多いだろうし、領地のこともあるだろう。

 竜王国に降る決断を聞いた時に真っ先に気になった事柄ではあるが、本人曰く「問題ない」とのことで、何がどう問題ないのか小一時間問い質したかった。いや問題しかないでしょ。大丈夫かよ。


「古代龍種様は一緒ではないのかな?」

「ええ、ヴァンはブルカ山脈の方に居ますよ。ところで……大丈夫ですか?」

「ふむ。大丈夫、とは?」


 俺からの視線をどう感じたのか、はたまた気にせずか。俺とセットで動く印象の強いヴァンについて言葉を交わした後、本題へと話を移す。


「ナーガの長によれば、この森林にはジャルバルなる生物が多数生息しているようで……」


 普通に応対が出来ている様子から見るに、ジャルバルなど森林の野生生物とまだ接敵していないか、あるいは接敵した上で問題ないかの二択だ。出来れば後者であることを願う。


「なるほど、ご高配を賜り嬉しい限り。だが問題はない、見晴らしのいい場所なら遅れは取らんよ。何ならもう少し数が欲しい程だ」


 見晴らしのいい場所でなら遅れは取らない。そう呟いた時のプラヴェス卿の表情は、間違っても喜色のあるものではなかった。

 この場所を視界がよく通るようにしたのは、他でもないプラヴェス卿だ。だが、別段そのことに対して贖罪をしろなどと要求するつもりはないし、ラナーナをはじめナーガの者たちも特段大きな恨みを持っている訳でもなさそうだった。


 アーガレスト地方に住まう種族にとって、人間の侵攻も含めた切った張ったも一つの出来事に過ぎない。全ての事象が自然の摂理に帰結する。

 無論、抗いはするし争いもする。侵略に対して怒りを覚えることもあるだろう。しかし、重視されるのはそれが齎す結果のみで、原因や過程はあまり深く考慮されない。殺しもするし、殺されもする。正しく弱肉強食、自然淘汰の世界で彼らは生き抜いていた。


 もっと言えば、善悪の概念が緩い。

 これは一方でメリットでもあるが、国家として体を成すには国としての正義……とまでは言わずとも、最低限の道筋を掲げ、それを浸透させていく必要がある。人間以外がほとんど居ないこともあり、新たな思考回路を全種族に植え付けていくには骨が折れそうだ。


 しかしまあその結果、プラヴェス卿への当たりが想定よりあまり強くないのは不幸中の幸いというやつなのだろう。


「それは何よりです。しかし、もう少し数が欲しいと言うのは……?」


 それはそれとして、彼の発言には気になる箇所があったので突っ込んでみる。流れ的にはジャルバルが欲しいという文脈になるはずだが、その意図は何だ。


「おや、ハルバ殿はご存じでないかね? ジャルバルは王国で養殖されている生物の一つだ」

「えっアレをですか」


 マジでか。何に使うんだあんなモンスター。


「丁度いい、何匹かあちらで捕えている。見ていくかね」

「ええ、是非」


 護衛と移動の為のハルピュイアも含め、プラヴェス卿の先導について行くことしばし。拠点としている中心部分から少し外れたところ、森林にほど近い場所で数匹のジャルバルが鎮座していた。

 俺は直接元気に動いているジャルバルを見たことはないが、ファルケラが仕留めた時は俺を狙っていたと聞いている。もうちょっと獰猛な生物を想像していた俺からしたら、風景に溶け込めるシチュエーションでもない今、獲物を前にして微動だにしない木を模した怪物の姿はちょっと予想外だった。


「ジャルバルは雑食かつ食欲旺盛だが、こうやって根を重しで封じると動かなくなる」


 その声と指先に導かれて目線を預ければ、なるほど確かに。ジャルバルの四又に別れる脚の部分には大きな石が並べられ、動きを見事に封じていた。


「更に……だ」

「うおっ」


 一閃。

 口を動かすと同時、機敏な動作でもって抜剣から斬撃まで淀みなく完了させたプラヴェス卿。突然ということもあり、俺にはかろうじて腕の動きを目で追えた程度。眼前の事象に対して俺の理解が追いついた頃には、彼は既に納刀を済ませており、地面には綺麗な断面を見せるジャルバルの枝があった。


「生きたままの個体から枝を切って植えれば、そこから新たな個体が生成される。挿し木のようなものだな」

「はー……そんなことが……」


 挿し木まで出来るとは、本当に木みたいだな。

 しかし、わざわざ敵性生物を捕らえ、養殖までする以上は何かしらの利用目的があるはず。間違っても食べ物にはならんだろうし、観賞用って訳でもないだろう。


「ジャルバルは息の根を止めて少し置けば、乾燥して良質な薪になる。リシュテン王国は森林資源に乏しいのでな、貴重な燃料だ」


「……ふむ」


 なるほど、燃料ときたか。

 これは色々と使えそうだな。

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