第46話 やる時はやる
「知らんのか」
「……はい、まったく」
俺のリアクションはラナーナにとっても予想外だったのだろうか。その切れ長の目を僅かばかり見開きながら、ほんの少しの困惑を声色に乗せ、彼女は言葉を発した。
ユキ、という名には終ぞ思い当りが無かった。少なくとも、この世界にやってきてからそんな人名を聞いたことがない。いやもしかしたら人じゃないのかもしれないが、それこそ心当たりが無さ過ぎる。
俺はまだこの世界にやってきて数カ月のペーペーだ。ここで生まれたコネクションなんて本当に限られているし、知見を広めるような付き合いがほぼ無いのである。
そんな俺の様子を嘘は吐いていないと見做したか、小さなため息と共にラナーナは次の言葉を紡ぎだす。
「ヴィニスヴィニクが過去に連れていた人間だ」
「それは……」
放たれた答えには、幾ばくかの衝撃を伴っていた。
この世界の人間をランチに行くノリで殺せるヴァンである。俺が言うのもおかしい話だが、たかだか普通の人間ごときと仲良くする理由がない。連れていた、ということはつまり行動を共にしていたということで、ユキなる人物にはそれ相応の背景と価値があったのだろう。
ヴァンが過去に連れていた人間。俺は彼女とそこまで長い付き合いがあるわけじゃないが、思い当たる節は一つしかない。
即ち、過去にこの世界へとやって来た跳躍者。
多分だが、ヴァンが口にしていた"彼女"――ヴァンと接点を持っていた跳躍者こそがユキのことじゃないだろうか。名前的に俺と同じ日本人である可能性もある。そう考えれば、ヴァンが日本語を操れることにも納得がいくというもの。ラナーナが「同じ」と称した理由も分かる。
「あの時は大変だった。ヴィニスヴィニクが所かまわず連れ回すからな……」
「は、ははは……」
俺の困惑を他所に、回想に耽るラナーナ。
どうしよう、地味に反応に困るぞこれ。
建国とそれに伴う仕事があるとはいえ、絶賛ヴァンを連れ回して各地を飛び回っている最中である。何も言えません。おじさん苦笑い。人間の国にちょっかいをかけていないだけマシだと考えたい。
というか、めちゃくちゃ今更かつしょうもないことなんだが、ラナーナは何年くらい生きているんだろうな。
俺の知っている跳躍者の情報は、数十年から数百年に一度異世界から生物がランダムに紛れ込む、というもの。今回はたまたま俺だったみたいだが、ユキが俺の直前に来たと考えてみても最低で数十年のラグがある。人間の国に落ちた者もいるらしいから、連続でヴァンの守備範囲内に飛ぶってのも可能性が低そうだ。
正確な年数は知らないものの、ヴァンも日本語を扱うのは随分と久しぶりだと最初に言っていた。俺とヴァンでは久しぶりの感覚がきっと違い過ぎるので参考にはならないだろう。だが、どちらにせよ相当な期間が空いていることは間違いない。
今の話を聞くに、ヴァンとラナーナはユキの登場から、あるいはそれ以前から面識があったと見るのが妥当である。なら、ナーガの長も相応に長生きしていると見える。いや年下っぽいとかそういう話ではなくてね。
「てっきり知っているものかと思ったんだがな」
「いや、初耳ですよ。ラナーナさんから聞いてよかったのかどうか」
「構いやせんだろう。奴も秘密主義者ではない」
いくつか言葉を交わす。
ヴァンは出会った当初から、過去存在した"彼女"について匂わせてはいたが、はっきりと明言したわけじゃない。
今の今まで俺がユキのことを詳しく知らなかったのは、何もヴァンが秘密にしたがったのではなく、俺自身がそこに大した意味を見出さなかったのもある。
確かに、何の能力も持たない一般人である俺をここまで庇護してくれたヴァンには感謝している。彼女の存在がなければ今頃俺は、転移直後で第二の人生にひっそりを幕を下ろしていたことだろう。それくらい、この世界は丸腰の人間に対して優しくない。
そして、その庇護の裏にはユキの存在が大きく関与しているだろうことも。
ヴァンが俺を通して別の誰かを見ていたことは割と最初の頃から感付いていた。んでもって、俺はそれでいいと思っている。故に、ユキの存在は言葉こそ悪いが割と重要ではないというのが大部分を占める本音であった。
勿論興味はあるけどね。興味と好意と実利は全く別物なのである。
「……ちなみに、ナーガの寿命ってどれくらいなんでしょう?」
ただ、その興味を振りかざしたまま、当事者であるヴァンを省いて膨らませる話題でもあるまい。とりあえず話の矛先を逸らすため……にしては些か無遠慮な質問になってしまったが、もう口を突いて出たものは仕方がない。そのまま訊くことにする。
「ん? そうだな。長寿の個体だと五百年程だ。私は三百年と少し、といったところだな。ヴィニスヴィニクとは比ぶべくもないが」
どうやらこの世界では、異種族の女性に年齢に関わる話を聞くのはそう失礼なことではないらしい。気にした様子もなくラナーナは素直に答えてくれる。
三百年。三百年かあ。
確かにヴァンとは比べ物にならないかもしれないが、それにしたって人間の俺から見ればとんでもない長寿であることに変わりはない。人生の大先輩である。パイセンって呼ぼうかな。いや殺されそうだからやめておこう。
「はは、大先輩ですね。私こそ比べ物になりませんよ」
本当、なんで俺はヴァンだったりラナーナだったりと普通に話せているんだろうな。本来ならラプカンみたいにビビりまくるべきなのだろう。というか場違い感がスゴい。
突然こんな世界に飛ばされたのは勿論だが、飛んだ後も随分と突飛な第二の人生を過ごしているなあと感じる。それで言えば過去の跳躍者であるユキもそうなのだろうが、今の今までヴァンの国づくりが進んでいなかったところから鑑みるに、こんな無理難題を押し付けられるようなことはなかったのだろう。
「ふん。人間ごときと比べてくれるな」
俺の世辞、世辞でいいのか? まあ社交辞令みたいなもんか。その言葉にラナーナはにべもなく返す。
俺とてヴァンは勿論、ラナーナや他の人たちに並べるとは思っていない。人間様は分相応に過ごすのが長生きのコツってやつよ。俺に主人公補正は無いのは勿論、主人公になりたいわけでもないからな。ひっそりコツコツと歩むのである。その上でちょっぴりプチリッチな生活が送ることが出来れば万々歳だ。
今の生活が果たしてその目論見通りか、と問われればかなり大きな疑問符が付いてくるのだが。
「ふああ……ハルバ、まだ……?」
「凡そは終わった、もうちょい待て」
相変わらず欠伸を殺す素振りすら見せないファルケラから質問が飛ぶ。睡眠に脳みその8割くらい持っていかれてる感じである。本当にこいつ大丈夫か。幾度となく疑問が湧き出てくるが、今この場でこいつを更迭しても仕方がないからなあ。
そういえばさっき雑草やキノコを眺めているついでに少しだけ席を外していたが、何かいい匂いでもしていたんだろうか。松茸の香りみたいな。
「……ん? 何持ってんだそれ」
そんなファルケラだが、よく見なくても左手に何か掴んでいる。何だろう……木? じゃないな、ちょっとピクピク動いている気がする。
「ああ、これ? ジャルバル」
「ジャル……なんて?」
いきなり知らん単語を生やすな。反応に困る。
「む、ジャルバルがここまで来ていたか……。よく仕留めたな」
「えっへん」
そんな俺のリアクションを他所に、ラナーナは恙なく反応を返す。
なんだジャルバルって。ヴァンの翻訳魔法は会話が成立しているから効いているのだろうが、単語に聞き覚えがない。となると、この世界独自の言葉なのだろう。労務管理や地方自治といった言葉も、彼女たちに音の響きとしては届けど、意味は通じていなかった。
となると、このジャルバルなる言葉もこの世界独特のものか。先程の単語のすれ違いが逆に起こった感じだな。
ファルケラが左手に抱えるジャルバルという名のそれは、一見すると小さめの木のように思えた。
全長、と言っていいのか分からないが、サイズとしては凡そ一メートル弱といったところか。ファルケラが手にしている幹と思われる部分から、多数の枝……触手? が伸びている。先程動きを感じた部分は多分ここだろう。今も枝の先端が僅かながら震えている様が確認出来た。
脚と思われる部分は四又に別れており、木の根を思わせる太く逞しいそれが力なく地面を指している。幹の上部には口部と思しき空洞が、獲物を捕らえることなくだらしなく開いていた。
頭部は一見して生い茂っており、分かりやすく木の頂、といったところか。深緑の調べが森に流れる風に乗って静かに揺れる。
総括して、まあちっちゃいトレントみたいな感じだ。そのトレントもヴァンの背から見ただけなので詳細は分からないが、大分類としては間違っちゃいないだろう。
ただし、その身にはいくつもの裂傷が走っており、いかにも死にかけです、という体ではあったが。
「で……そのジャルバルがどうしたんだ?」
一通りの見目を確認したところで、それを抱えているファルケラへ疑問を投げる。
「どうしたって……ハルバ狙ってたから……ついでに狩っといた……ふぁ」
「えっマジ」
人知れず命の危機に瀕していたとでもいうのか。危ないところだった。
えっ、ファルケラちゃんと仕事してるじゃん。これはちょっと彼女への評価を上方修正せざるを得ない。やることをやってくれれば別に普段がどれだけぐうだらでも文句はないしな。
「……助かった、のか? 何にせよありがとうな」
救われたのなら礼を言っておこう。彼女が仕事をしたのは事実なのだから。
「ハルバはジャルバルを見るのは初めてか?」
「ええ、まあ……遭うようなこともありませんでしたし」
ラナーナのふとした疑問に、ありのままを返す。
基本的に俺の行動範囲はブルカ山脈内に限定されている。最近では外出の機会も増えたものの、普段はヴァンが一緒に居ることも多いから外敵に襲われるシーン自体があまりない。無論、それで警戒を怠るような馬鹿はやらかさないつもりだ。そのためにファルケラを連れているからな。
ただ、それでも空は翼竜の縄張りだ。翼竜も知性は持っているから、俺へ襲い掛かってくるような真似は今のところしていない。トレントだってナーガと主従関係を結んでいる以上、友好関係にある俺に対していきなり攻撃を仕掛けることはないだろう。
詰まるところ、少なくとも俺が知覚する限りでは危険がほとんどなかった。
このジャルバルだって、見る限り主な生息地は森林のはず。ブルカ山脈の荒涼とした立地に生息しているとは思えない。第一、木がないところにこんなのが居れば嫌でも見分けがつく。
そんな俺の無意識的な慢心、その最終防衛線に立っているファルケラ。紛うことなき潜在的な厄介を人知れず駆除してくれた漆黒のハルピュイアには感謝しておくべきだろう。やっぱ護衛つけといてよかった。多分ラナーナでも対処は出来ただろうが、イコール俺を守ってくれるではないからな。
「森林を中心に生息する樹木系の生物だ。この森でも日々小競り合いが発生している。力はそう強くないが、擬態が厄介でな。人間に対処は難しいだろう」
ラナーナがその概要を端的に伝えてくれる。
とりあえず俺では歯が立たんことは分かった。やはりこの世界、というかこのエリア、人間に優しくない。独力で渡り歩くには難易度が高すぎる。
しかし、こんなのが出回っているとなるとプラヴェス卿たちは大丈夫だろうか。当然俺なんかよりは戦力を持っているはずだが、こんなのがわんさか湧いてきたらそれはそれで困る。
俺の持つ物差しでは、戦力差を測れない。俺自身が戦えないからだ。
俺ではジャルバルという生物に勝てないだろうが、果たしてプラヴェス卿やその手勢なら勝てるのか、そこが分からない。
本来の予定ではラナーナとの話が付いたらブルカ山脈へ戻る予定だったが、これは早めに様子を見に行った方がいいか。
「はは……ファルケラ、マジで助かった。ありがとう」
「ん。じゃあ帰っていい?」
「待って。仕事は全うしてくれ」
「じょーだん、じょーだん」
普通にびっくりしたわ。お前なに一仕事終わった顔して飛び立とうとしてんだ。俺がブルカ山脈に帰るまでがお仕事です。
とは言っても、主な目的はラナーナへ地方自治を説くことだったので、俺の発言通り凡その用事は終わっているのだが。
「あ、そうだラナーナさん」
「む、なんだ」
ついでと言ってはあれだが、木材の追加発注もここで行ってしまおう。プラヴェス卿その他が住む場所を拵えるにはまだまだ建築素材が足りていないしな。
「木材についてなんですが、またいくらか見繕って頂けると助かります」
「ふむ、了解だ。森の外縁に置けばいいか?」
「ええ、それでお願いします。木材は燃料にも使いますから」
やったぜ。
やはり森林資源を融通してもらえるというのは滅茶苦茶大きい。今後ともナーガとは是非とも贔屓にしていきたいところだ。
ただ、今のところ俺たちは森林資源を中心に与えてもらってばかりではある。いくら先般の防衛戦で多少評価が上向いたとはいえ、ギブアンドテイクが成り立たない関係はそう長く続かない。早いところ仕組み部分を整えていきたいところだな。
ちなみにプラヴェス卿ら竜王国に降った人たちの住居は、彼らが燃やし尽くして焼け野原になった森林の外縁部に決定している。
平野と森の境目の立地ということで、生活基盤をブルカ山脈に置くよりは生産拠点が築きやすいだろうというのが一点。森林や山脈からの敵対生物に襲われる可能性が低いと見たのが一点。今後人間の国と何らかの接点を持つ際に関所として機能してもらう予定というのが一点だ。
翼竜、ハルピュイア、フェアリー辺りはヴァンの傘下にあるが、さっきのジャルバルのような知性を持たない野生生物なんかは相変わらず多い。折角の領民を無下に危険に晒すことは出来れば避けたいから、なるべく危険のないエリアに住んでもらうのは妥当な判断だと思っている。
無論、危険が全くなくなるわけじゃない。ゲルドイル卿を退けたとはいえ、いつ人間の国が再び襲ってくるかも分からないし。ただ、戦闘能力を持たないラプカンだって同じようなところに住んでいるんだ。翼竜の脅威がなくなれば、ほぼ安全と見ていいはずである。彼らも兵隊である以上、最低限の自衛能力は持っているはずだしな。
建築には木材の他、ブルカ山脈から産出された石材も使う予定だが、距離と立地の観点から輸送状況はあまり芳しくない。ハルピュイアタクシーも、あまり重いものを一気に運べる手段ではないから基本は徒歩になる。
幸いなことにリシュテン王国からの長距離遠征だったため、プラヴェス卿たちは野営道具一式を持ち運んできている。しばらくはそれで凌いでもらう外ないだろう。
「では、本日はこの辺りでお暇します。ファルケラ、帰るぞ」
「帰れる? やったぁ……」
主だった用件も終わったので、素直に帰ることにする。出来ることならここでラナーナとの友好度も上げておきたいところだが、恐らく実のない歓談に耽ってくれるほど俺との関係値は高くない。今日のところは退散しておくとしよう。置いてきたヴァンの様子も気になることだしな。
「ではな、次は何かしらの朗報を期待している」
「ははは……尽力させて頂きます」
ラナーナの見送りを受け、ファルケラとともに森林を後にする。
帰るといっても、全工程を徒歩で行くには些か距離がありすぎる。来る時に下ろしてもらった場所まで赴き、ファルケラに仲間のハルピュイアを呼んでもらって帰る算段だ。
相も変わらず空に跨る雲は厚く、ぱらぱらと冬の調べが降り注いでいる時分。まだ日没までは時間がありそうだが、このまま天候が悪くなるのも困る。ただでさえ寒いのに吹雪いたりしたら最悪帰れなくなってしまうからな。早く帰るに越したことはない。
「ん……じゃあ呼んでくる」
「頼んだ」
一言を残し、ファルケラが今度こそ飛び去って行く。本来であればフェアリーの念話を使うのが早いのだろうが、今回は彼女たちを連れていないから致し方なし。
一応周囲の安全は確認しているが、荒涼とした大地に一時的とは言え独りぽつねんと残されるのは若干の不安が伴う。不安定な空模様も相まって、無意識に気落ちしてしまう。
とはいえ立ち止まってもいられない。歪ながらヴィニスヴィニク竜王国という国家樹立を宣誓してしまった以上、これからはこの国に集った者たちを多少なり導いていく義務がある。おままごとじゃないんだ、やっぱりなしで、は通用しない。
そう考えるとやっぱり少し腰が重いなあ。確かにやれるだけやってみるとは言ったが、ここがゴールじゃなくてある意味スタート地点なのだから今後加速度的に重圧と責任と仕事は増えていくのだろう。何とかしてこの悪巧みの共犯者を増やしていかなければ確実に詰む。俺とフィエリだけで捌けるタスク量は限られているんだ。
とりあえず帰ったらヴァンをもうちょっと働かせるか。頭脳労働に関してはあまり期待していないが、何もブルカ山脈一帯に居る生物は翼竜とハルピュイアだけじゃない。色々と同時進行しなきゃなあ。プラヴェス卿ともちゃんと話をして考える側に引き込みたいところだ。
曇天の中、俺の思いと独り言が空気に溶け、僅かに湿気を孕んだ冷気が頬を撫ぜる。冷たい空気はいい気付けになるな、思考がクリアになるし考えもまとまっていく。考えていかなきゃいけないことがまとまり切っていないのが最大の難点だが。
さて、後はファルケラがタクシーを連れて戻ってくるのを待つだけだ。
……あいつちゃんと戻ってくるよな? おじさんちょっと心配。
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