第45話 雪時々ユキ
「ふむ。些か面倒ではあるが……理解は出来るな」
「ありがたい限りです。ラナーナさんにとっても損じゃないですよ、自身の領民をある程度数字で把握出来るのは。面倒なのは私も同感ですけどね……」
ラナーナへ地方自治についてを説いてしばらく。
単語の説明からというかなり難儀が予想されるスタートだったが、その実中々に彼女の理解は順調だった。やっぱりなんだかんだで一つの部族をまとめ上げているだけはある。特に管理面での有用性、必要性に関しての納得がすこぶる早い。
前々から思っていたことだが、ナーガに限らず人間以外の種族はどうも組織という概念そのものに対しての意識が薄い気がする。
人間と違って種族のコミュニティが小さいこと、文明の利器が少ないこと等いくつかの理由は挙げられるだろう。だがあくまでそういう着想に今まで至らなかっただけで、いざその認識と知識を植え付けることに成功すれば、思いの外順調に浸透しそうだな、というのが俺の所感だ。
「くあぁ……」
「ファルケラはもうちょっと頑張って」
こいつさっきからずっと欠伸しかしてねえ。大丈夫か本当に。
この話は今でこそナーガのみを対象としているが、最終的に各種族毎に行いたいと考えてはいる。当然ハルピュイアもそこに含まれるわけだが、ファルケラの我関せずの姿勢はいっそ清々しい程だ。まあ、別に彼女を管理職に据えようと思っているわけじゃないからいいんだけどさ。どうせ無理だし。
「……今更だが、そこのハルピュイアは何をしに来たんだ」
「ああー……。私の護衛です、一応」
「そうか……」
おっと、ついにそこを突っ込んだか。確かに何しに来たんだって感じするもんな。無理もない。ていうかリアクションに俺への同情が若干含まれていた気がする。やめて、そんな目で見ないで。やはり担当を変えるべきかもしれない。
ヴァンを引っ張り出さなかっただけでも褒めて欲しい。俺だって古代龍種という存在が軽々に動き回るのが良くないってことくらいは理解しているつもりだ。
件のファルケラは前述した通り、俺がラナーナに一生懸命説明している間、ずっとうとうとしたり欠伸したり森の中の草やキノコを眺めてはちぎったりしていた。拾い食いしていないだけマシと見るべきか判断に悩む。
「では、先程の情報はこちらの用紙に記入しておいてください。そう頻繁に書き換えるものでもないですが、総数が増えたり逆に減ったりしたら記録しておくといいかもしれません」
「ふむ……よかろう」
話に一区切りをつけ、俺は持ち出してきたノートとペンを渡す。
これらは俺の私室から引っ張り出してきたものだ。職業柄、ノートやメモ帳、ペンの類は自室にそこそこの数があったため、今のところはこれで間に合っている。フィエリにも同様に貸し出していることだしな。
だが、俺の私物だけで今後の情報を全て賄うってのは土台無理な話だ。
記録媒体の確保は割と優先事項の上の方に食い込んでいる。
紙。
現代社会に生きる者にとっては非常に馴染みのある、そして必須である道具の一つだが、その歴史というものは紐解いていくと案外面白い。まあここら辺は語りだすとただの蘊蓄だけども。
この世界における紙だが、結論から先に述べれば、いわゆるパピルスの類似品と羊皮紙の比率がおおよそ半々といった具合であった。これはフィエリとプラヴェス卿から得た情報なので、間違ったものではないだろう。
実物を見せてもらった限りでは、俺が持っている紙と比べて品質が良いとは思えなかった。厚みはあるしサイズもまばらだし、白色度も低い。製紙技術自体が発展途上であることが窺える。
紙自体はある程度量産体制が取られているらしいものの、プラヴェス卿やその手勢は何もここに記録を取りに来たわけじゃない。故に持ち運ばれていた紙の量は極少量で、じゃあ俺の私物を使った方が早いし便利だよね、となった運びである。
この世界には、魔法という独自の文化がある。とはいえ、この地に存在する全ての技術が俺の知っている現代のレベルを凌駕しているわけではなさそうだった。
移動手段は主に徒歩と馬車。車や汽車といったものはなく、飛行魔法とやらも広く浸透はしていない。電気技術も未発達っぽさがある。
ラプカンでも農耕を主としていたから第一次産業はいいとして、問題は建築その他第二次産業の成熟具合だな。鉱工業なんかはある程度進んでいそうだが、他が分からない。水耕栽培とかの技術もあればいいんだけどなあ、流石にそれは高望みし過ぎか。
機械全般がこの世界にはなさそうなので、パソコンのような情報端末も期待薄だろう。パソコンがあればなー、楽だったんだけどなー。流石にそこまで都合よくはいかなかったよ。
現代社会に染まり切ってしまった身分では、情報管理を全てペーパーで行うってのはかなりしんどい。CTRL+Fでパパっと検索して終わらせたい気持ちになる。人別改帳などを付けるようになってから表計算ソフトが恋しくて仕方がない。まあそんなないものねだりは言ってられないんですけど。
鍛冶技術がある以上火は扱えるはずだが、もしかしたら魔法が邪魔して産業革命が遠のいているのかもしれん。燃料という概念があるかどうかも微妙である。
魔法を動力とした機械的な何かってのは、人間の国に行けばあるのかもしれない。でも魔鉱石の塊を載せていたのもただの櫓だったしなあ。いい加減この世界の文明レベルの平均が知りたいところだ。
「……しかし」
「……? どうかされました?」
とりとめのないことに考えを巡らせながら幾つかのノートを渡していると、ふとラナーナが呟いた。
「いや、これも今更ではあるんだがな。貴様、何者だ?」
「何者……と言われましても、ただの人間なんですが」
「そういう意味の話ではないことくらい、分かるだろう」
「…………」
切れ長の目に叡智の光を宿らせ、ナーガの長は問う。
うーむ、少し困ったぞ。ラナーナが想像以上に聡い。
正直、ここでの対応はちょっと悩みどころだったりする。
俺が今までやってきたことというのは別に何も特別というほどじゃない。それに俺自身が特別でもない。俺には主人公補正なんてないし、世界を救う力もないし、便利なスキルを持っているわけでもないのだ。
単純に人間社会ではこれが当たり前で、それを皆さんに共有しているだけですよ、と伝えること自体は簡単である。
ただ、それでラナーナが納得してくれるかはちょっと難しいと思う。
多分彼女たちからすれば、こうやってまともに話せる人間というのはほぼ初めてのはずだ。今まで殺し合いしかしてこなかった人間種が、いきなり友好的に色々とやってきている。更には同じ種族である人間の侵攻を食い止める側に立った。
普通に考えれば、俺がリシュテン王国やサバル共和国に縁のある人間とは捉えにくい。もっと言えば、この大陸に根付いた人間なのかという疑問も出てくるかもしれない。
そもそも、古代龍種と仲良くしている人間というのが普通は有り得ないはずである。ヴァンほどではないにしろ、ラナーナも何かしらの奇異性を俺に見出している、ということか。
うーん。どうしよう。跳躍者であることをここで話してしまうか?
元貴族であるフィエリですらぼんやりとその存在を認知していた程度だ。人間よりも長寿とは言え、情報社会に疎そうなナーガ相手であれば、別の世界からやってきたんですよーという一言でスッと収まってしまいそうな気はする。
今ここにはラナーナの他にハルピュイアであるファルケラもいるが、こいつはなんかもう無視しちゃっていいと思っている。
噂話が好きなタイプでもなかろうし、吹聴するタイプでもないだろう。そういった方面に全く欲求が向いていないから、ガチの秘匿情報とかでもなければ早々問題にはならないはず。
問題はプラヴェス卿他、現地の人間であるが、彼らとナーガたちが歓談に興じる姿は想像出来ない。将来的には種族間の溝も取り払いたいと考えてはいるものの、現時点では難しいだろう。
故に、ラナーナから俺の個人情報が流れる可能性は今のところ低い。かと言って、僕跳躍者なんですよ、と単刀直入にばらしてしまうのもなんだか憚られる。
なので。
「……もし、私が別世界から来た、とか言ったら信じます?」
なるべく冗談めいて、笑い話のネタのように。
ちょっとそれっぽさを覗かせて、反応を見てみることにした。
「なんだ、貴様ユキと同じか。なら早く言え」
「……うん? えっ? ユキ?」
誰だよ。ていうか同じって何さ。
相変わらず光は頭上の雲と木々に遮られ、静かに雪がチラつく最中。ラナーナのリアクションは、俺の予想を大きく裏切るものだった。
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