第41話 悪辣降臨
先程まで静観を決め込んでいた俺という闖入者に対し、話し合いを行っていた両者は合わせて視線をこちらへと投げる。
いかん、つい感情が先走って止めに入ってしまった。ラナーナはともかくとして、ゲルドイル卿からはまさしく誰だお前、みたいな視線を投げかけられている。
プラヴェス卿の兵を処理していくということは、更に死体が増えるということだ。繰り返すが、既に大勢は決している。勝敗が決まり切った中で今以上の虐殺を行うなど、俺の精神が耐えられるものじゃない。
何より理が通らない。王国の法に則って処罰するというのなら、連れ帰って罰を受けさせるべきであって、問答無用で殺し切る理由がない。彼の発言が事実なら、今ここで全てを無に帰す大義もまたないのである。
などと真っ当な理由は思い付くものの、場当たり的に口を挟んでしまった感は否めない。さてどうしたものかと数瞬の思考へ及んだところ、声を上げたのはラナーナであった。
「……確か……ハルバ、と言ったか。貴様の意見は聞いていないが」
「考えてみてください、ラナーナさん」
横槍を入れられたナーガの代表が、若干の不機嫌を纏いその目と口を向ける。
まだ考えはまとまっていない。まとまり切っていないが、何か納得が行かない。このまま話を終わらせてしまうと、どこかの辻褄が合わない気がする。フィエリの独白に後押しされたというのも確かにあるが、俺の理性が何か違うぞ、と警鐘を鳴らしていた。
そして、そんな半端な状態であっても、最低限の事実は推察出来る。
「彼は先程、引き揚げるとは言いました。しかし、連中はこの数と炎をいつでも、連れてくることが出来る」
ラナーナ・デイドラスカは、決して愚鈍ではない。
喧嘩っ早い雰囲気はあるものの、話は通じるしその考え方も人間に近い。最初に出会った時、ヴァンという後ろ盾があったにしても、俺の提言を最後まで聞いてくれる程度には理知的でもある。
そんな彼女なら、俺の言葉を咀嚼し、察することは出来るはず。
仮にゲルドイル卿がここで退いたとしても、それは一時的なものだ。向こうの真意はまだ不明だが、森を焼き払う兵器、そしてトレントも含めたナーガを一方的に蹂躙出来るだけの戦力。この二つを動員出来る力を持っている。
それら脅威を相手に、今後どうやって防衛すればいいかというのはかなり難度の高い問題になる。いつ来るかは分からないし、そもそも再度攻めてくるかどうかも分からない。だが、そのカードが向こうにあることと、現状それを止める手段がナーガにはない、という事実は変わらない。
「……ならば、どうすると言うのだ」
よし、来た。
何となく予測はしていたが、この段階でほぼ確実な予感に変化した。
「この場は任せて頂けませんか」
ラナーナは何も、目の前のゲルドイル卿を優先して信じているのではなかった。あくまで彼我の戦力差が大きいのが問題であって、被害を考えた時に要求を呑むしか手がないわけである。
最初に彼女と話をした時、これまで人間側からは散発的な襲撃しかないと言っていた。多分それがプラヴェス卿の言う調査隊に当たるものだったのだろう。そして、その調査の結果から数を割り出し、確実な威圧が可能な数でもって今回の騒動を起こした。そう考えることも出来なくはない。
ラナーナもそこまで思考の網を伸ばすことが出来たからこそ、どうするかと俺に問うている。今この段階で、俺が実質的にこの場の主導権を握ったに等しい。
「ハルバが任せろと言った。素直に従っておけ、ナーガよ」
「ヴィニスヴィニク……」
おっと、思わぬ援護射撃がヴァンから入ったぞ。
ヴァンが俺のことを信用してくれているのはありがたいのだが、こう無条件に頼られるとちょっとむず痒いものがある。おじさん照れる。
俺が動きたいだけであれば、本来ラナーナに許可を取る必要性はない。
しかし、俺の目的、というかヴァンの目的は森林地帯も含めて支配下に置き、国を建てることである。今後の関係性を考えると、ナーガを無視して話を進めてしまうのは少しばかり印象が悪い。
ちゃんとナーガの代表であるラナーナと話し合いをした末に動きましたよ、というポーズが必要だ。
「ふん……いいだろう、任せる」
「ありがとうございます」
よし、トップからのお許しが出たぞ。
これで表立って動くことが出来る。多分彼女は俺というより、付随するヴァンの力を勘定したのだろうが、それでも俺が許可を得たという事実は生み出せた。
「――失礼する。ハルバ殿、でよかったかな?」
しばし問答を見守っていたゲルドイル卿が、初めてその矛先を変えて問う。
俺の闖入は恐らく予定外だったのだろうが、それでもおくびにも出さない様子は流石の一言に尽きる。相手を丸め込むのに慣れているというか、交渉慣れしているというか、とにかく場慣れしているな。そういう手合いは俺もごまんと見てきたわけですけどね。
「こちらこそ上から失礼を。私は春場直樹と申します。こちらの竜……ヴァン・ヴァルテール・ヴィニスヴィニクとともに、アーガレスト地方一帯の保護と保全を目的としています」
嘘は言っていない。そして、ゲルドイル卿にもし害意があるのなら、お前たちの敵だぞという意味を言外に込める。
「これはこれは! 偉大なる竜と、連なる者の名を聞けたことに感謝を。先程も申し上げたが、此度の騒動はそちらのプラヴェス卿が勝手に行ったこと。私はそれを諫めるために出兵したに過ぎない。その点はご理解頂きたい」
「ええ、それは理解しています」
ゲルドイル卿の論に、相槌を打つ。
そう、そこは分かる。真意はどうあれ、実際ゲルドイル卿の軍勢はナーガやその他に手を出していない。あくまでプラヴェス卿の兵だけを狙い打っている。
だが、俺が問いたい相手はゲルドイル卿ではない。
より正確に言えば、いくらこちらが問い質したとてゲルドイル卿自らが不利な立場になる証言はしないだろう。傍から見て、まだ理は彼の方にあるからだ。
何より、ここで彼を論破すること自体にそこまで価値がない。ゲルドイル卿からすれば自分から退くか、言い争いに負けて退くかの違いだけで、今後アーガレスト地方に手を出してこない保証はないわけである。
俺としてはとにかく、その芽を摘んでおきたい。戦乱の只中に勝手に放り込まれるなどされてたまるかという話だ。こっちにはヴァンが居るから負けることはないだろうが、それはイコール俺が無事に生きられるいう意味ではないからな。
「……フィエリ。お前の家以外であの規模の魔鉱石を用意することは?」
よって、情報を集める相手は眼前の男ではなく。
視線はゲルドイル卿から外さず、ヴァンとフィエリ以外には聞こえない程度の声量で、彼女に問う。
「……魔鉱石の確保自体は出来ると思います。でも、あのサイズの加工となると……うちの技術を使わないと出来ません。少なくとも王国内では」
なるほど、なるほど。だんだん読めてきたぞ。
ちょっと状況を整理してみるか。
まず、ゲルドイル卿がプラヴェス卿を嵌めようとしたこと。これはほぼ確定だ。それ自体は敢えてプラヴェス卿の軍勢を全滅させようとしているところからも汲み取れる。
真っ当な手段で罪に問うのなら、連れ帰るべきだ。何より、森という未開地を攻める上でプラヴェス卿の手勢は少な過ぎた。あれがもし本当に先遣隊であれば、今度はゲルドイル卿が兵を殺す理由がなくなる。共闘して攻めた方が理屈に沿う。
更に、ゲルドイル卿がファステグント家を陥れた理由。恐らくは、今回使用された魔鉱石にある。
王国建国時から続く名門を断絶に追いやる程だ。魔鉱石とそれを扱う技術。是が非でも手にしたい理由があって然るべきである。
俺の予測が正しければ、この線だと思うがどうだろうな。
「フィエリ。以前聞いた翼竜の戦力化だが、推し進めているのはゲルドイル卿、またはその一派って認識で合ってるか?」
「は、はい。彼は軍拡派の急先鋒としても有名ですので……」
やっぱりね。これ最初から聞いた方が手っ取り早かったかもしれん。
きっと、ファステグント家もプラヴェス卿も穏健派に属する派閥なのだろう。そうでなければゲルドイル卿に協力しているはずだし、わざわざ家を潰すというのはかなりの強硬手段である。相当な意見の食い違いがあったのは想像に難くない。
何故ゲルドイル卿が魔鉱石に固執しているのか。それは軍拡に於いて、一番強力な手段になり得るからだ。
俺は魔鉱石についてそこまで詳しいわけじゃない。そもそも魔法に対する理解度も低い。魔法を扱うことは出来ないし、理屈も知らない。
だがそんな俺でも、生命維持魔法とかいうトンデモな効果を持続させ、かつあれほどの巨大な炎を生み出せる兵器が、極めてヤバいレベルのポテンシャルを秘めていることくらいは分かる。
ゲルドイル卿、または軍拡派は、魔鉱石とその加工技術をどうしても確保したかった。それが手に入れば領土拡大や他国へのけん制など、全ての武力行使のハードルが一気に下がる。事実、ヴァンの力がなければナーガたちであの炎を止めるのは難しかっただろう。それほどの威力を最低限有している。
本来であればその技術を接収、あるいは協力を取り付けたかったはずだが、同じ王国内で意見が割れたのだろうな。ゲルドイル卿は軍拡派の急先鋒ということだから、目的達成のために行使する手段も容赦がないはず。それがファステグント家の断絶に繋がり、プラヴェス卿への謀略に繋がっているわけだ。
今回の出兵の目的。それは森を焼き払うことでも侵攻でもない。
魔鉱石の試し撃ち、または今後侵攻する上での威力偵察。そして穏健派であるプラヴェス卿を事故死に装っての暗殺。その筋書きが一番通る。通ってしまう。
ゲルドイル卿がファステグント家を嵌めた事実。
翼竜の戦力化等、王国が軍拡路線を取っている事実。
その軍拡路線の急先鋒がゲルドイル卿であるという事実。
プラヴェス卿とゲルドイル卿の意見の相違。
フィエリの言を全面的に信じる前提ではあるが、状況証拠で言えば十分だ。
「ゲルドイル卿……貴方は随分と野心家のようですね」
この問いかけには、俺の願望がいくらか含まれている。ゲルドイル卿が超の付く悪辣で、野心家で、情け容赦のない人物である方が、俺の重荷も減るからだ。
「……話の真意は掴めんが、否定はしない。物事を推し進めるためには精神の活力も重要だ。無論、それらは正しい方向に発揮されるべきだが」
俺の突然の問い掛けに対し一瞬困惑の素振りは見せたものの、その答えは明瞭だった。まあ彼からすればわざわざ否定することでもないのだろう。
この問いへの返答すらも己が正当性の確保に向けているのだから、彼は相当に弁舌が立つ。出会う切欠や現状を加味しなければ、ゲルドイル卿は最良のビジネスパートナーにさえなり得たとすら思う。
状況だけを見ても、軍拡派が魔鉱石を欲しているのは明白。一方、こちらはヴァンの支配下にブルカ山脈を有しており、この山脈はドワーフが定期的にヴァンへ捧げ物として差し出すくらいには魔鉱石がよく取れる。
建国後の外交や貿易といったものは重要項目の一つとして考えていたから、王国との通商も視野に入れてはいた。
しかし、彼は軍拡を進めている中心派閥の一人。更にはファステグント家やプラヴェス卿を嵌める悪辣さ。そして見るからに溢れ出る野心。そんな危険人物と対等な取引は、どう考えても出来そうになかった。
彼をこの場で許せば、確実に次が来る。大元を絶たない限り、アーガレスト地方への侵略は止まらない。
「ヴァン、一つ聞きたい」
「うん? どうした?」
俺は、ただの日本人で、おじさんだ。
いきなり放り出された先の異世界などてんで分からないし、そこに根付く全ての人間関係を穏便に纏めたいとも思わない。出来るとも思っていない。
だから俺は、単純な計算で動く。
今ここでゲルドイル卿を放置すれば、眼前に残る100余名の歩兵は確実に死ぬ。そしてそう遠くないうちに、第二第三の侵略が起こるだろう。勿論そうなればヴァンや翼竜、ナーガやトレントだって応戦する。そこでまた血が流れる。ゲルドイル卿という一人が、大勢を死地へと誘う風を運ぶ。
「他に一切被害を出さず、ただ一人を確実に殺す方法はあるか」
ならば、なってやろう。間接的とは言え、王国急進派にとっての悪辣に。
「造作もない」
俺は人殺しになんてなりたくない。少なくとも現代日本で生きている限りでは、それは最も縁遠い人種であり行動だ。
きっと俺の倫理観というものは、この世界に来てから少しずつ壊れてしまったのだと思う。単純な数の大小だけで、俺は今、一人の人間を明確な殺意をもって殺そうとしている。
だってここは日本じゃない。
日本国憲法に縛られていない。
俺を罰する者が居ない。
人は、抑止力が働いていなければ簡単に狂う。いつか語った持論だが、よもや俺自身にも当てはまる日が来るとは思っても居なかった。
「……標的はあいつだ」
「分かった」
俺の重い決断を、驚くほどの軽さで承諾する古代龍種。
ヴァンは了承を返した後、その顔を天へと向ける。
オオカミの遠吠え、と称するにはあまりにも高く響いたソプラノ。その音に誘われるように、雲一つない中空に一筋の光が現れた。
バヅン。音を表現するならこんな感じだろうか。
空に現れた可視の調は不可避の極光となり、天空から大地へと一直線に迸る。光が現れてから落ちるまで、時間にして僅かコンマ数秒。一秒にも満たない瞬間に放たれた圧倒的な理不尽は、つい先程まで自信と叡智に満ち溢れた一人の男を貫き。人間だったものをただの黒炭へと変容させた。
「…………は?」
その呟きは、誰が放ったものだったか。
プラヴェス卿かもしれないし、近衛兵の誰かかもしれないし、フィエリだったのかもしれない。ただ、明らかに超常的な力で明確な死を告げられたこの場はいっそ驚くほどに静かで。だからこそ誰かの漏れ出た声がよく響いた。
「――天罰」
自然と、ただ一言が口を突いていた。
それは今、ゲルドイル卿に降りかかったものなのか。
それとも今後、俺に降りかかるものなのか。
答えはまだ分からない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます