第40話 滲み出す悪意

「……は? えっ?」

「なんで……どうして……!?」


 突然の事象に俺やフィエリの理解が追い付くことはなく。しばらくの間、眼前にて繰り広げられる惨劇に俺は間抜けな声を出して固まる外なかった。


 人が沢山、死んでいる。


 ひっきりなしに剣戟、怒声、悲鳴が響き渡り周囲は阿鼻叫喚だ。一体全体何がどうなってこうなったのかさっぱり分からない。多分それは俺以外も同じだろう。呆然とするか、喚き散らすか、外野を決め込むか。各々の対応は違えど、ついて行けないという一点だけは一致していた。


「……ふん。同士討ちか……?」


 攻勢に出ようとしたところで、ある意味その出鼻を挫かれたナーガの集団は一旦その矛を収め、事態の観察に入った。ラナーナの視点から言えば、人間同士が争うことにデメリットはない。むしろ、これから戦おうとしていた相手の頭数が減る分には歓迎してもいいくらいだろう。

 騎馬兵の方も、何故か狙いはプラヴェス卿の部隊に限定している様子であった。瞬く間に包囲を完了させ端から潰していく様は、なるほど見事な手腕かもしれない。しかし、仮にも同国に所属しているはずの軍へ一方的に攻撃を仕掛ける理由は何処にあるのか。


「くそ……! 謀ったな! 謀りおったなゲルドイル卿!!」


 いち早く、事態の予測に手を伸ばしたプラヴェス卿が吼える。ただ、余りにも凄惨な状態を前に、彼の叫びは些か小さ過ぎた。


「随分と派手にやりあっているね。ハルバ、どうするんだ?」

「ど、どうするったって……完全に予想外だぞこんなもん」


 ここでもやはり動じないのがヴァンの凄いところだろう。人間から人間への、醜い虐殺劇を目にしてなお、彼女の精神は揺らがない。そもそもが立っているステージに違いがありすぎる。彼女から見て正しく有象無象のやり取りに、食指が動くはずもなかった。


 刻一刻と死が生み出されていく最中、取れる手段というのは実に少ない。仮に俺自身があそこに加わったとしても、みじめな死体が一つ増えるだけだ。

 ヴァンを動かせば事態を変化させることは出来るのだろうが、それが何かの解決に繋がるかと問われれば難しい。既に散った命を救えはしないし、何をどうするのが正解なのか俺自身が全く読み切れていないからだ。


 出鼻を挫かれるとかそういうレベルの話ではなかった。いきなり一生モノのトラウマを植え付けられようとしている。


「聞いてくれ竜の友人よ! これは謀略だ!! 初めから仕組まれておったのだ!!」

「…………」


 プラヴェス卿が再度、口を開く。

 それを俺に主張されたとて、本来はどうしようもない。俺にこの展開を打開する力はないからだ。だが、この事態を彼が望んでいないことは嫌ほど伝わった。というか見れば分かる。誰が好き好んで味方に殺されることを願うのだという話だ。


「……ヴァン。あの先頭の男だけは助けてやってくれ」

「分かった」


 推定でしかない。憶測でしかない。確たる証拠は何もない。

 が、少なくとも突然の虐殺を始めたゲルドイル卿よりは信用出来ると踏んだ。


 俺の言葉を受け取ったヴァンは大きな翼を一つ揺らし、優雅とも思える仕草とともに俺やフィエリが耐えられるギリギリの速度でもって地上へと接近する。そのまま両の爪でプラヴェス卿を掻っ攫い、また空中へと舞い戻った。


「……ぬっぬおお!? ……すまん、礼を言う……」

「……いえ、お気になさらず。些か不格好なのは何卒ご容赦頂きたい」


 本当は彼もどこかに下ろすべきなんだろうが、そうすると今度はナーガたちがプラヴェス卿を殺しそうで怖い。多分だけどこの人、悪い人じゃないと思うんだよなあ。俺も仕事柄人を長く観察してきたから、この予測は外れて欲しくないところである。


 プラヴェス卿から驚愕と礼を頂き、俺は再び惨状へと視線を投げる。

 大勢はほぼ決している。というか始まりから大差がついていたから、それが当然の結果に収束するのにそう時間はかからなかった。プラヴェス卿の手勢のうち、陣の外円に位置していた兵のほとんどが地に伏しており、幸か不幸か生き永らえた約半数をゲルドイル卿の騎馬が追い立てている形だ。


 うん。

 多分これは、割り切った方がいい。

 俺には彼らを救えなかったし、救う義理も理由もなかった。そう帰結させないと、俺の精神が死ぬ。王国内部のゴタゴタを俺が背負う理由はないのだ。そしてこの状況は、仮にヴァンの思い付きに協力せずとも発生していた。つまり、俺に非はない。

 非情だとも薄情だとも思う。しかし現実どうしようもない。ここが異世界であるという大前提が、かろうじて俺に精神の安定を齎していた。



「ヴィニスヴィニク。その人間をどうするつもりだ」


 ヴァンの動きを目敏く拾ったラナーナが問う。

 まあナーガからすれば、ゲルドイル卿もプラヴェス卿も敵であることに変わりはないからな。外敵を助けてどうするんだという疑問は尤もではあるのだろう。事態はそう単純なものじゃないとは思うけど。

 ただ、人間同士の軋轢ってやつを今この場で理解しろというのはあまりにもハードルが高い。俺だって全ての動きを分かっているわけじゃないしね。


「さてな。ハルバが助けろと言ったから拾った」

「ハッ。古代龍種が人間の言いなりか。堕ちたものだな」

「ふふ、友人に貴賤はないぞナーガよ。そして我は友の言葉を無下にするほど狭量でもないんだ」


 うーん、険悪。最初の出会いから決して良いものではなかったが、これは今後の展開も考えると交渉その他は難しい空気をひしひしと感じる。

 しかし流石にこんな安い挑発に乗るほどヴァンも愚かではない。勝手に言ってろ、みたいな雰囲気とともにヴァンはラナーナの言葉を容易く躱した。



『全軍、止まれ!!』


 プラヴェス卿の兵の凡そ半数が地に沈む中、突如凛然とした声が響く。 

 明らかに人間一人の喉から出せる声量じゃない。周囲一帯に響き渡ったその声は一瞬でこの場を制し、合わせて先程まで暴れていた騎兵、そして生き残ったプラヴェス卿の兵も、ピタリとその動きを止めた。


「なんだ……? マイク……って訳でもなさそうだな」


 多分マイクだとかスピーカーだとかいう概念はフィエリたちには通じないだろう。だからこれは独り言だ。


「へえ、拡声魔法か。面白いものを使うね」


 ヴァンが感心したように呟く。

 なるほど、いやにバカでかい声だと思ったら魔法の効果か。確かにこの時代背景だと電気製品が普及しているとは思えないから、何かしらの種があると思ってはいたが。しかしやっぱり便利だな魔法。俺も機会や資質があれば一度学んでみたい。


「……ちなみにヴァンは使えるのか?」

「無論だ」


 ちょっとした興味本位で訊ねてみたが流石である。

 いや使う機会があるかは分からんけれども。



 声が響いて程なく。騎兵の波を割るように現れたその一団は、見るからにボスの様相を醸し出していた。


 一団の中央には分かりやすい馬車が、その周辺を護衛らしき兵が固めている。恐らく声の主はあの馬車の中に居るのだろう。

 護衛兵も馬には乗っているが、その装備は先程まで暴れていた騎兵どもとまた趣が異なっている。汚れ一つない白銀の鎧と兜、その上から上物の生地と思われるサーコートを羽織っており、その出で立ちはまさしく近衛兵。実戦的と言うよりは華美さに重きを置かれているようにも見えた。


 全員が無言で見守る中。馬車から出てきたのは従者と思われる初老の人間と、次いで煌びやかな装飾を纏った若年の男だった。

 うわあ、はちゃめちゃなイケメンだぞあれ。身に着けた装飾品に負けず劣らず綺麗に切り整えられた金髪。やや切れ長にも見える目は深い蒼の光を湛えており、その奥には満ち満ちた智謀と自信を覗かせている。メンズ雑誌の表紙にでも載ってそうなやつだな。容姿は勿論のこと、立ち居振る舞いだけでも高貴さというものを感じる程には、極めて高い次元で完成された人間に思えた。


「ゲルドイル卿……!」


 すぐ後ろのフィエリが絞り出すように声を発する。

 なるほど、あれがゲルドイル卿か。悪辣という評価からもうちょっとあくどい見た目を想像していたが、中々どうして一般ウケしそうな雰囲気である。顔面偏差値が高いってそれだけでずるい。


「私はカリガ・ロウ・ゲルドイル! ここより東方に位置するリシュテン王国に属する者だ! 雄大な森の支配者に、まずは突然の非礼をお詫びしたい!!」


 ゲルドイルを名乗った男は、自己紹介と謝辞を雄弁に告げる。


 突然の言葉に返しの言葉を発する者はなく。俺自身、そもそもこの声に応えるのが正解か分からない以上、沈黙を保つしか手がなかった。


 しかし、ゲルドイルってのは名乗り方からすると恐らく家名だろう。この世界ではいわゆる爵位は称号でなく、そのまま家名を通しているのかな。となると、フィエリの父親なんかはファステグント卿になるわけか。俺の知る歴史とは若干違うな、まあどうでもいいことだが。


「此度の遠征、我らが同胞プラヴェス卿が先走り、この地に多大な被害を齎さんとするのを止めるために行っている! 貴殿らに危害を加えるつもりはない!」


「な、なんだと……!? 貴様、何を言っている!!」


 続けて放たれたゲルドイル卿の言葉に、プラヴェス卿が食って掛かった。ヴァンの爪にぶら下がっているという不格好な姿だが、この際見なかったことにしよう。


「プラヴェス卿……。議会の決定に逆らい勝手に出兵した挙句、王国の魔鉱石まで持ち出し、あまつさえ未だ罪を認めぬとは……愚かな男よ」


 やれやれといった様相で、ゲルドイル卿はプラヴェス卿の追及を躱す。

 前情報無しに見たとすれば、正直ゲルドイル卿が嘘を吐いているようには全く見えない。これが出まかせなら世紀の大悪党もいいところだ。それくらい彼の言動は堂に入っていたし、言葉を真実だと思わせるオーラのようなものがある。


「森の支配者であるナーガ……それに、さぞ名のある竜であるとお見受けする。今回の騒動、プラヴェス卿の罪……虫の良い話だと理解はしているが、彼を王国の法に則り断罪することで手打ちとさせて頂きたい」


「き、貴様ぁあ……ッ!! 元はと言えばあの魔鉱石も、貴様が用意したものであろうがッ!!」

「見苦しいぞ、プラヴェス卿!」


 うーむ。着々と話を進められているが、正直口の挟みどころがない。ゲルドイル卿が俺を相手に話していないというのもあるのだろうが、それを考慮しても蚊帳の外感がすごい。誰だこいつ、みたいな空気も嫌だし、ここは変わらず静観を決め込むか。ヴァンも今のところ口を出すつもりもなさそうだし。

 そしてヴァンのことを名のある竜と呼称する辺り、ただの大型の翼竜と見る者よりもそういう機微にも聡そうだ。極めて世渡りの上手いタイプだろう。出来れば敵に回したくはないな、推定フィエリの仇だけどさ。


「……人間同士の諍いにまで首を突っ込む気はない。好きにしろ」


 ゲルドイル卿の言葉に、初めてラナーナが反応を返す。

 好戦的に見られるラナーナからは意外とも言えそうな返答だった。先程まで気勢を上げてはいたものの、やはりこの人数差は覆しがたいと見たね。森を焼かれている以上、人間側からの一方的な要求ともとれるが、それを承諾せざるを得ない戦力差を感じてもいるのだろう。


「ありがたいお言葉、痛み入る。今後どのような形になるか分からないが、いずれ謝礼の品もお持ちしよう」

「必要ない。さっさと帰るがいい」


 おっと、なんだかんだでとんとん拍子に話がまとまりそうだぞ。ラナーナは人間に攻め気がないと見るや、言葉の端々にキツいところはあれど好戦的な態度は鳴りを潜めている。



 どうなんだ。

 これはこのまま一件落着、でいいのか。フィエリの言を信じるなら、一見物凄く誠実そうなゲルドイル卿が実は悪役、というパターンなのだが。


 かと言って、今の俺たちの立場では積極的にゲルドイル卿を責める理屈が立たない。一応この森も含めたアーガレスト地方の最高戦力はヴァンだし、これからこの地を治めようとしているわけでもある。故に、勝手に攻め込んどいて何を言っているんだ、という横槍を入れられなくはない。


 しかし、今回のこれはゲルドイル卿が直接手を下したものではない。実行犯はあくまでプラヴェス卿であり、そのプラヴェス卿を裁くと言っている以上、ナーガが納得してしまえば理屈の上ではそれで綺麗に収まる。

 更に言えば被害を受けたのは主に森林地帯であり、その領有権は実質上ナーガが握っている。俺やヴァンの出る幕ではない、と言われれば強くは出られない背景もある。


 うーむ、正解が分からない。

 少なくとも起きている事実だけで考えれば、森を焼いたのは間違いなくプラヴェス卿だしそれを止めたのはゲルドイル卿だ。彼の言い分を信じるならば、ゲルドイル卿に非はない。強いて言えば、プラヴェス卿が強く反発しているところだが、真偽が不明な以上そこを突っ込むのは理論上やや難しい。


 幸いと言うか何と言うか、ゲルドイル卿は主な交渉相手をナーガと定めているようだし、ここは静観が最適解か。



「……がう……」

「ん?」


 ポツリ。僅かに耳に入る程度の音量で発せられた背後のそれは、風に揺られて微かに、しかし確かに俺の耳へと届く。


「違う……!!」


 再び絞り出された音。その声色には、普段のフィエリからは到底想像がつかない程の怨嗟と悔恨の色が溢れていた。


「これがあいつのやり方なんです……! 上手く取り入って、内側に潜んで……! こうやって、私の……わだじの父も……! あの魔鉱石だって本当は……ッ!」


 彼女の声は、酷く小さい。きっと聞こえたのは、俺とヴァンくらいのものだ。


 彼女の父親……ファステグント家の長に何があったのかは知らない。聞いていないし、その情報はあえて聞くほどのものではなかったと思っている。

 けれど、今のフィエリの反応を見るに、決して穏やかなものではなかったのだろう。俺程度では到底考えられない悪辣があったはずだ。それは言葉に紛れて漏れ出た彼女の嗚咽が証明している。


 理屈では大義がない。

 しかしながら感情で言えば、ゲルドイル卿をこのままにしておくのは何か良くない気がした。



「あまり長居してもよくないだろう。我々はプラヴェス卿の残存兵を殲滅した後、引き揚げる。そちらには手を出さぬ故、安心して頂きたい」

「……ふん、手短に――」


「待った」


 まだ殺すってのか!?

 具体的な思考が巡り切るより先、俺の口は動いていた。

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