第39話 風雲告急

「何言ってんのォ!?」

「えっゲルドイル卿ですよね? やりましょう今すぐ!」


 起き抜けに振った話題が悪すぎたのか、フィエリがどう見てもよくないテンションの上がり方をしていた。ヴァンの放った衝撃波で何かおかしいことにでもなったのかもしれない。変な病気とかかかってないかな。おじさん心配。


「とりあえず落ち着け! ……ゲルドイル卿と何かあったのか?」


 冗談は置いておくにしても、普段は理知的なフィエリがここまでぶち上がるのは珍しいな。ゲルドイル卿との間にそれほどの出来事があったのだろうか。


 彼女とはこの世界でヴァンの次に付き合いが長い、というかほぼ同じだが、どう考えても殺すなどという不穏なワードを発するタイプではない。時々抜けているところこそあれど、基本は優秀で大人しい部類の人間のはずである。

 そんなフィエリが名前を聞いた途端、開口一番殺しましょうと提案してきた相手。うーん、一体何者なんだゲルドイル卿。さっきまでとは全く別の意味で興味が湧いてきたぞ。


「ファステグント家を陥れた貴族ですよゲルドイル卿って! ほんっと……ほんっともう……!」

「マジでか」


 俺の発した疑問に、フィエリは気勢良く答えを述べる。

 フィエリの話が事実なら、今迫っているゲルドイル卿とやらは彼女の家……ファステグント家を没落させた張本人である。そこにどんな思惑や目的があったのかは分からないものの、一応身内の敵となればそれなりに警戒せねばならん。そりゃフィエリもハッスルするわ。


 しかし、片や推定良識派、片や推定フィエリの仇ときたか。となると、ゲルドイル卿は諸々を利用してこのアーガレスト地方に爪痕を残そうとしている可能性が高そうではある。

 これが俺とヴァンだけであったなら、今その判断はつかなかった。やはりフィエリを連れて来て正解だったな。


「殺すかどうかは置いといて、まあ話は分かった。そのゲルドイル卿がこっちに来ているらしい」

「えぇー……どうせ略奪が目的でしょう……。あ、でも気を付けてください。あの人は超が付く悪辣ですが、それと同じくらい頭も回ります」

「分かった、ありがとう」


 まあ頭の回らない悪者なんてただのチンピラと変わらんからな。それは社会保険労務士をやっていた時でも同じだ。あくどい商売をやっている社長などは決して褒められたものではなかったが、その分上手く回していた。

 ゲルドイル卿だって、貴族社会を生き抜いてきた猛者であることに違いはあるまい。建国時から国を支えてきた名門、ファステグント家を陥れ、断絶させる程の手腕を持っている。間違ってもただの馬鹿には出来ない所業だ。何が出てくるかは分からんが、油断せずに行こう。



「……しかし止まる気配がないな」


 フィエリとの問答を終わらせ、数瞬の間、ゲルドイル卿の軍勢を眺める。

 まだ若干の距離はあるものの、速度を緩める気配が無い。プラヴェス卿も止めるのは無駄だと言っていたから停戦を期待しているわけじゃないが、これ問答無用で突っ込んでくる気か。


 というか、このまま突っ込まれると位置関係的にプラヴェス卿が危ない気がする。


 現状の位置関係を言うと、まだ焼けていない大部分の森林地帯をバックにナーガとトレント、それに対峙するようにしてプラヴェス卿と少し後ろに彼の軍、その更に後ろが燃えた森と平原地帯、そしてゲルドイル卿の騎馬である。俺たち……ヴァンは、ナーガとプラヴェス卿の間くらいの場所で空に浮いてるわけだな。

 プラヴェス卿は先遣隊ということもあってか、そこまで膨大な軍勢を率いているわけではなかった。見える限りだと精々200人から300人といったところである。彼の話を前提に考えると、この後の交渉も視野に入れていたはずなので、そう大勢でかち込むつもりもなかったのだろう。


「魔鉱石を破壊されたことで火が回り切ったと判断したか……? 迷いがないな、大勢連れおって」


 後ろを眺めながら、プラヴェス卿が毒づく。


 ここから見えるだけで判断しても、ゲルドイル卿の軍勢はかなりの規模だ。多分1000はくだらない。もっと居るかもしれん。

 そんな数の騎兵が一斉に突っ込んできてはたまったもんじゃないが、何かこう……現状に対して引っ掛かりというか違和感がある。どこかに矛盾、あるいは見落としがあるような、そんな感じ。

 ただ、今気にならないということは多分そう大きな問題でもないだろう。ここには事態に対する参考書もwikipediaも存在していない。最適解との照らし合わせが出来ない以上、どうしようもないか。


 それはそれで置いといて、先ずは目の前の事象に対処せねば。

 とにかくプラヴェス卿に止めてもらうという策が取れない以上、自前で何とかしなきゃならんわけだが。当然ながら俺にそんな大それた力はない。ただのおじさんである。


「ヴァン。あの軍勢をまとめて止める、あるいは追い払うことは?」


 なので、結局頼る先は彼女しかないわけであった。


「うん? もし出来ないと思っているのなら心外だね」

「極力殺さずに、だぞ」


 自信満々の返答が示す通り、多分ヴァンなら造作もなく出来るんだろう。

 だが皆殺しは困る。俺は殺戮者になりたいわけじゃないし、流石に全殺しはリシュテン王国への印象が悪すぎる。何より俺は人の死に様を見たくはない。繰り返しになるが、穏便にことが済むならそれに越したことはないのである。


「……まあ、出来なくはない」

「……善処はしてくれ。マジで」


 うーん、この回答。

 彼女は確かに最強かも知れないが、こういう時の取り回しは難しいな。相手に対して常にデッドオアアライブを強いるのは極端が過ぎる。いや、向こうが殺す気で来ているのならそう甘いことを言ってられないのも理屈では分かるんだが。

 俺はどこまで行っても日本人で、普通のおじさんなのだ。



「フン! やはり人間の言葉など信用に値せぬ! 総員構えろ!!」


 おっと、ナーガの連中はやる気満々のようだな。ラナーナの一声で後ろの集団が動いた。以前俺たちが囲まれた時のように、皆が思い思いの武器を持って気勢を上げている。同時にトレントにも指示を出したようで、うぞうぞと森が動き始めた。


 ナーガだけの数で言うと50人前後くらいか。トレントはもう数が分からん。どれがただの木でどれがトレントなのか判断が付かない。先程まで炎が暴れていたものだからそう多くはないと思うのだが。

 しかしゲルドイル卿の軍勢も合算すれば、人間対ナーガの戦力比は凡そ1200対50だ。これは些か絶望的ではなかろうか。トレントを加えてもキツい気がする。


「誤解だ! ……と言っても、説得力はあるまいな……!」


 諦観の入り混じった声色とともに、プラヴェス卿が抜剣する。見るからに戦いたくはなさそうだが、殺されるくらいなら、といった感じか。


 普通に考えれば一触即発の、実に危ないシチュエーションだ。更に後ろからは1000騎、王国側の増援も迫ってきている。


 そんな中、俺が冷静さを欠いていないのは偏にヴァンの存在がある。

 先ほどの言葉もそうだが、魔法障壁といい魔力の塊を飛ばす技といい、ヴァンが負けるビジョンが見えない。フィエリだって同様だろう。起き抜けで状況の理解が追い付いていないところはありそうだが、少なくとも取り乱してはいなかった。



 だからこそ俺は、次の展開を冷静に視界に収めることが出来た。

 出来てしまった。



「うぎゃあああああッ!!」


 視界のそう遠くないところで、声が響く。

 無防備な背中へ肉薄した凶刃が、一人の男の首を刎ねた。斬撃の勢いで弾け飛んだ頭部は派手に転がり、大量の鮮血が吹き荒れる。制御を失った胴体はゆらゆらと不規則に揺れたのち、自身が生み出した深紅の池にその身を沈めた。

 事態の対象となったのは一人に非ず。ある者は首を刎ねられ、ある者は胴体を貫かれ、ある者は馬に蹴飛ばされ、ある者は四肢を捥がれ。つい先ほどまで確かに人間であったはずの、物言わぬ肉塊が量産されていた。



「……なんだ!? 何が起こっている!?」


 後方から突っ込んできた騎馬隊。

 凡そ1000騎にのぼる巨大な波が、味方であるはずのプラヴェス卿の軍勢を飲み込む瞬間を。

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