第38話 横槍

 炎と、それが齎す音が掻き消えた森の中、プラヴェス卿の言葉が響き渡る。

 俺はと言えば、プラヴェス卿が放った言葉に些かの動揺を持ち出さざるを得なかった。


 えっ。何か話違うくない?

 

 ナーガたちからは、人間の侵攻が幾度もあったとしか聞いていない。てっきり制圧やら侵略目的でやってきているもんだとばかり思っていた。勿論、片方の言い分を無条件に信頼するわけではないが、これもしかしてそうじゃない可能性も出てきたのでは。


「……私はこの森の支配者とも面識を持っていますが、人間から一方的な侵攻があるとしか伺っていません」


 とりあえず事実確認からだな。

 何とか動揺を悟られないよう、声を発する。


「馬鹿な! 一方的に攻撃されているのは我々だぞ! 森に足を踏み入れるや否や、木の化け物に襲われるのだ! ……原住民との関係の悪化は覚悟している! しかしそれでもなお、このままでは埒が明かんと今回の出兵に至った!」


 その木の化け物って絶対トレントでしょ。そしてそのトレントを従えているのはナーガたちである。

 間髪入れず返ってきた答えは、ナーガの論を完全に否定するものであった。


 うーむ、王国とナーガとの主張に大きな食い違いがあるぞ。おじさん困惑。



「ふざけるな!」


 うわあびっくりした。

 これはどうしたものかと数瞬の思案が巡る最中、響き渡ったのはラナーナの怒声だった。声がした方向に慌てて振り返れば、そこにはナーガの集団。いつの間にか会話が聞こえる距離まで近付いてきていたのか。

 突如怒声を張り上げたナーガの代表は、シュルシュルという擬音がふさわしい動きでもって彼我の距離を詰める。


「この森林は我らの土地だ! 武装した人間が大挙して現れれば応戦もしようが!」

「なんだと!? 翼竜が飛び回っている未開の地へ、丸腰で臨む間抜けが一体何処にいる!」


 なんか予想外の方向に話が飛び火していったぞ。


「森を荒らす者と話すことなどない!」

「みだりに荒らしにきておるわけではないと言っているだろう! そもそも弁明の余地なく襲ってくるのはそちらの木の化け物ではないか!」


 俺やヴァンをそっちのけでヒートアップしていくプラヴェス卿とラナーナ。後方のナーガの集団はラナーナの言にそうだそうだと盛り上がっているが、人間の軍勢はどこかポカンとしている様子。

 多分だが、森林に住まう異種族とこのような会話が成立していること自体に理解が追い付いていないのかもしれない。プラヴェス卿も興奮しているのか、その事実にはまだ気付けていないようだ。


 しかし、俺やヴァンが完全に置いてけぼりを食らっている。これはまずいぞ。このまま論争が盛り上がり続けてあわや戦闘、となってしまえばそれこそ最悪のパターンである。

 ナーガたちやリシュテン王国との関係性は好転せず、それもこちら側からさしたるインパクトも与えられず、ただ眺めるだけで終わっては今後の沽券に関わる。俺個人はただのおじさんだからいいとしても、ヴァンが過小評価されるのは実によくない。何より俺が気に食わない。



「……ヴァン、一旦これ止めてくれない?」

「ふあぁ……うん? ああ、構わないよ」


 と言うことで、少々強引ではあるが一旦クールダウンさせようと思い立ったのだが、気が付けばヴァンの興味が完全に削がれていた。彼女からすれば、二つの格下種族がやいのやいの言い合っているだけだもんな。

 お前もうちょっと興味を持てよ。今俺たちを無視してあの二人が言い争っているということは、俺はともかくヴァンの存在が重く見られていないということだぞ。


 とは思うが、まあ無理からぬことかと同時に思う。彼女は別にそこをとやかく言う性格でもないし。

 ただ、今後曲がりなりにも国や民を統治していくのであれば、対外的にせよ対内的にせよ威厳は大事である。無視するんじゃねーよ、という強引さも時には必要だ。それをちょっとばかしここで発揮してもらうことにしよう。


「じゃあ耳を塞いでいてくれ。先ほどよりは弱めにやるつもりだが」

「おう……あれかあ……」


 恐らく魔鉱石の部隊を一掃したアレをやるつもりなんだろう。本当にキツかったのでがっちり耳を塞ぐことにする。フィエリも今度はぶっ倒れないことを祈るばかりだ。


 準備が整ったのか、ヴァンはふすと短く鼻を鳴らし、その大口を開けた。


「……うぐっ!」


 ガツン、と。空気そのものにぶん殴られたような比喩し難い衝撃。先ほどより弱めとは言っていたものの、至近距離で浴びるこの威力は伊達ではない。ヴァンが今も張ってくれている魔法障壁が無かったら一体どうなっていたことやら。マジで怖い。


「大体貴様ら人間ごときが……っつお!?」

「こちらに最初から争う気はないと何度言えば……ぐあっ!?」


 おー、効いてる効いてる。言い争っていた二人を見ると、ラナーナはその体を大きく曲げており、プラヴェス卿はもんどりうつ一歩手前くらいまで行っている。防護動作無しにあれの直撃を受けたら本当に立っていられないレベルだろうからなあ。特に人間であるプラヴェス卿には相当つらいはずである。


 魔鉱石と炎の渦をぶっ壊した時に比べれば衝撃は幾分かマイルドだったが、それにしたって人知を超えた力であることに違いはない。これだけでもヴァンのスゴさというものが伝われば、今後の話し合いもスムーズに進められるものだが、さてどうだろうな。


「はにゃぉゎ……」


 フィエリもギリギリのところで耐えたようである。おじさん安心。


「くぁー……ッ! ところでヴァン。これ、どういう魔法なんだ?」

「ん? 簡単なことさ」


 とは言っても、間近でこれを食らった俺もノーダメージという訳ではない。ガンガン鳴り響く頭痛を何とか抑えながら、当初の疑問をぶつけてみることにした。

 俺はてっきり水だか冷気だかを操って炎を何とかするものだと思っていたんだが、結果を見る限りそうではなさそうだった。周囲が濡れている訳でもなし、そもそも魔鉱石を搭載したやぐらが石もろとも粉砕されている状況に説明が付かない。


「魔力の塊をそのまま放っただけだ。ははは、人間にはちょっと辛かったかな」

「冷たいのが苦手だからってそんなトンデモ手法で代替するんじゃない」


 魔法ですらなかった模様。

 何でもアリだなこいつマジで。つくづく敵じゃなくてよかったわ。



「ぐ……くぅ……!」

「ヴィニス、ヴィニク……!」


 口論していた二人は息も絶え絶えといった様子である。プラヴェス卿の方を見てみれば人間の何人かはぶっ倒れているようだし、ラナーナの背後に控えるナーガの集団ではぱっと見倒れた者はいないものの、ふらふらしている奴が多い。


 これ本当に凶悪だな。制圧力という意味では抜きん出ている技かもしれん。

 俺やフィエリにも被害が出るのが唯一最大の欠点だが。


 まあいいや。今はそれよりも目の前の事態収拾が先である。

 プラヴェス卿とラナーナの言い争いも強制的に停止させたことだし、ここは仕切らせてもらうか。二人の言い分を聞く限り、まだまだチャンスがありそうだからな。


「さて。一旦落ち着きましょう、お二方。各々の主張は確かに相容れないようですが、どうやらまだ歩み寄りの余地が――」


「待てハルバ。何か来る。大勢だ」

「何?」


 仕切り直して主導権を握ろうとしたところで、またしても横槍が入る。何か来る、という事態に対して俺は何も感じることは出来ないが、ヴァンが言うのなら間違いなく来ているのだろう。


「……うん、この速度は人間じゃないね。馬か」


 静まり返った一帯に、ヴァンの一声が響く。

 誰も言葉を発することもなく、無言のまま過ごすことしばし。空中から見ているからこそ分かる、大規模な土煙が平原地帯から巻き上がっているのが確認出来た。

 うーん、嫌な予感しかしない。次から次へと本当に困る。


「あれは……! ゲルドイル卿か!? あの小僧め……!!」


 土煙に気付いたプラヴェス卿が忌々しそうに声を上げた。

 また新キャラかよ。誰だゲルドイル卿って。プラヴェス卿と同じく王国貴族の誰かだとは思うけど。だが何故か、プラヴェス卿は間違ってもその登場を歓迎しているようには思えなかった。


「……貴方の仲間では?」


 ということで聞いちゃおう。

 お仲間であれば普通は喜ぶはず。プラヴェス卿の立場で考えれば、今は誰がどう見ても人間側が劣勢だ。


「確かにそうではあるがな。議会の決定を無視して兵を進めてきおって馬鹿者が!」

「ふむ……つまり本来、あの軍勢は来るものではなかったと」

「そうだ。魔鉱石を使って機を制し、有利な交渉を持ちかけることを条件に私が来たのだ。その前提が崩れた場合の次善策は確かに協議していたが……来るのが早すぎる。あの小僧、最初からこうするつもりであったな」


 うーん、議会の決定ということはフィエリの言う通り、王国は議会君主制だろうな。そしてその決定を無視してゲルドイル卿が来たと。この様相だと貴族の内部対立も激しそうだ。

 俺の知っている歴史では大体そういう場合、権力を制限する立憲君主制が生まれるか、封土と力を持った貴族が次々に独立する群雄割拠の時代が来るんだが、この世界はどうなることやら。


 っと、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 とりあえずあの迫ってきてる連中はどうにかなりませんかね。


「プラヴェス卿、貴方が止めることは?」

「無駄だ。私の言葉程度で止まるならあやつは今ここに兵を進めて来ていない」

「……そうですか」


 ならない模様。


「ハルバ、どうする。まとめて殺すか」

「……ちょっと待て、今考える」


 ヴァンからの緊張感のない問い掛けを躱し、プラヴェス卿が紡いだ言葉を咀嚼する。

 さて、シンキングタイムといこう。軍勢との距離と速度からしてあまり猶予はなさそうだが、思考放棄はよくない。出来る限りの手は打ちたいし、あの数がそのまま突っ込んできたら森がヤバい。


 ――恐らく、プラヴェス卿が善良だというフィエリの評は概ね正しい。こうして会話が成立しているのもそうだが、話の裏は取れないまでも、少なくとも言葉と行動は一致している。

 で、多分だが彼は、俗に言う穏健派とか和平派とかそういう感じの人だ。魔鉱石を使って森を限定的とは言え焼き払った所業に思うところはあるが、そうせざるを得ない圧力なんかもあるのだろう。


 更に王国は貴族政治が王権を食っているとしても、その内情は一枚岩でない可能性が高い。現にプラヴェス卿とゲルドイル卿との間には明らかな不仲っぽさがある。


 そしてここからは完全に推測だが、王国内では強硬派が多数を占めていると見える。何故なら、ゲルドイル卿が騎兵で攻めてきているからだ。

 普通に考えて、木々が生い茂る森林地帯へ向かうのに騎兵中心の編成はしない。まともに馬を進められないし、道中の管理コストも馬鹿にならない。平原地帯ならともかく、森を攻めるなら通常は歩兵を出す。プラヴェス卿の軍に騎兵が居ないのも多分そのためだ。

 ゲルドイル卿はプラヴェス卿が森を焼き払う作戦のことを知った上で、そこに乗っかるため馬を使ってきたと考えるのが一番辻褄が合う。早すぎるという言葉も、後詰めが来るにしても歩兵の速度を考えていたからこその台詞だろう。


 となれば、プラヴェス卿も被害者である可能性があるな。

 ちょっと事実確認をしておくか。


「プラヴェス卿。あまり貴国の政に首を突っ込むつもりはありませんが……今回の作戦、発案は貴方で?」

「……いや、私ではない。が、賛成意見が多かったのは事実だ。無闇に血を流すよりはと私も賛同した」


「その発案者、恐らくゲルドイル卿本人、もしくは強硬派に属する者だったのでは?」

「……!」


 ウーン、これはほぼビンゴだな。憶測でも話してみるもんだ。

 さて、後は答え合わせというか、一応有識者の見解を聞いておこう。


「フィエリ、フィエリ。起きろ」

「……んにょばっ!? ふぁっハルバさん?」


 フィエリのやつ、ヴァンの咆哮をギリギリ耐えたかと思っていたらギリギリアウトだった。いつもの通り、女の子が出しちゃいけない声を出しながら彼女はその意識を手元に手繰り寄せる。


「起き抜けのところ悪い。ゲルドイル卿って知ってる?」


 まあほぼ間違いなく王国の貴族だろうから、最低限名前くらいは知っているはずだけど。為人や評判などの情報が出てくれれば上出来ってところかな。





「ああ、はい! 知ってます知ってます! 殺しましょう!」


「分かっ……んんッ!?」


 今なんて?

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