第37話 ささやかな食い違い

「ほぶぇあぉっ」


 あ、フィエリが起きた。

 ヴァンの大声と、それに相対する俺の声が彼女の耳を些か刺激したようである。またしても女の子が出しちゃいけない声を出している気がするが、まあ俺以外聞いてないから多分大丈夫だろう。彼女の尊厳は守られたのだ。


「……うん? 何かまずかったかな?」

「いや……無しではないんだ。その論法自体無しではないんだが……」


 先ほど人間の軍勢に啖呵を切った時よりは随分と声量を抑え、呟くように疑問を発する古代龍種。


 彼女の第一声は、無しではない。というか、実際に森林地帯の防衛という既成事実に乗っかってゴリ押しするという手も考えてはいた。ヴァンがどこまで深く考えているのかは分からんが、それでも結果として押し通せるなら悪くない手だと俺も思う。


 しかし、それはあくまで対人間に限定される手段だ。もっと言えば、外敵に対してのみ出せる強硬手段である。守られる側、内側の事情は加味されていない。

 当然の前提だが、この森林地帯とナーガやトレントたちは未だヴァンの麾下にない。それをその場の勢いで配下宣言されてしまえば心中穏やかじゃないだろう。百歩譲って、この場にナーガたちが居なければまだワンチャンスがあった。人間にはその方向で話を通しておき、追々調整していく形であれば。

 ところがどっこい、今ここには声の聞こえる距離にナーガが居る。先ほどのヴァンの一声もきっと届いていることだろう。


 魔鉱石とそれを操る部隊を一掃したので、向こうも浮足立っているはず。だからこそいきなり戦闘にはならず会話のチャンスはあると踏んでいた。戦いになったら俺の出る幕はないしな。

 その流れの中で、結果としてゴリ押しに向かってしまう可能性こそ考えてはいたんだがなあ。


 うーん。どうしようかなこれ。

 いっそこのままゴリ押すか?

 というかここからの軌道修正はちょっと難易度がウルトラC過ぎやしませんかね。



「全隊警戒! 大型の翼竜種!! クソッ! 知性もあるのか!?」


 色々と思案していたら、どうやら人間様の方で何か動きがあったようである。

 ヴァンの第一声でしばらく固まっていたが、そのうちの一人、恐らく隊長格だろう人物が声を張り上げ、部隊を正常な状態に戻す。バタバタと隊列が組み替えられ、防御陣形のようなものが構築されていた。

 こういうのって初めて見たけど、上から眺めてると割と面白いな。まるで統率された一個の群体だ。軍隊だけにってか。やかましいわ。


 ちなみにヴァンの言葉は届いてはいたものの、程よく無視、というか深く捉えられなかったご様子。いいのかそれで。君たちがガンスルーした相手は最強の古代龍種様であらせられるぞ。

 いやまあ、俺が考えていたシナリオに戻すのであれば、無視してくれた方がありがたいと言えばありがたいのだが。何かフクザツ。



「――哀しいね。人間の尺度では、我は翼竜の延長線上か」


 囁くような、ヴァンの一言。


 元々人間自体に高い期待や興味を持っていない彼女だが、その評価を耳にしてそれは更に下方修正されたらしい。そりゃ身近に居て、かつその力を目の当たりにしている俺やフィエリだからこそ、彼女は別格だと知っている。しかし何も知らない第三者から見れば、デカい竜以外の感想を持ち得ないのも然もありなんと思う。


「殺すか」

「おっとそれはやめような。色々とダメだ」


 ランチ行く? みたいなノリで殺すとか言わないで欲しい。心臓に悪い。



 さて。

 向こうは一旦防御姿勢を取ったものの、次の一手には中々進めないようである。魔法があるとはいえ、空中の相手に対する攻撃手段はそう豊富ではないのだろう。見る限り兵隊さんの装備も野戦向けっぽいし、武装は剣やら槍やらが多数を占めている。

 うーん、今更ながら時代背景は何時頃を参考にすればいいんだろうか。攻城兵器、は今回は必要ないにしても、銃すら見かけないぞ。マスケットくらいはあってもいいもんだが、イェニチェリっぽい連中も見当たらない。剣と槍があるということは少なくとも鍛冶技術は発展しているはずだが。

 もしかしたら魔法という文化がある分、銃や火薬といった方面の技術革新が起きていないのかもしれない。それはそれで興味深いものだが、あいにく俺は歴史学者でも民俗学者でもないので一旦この話は据え置くとする。


 後方に位置するナーガの集団も、ヴァンが居るからか積極的な行動を起こそうとはしていない。俺には殺気なんてものは分からないが、それでも後ろを振り返ればナーガの集団が苛立っていることくらいは分かった。


 俗に言う頓着状態、というやつだ。

 これはもしかして、ワンチャンあるのでは?

 そしてそうであるなら、まだ俺が介入する余地はあるように感じる。先程のヴァンの声を無視してくれたおかげで仕切り直しも出来るのではないか。おじさんは考えた。


「あー。ヴァン、ここから俺とフィエリが喋ってもいいか」

「うん? 構わないよ」

「うぇ!? わ、私もですか?」

「一応想定はしておいてくれ。基本俺が喋る」


 というわけで、選手交代。言うまでもなくヴァンは眼前の人間への興味がさっぱり失せているようで、交代は至極スムーズに進みそうであった。


 俺はヴァンの背から立ち上がり、地面を見下ろす。

 うおお、何か凄く偉い人になった気分だ。竜の背に立って人間を見下ろす。思春期の男の子ポイントがガンガン溜まっていくシチュエーションである。いや俺はおじさんだけど。


「んっんん! 聞こえるかな、人間!」


 喉の調子を整え、距離も考えてやや大きめの声量で。

 いつも通りの口調でもよかったが、折角ヴァンが作った空気でもある。第一声はそれらしさを醸し出しておこう。現代に生きる男性にとって勝負服であるこのスーツも、ここじゃ標準にはならない。正体不明っぽさを助長してくれれば助かる。俺も人間だし何言ってんだって話だけど。


「……!? 人間……? 何者だ!」


 おっとよかった、反応が返ってきた。ガン無視されたらどうしようかと思っていたところである。

 俺の声に応えたのは先程部隊を纏めた隊長格の男。この距離じゃ顔もよく見えんから、せいぜい声色から男性かなってくらいしか判断がつかない。が、今はそれでいい。互いの顔も分かる距離まで近付いてしまうと、俺がただの冴えないオッサンであることがバレてしまうからな。


「……あっ、あの人」

「フィエリ、この距離で見えるのか?」


 後ろでまごまごしていたフィエリがふいに声を上げる。どうやら知り合いっぽいが果たして。


「顔は分かりませんが……掲げている紋章に見覚えがあります。多分プラヴェス卿ですね。王国貴族の中でも善良な方だと認識していましたが……」


 よっしゃ情報ゲット。プラヴェス卿ね。王国内でどういう立場の人でどんな権力を持っているかなどさっぱり分からんが、今この場においてはどうでもいい。名前だけでも先に知れたというのが大きいのである。その情報はこうやって使うからだ。


「人にものを尋ねる時は自身が先に名乗るべきではありませんか、プラヴェス卿」

「……ッ!」 


 ほうら効果てきめん。そりゃ初対面の推定人間にいきなり名を呼ばれたら驚くだろうな。

 ちなみに、ヴァンの体躯と俺との位置関係もあって、フィエリは地上の連中の視界には入っていない。多分この状態だと、フィエリには前面に出てもらうより控えてもらった方がよさそうだ。

 フィエリがプラヴェス卿を知っているのと同様に、プラヴェス卿がフィエリを知っている可能性も十分ある。今この場でその面識が生まれてしまうとちょっと面倒くさくなる気がする。


「……翼竜を従えているのは貴公か……?」

「その質問に答える前に、先に私の質問に答えてもらいましょうか。貴方達は何が目的でこのアーガレスト地方に?」


 プラヴェス卿が疑問を発するが、それに答える義理はない。いや別に答えてもいいんだけど、実際に俺がヴァンを従えているわけでもないから地味に返し方に困る。

 しかし、貴公か。プラヴェス卿も日本語を直接発してるわけじゃないが、そういう訳し方をするんだなこの魔法。地味に楽しいなこれ。


「……森林地帯の一部が目的ではある。だが、全面的に敵対するつもりはない!」

「信用出来るとでも? あんな大掛かりな装置まで用意しておいて?」

「森の全てを焼いてしまわないよう魔鉱石で炎を操っていたのだ!」


 まあ予想通り侵攻が目的ではあるらしい。

 だが善良であるというフィエリの評価が事実なら、あえて侵攻してくる理由があるはずである。それを訊いておきたいところだな。


「……私たちはこの地域一帯の守護を目的としています。実力で排除してもいいが、無為に命を散らさないためにも理由をお聞かせ願いたい」


 その実力を発揮するのは俺じゃなくてヴァンだけどね。

 結局彼らはヴァンのことをただのデカい翼竜の仲間だと思っているみたいだが、何にせよ人間にとっては強大な戦力であることに変わりはない。普通の翼竜を捕らえることにも苦戦しているようだから、ヴァンのサイズと戦うことは想定していないだろう。


「その前に、先の質問に答えて頂きたい! 翼竜を操っているのは貴公か!」


 拘るなあ。王国は翼竜を飼い馴らして戦力化したいらしいから、俺が竜使いであればその術を知りたいってところか。

 でも残念、俺は何の能力も持ってないただのおじさんです。


「操っている訳ではありません。まあ……友人のようなものです」

「そうだね、友人だ」


 うお、ヴァン喋るの。別にいいけど。


「……そうか。友人、か……」


 俺とヴァンの答えを受け、プラヴェス卿が静かに応じる。

 なんか完全に俺が人外に見られてるっぽいけど大丈夫かな。いや別にそれ自体が特に問題にはなるわけじゃないからいいんだけども。

 しばしの沈黙の後、プラヴェス卿は静かに口を開いた。


「……質問に答えよう、竜の友人よ。我々はリシュテン王国に属する者である。知ってはいるだろうがな」


 うん、今さっき知りました。


「王国は今、繁栄の道を歩みつつある。その過程でどうしても領土の拡大はせねばならない。まだまだこの大陸は未開の地が多い。アーガレスト地方は勿論、ここを抜けた先、広大な大地がきっと広がっているはずなのだ。我々には国のため民のため、国土を広げる責務がある」


 うーん、フィエリからの情報と比して精査すれば色々と突っ込みたいところはあるが、一旦は置いておこう。王国側からすれば、内輪の恥部まで初対面の相手に公開する必要はないわけだし。


 大層な理念を掲げるのは結構だが、つまるところ所詮は侵略戦争であることに変わりはない。正義だ悪だとおべんちゃらを語るつもりはないし、俺にだって何が正しいのかなんて分からんが、その侵略を受ける側として賛同は出来ないなあ。


 そもそも、プラヴェス卿が本当のことを話しているかどうかの保証がない。別に王国と喧嘩したいわけじゃないが、かといって森を焼かれてまで積極的に協力する義理も理由もないのである。現状、うちのテリトリー、でいいのか? まあいいや。うちにちょっかいを出してきているのは事実。


 ここは適度に圧を掛けてお帰り願うとしよう。


 森を燃やされている以上、ただ退いてもらうだけで手打ちってのは普通なら納得し難いところだが、プラヴェス卿がまだ話が通じそうな人で助かった。

 俺だって無闇にドンパチさせたいわけじゃないし、出来ることなら穏便に事を進めたい。話が通じるのなら会話で終わらせるのが無難ではあると思う。


 ナーガはナーガで不完全燃焼かもしれんが、一応火を止めたことと追い返したということで、こっちも手打ちにしてもらおう。何ならこういう事態を今後防ぐために建国するんです、みたいな交渉のカードにも使えそうだからな。


「なるほど。そのための手段が、侵略であると?」


 精一杯なんか強そうな声を出す。ドスの利かせ方なんておじさん分かりません。

 これでビビって引いてくれれば上々、そうでなければヴァンにちょこっと脅してもらうか。勿論殺すのは無しの方向で。

 さて、どう出てくることやら。



「これまで幾度も調査団は派遣してきた! 無論、戦闘以外を視野に入れてだ! 話し合いをする暇もなく悉くを撃退されたがな!」



 うん。

 うん? ちょっと待って。今話の筋がねじれた気がするぞゥ?

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