第36話 渾身のファーストコンタクト

 雲一つない蒼天が無限の広がりを見せるその下、地平線まで伸びる豊かな緑が大地を覆う。青と緑が混じりあう視線の向こうでは、綺麗なコントラストに無粋な赤がその存在を声高に主張していた。


「偶発的な山火事……って訳じゃなさそうだな……!」


 思わず毒づく。

 端的に言って、非常に怖い。今でこそ距離も離れているし直ちに身を焦がされるわけではないが、逆に言えばこの遠目からでもはっきりと分かる炎と灰煙。ちょっと燃えちゃいましたレベルを遥かに超えていた。


 アーガレスト地方に人間種は生息していない。ラプカンなどはヒト型に当たるかもしれないが、農耕を主とする彼らは火を扱わない。ハルピュイアも同様だ。翼竜に関しても、炎のブレスを吐けるわけでもない。

 この地方で火を扱えるのは、ドワーフとそれこそヴァンくらいだ。前者は基本的にブルカ山脈が根城だから、あんなところで火を熾す理由が無いし、後者はそもそも火を吐かない。そんなことをするまでもなく強いからである。

 つまり、森の方へ進軍してきたという人間の仕業である可能性が極めて高いということだ。本当に迷惑が過ぎるぞこの野郎。


「ふむ、これはまた盛大に燃えているね。珍しい」

「おぉぅ……呑気なもんだ……」


 同じ風景を視界に収めているであろう古代龍種から、気の抜けたような感想がまろび出る。きっとヴァンのことだから、たとえ烈火の中心に飛び込んだとて何の痛痒も感じないのだろう。規格外の信頼を寄せざるを得ない程度には、今の彼女は実に落ち着いていた。


「悠長なことを言っている場合じゃないですよ! このままじゃ森全体が……!」


 そんなヴァンの背の上、俺の後ろに陣取る銀髪の少女からは正反対と言っていい反応が起こる。

 まあ、こっちが普通だろうな。俺だって平静を装おうとしちゃいるが、内心びっくりどっきりしまくりである。だって目の前で特大の山火事が起きてるんだぞ。落ち着けという方が難しい。


 しかしこれ、後始末をどうするつもりなんだろうな。燃やして終わり、とするにはあまりにもお粗末に過ぎる気がする。


 もしかしたら人間側は、すべてを焼き払って土地だけ抱えに来たのかもしれないが、それこそあまり意味がないように思える。普通に考えて、森という立地を取りに行くならその資源を獲得したいはずだからである。すべてが焦土と化した後の土地を手に入れても、後には何も残らない。せいぜい焼き畑農業が如く、燃え滓が肥料になる程度だ。

 ナーガやトレント、その他森に住まう種族が邪魔だという一応の理屈は立つ。がしかし、以前ラナーナから話を聞いた限りでは、ナーガたちは積極的に人間の勢力圏に手を出そうとまではしていなかった。人間国家の都合は知らないが、それにしたってわざわざ火を熾す狙いが見えてこない。


 そう考えると、いよいよリシュテン王国の貴族が勝手に暴れている説の現実味が増してくる。

 国策として未開拓地の森を燃やすなどまず有り得ない。仮に誰かが思い付いたとしても、それを承認、実行してしまうのでは組織としての役目が果たせていない。ガバナンスの利かない指揮命令系統など何の意味もないからだ。流石に国の中枢がそこまで腐ってはいないと願いたいところだが。


 しかし何にせよ、目の前で大火事が起きている以上、無視は出来ない。アーガレスト地方全体がまるっと禿げ上がるのは俺としても困るし、ヴァンや他の種族だって困るだろう。

 と、いうことで。


「ヴァン、あの火は消せそうか?」


 ここは絶対強者たる古代龍種様のお力を乞おう。

 多分彼女なら何とかして消してくれるはずである。少なくとも俺にはどうしようもないからなこれは。


「うん、出来なくはない……が」

「流石に森への被害も考えると厳しいか……」


 投げ返された言葉は、出来なくはないがという微妙な塩梅。つまり、何らかのデメリットが発生し得るということか。流石にヴァンとは言え、無条件かつ安全にあの大火を消すのは厳しいのだろう。


「水や冷気を操るのは少し苦手でね。……口の中が冷える」

「いやそこかよ」


 今それ言う場面じゃないでしょ。最強に近い古代龍種のくせに変なところで一般生物っぽさを出すんじゃない。思わず素で突っ込んでしまった。


 だが逆に言えばこの大火事を前にして、ヴァンの精神は微動だにしていないということだ。目の前の事態よりも自身の苦手を優先することが出来ている。それが良いのかどうかは分からんが、間違いなく大物ではあるだろう。

 というか、ヴァンにもこういう類の苦手なものなんてあったんだな。思考回路こそどこかポンコツな部分が見え隠れしていたが、おじさんちょっと新鮮。


「と、とにかく! 消せる手段があるなら行くべきですよ!」


 呑気なやり取りにしびれを切らしたか、後ろからフィエリが騒ぎ立てる。


「あ、うん。そうだな。ゆっくりしている場合でもなさそうだし」

「分かった。とりあえずもう少し近付こうか。何にせよここからでは届かないからね」


 フィエリの言う通り、まあのんびりしている場合でもなかった。おじさん反省。


 ヴァンもフィエリの言葉に呼応すると同時、空中で遊ばせていた翼を再度広げ、山火事の大元へと移動を開始する。

 無論、ただの人間である俺とフィエリを背に乗せている関係上、常識的な速度で飛んでくれてはいる。しかしそれでも、距離が縮まるにつれて鼻につく臭いと煙の量が増えていくのはやはり、否応なく恐怖と混乱を煽ってくるものだ。


「うおぉ、燃えて……ゲェッホ! あっつ! あっつゥ!!」

「ひゃっ! 大丈夫ですかハルバさん!」


 震源地に近づくにつれ、風に吹かれた灼熱の切れ端やらなんやらがびしばしと飛んでくる。下手したら火傷では済まされないサイズの塊も随分と宙を舞っていた。これフィエリが俺の後ろでよかったな、年頃の女性の肌に火傷の痕なんてつけたくはない。


「む。火の粉が大分飛んできているね。ハルバたちには少し辛いか」

「辛いよ!! 余裕そうでいいなヴァンは!」


 一方のヴァンは、その体躯に容赦なく火の粉が降りかかっているが全くノーダメージなご様子。流石の防御力である。彼女一人であれば気にも留めない些事であろうが、背に乗せている脆弱な人間が叫んだのを聞いて初めて、意識の片隅に引っかかったという感じだ。


「障壁を張るか。これで煙も火の粉も大丈夫だろう」

「障壁ぃ!? ……あっ楽になった……」


 その瞬間、先ほどまでの熱気や息苦しさが一気になくなった。ヴァンを中心として何か透明な壁が出来たような感覚だ。

 本当に何でもアリだな魔法ってやつは。加えて、どっからどう見てもヴァンという存在が反則過ぎる。最初に俺を拾ってくれたのが彼女でよかったわマジで。



「……うん? 面白いことをしているね」


 火元がある程度はっきりと分かるくらいにまで近付いた時、ヴァンが感心したような声を漏らす。

 何を呑気なとは思ったが、声に釣られて現場を見てみると、なるほど確かに少々流れがおかしい。周囲を囲う魔法障壁のおかげで俺にも余裕が戻り、眼前の光景を分析出来る程度には落ち着いてきていた。


「なんだ……? 火の動きが偏ってるな……?」


 上空から見ているとよく分かる。火災は起きているが、炎の動き方に指向性が見られた。誰かが火を操っている、のか?

 そんなマジックみたいなことを、とも思うが、魔法とかいうマジモンのマジックがある以上、この世界ではそういうことが出来ても何ら不思議ではない。


「あれは……魔鉱石!?」


 すぐ後ろからフィエリの声があがる。火元にほど近いところ、幾人かの人間の影と、それらが囲うように移動式の物見やぐらみたいなものが確認出来た。同時に、輝く大きい岩のようなものも。


「あれか。……デカいしなんか光ってるな……」


 ヴァンが居城としている洞窟にも魔鉱石はあるらしいが、それらは壁に埋め込まれていると聞く。

 俺は魔鉱石の実物を見たことが無い。多分、あれがその魔鉱石ということだろうか。あのサイズの岩がペカペカ光っていればそりゃもう目立つ。よかったわ壁の中に埋まってて。


「なるほど、魔鉱石の力で風を操っているのか。ふむ、我にはない面白い考えだ」

「いや感心してる場合じゃないだろ」


 実にのんびりとした口調で感想を零すヴァン。

 これが文字通り対岸の火事ならそれでもいいんだろうが、今燃えている森はブルカ山脈のお膝元、うちの居住区直ぐ近くだ。正直火を消せる手段があるのならさっさと消して欲しい。ついでに、こんなことをやらかした連中にもとっととお帰り願いたいところである。


「あ、あそこ。王国の国章ですよあれ。はー……やっぱりリシュテン王国の兵ですね……」


 フィエリがちょっとだけムッとした口調で説明を続ける。

 うーん、嵌められてお家が没落したこともあってストレートに王国を嫌いになっている感じがする。おじさんその感情は否定しないよ。話を聞く限り、恨むなという方が無理筋だ。

 やぐらの傍ら、こっちに気付いたらしい人間が何か喚いているが、気持ちは分からんでもない。いきなりこんなデカブツが飛んで来たらそりゃびっくりするよ。


 ただまあ、とりあえずこれで王国か共和国かって疑問は解決したな。

 国の指示なのか貴族の独断なのかは分からんが、俺からすればどっちでもいい。さっさと退散頂くとしよう。


「それじゃ今分かる情報も揃ったことだし、消そう。ヴァン頼む」

「……うん、分かった」

「苦手なのは分かったから早く。領土維持も君主の大切なお仕事だぞ」


 微妙に渋っているヴァンを嗾ける。

 国土予定地の保護は勿論大切だが、それ以上にこの大火だ、森林地帯の原住民であるナーガやトレントも苦戦しているはず。トレントなんてあからさまに火に弱そうだし。いやこれは俺の勝手なイメージだけど。

 縄張りの危機に颯爽と助けが入れば、ちょっとはこちらへの態度も軟化するかもしれない。ありきたりな打算だが、進展の無い交渉を持ちかけ続けるよりは遥かにマシである。


「じゃあ、ちょっと耳を塞いでいてくれ。内側からの衝撃を完全には消せん」

「ん、分かった……うおおおおおおっ!?」

「みぎゃーーーーーーッ!!?」


 ヴァンの忠言通りにした直後、両の手で強く塞いだ耳から全身へ、大きな衝撃と振動が駆け巡る。

 あっぶねえ、これ素で受けたら間違いなく鼓膜が死んでいた。何時ぞやの翼竜たちを呼び寄せた咆哮など比較にもならない衝撃であった。後ろでフィエリがのたうち回っているが、まあ彼女にもヴァンの注意は聞こえていたはずだし大丈夫だろう。多分。


「……うん? 少し力を入れ過ぎたか」

「おま……ほんと……おま…………」

「うょぱ……」


 古代龍種が放った魔法……魔法なのか? 分からん。ブレスとかいうやつかもしれん。

 とりあえず物凄い衝撃と音だったので何かしらの超常的な現象だろうが、それがもたらした結果はそりゃまあすごいものだった。頭と耳がぐわんぐわんする。

 ちなみにフィエリはまたのびていた。このまま気絶キャラとしての立ち位置を固めるつもりか。年頃の女性がしちゃいけない顔をしているが、まあ見なかったことにしてあげるのが優しさというやつだろう。



 とにかく、周囲一帯の火は消えていた。綺麗さっぱりと。細かいところまではここからでは見えないが、煙が燻っている様子すらない。

 で、ついでと言っては何だが、魔鉱石を搭載していたやぐらも魔鉱石ごと粉々になっていた。周囲には完全にのびている兵隊さんらしき連中も見える。あれもしかして死んでない? 大丈夫かな。敵とは言えおじさんちょっと心配。


「……あれ大丈夫なのか? 完全にのびてるけど」

「知らん」

「えぇ……」


 おじさんドン引きです。

 そういえばこの子古代龍種でしたね。見知らぬ人間の生死なんぞを気にかけろという方が難しい。そこら辺の倫理観が備わっていれば、フィエリをはじめとした人間をいきなり攫ってくるなんてことしていないはずだしな。


 しかし、俺が直接手を下したわけではないとは言え、もし死んでいるとなると非常に心のやり場に困る。面識もくそもない異世界の見知らぬ住民ではあるが、人の命を間接的でも奪ったことに変わりはない。

 うーむ、ここら辺はあまり重く考えない方がいいのかもしれない。主に俺の精神衛生的な意味で。無血革命じゃないが、一人の犠牲もなしに国興しがまかり通る程、この世界はお人好しでもないはずだ。

 自分でもかなり薄情な気はするが、ある程度割り切って考えないときっとダメなんだろう。気にし過ぎると思わぬところで精神的重荷を背負うことになってしまう。俺だってヴァンの国づくりを手伝うとは言ったが、トラウマを抱えてまでこの仕事をしたくはないしな。



「おお。ハルバ、見ろ。人間が沢山居るぞ」


 周囲一帯の炎と煙が文字通り消し飛んで、視界が大分遠くまで通るようになった。

 その向こう、丁度森林地帯の切れ目――今では燃え尽きてほぼ平野になってしまっているが、そこに軍勢と思われる多数の人間が待ち構えていることに気付く。

 ははーん、多分あれが本隊ってやつかな。魔鉱石の運用部隊と火を熾す部隊に先行させ、焼け野原になったところで突っ込む算段でもしていたんだろうか。

 この距離じゃあ表情まではさっぱり分からんが、軍勢がうようよ動いているところから動揺しているのかな、程度には気持ちの推察が出来る。そりゃいきなり目の前で炎が立ち消えたらびっくりもするだろう。

 まあ、これからもう一段階びっくりしてもらう予定なんですけどね。



「ヴィニスヴィニクッ!!」


 今度はほぼ真下。燃え盛っていた場所の程近くから、聞き覚えのある怒声が響く。

 視線を下げるとそこにはナーガの長、ラナーナと配下のナーガ、そしてトレントたち。どうやら彼女たちも迫りくる炎には手を焼いていたようだ。ナーガの何人かがぶっ倒れているが俺は何も知りません。ヴァンが勝手にやりました。


「うーむ。状況が良しとは言えないが、一応整いはしたな」

「うん?」


 呟いた言葉に、ヴァンが疑問を乗せて応える。ちなみにフィエリはまだこっちの世界に帰ってこない。まあ今はゆっくり寝ててください。


 繰り返すが、別に俺は軍略や軍事に詳しいわけじゃない。戦場での駆け引きなんてものを言われてもさっぱり分からん。

 ただ、人間同士。もっと言えば、言葉が通じて共通の利害がある者同士での感情のやり取りってやつには職業柄、そこそこ触れてきた。


 出鼻を挫かれたリシュテン王国の軍勢。

 縄張りを荒らされ劣勢に立たされたナーガ。

 そこに颯爽と割って入った圧倒的戦力。


 不確定要素はまだまだあるが、上手くいけばこちらへ一気に盤面を傾けることも、不可能じゃない。



「ふむ。ハルバの考えは分からないが、国土の保全も我の義務になる、というのは何となく分かる。どれ、ここは一つ王らしきことでもしてみるかな」

「えっ」


 なんか勝手に納得された上に勝手になんかやるつもりだこの古代龍種。


 どうする? 止めるか?

 正直言って何をする気かさっぱり分からない上に何となく嫌な予感がする。

 いやしかし、折角ヴァンに統治者としての自覚が出てきたところで、俺が邪魔をするのも今後に差し障るか? やべ、よく分からなくなってきた。


 いきなり人間を虐殺し始めたりしたらビビるが、流石にヴァンもそこまで考え無しではないはず。であれば、接触の初手くらいはヴァンに任せてもいい気がする。ヴァンの見た目から発せられる圧力は並じゃないし、ファーストインパクトはでかい方がいいからな。俺みたいな冴えないおっさんが初っ端に出張るのに比べれば、威圧感は段違いだ。

 ヴァンも流石にこのシチュエーションで頓珍漢なことは言わないだろうから、その後は余程でない限り、俺が軌道修正すれば何とかなるだろう。最悪フィエリも叩き起こして参加させればいい。彼女も元々大貴族の出だから、それなり以上に弁は立つはずだ。


 などと色々考えていたら、どうやらタイムオーバーを迎えたらしい。

 ヴァンは俺とフィエリを乗せたまま、声を荒げたラナーナを無視し、悠々と人間の軍勢の方へと近付いて行き。




「人間!! 我の領土と配下を相手に、随分と好き勝手やってくれたじゃあないか!!」

「ヴァンお前ーッッ!!」


 とんでもないことを言い放った。


 こいついきなり爆弾放り込みやがった。

 どうしよう、考えていたプランが全部ぶっ飛んだぞ。おうち帰りたい。

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