第35話 侵略の火

「ヴァン!」

「うん? どうしたハルバ、火急の用事か?」


 ピニーからの報告を受けたのち。俺はヴァンの居城へとすぐさま駆けつけ、見慣れた巨体を視界に収めるために首を傾ける。

 何だかんだでヴァンの本体にも随分と慣れてしまったものだ。今では不意打ちでも食らわない限り、ほぼ普段通りに接することが出来る。いやあ、慣れって怖いね。


 っと、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。


「ついさっき、ラプカンたちから連絡があった。武装した多数の人間が森林地帯へ向かっているらしい」

「……ふむ」


 一息整え、努めて冷静に報告を終える。

 俺の言葉を受け取ったヴァンは、数瞬の拍を置いて、一つ息を吐いた。


 一応だが、ヴァンは国家元首の予定である。となれば、現場レベルの些事ならともかく、こういった大事に対して最終判断を下すのはヴァンであるべきだし、またそれらに関する報告も正しく上に持ち上がるべきだ。

 別に判断を丸投げしようとかそういう魂胆ではなく、ヴァン自身がそういうものに慣れておかなきゃいけない。今後に関しても、全ての情報が必ず俺を通るとも限らんわけだし。


「とりあえず殺す――のは駄目だという顔をしているね」

「そりゃね、俺も人間だし。ただ、俺がどうこうを抜きにしても、現時点での見敵必殺は悪手だと思う」


 一番単純な解決法を真っ先に思いついたらしいヴァンだが、それは良くない、程度には学習をしていた。その点にいくらか安堵を覚えつつも、改めて釘を刺しておく。

 予測の一つに過ぎないものの、人間サイドとは最終的に一戦交えることになりそうだな、くらいには考えている。わざわざ武装して多数の人間を引き連れて遠征するなど、その目的は何をかいわんやである。


 だがそれはあくまで、最終的な話だ。初っ端こちらから仕掛けていくのは、ちょっと色々と分が悪い。別に俺もヴァンも戦争がしたいわけじゃないからな。平和的に物事が進むのならそれが最良だ。


「うーん、どうしようか?」


 ヴァンがふす、と鼻を鳴らしながら問う。

 その鼻息だけで空気を揺らすの、怖いからやめて欲しい。


「一応考えはある……というか、初手としては様子を見に行くしかないんだけど。そこから先はフィエリ次第だな」


「ふむ?」


 俺の放った言葉に、ヴァンはこてんと首を傾ける。デカいせいであまり可愛くない。いや今はそんなことを言っている場合ではないのだが。


 ぶっちゃけ、ラプカンからの情報だけでは精度が低すぎるのだ。

 武装した多数の人間、くらいの情報しかないので、それが何処の国の連中なのかも分からないし、詳細な目的も不明だ。何らかの武力行使を行うつもりではあるんだろうが、その先が見えないうちに手を出すのは出来れば控えておきたい。


 そして、その是非は俺にも分からない。この世界を知らないから。

 こちらが抱える人員の中で、多少なりともそれが分かる者は一人だけだ。


「ヴァンさん! ハルバさん!」


 色々と考えていたところ、キーパーソンとなるフィエリが飛び込んでくる。どうやらピニーから情報は正しく伝わっているらしく、その表情には焦りと不安がはっきりと見て取れた。


「やあフィエリ。そんなに慌てても事態は変わらないよ」

「えっ、いや、まあ、はい。それはそうですけど……ッ!」


 見るからに慌てているフィエリを、ヴァンが軽く諫める。彼女のこういうメンタルの太さは流石の一言に尽きるな、伊達に何千年も生きていない。


「まあ落ち着いていこう。んでフィエリ。この展開、どう思う」


 役者が出揃ったところで、改めて彼女に問う。

 正直に言えば今回の出兵、普通に考えたら疑問しか出てこないのだ。


「えっと……普通に考えれば、無いと思います……」

「だろうな。時期も目的も謎過ぎる」


 フィエリはどうやら俺と同じ考えらしい。互いに視線を預け、頷きを返した。


 別に俺は軍略の専門家じゃないし、ミリタリーに詳しいわけでもない。だがそれでも常識的に考えて、今回このタイミングでこの場所に武装した人間の集団が詰めてくる、という事態が異常であることくらいは分かる。

 フィエリだってそうだろう。元が貴族のいいところの出身だから多少はそういう教養があってもおかしくはないが、つまりはある程度の知識があればおかしいぞ、と分かるくらいにはおかしい事態だった。


「うん? どういうことだハルバ」

「簡単だよ、今は冬真っ只中だろう。人間は寒い中で長期間動ける種族じゃない」


 ヴァンの疑問に、にべもなく答える。確かに彼女は人間の基準では測れないから、俺やフィエリの言にはピンとこないだろうけども。


 大体の生物は寒いと動けなくなる。それは人間も例外ではない。人間はしないが、動物の中には冬眠する種族だっている。それくらい、寒さと冬という気候はアクティブな活動には不向きだ。

 それに加えて、ここは人間の活動圏にない未開の地である。あるのは森林と山脈だけ。ウィンタースポーツという言葉があるように、それを趣味とする者も居るが、それはあくまで十分に安全に配慮された環境下で初めて成立するものだ。今回のように戦を仕掛けるには些か不都合が過ぎる。


 さらにはこのアーガレスト地方の場所も問題だ。フィエリ曰く、リシュテン王国にしろサバル共和国にしろ、ここから人間の国までは馬車でも数日はかかる。徒歩だとどれだけかかるか見当もつかない、というレベルである。間違っても、ちょっと攻めてきます、みたいな軽いノリで突っ込める距離じゃない。


 俺が居た世界と違ってここには魔法とかいうクッソ便利なものが存在しているので、全部が全部俺の常識で考えるのはやめておいた方がいいとは思う。

 しかし仮に、寒さを魔法的な手段で凌げたとしても、物理的な距離はどうしようもない。ラプカンが歩いている人間を見かけたということだから、ヴァンのように空を飛んでいるわけでもないだろう。


 遠征には、金も人も物資も要る。それが遠くなれば遠くなるほどなおのこと。

 この洞窟に張り巡らされている生命維持魔法のような反則技があれば別だろうが、この魔法はあのヴァンですら魔鉱石の力を借りて維持するのが精いっぱい。魔法の技術レベルで格段に劣るらしい人間種が、これと同等以上の魔法を体得しているとは考えにくい。


「少なくともリシュテン王国内では、そう大きな動きは見られなかったはずです。……動きたそうにしている貴族は何人か居ましたが……」


 フィエリが呟くように情報を添える。

 ふーむ。となると国策としてアーガレスト地方を攻めよう、というよりは、何らかの利権関係でどうしてもこの土地が欲しい連中が居る、と考えた方がまだ辻褄は合うか?

 しかし、それを前提としてもまだピースが足りない。


「けど、王国と共和国の間で独断で侵攻しない合意があるんじゃなかったのか?」


 そう。フィエリは俺にこの世界のことについて語った時、リシュテン王国とサバル共和国の間でアーガレスト地方に関する取り決めが出来ていると教えてくれた。

 これが仮にリシュテン王国の貴族が独断で動いたとなれば、国交問題にもなり得る。国政に携わる人間がそこまで間抜けだとは思いたくないところだ。


「確かにあります。でも、あくまで度重なる失敗の末に纏められた合意であって、そこに罰則規定などは盛り込まれていないんです。口約束みたいなものですね」


「なんじゃそりゃ……」


 いいのかそれで。曲がりなりにも国家でしょうが。

 ただ、今までの情報から考えると、王国が出来たのは凡そ数百年前。サバル共和国に至ってはもっと後だ。多分、俺が考えている国家とは成熟の度合いが違うのだろう。

 それに加えて、リシュテン王国は貴族政治かつ腐敗が激しいと聞く。となれば、王国貴族の独断で兵が動いている、と見るのが現状では一番可能性が高そうだ。


「本命は貴族の独断、次点で王国の積極策。共和国が手を出すってのは……なくはないにしても、可能性は低い……か?」


 独り言をごちながら考えを纏めていく。

 が、どちらにせよ現状では憶測に過ぎない。やはり直接見ないことには確実とは言えないだろう。


「悪いヴァン、待たせた。様子を見に行こう。手を出すかどうかはそれからってことで」

「了解した」


 言うと同時、ヴァンが俺とフィエリを摘み上げる。この展開にも慣れてきたが、間違っても格好の付くものではない。優先度は低いが、時間がある時にでも代替案を考えておきたいところだな。


 メンバーは俺とヴァン、それにフィエリ。連絡役のフェアリーやハルピュイアも連れていきたいところだが、これ以上人数が増えるとこちら側の不確定要素も増える。人間側の戦力が不明な以上、ヴァンの力で確実に守れる範囲で収めておくべきだろう。フィエリに関しては、彼女が居ないことにはどの勢力の人間なのかが分からないため今回は必須だ。


 何にせよヴァン一人居ればどうにかなりそうな気もするけど。

 流石にそれは楽観的過ぎるかな。


「……でも」


 俺とフィエリを乗せたヴァンが飛び立とうとしたところ。フィエリが小さく呟いた。


「今まで攻略出来なかったアーガレスト地方に、わざわざこの時期に攻め入って来るんです。何かしらの策は用意していると見るべき、かもしれません」


 やめなさいよそういう不安を煽る発言は。いや言ってることは正しいけどさあ。


「ははは。それなら人間たちのお手並み拝見と行こうじゃないか」

「まったく、ヴァンは頼りになるな」

「ふふ、褒めても何も出ないよ」


 ヴァンの傲慢ともとれる発言に確かな安堵を覚えてしまうのは、彼女の力を身をもって知っているからだろう。ヴァンならきっと、人間がどんな手段を講じてこようともねじ伏せてしまう。そう思えるくらいには彼女のことを信頼していた。


「さて、では行こうか。しっかり捕まってくれ」


 言いながらヴァンは、その巨大な両翼を大きくはためかせ、洞窟から飛び立つ。

 人間でも耐えられる程度に加減されたその力は、それでも多大なエネルギーを伴うもので。多少以上の圧力を身に感じながら、地平線がぐんぐんと下がっていく様を見つめることしばし。



「……うん? あれは……」


 ある程度の高度に達したヴァンはその上昇を止め、周囲を見渡す。

 遠くではあるがしかし。その様子ははっきりと見て取れた。


「あれは……! そんな……ッ!」

「……マジかあ……思い切った手段できたな……」


 遮るものがない、空からの視界。その向こうで。

 森が、燃えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る