第34話 ターニングポイント

「うおぉ……やっと一段落ついた……」

「あはは……。お疲れ様です、ハルバさん」


 自室のデスクでぐったりと息を吐く俺に、苦笑いで応えてくれるお手伝いのフィエリ。どうも最近はヴァンより彼女と過ごす時間の方が多い気がする。やっている仕事柄、仕方ない部分もあるのだが。


「いやあ、フィエリもお疲れさん。しかし一気に忙しくなったな……」


 ぐるぐると肩を回してほぐしながら、フィエリの労いに応える。


 デスクワークが中心になるのはこの際致し方ないが、座りっぱなしというのも結構しんどい。まあそれは前職でも同様だが。

 同じ空間に居るフィエリもただ居るだけではなく、現場の声を拾い上げるのに加え、最近は俺の作り上げた書類のチェックに割かし忙殺され気味だ。


「本当ですよ……。私の知識がどこまで役に立っているかは分かりませんけど……」

「まさか。正直物凄く助かってるよ、流石だ」


 力なく笑みを漏らすフィエリに、労いの言葉を返す。


 俺の言葉は決して嘘や慰めなどではない。実際、フィエリの持つ知識や知恵というものは大変役に立っている。それは国家や法律に関する部分もそうだし、ラプカンに代表される異種族に対する知識という面でもそうだ。


 俺一人の力では、決してここまで進めることは出来なかった。

 いくらヴァンという強大なバックがあるとは言え、知恵がなければ自ずと限界が見える。ヴァンがどれだけ思案しても、俺というピースが嵌まるまで国家樹立の思い付きを進められなかったように。

 同様に俺に関しても、フィエリというピースがなければ話が進むことはなかったように思う。それくらいには、俺はフィエリを重宝していた。


「うぅ、寒……やっぱり山間だとかなり冷え込むな」

「そうですね、夜は余計にです。そろそろ休んだ方が……寒っ」


 洞窟の中にぶち込まれた我が家とは言え、やはり寒いものは寒い。呟いた俺に誘われるように、フィエリもその顔を少しばかり歪め、冷気に身を震わせた。


 転移前と違い、エアコンやハロゲンヒーターといった電気を食う便利アイテムはこの世界では使い物にならないため、寒さへの対抗手段は着込む以外なくなる。

 冬はまだ重ね着しまくれば耐えられないこともないが、夏が怖い。ヴァンの居城となるこのブルカ山脈は結構な標高なため、それほどの酷暑にはならないと思うがしかし、冷房なしでこのおじさんの身が果たして耐えられるのか。今から不安しかない。


「そうだな、今日は寝ちゃうか。フィエリ、毛布足りるか?」

「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」


 いそいそとベッドへと潜り込む俺。あわせて部屋で寝っ転がるフィエリ。


 俺の部屋はフローリング式だが、薄手ながらカーペットは敷いている。とは言っても、年頃の女の子を床で寝かせるのはやはり落ち着くものではなかった。

 前回はベッドを譲ろうとして素気無く断られたが、季節が変わればそうもいかない。先般、改めてベッドを使うようそれとなく勧めてみたのだが、


「大丈夫です。ここに連れ去られる直前までは床に藁だったので余裕です」


 と、何が余裕なのか小一時間問い詰めたくなるような返答を頂いた。


 そりゃまあ大貴族から奴隷娼婦一歩手前までの急降下である、環境に慣れなきゃ死しか待っていなかったというのは確かにあるだろうが、それにしたって割り切りすぎではなかろうか。

 いやしかし、いくら相手のためを思ってとはいえ、無理矢理におじさんの中古ベッドを強いるのもダメなのか。おじさん年頃の女性の対応なんて一ミリも分かりません。困る。

 うーん。一応身なりとか清潔感とかは気にしていたつもりなんだけどなあ。ここまで爽やかに拒否られると、ちょっとしんどいものがある。いや、フィエリがそういう心づもりで断っているという確証はないけども。


 まあ、本人が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。そういうことにしておく。この洞窟にはヴァンの生命維持魔法も掛かっているから、そう大事には至らないはずだ。


 この生命維持魔法。受けてみて少し分かったのだが、効果としてはその名の通り「維持」に尽きる。恐らくだが、人体の生命活動に必要なエネルギーや栄養といったものを魔力が代替しているのだろう。だから、空腹感も感じないし喉も乾かない。身体が外部からの供給を必要としないからだ。

 一方、空腹感は感じないが胃袋は空なため、何かを口にしようと思えば意外なほどあっさり入る。ただ、何も食ってないし何も飲んでないのに、循環作動で排泄欲はしっかりと現れるのにはかなりの違和感を覚えた。今はもう慣れたけどさ。


 しかし、睡眠だけはそうもいかなかった。俺は医者でも魔術師でもないから詳しくは分からないが、活動に必要なエネルギーの確保は出来ても、脳を休ませることはこの魔法じゃどうやら出来ないらしい。眠気はしっかりやってくるしな。


 で、今は俺もフィエリも健康体だから特に問題は起きていないが、もし体調不良や病気を引き起こした時、この魔法がどう作用するのかがちょっと分からない。治るかもしれないし、治らないかもしれない。まあとにかく、健康には気を付けましょうという話だな。


「……んじゃ寝ようか。おやすみ、フィエリ」

「はい、おやすみなさい」


 考えもそこそこに、俺は寝床へと身体を沈める。

 フィエリの生活魔法によって光源を保っていた部屋は、それが消えると同時にほぼ完全な闇へと趣を変えた。

 余計な光もなく、音もない。眠るには悪くない環境だ。

 沈黙と暗闇の中、緊張を手放した俺の身体を本格的な眠気が襲う。


 やることは相変わらず多いが、今のところいい感じに纏まっている気はする。願うことならこのまま順調に事が運んで欲しいものだ。




 俺がこの世界に突如飛ばされてから、こっちの基準で一ヶ月は経とうとしていた。


 まあその間、色々とあったと言えば色々とあったし、ヴァンの思い付きを手伝う日常の延長と言われればそうでもある。

 つまるところ俺は転移当初と変わらず、ヴァンの建国をお手伝いする日々を送っているということだな。


 ただ、その詳細は当初とは少々趣を変えてきている。

 と言うのも、ドワーフやラプカン、フェアリー、ハルピュイア、翼竜といった、ヴァンの思い付きに協力する、或いはヴァンの庇護下に入る種族と土地が増えたからだ。


 御恩と奉公――言い方は古いが、国民を庇護する国家と、その庇護を享受する国民。当然それは無償というわけにはいかない。だから、普通の国なら色々と税金がかかる。

 しかし、既に国家として出来上がっているリシュテン王国やサバル共和国ならまだしも、ここには徴収すべき税金、もっと言えば貨幣がない。


 そこで金の代替になるのが、物品と労役だ。

 守る代償に税を納めてもらう。

 あるいは、守る代償に働いてもらう。

 シンプルな話である。


 そういうことで、ラプカンのような農耕種族にはキュロッツを納めさせているし、フェアリーやハルピュイアには労役に就いてもらっているわけだな。


「おぅいハルバ! こっち方向でいいんじゃな!」

「大丈夫です! そのままお願いします!」


 ヴァンの居城から外に出て程近い場所。複数人のドワーフらがあちこちを行き来している中、そのうちの一人が声を上げる。相変わらず非常に見分けがつきにくいが、多分ホガフだろう。

 彼らは皆一様に何らかの道具を携えており、俺の指示した方角に向けて、ザックザックと岩道を掘り返したり均したりしている。


 彼らは、道の整備をしているのだ。先ほどの声は整備する方向の確認である。


 納税、または労役。ホガフたちドワーフにはその両方を負担してもらっていた。

 無論、彼らだけに重税を課している訳ではなく、その割合や負荷というものは一応俺なりにだが計算はしている。


 この一カ月間、親交を深めた種族とはそれなりに話をしていたのだが、ドワーフらは基本的に力仕事に向いているらしい。俺のイメージだと鍛冶とか建築の印象が強かったから、まあその辺りもあまり違いはなかったようだ。

 また、彼らには種族柄採掘の才能があるらしく、ヴァンに奉納されていた魔鉱石なんかもその賜物だ。

 俺には使い道がないが、魔鉱石自体の利用価値は高い。ヴァンは勿論、フィエリにも使えるし、今後外交のカードにもなり得る。あって困るものじゃない。


 そんなもんで、ドワーフらには魔鉱石による納税と、土木関係の労役を課しているわけだ。

 元々彼らは自分たちが住んでいる洞窟も自分たちで掘り進めたらしく、それの延長線上だということで労役に対しての反発はほぼ無かった。魔鉱石にしても、そもそも俺が話をする以前からヴァンを神格化して自主的に納めていた種族である、これも全く問題がなかった。


 さて。そのような土台が最低限出来上がってきたとなれば、国民の守護の次に手を出さなければいけない部分が本来は出てくる。

 つまりは、衣食住。日本で言うところの、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、というやつだ。


 これに関しては正直、俺の予想を裏切る形で上手く収まった。


 まずは、衣。

 ぶっちゃけ人間以外が大多数を占めるこの集団では、あまり意味を成さない。問題になるのは俺やフィエリぐらいだが、俺には俺ごと転移してきた自室があるし、フィエリにも見た目やサイズを気にしなければ俺の着ていない衣類を譲るくらいは容易い。

 ほかの種族に関しても同様に、彼らは彼らで自分たちでこれまで何とかしてきている。今後の拡大を考えれば何かしらの手段は講じておくべきだろうが、捕らぬ狸の皮算用になっても困る。


 続いて、食。

 これも同様。基本的に人間以外の種族は、自給自足が成立してしまっている。翼竜やハルピュイアは自前で獲物を狩っているし、ドワーフはどうやらイモ類などを栽培しているらしく。ラプカンにもキュロッツという主食があるので問題ではない。

 フェアリーは自生している果物なんかを多少食べるらしいが、基本的な動力源は魔力とのこと。聞けばこのアーガレスト地方、ひいてはブルカ山脈という立地は魔力的な知見では好立地らしく、だからこそフェアリーたちは母集団を形成せずにフラフラしていても困ることはなかったわけだ。


 最後に、住。

 言うまでもなくドワーフやラプカンには自前の住居があり、フェアリーはもともと母集団を形成しないため、住まいや巣といったものが存在しない。翼竜には翼竜の巣がある。ハルピュイアなどは多少手を入れるべきだと思うが、俺の傍で働いてくれる者についてはヴァンの洞窟があるため、然したる問題ではないだろう。


 強いて言えば、一部の者には住居を揃えるくらいは必要だろうが、正直ほとんど手を入れる場所がない、というのがフィエリとともに導き出した結論だ。そしてその住居も、今すぐ必要という訳ではない。

 そんなわけで、ドワーフたちにはヴァンの居城とドワーフやラプカンの集落への道を整えてもらっている状態だ。各拠点間の移動について、今後ずっとヴァンのお世話になるわけにもいかないから、これはこれで必要なことである。いわゆる公共事業って位置付けになるだろうな。


 無論、各種族の住居に関してずっとそのままという訳にはいかないものだから、いずれその辺りも整えるつもりではある。しかし、それらを整えるためには絶対不可欠なピースが未だ嵌まっていない。


 それがナーガと、森林地帯だ。


 そもそも現状では、国土と呼べるエリアが少な過ぎる。ヴァンの居城であるこの洞窟に加えて、ラプカンとドワーフの集落くらいなものだ。実質的にブルカ山脈はヴァンの勢力下と見ていいのだろうが、それにしたって狭い。


 アーガレスト地方は、そのほとんどが森林地帯によって構成されている。その一帯を治めているナーガとの交渉は今後避けては通れない。というか、何とかしようとちょこまか動いてはいるものの満足な結果を得られていないのが正直なところである。

 ナーガたちはトレントを従え、森林一帯を統治している。その手腕、外敵を排除出来るだけの力、そして森林という資源の宝庫。


 戦力としても欲しいが、何より森林というエリアが不可欠なのだ。


「うーん……やっぱり要るよなあ。木材とかも欲しいし……」


 今までの情報を整理したノートを眺めつつ考えを纏める。ついつい独り言が漏れ出てしまうが、脳内の構想を言葉に出す、というのは案外効果的である。抽象的な思考が言語で具現化されるからだ。

 だから俺は前職の時から、こういう独り言をちょいちょいやらかす。時と場所を選びさえすれば基本的にメリットなので、特に気にしていない。


 思考のお供に、キュロッツの切り干しをかじる。ほとんど味が付いていないが、それが逆にいい塩梅となっているので、最近は割と気に入っているアイテムの一つだ。口の寂しさを紛らわすのには丁度いい。


 このキュロッツの切り干し、料理と言えるかは微妙なところだが、製法はラプカンたちから教わった。

 彼女たちは基本的にそのまま食べるらしいが、食べきれない分はこうやって干して長期保存するそうだ。俺たちの主食にはなり得ないが、そもそもがこの洞窟を根城とする分には食糧が必要ない。今のところはこうやってオヤツ程度に嗜む分で十分だし、それが丁度いいとも言えた。


 うーむ。しかしやはり、現状では如何ともし難い。このままナーガと森林地帯以外をじわじわと治めていく長期的な手法もありっちゃありなのだが、何にせよ最終的にはあの森をどうにかせねばならない。庇護下でなくてもせめて、対等な立場での同盟的なやつでも結べれば最低限はオッケーなのだが、それがまた難しい。あのラナーナの首を縦に振らせるカードがどうしても揃わない。


「ハルバー! ハルバーーーーッ!!」

「うん? ピニー、どうした? 何かあったのか?」


 とりあえずまだ焦る段階でもないか、と思考を一段落させた頃合。各拠点との連絡役を担っているフェアリーの一人、ピニーが慌てた様子で俺のもとへと飛び込んできた。


 フェアリーは元来が楽天的な性格をしている。このように焦りを露にすることは、今までの短い付き合いの中では一回もなかった。

 ということは、それなりの事態が何かしら起こったと見るべきか。一旦思考を止め、彼女の報告を受ける態勢を整える。


「パローから連絡があって! ラプカンたちが、沢山の人間が森に向かってるの見たって! 武器とか持ってて、すごい数が居たって!!」


「何だって!?」


 マジかよ。人参食ってる場合じゃねえ。

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