第18話 気持ちの敷居

「えっいいの」

「えっいいんですか」


 思わず突いて出た言葉は、そのまま山脈に吹く風に溶けていった。

 あわせてフィエリのリアクションも飛び出す。


 そりゃそうだよ。ここで即断もらえるなんて誰も予想しちゃいなかった。


「クニっちゅうのはよう分からんが、要するにヴィニスヴィニク殿がここら一帯を治めるっつーことだろ。だったら儂らに反対する理由なぞないわな」


 さも当然であるかのようにホガフは答える。


「そういうものですか……」


 あまりにあっけらかんとした言葉に、俺はしばらく言葉を失うほかなかった。


 建国するのでよろしくね、で全てがまかり通るとは一切考えていなかったために、この答えは少々どころか大いなる想定外であった。

 そもそも、ヴァンが治めることに反対はしないという前提が仮にあるにしろ、どのような形態で、どのような統治を行うのかは一切定まっていないし、一切伝えてもいない。


 だと言うのに、一言目を発した段階で既に承諾を得られてしまった。

 ヴァンの影響力が良い意味で働いたとも言えるが、このペースでOKが出てしまったら、ナーガやトレントとの対話も超速度で進んでしまうのではないか。そんな一抹の不安が胸中を過ぎる。


 はっきり言って、まだ何も決まっていないのだ。


 精々がヴァンをトップに据えるということと、まあ彼女が上に立つなら君主制だよな、くらいにしか思考が及んでいない。周囲の地盤固めだけが先行し過ぎると、逆に余計な不和を招きかねない。


 作る作ると言っていたのにまだなのか、みたいな要望が出ないとも限らない。


 だったら先に制度なり法律なりを考えてからことを運べばいいとも思えるが、それはそれで今度は俺の知識の無さを露呈することとなる。

 なんせここには人間がほとんど居ない。俺とフィエリだけの基準で法を縛ってしまえば、多分だが高確率で軋轢を起こす。


 今のところ、ヴァンの国に住まう種族は人間以外が圧倒的に多数の見込みだ。

 完全に迎合するまではいかないまでも、彼らの生活基準や思考回路といったものを多少なり組み込んでおかなければならない。


「うん? どうした、ハルバ。これは喜ばしい結果ではないのか?」


 黙りこくってしまった俺に、ヴァンが不思議そうに声をかける。


「いや、まあ、拒否されるよりは全然マシなんだけど……」


 そう。少なくとも駄目だと言われるよりは万倍マシな結果ではある。

 しかし何と言うか、これでいいのか感が凄い。


「あ、でも……ホガフさん以外のドワーフの方はどうなんでしょうか?」

「それもそうか。ホガフさん、その辺りは……?」


 フィエリの言葉にはっと気が付く。言われて見れば尤もである。


 今ここに居るドワーフは当たり前だがホガフ一人だ。彼一人が賛同しようと、それがここに住まうドワーフたちの総意にはなり得ない。


「んん? 反対はないと思うが……一応聞いてみるか。ちょっと待ってな」


 それだけ言うと、彼は先程出てきた洞窟へいそいそと戻っていった。

 改めて見ても、小さな穴だ。ドワーフの体型に最適化されたものなのだろう。ここを潜れと言われたら、俺ではかなり厳しいと思う。フィエリやヴァンで何とか、といったところだろうか。


「おっ? おお、本当にヴィニスヴィニク殿じゃないか」

「横の人族は誰だ?」

「なんじゃあ、ホガフの戯言じゃあなかったんかい」


 程なくして。

 先程ホガフが姿を消した穴から、わらわらとドワーフたちが這い出てきた。


「うわっ」

「ひえっ」


 思わず声が漏れる。フィエリも同様だった。


 あっという間に周囲をドワーフたちに囲まれる。

 彼らは誰も彼もが小さく、そして屈強な身体つきであった。一人ひとりの威圧感はヴァンの本体に比べれば然程ではないものの、こうぐるりと囲まれては妙な緊張が走る。


「ははは、皆元気そうじゃないか」


 そんな圧力を物ともせず、ヴァンが嬉しそうに笑う。

 その気遣いをほんの少しでも人間に見せていれば、随分と違った現在は描けていたのだろうなとも思うが、わざわざそれは言うまい。藪を突くにも時と場合、そして限度があるのだ。


「ハルバとやら、も一度さっきの説明をしてくれ」

「わ、分かりました」


 少々見分けがつきにくいが、集団の中に混じるホガフの声に釣られ、俺は再度の説明を試みた。

 説明、と言っても、俺から話す言葉は至極単純なものだが。


 ドワーフたちに向けて再度、ヴァンが建国を思案している旨を伝える。間違っても思い付きだとかそういう言葉は添えない。


「なんじゃ、構わん構わん」

「儂も特には」

「別に殺されるわけでもないんじゃろ。好きにすればええ」


 返ってくる答えは、どれもこれも肯定的なものであった。

 いいのかそれで。思わず突っ込みそうになるのをどうにか堪える。


「ははは、よかったじゃないか。なあ、ハルバ?」

「そ、そっすね」


 確かに悪いことじゃない。良いことだ。

 でもなんかコレジャナイ感が凄い。

 いや多分これは俺の我侭なんだろうけどさあ。


「……それでですね。もしこのままヴァンがこの地方を治めることになった場合、色々と定めなければならない事柄があります」


 気を取り直して、俺は言葉を紡ぐ。


 ここでドワーフたちの了承を得られたとしても、それで全てが解決するわけじゃない。

 ドワーフたちの生活圏。生活様式。外敵への対応。

 分からないことも、決めなければいけないことも山積みだ。

 無論、他の種族との兼ね合いもあるが、今のところ彼ら彼女らがどういった生活を送っているのかの情報がない。様式もそうだし、文明レベルも不明だ。


 最低限の整備を進める上で、最低限の情報は聴取しておく必要があった。


「……別に今までと変わらんのじゃないのか?」


 俺の言葉に反応したのは、ホガフだった。


「別段どこかの種族と争っとるわけでもないし、儂らは今まで通り暮らせれば特に問題がない。まあ喧嘩を売られたら話は別じゃが。クニっちゅうのはそんなに複雑なんかね」


「えー……あー……」


 思わず言葉が詰まる。

 というのも、言われてみればその通りかもしれん、と思ってしまったからだ。


 彼らドワーフが、この地でどれだけの歴史を持っているのかは分からない。ただ、少なくともヴァンのことを認識し敵視をしていないこと、先程ホガフが何年ぶりかと言ったことから、そう短い期間でもないのだろう。


 その間、彼らは特段問題なく生活を営むことが出来ている。

 種族間で縄張り問題が起きているわけでもなさそうだ。


 無論、今問題が起こっていないからとて、今後起こらない保証は無い。

 国を興すとなれば、それを統制する法が必要だ。

 どこまでを領土とするかという問題は別にあるにしろ、仮に領民同士が争っているとして、じゃあ殴り合いして勝った方が正義ね、なんてのは、仮にも国家の体を成すのならば到底許容出来ない有様である。まさか異世界にハンムラビ法典を導入するわけにもいくまい。


 だが、今問題が無いのであれば、そこに今後問題を起こさないような法を被せればいいのでは? みたいな安直な考えが鎌首をもたげてくる。

 つまり、争っちゃ駄目ですよ。勝手に喧嘩したら罰しますよ。みたいなシンプルなやつでいいのでは、って感じだ。


 そして、その抑止力には最高戦力のヴァンが居る。

 古代龍種の圧力を前に暴れるような馬鹿は早々居ないだろう。


 当然、細部は詰めていく必要がある。というかそこが一番肝心だ。

 全てをヴァンの力に頼った荒療治では意味がない。


 だが、今のドワーフたちの反応を見る限り、割とどうにかなりそうな気がしてしまった。

 牙竜だとか翼竜だとかナーガだとかトレントだとか、まだまだ未解決の事案はあるんだけど。


「これは、もしかして」


 俺、深く考え過ぎ? おじさんは訝しんだ。

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