第16話 邂逅

「……まあ、近くまで行って呼べばいいだろ」

「……そうですね」


 洞窟の外に出て、歩きながらフィエリと言葉を交わす。

 結局呼び寄せる手段も何も思い付かなかったので早速行き当たりばったりである。こんなんで本当に大丈夫か。建国まで漕ぎ着けられる気が微塵もしないぞ。


 一歩外に出ると先程までは無かった、風の流れが顔を打つ。

 洞窟内ならまだしも、ここから先はマジでヴァンが命綱だ。はぐれるなんてことは絶対に避けなければならない。自ずと緊張が走る。


「ははは、そう緊張するなハルバ。手でも繋ぐか?」

「いやそれは大丈夫です」


 ヴァンの提案に、思わず神妙な顔付きでお断りを入れてしまった。

 見た目中学生の女子に手を繋いで先導される三十路のおじさん。

 うん、つらい。


「でもまあ、ありがとうな」

「なに、構わないさ」


 だが、ちょっと緊張が解れたのは事実だ。

 彼女にその気があったのかは定かではないが、ここは感謝しておこう。 


「んー……過ごしやすい気候だな。今の季節ってどうなんだろう?」


 背伸びをしながら、周囲を見渡す。

 顔に当たる風が気持ちいい。気温も程ほどで過ごしやすく、湿度も日本に比べると低い気がする。俺の体感で言うと、湿度の低い10月頭くらいな感じ。人間にとって、今の季節は良い気候に思えた。


「そろそろ夏も終わる頃合ですねぇ」


 同じように腕を天へ伸ばし、フィエリが言葉を返す。

 夏の終わりか。ということはこれから徐々に涼しく、そして寒くなっていくのだろう。

 部屋に戻れば防寒着はあるが、フィエリが居る手前あの部屋はちょっと使いにくい。いっそのこと跳躍者であることをバラしてしまえば話は早いのだろうが、それはまだちょっと憚られた。


 目に映る景色は、有り体に言って綺麗であった。


 ブルカ山脈はあまり緑の豊かな山ではないらしく、基本は岩肌だ。

 ところどころに背の低い木や草が点在している。もうちょっと深く観察すれば、虫や小動物なんかも見つけることが出来るだろう。


 視線を遠くに預ければ山脈の下、豊かに広がる緑が見えた。

 非常に深く広い、森林地帯だ。恐らく、あの森の中にナーガたちが棲んでいるのだと思われる。


 しかし、この規模だ。単一の種族だけが住まいにしているとは考えにくい。きっとヴァンが把握し切れていないだけで、様々な生物が蠢いているはずだ。恐らくトレントなどもこの森に生息しているのだろう。


「アーガレスト地方ってのは、ほぼ全部森なのか?」


 歩きがてら、軽く話題を振る。

 勿論警戒はしているが、気配もくそも分からない俺の警戒なんてきっと、何の役にも立たない。精々が足を取られないよう注意して歩くくらいである。


「こちら側はほぼ森だね。この森が切れると平野になって、更に向こうが人間の国だ。山脈の反対側はずっと丘陵が広がっている」

「ふむ」



 ヴァンの説明を聞きながら、脳内の地図に情報を書き足していく。


 人間が住まう方向、山脈から東にかけては森が広がっており、その森を抜ければ平野。更に平野を越えた向こうに人間の領土があるらしい。

 一方、開拓の進んでいない西側は丘陵。なだらかな緑が延々と続いている様を想像する。


「広さの想像が付かんな……」


 今視界に映る景色を見る限りでも、この森は相当大きい。

 しかし、具体的な面積が分からない。フィエリの描いてくれた地図で大まかな地形は把握出来たが、結局どの程度の大きさなのかが不明だ。


「フィエリ。仮にここからリシュテン王国まで行こうと思ったら、どれくらいかかるんだ?」


 なので、知ってそうな人に訊くことにする。


「んー……王国の領土まで恐らく、馬車で数日はかかります。普通に歩いていたら何日かかるか分かったものじゃないですよ」


 少々の思案の後、フィエリが口を開く。

 うーん、馬車と言われてもなあ。車や電車なら大体予測は付くんだが、馬車なんて乗ったことがない。この世界の移動手段は馬がメインなのだろうか。


「ふーむ……主な移動手段はやはり馬か?」

「そうですね。王国では翼竜を飼い慣らそうともしていますが、今のところ上手く行った話は聞いたことがないです」


 少なくともこの世界に車や電車、飛行機のようなものはなさそうだ。

 というか、電力の概念があるのかどうかすら怪しい。

 代わりといっては何だがこの世界には魔法の概念があるので、生活水準などの基準で言っても、俺の常識はきっと当て嵌まらないのだろう。


「人間とは不便なものだなあ。飛行の魔法くらい使えるようになったらどうだ?」

「それが出来るのはヴァンさんだけですよ……」


 こともなげに声を発したヴァンに、げんなりといった様子でフィエリが返す。

 人間がホイホイ空を飛んでいたら色々と困る。主に俺の精神が。


「ヴァンが凄いことは分かっちゃいるが……この世……大陸では、どういう魔法がメジャーなんだ?」


 危ないところだった。


「そうですね……基本的には、攻性魔法、防性魔法、治癒魔法、生活魔法の四種に大別されます。勿論、複数に跨っている魔法もあれば、分類されない魔法もありますが」


 俺の疑問に、フィエリが答える。

 さっきからこの図式多いな。いやまあ今の俺の情報源はフィエリしか居ないから、仕方がないことなんだろうけど。


「ほう、人間はそういう分け方をするんだね」


 フィエリの話に、ヴァンも興味深そうに頷く。

 話をしていて分かったことだが、ヴァンは基本的に好奇心が旺盛だ。無論、その食指が動く方向性は限定されているが、特に知識欲への刺激に対して敏感なところがある。

 数千年も生きているのだ、新たな知識というのはそれだけで新鮮なのかもしれない。


「じゃあ、ヴァンが俺にかけてくれた翻訳魔法なんかは、生活魔法に分類されるのかな」


 間違っても攻撃や防御に関する魔法ではないだろう。


「そう、だと思います。他言語を瞬時に翻訳する魔法なんて、聞いたことないですけどね……」


 半ば呆れを乗せた声色で、フィエリが紡ぐ。

 普通に考えて、他の言語をリアルタイムに翻訳して聞かせるなんて有り得ない。その有り得ないを力技で解決してしまっているのが魔法でありヴァンという存在である。つくづく規格外が過ぎる。


 そのお陰で俺はこうやってフィエリやヴァンと話が出来ているのだが。

 もう全部こいつ一人でいいんじゃないかな。


 全てを投げ出してそう考えてしまうくらい、ヴァンの力は異質だ。そんな超常の存在と仮初とはいえ対等に話を出来ているのだから、世の中どう転ぶか本当に分からんものである。

 まあそれを言い出したら俺がこんなところに居るのが既に相当オカシイのだが。


「となると、飛行の魔法っていうのも」

「普通は無理です。制御と維持がとんでもなく難しいらしいんですよ。私も飛行魔法を使える人は数えるほどしか知りません」

「人間の魔法は遅れているね。飛行魔法すら満足に扱えないとは」


 やれやれといった様相でヴァンが零す。

 多分、やれやれと言いたいのはフィエリの方だろう。


 もう何度驚かされたか分からないが、ヴァンの尺度がとにかく人間と違い過ぎる。そりゃ最強なわけだよ。誰が勝てるってんだこんな化け物に。



「……さて。そろそろドワーフたちの生活圏内のはずだが……」


 そう言って、ヴァンは足を止める。


 体感で言うと、歩き始めて30分程度、といったところだろうか。

 魔法の薀蓄を聞きながら歩いていたからか、意外と疲労感がない。


 改めて周囲を見渡してみると確かに山脈の道中ではあるのだが、幾つか小さめの、洞窟の入口のようなものが点在していた。

 あくまで俺の知識でしかないが、ドワーフと言えば鉱山や地下を根城にしているパターンが多い。具体的にどういう生活様式なのかは知る由もないが、そこはまあ会えば分かるだろう。多分。


「……呼びかけてみるか?」

「いや、その必要はないようだね」


 人影一つ見当たらない山脈の中腹。

 とりあえずの手段を提案してみる俺だが、その言葉はヴァンによってすぐさま遮られた。


 点在している洞窟の入口。

 その一つから、ずんぐりとした体型の小さな男が顔を覗かせ。


「……おん? おお、ヴィニスヴィニク殿。久しいですな」


 地を這うような低い声を響かせて、姿を現した。

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