第10話 少女フィエリ

「……ここに……残ります……」


 俯いたまま動かない少女。

 ボロ布と言って差し支えない、粗末な衣装に身を包んだ彼女は、消え入りそうな声でそう呟いた。


「なんだ嬢ちゃん、随分と物好きじゃないか」


 その声を目聡く拾った男が、少女に向けてやや蔑んだ目線と口調で言葉を放つ。まあ気持ちは分からんでもない。誰がこんな訳の分からない場所で訳の分からない奴を相手に残りたいと思うのか。

 本当にこれヴァンの人攫いが悪手過ぎるでしょ。出会ったばかりではあるが、今後の雲行きが早速妖しくなってきたぞ。こんな調子で健全な建国まで漕ぎ着けられるかどうか。おじさん早くも投げ出しちゃいそうです。


「…………」


 男の言葉に少女が応えることはなく。

 再び場は沈黙に支配されていた。


「えーっと……それじゃあ一名を除いて帰還を希望するということで。ヴァン、いいよな?」


 その沈黙を回答が出揃ったものと捉え、俺は再度言葉を投げ掛けた。

 見渡す限り、反対意見は無いようだ。皆一様に俺の方へ視線を投げかけており、中には勢いよく頷いている者も居る。

 そりゃまあいきなりこんな洞窟に連れ去られて帰りたくないって人はいないだろう。居るとしたらそれは相当な物好きか、相当な事情持ちだ。俺としても相手にするのならまだ前者の方がマシなんだけどな。殺人犯とかに残られても流石に困る。


 俯いたままの少女に、どんな事情があるのか俺には分からない。少なくとも喜んでここに残る、といった塩梅ではなさそうだが、それをこの場で根掘り葉掘り聞いても仕方がない。

 残る予定の彼女から、国家樹立に関する知見が得られるかどうかってのは正直期待薄ではある。ただまあこの世界の常識やらなんやらを聞けそうだ、というだけでも今は十分としておこう。最悪、彼女の気が変わったらその時はその時で返せばいいだけだと思うし。


 今回は出だしからヴァンが悪いのだ。送迎くらいはするべきだろう。


「むう……もう少し残ってくれてもいいではないか」

「いやそれは無理筋ってもんでしょ」


 ヴァンが明らかに不貞腐れている。


 一応、と言うと聞こえが悪いが、古代龍種という頂点の存在なのだから、そんな小さい我がままを発揮しないで欲しい。そもそも一方的に攫ってきてお話しましょう! なんてどのご時世でも漏れなくアウトに決まっている。


 多分、ヴァンには発想力もあるし絶対的な力もあるのだろう。しかし、人間社会の機微については全くの門外漢だ。この有様で国を作るとはよく言ったものである。


 これ、割と責任重大では? おじさんは訝しんだ。


「我ながらいい案だと思ったんだが……」

「発想は悪くないと思う。発想は、だけど」


 分からないことを分かりそうなやつに聞く。その発想自体は至極正しい。

 ただし、その目的に至るまでの手段が全てを台無しにしていた。


「うん……少々勿体無い気はするが、ハルバが言うならきっとそうなんだろうね。じゃあ、まとめて転移させてしまうか」

「待ってそんなことも出来んの?」


 思わず勢いよくヴァンの方へ振り向く。

 転移て。マジでなんでもアリだな魔法ってのは。


「出来るぞ? というか我ら龍族にとって基本だぞ、転移は」

「さいですか……」


 転移が基本ってどういうことだよ。本当にこの世界の基準が分からない。

 そんなものが普及していたら公共交通機関とか要らないだろうし、現代社会で一大勢力を誇っている産業の一つが消える破目になるぞ。この世界の交通網って一体どうなってんだろうな。


 それも、残る意思を示した少女に聞けば分かるだろうか。頼むからそろそろこの世界に関する情報が欲しいところだ。


「じゃあ、その人間以外を元の国に転移させるとしよう」

「うん、よろしく頼……」


 周りが一瞬青白い光に包まれたと思った次の瞬間には、一人の女の子以外は見る影もなく。この場から綺麗サッパリ消えていた。


「早いな……」

「君が返せと言ったんだろう」

「そりゃそうだけどさ」


 転移ってこんな気軽に出来るものなんだね。おじさん感激。


「…………」


 さて。

 これでこの場に残ったのは、俺と、ヴァンと、少女の三人だけだ。


 見た感じ、年の頃は15~17、と言ったところだろうか。

 きっちり並べて比べたわけではないので確信までは持てないが、見た目としてはヴァンの人間体よりも少しばかり年上に見える。と言っても、俺からしたら五十歩百歩の少女ではあるんだが。


 貧相な服装も相俟って、肩口辺りで綺麗に切り揃えられた銀髪、やや色素の薄い翡翠色の瞳は、少々儚げな雰囲気を醸し出す。全体的にスレンダーな印象を与える容姿だが、さてこの姿は生来のものか、痩せてしまったものなのか。


 しかし、仮に身をやつした者、と言うには髪といい肌といい、十分に整い過ぎているようにも思えた。これは別に俺がそういう知識を持っているってわけじゃなく、先程までここに居た人間たちと比べて、明らかに綺麗だったからだ。


 うーむ。これはやはりワケアリ、というやつだろうか。


 あまりよくない予想ではあるが、ただでさえ訳の分からない事態に巻き込まれている最中、更なる渦中に首を突っ込むことは、出来れば避けたい。


「さて。さっきも伝えたと思うけど、何も命を奪おうと思っているわけじゃないんだ。やり方は強引だったと思うけどね……」

「…………はい……」


 出来る限り優しい口調で話しかけてみるものの、少女の反応は薄い。

 返事はしてくれているから、無視されるよりはマシなんだが、どうやって話を進めればいいものか。


「えっと、そうだな……俺の名前は春場。春場直樹。で、横に居るのがヴァン」

「うん、我がヴァン・ヴァルテール・ヴィニスヴィニクだ」

「……フィエリ。フィエリ・ディ・ファステグント、です……」


 話が膨らまないので、とりあえずの自己紹介を済ませておく。

 だがまたしても、そこで会話が止まってしまった。


 何というかこの子、容姿は整っているが目に光がない。

 疲れている、と表現するには少し違う。どちらかと言えば、絶望している、という表現が一番近いものになるだろう。


 仕事柄、人の表情や声の調子というものにはついつい敏感になってしまう。俺の基準から言えば、彼女はかなり重症だ。激務薄給で忙殺されまくったブラック企業に勤めるサラリーマンより輝きが無い。


「……それで」


 会話の糸口を掴めないまま悶々としていると彼女、フィエリの方から話しかけてきた。


「私は、何をすればいいのでしょう……身の回りのお世話ですか……? そ、それとも……あの……よっ夜伽のお相手、でしゅかッ?」


「待って。ステイ。待って」


 絶望と恐怖に染まった表情でトンデモ発言をするんじゃない。

 おじさんびっくりするでしょうが。

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