ひとりたつ
暗闇が恐ろしかった。だから明かりを灯していた。一人でいるのが恐ろしかった。だから明かりを灯していた。
自分にあるのはそればかり。目が利かなくなってしまう夜を、耐え
夜を恐れているのに、誰かと一緒にいられるのは、いつも夜だった。
けれど、自分の体は、いつまで経っても冷たかった。きっと半分は、内側は、
温かな日々の黄を忘れ、冷たさだけが残った青。それを映した炎など、思えば誰も惹きつけはしない。寒々しくて、陰鬱で、夜の中では不気味なばかり。だというのに、いや、だからこそか。さみしいと泣き暮らしていたこの身は、いつの間にか、温めようとやって来た者たちに囲まれていた。
柳の下に、夜を越して朝を待てる家ができた。恐れる必要のない昼間は、川へ釣り糸を垂らして過ごせるようになった。穏やかだった。
それが――踏み
生きているのか、死んでいるのか。生きながら死んでいるのか、死にながら生きているのか。わからない。わからなかった。ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる。地の底へ落ちることも、この地を離れることもできず、
青く空ろな光があった。蒼く虚ろな光があった。それだけだった。光はただ照らすだけ。あたたかくもなければ、何かを燃やす音もしない。照らすだけ、なくなったものを暴くだけ。ここに、熱を抱いて生きるものなど無いと、明らかにするだけ。それでは冷たくて、寒いばかりだから、虚像の中にものを詰め重ねた。火を燃え続かせられるように、たくさんの葉を敷き詰めた。
五井は生きている。小は生きている。大は生きている。中は生きている。白は生きている。亜麻は生きている。黒は生きている。紫は生きている。
そうやって重ね続ければ、ほら。虚像だって実像になる。かつての日々が戻ってくる。夜を恐れる必要も、ひとりを恐れる必要もない。だってみんなここにある。新しく作った正気を保って、貫き続ければ、この夢だって
夢? 幻? いいえ、何を言っているのやら。ずっと目を開いているのだから、ずっと
喜びを描く。怒りを描く。哀しみを描く。楽しみを描く。描いた絵を
覚めることなき夢を、冷めることなき春を。火は燃え続け、陽は照り続ける。暗夜など来ない、あるのは白昼だけ。雨など降らない、空はいつでも晴れている。
青く染める。染め直す。いつだって美しい青色の日々。生者だけが見上げられる
『散りゆく夢幻より
鳴き
真っ蒼な
どうして奪うのだ。どうして暴き出すのだ。虚言ばかりを吐き続けた口から、泣き叫ぶ声が
ない、ない、なんにもない。
お前はひとりだと、それだけを突き付ける夜の中へ、足を踏み出せというのか。……ああ、でも、そうか。一歩ずつ、怯えながら進む必要なんてない。踏み外して落ちてしまえば、嫌でも夜に呑んでもらえる。
百花吹雪の形をした、永日の終わり。その最中で、こちらを指し示すきらめきが見えた。花と同じ色をした目で、しかとこちらを見つめながら、向けられた得物の切っ先。
わたしのことを暴き立てた、あなた。わたしに終わりをもたらした、あなた。美しい花々に囲われた、あなたのなまえはなんでしたっけ。
青に
かろうじて握りしめていたはずの、底の底に残っていた本当も、うつろな炎と消えていく。絶った
***
狐火が消えて、鷺の火が消えて、牡丹の花も消えて。残る明かりは月と、花楼最上階に灯された光のみ。
暗さが増した屋根の上、芳親は片膝をついた。杖のように突き立てた刀に縋り、肩で大きく息をする。全身が沸騰したかのように熱く、少しでも力んだらどこかに裂傷ができ、血が
風晶がただ、立ちはだかるだけの壁で良かったと、心から安堵する。そうでなかったら、牡丹の
今こうして、呑気に休息を取っていられるのも、そのお陰。風纏う鬼がこちらを抹殺する気であれば、蒼炎を消した直後にでも、首を獲られていたに違いない。
「そうまでして、青鷺を解き放ってやりたかったのか、境田の芳親。いずれ消える炎だったというのに」
情など窺えず、けれど深い色をした声が問いかけてくる。芳親は首を横に振った。そんな風に評されることでは、なかった。
「……っ、解き放ったんじゃ、ない……邪魔だから、消した」
現世に合わせ戻った声で吐く言葉が、血に塗れているのではないかと錯覚する。邪魔だから消した。その通りだ。あの蒼炎にくべられていた想念を知りながら、自分の望みを叶えるために、青鷺の悲願を打ち払った。
消える蒼炎に、最後、崩れていく青鷺の姿を見た。彼を追い崩れ落ちていく、いくつもの影を見た。時間を割けば、青鷺にその声を聞かせてやれるはずだった。禁術で魂を縛られても、その呪縛から解き放たれても、変わらず傍にいると叫んでいた声を。
それを、何一つ。真っ暗闇へ落ちていった
笑みとなって表れ
だが、その解明は今でなくてもいい。いま奮い起こすべきは戦意。紛糾飛び交う内側を黙らせ、芳親は目を開く。
「亡者を捨てて、切り札も使い捨てて、
「最初に、もう、答え、た」
危機に晒された友を、助けに行く。
ぎらつきながら
「時間稼ぎか、産形の」
変わらない鬼の声に返答はなく、次から次へと苦無の群れが飛来する。蒼炎が消えても、まだ紀定は陰に潜み、気配の在り処も判然とさせていない。
持ち手の姿が見えないまま、
「……いや、違う。そうか」
作業のように苦無を払い続けていた風晶が、不意に眉を
森閑を
「
瞳が濁った原因を察し、
放たれても尽きず、振り払われた際の音はしても、落下音は響かせなかった苦無。その正体も自ずと察せられた。一部の苦無を除いて、これらは影から生じたものだ。
大量の苦無を生じさせるのに加え、紀定の生気が乏しくなっている原因は、産形家が誇る
己という個を薄れさせ、自在に動き回ることで相手を
影を支配下に置くことで、その場一体の主となる麗部の深影があれば、自我を失うことなく安定して撹乱を行える。しかし、今の紀定には、支えとなる直武がいない。精神崩壊の危機、長じれば命すら脅かされる危険と隣り合わせになりながら、鬼を相手取っているのだ。声を発さないのも、無事戻ってくるために、極限の集中を要しているからに他ならない。
変わらず、飛来する苦無を風刃や金棒で振り払いながら、風晶は内心で感嘆していた。直武という
「……ああ、だが。既に境田のが命を懸けた。ならば、応えぬ道理はあるまい」
察せられた動機、心意気に。
芳親にも言ったことだが。千に届くほどの時間、腕を鈍らせず磨き続けた風晶と、駆け出しの若人たちには天地ほどの差がある。風晶が雷雅を憎悪し、逆らえなくても極力従わない姿勢を取っていなければ、とっくに二人とも葬れているほどに。
風晶が本気でなくとも、指示という背景がある限り、乗り越え難い障壁にはなる。それを、何が何でも突破しなければならないのなら、全力を奮わなければなるまい。命を懸けることになってでも。
引き続き、影の中に核である紀定を探しながら、風刃と金棒で苦無に応戦する鬼。月下、蒼炎が退場した屋根上の舞台で、影と風が踊る。
その舞台袖――鬼の知らない死角のさらに裏、芳親の足元で、音もなく開く花があった。
青鷺を叩き落とした、吹雪と散った百花の名残。巨大な城壁として展開されたその欠片は、叩きつけられた暴風をまだ覚えている、保存している。芳親は休息を挟みながらも、確実に布石を打っていた。
詠唱は不要。ただ、間隙を
不動のまま、扉を守っていた風晶が、
撹乱が目的という前提がある以上、仮に苦無が設置されていたとしても、大した威力はない。群れを成して飛んできた苦無を
だからこその、回避の一手。だが、それは道の始まり。針先で開けたが如きでも、穴が空いたことに変わりはない。
鬼めがけて集う苦無が、止まる。既に
道が開き作られていくのとほぼ同時、開花の前線を追尾して、芳親は一陣の突風となる。その勢いを生んだのは、足裏で開花するとともに、受けた暴風の威力を吐き出した牡丹。
咲き示された花の軌道。他者の術を御し身を守る軌条。爆風を用いて一矢となった芳親は、飛び散る花びらと白銀の残像を置き去りにして、花楼内部へと吸い込まれた。
さすがの風晶も、芳親が何をしたのか把握できないまま、
「……何ともまあ、奇抜なことをしてくれたものだな」
呆然と、しばらく動きを停止していた風晶は、理解するとともに言葉を
「開けた時に、術で強化した糸でも仕込んでいたか。それを内部から引けば、扉も閉められよう」
振り返りながら問う風晶に、片手をついた紀定は答えない。答えられるような状態ではなかった。戻ってきた自己の把握に追われていたために。
もう片方の手で顔を覆いながら、紀定は己を形成していた欠片を、一つずつ当て
「
「喜びの享受も、発露もままならなくなったことに加え、怨敵の
「……それは、どうも」
喉が震え、発された声も自分のものだと確かめながら、紀定は顔を上げた。風晶は不用意に距離を縮め切ることなく、間合いを保った場所に腰を下ろしていた。
「さて、ここで言うのも心苦しいが。お前たちの目的にあるだろうもう一つ、直武の所在も教えておこう。あれは、ここにはいない。我々が
「……ご無事では、あるのですね」
「ああ。
ただ事実を告げる淡白な声が、巡り始めた紀定の頭へ、するりと入り込んでくる。
「隔離場所を変更したのは、育ててきた呪詛の持ち主が目覚めるにあたって、連鎖して直武の呪詛が活発化するのを防ぐためと言っていた。
自我を順調に取り戻しながらも、疲労に逆らえず
「事が終われば再会も叶う。休んでおくといい」
いずれ主と相討ちになる存在への恨みは、簡素なねぎらいの言葉と、蓄積した疲労に追いやられていく。再び大きく吐いた息が、過度に達しそうな情を排してくれた。
風晶と向き合うことはなく、かといって背を向けることはせず、紀定もまた座り直す。風もなく、無音となった屋根の上。さらに上では、まだ沈まない二つの月が君臨している。見飽きたそれが白日へ変わるようにと、紀定は脳裏に浮かぶ背を押した。銀糸を
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