かえることは、なく

 狐を囚えた大蜘蛛は、壁を打ち破って外界に身を躍らせる。途端、中庭に鮮紅の小雨がぱらぱらと降り、ぐしゃりと落ちた狐の下には血溜まりができた。

 浮世を忘れさせる、おぼろな春の夜を思わせる三楼は、どこも青い怪火を宿している。不気味な光が注がれる中庭、緑が溶けて深く沈むような中庭に、狐の白と紅がぼうと浮かび上がっている。


「ぐ、ぅ……ぁ、あ……」


 既に血が失われすぎて、狐の意識は朦朧もうろうとしていた。それでも怒り憎しみは消えずに燻っている。なおも体を動かそうとする。

 ぎらつく蜂蜜の双眸が見据えるは、九重の楼閣。今やこの最上階だけが、春の温かな光を灯している。奇しくもそれは、狐が夢見た鬼の眼と同じ黄金こがね


「あ、ぁ、あ」


 あの鬼はきっと、見ている。今も見ている。ならば美しく在らなければ。綺麗な姿でいなければ。

 ぶるり、蜘蛛に囚われた巨躯が震えて、見る間に小さくなっていく。けれど傷が癒えるはずはなく、痛ましい女が横たわっただけの、無惨な景色ができあがった。仕上がらなかった花魁姿はさらに落ちぶれ、白銀に朱紅を交えた髪は流れるままになって。それでも狐は、女は上を見ていた。積年の想いが焦げついて消えない身体を見せつけるように、仰け反って。

 小さくなったことにより、蜘蛛の拘束から逃れもできたため、女は衣を引きずりながら、膝を使って前進する。かすみがかった頭で、ただ一人を想って。ただ一人を憎んで。


 ぞぶり。


 遠く鈍い痛みがしても、狐は振り返らない。右腕が新手の蜘蛛に斬られていた。

 また、ぞぶり。左腕が別の蜘蛛に斬られていた。鮮血に濡れた肌が、また白さを増す。

 ぞぶり、ばたり。右腿ごと足を取られて倒れ伏す。草の青臭さに塗れて、赤黒く変わった土に汚れを移されて、それでもずりずり這い進む。

 ぞぶ、り。もう痛みなど感じぬだろうと、ゆっくり左腿も奪われる。蜘蛛は四体に増えていた。四つの影が、芋虫のようになった女を囲っていた。それでも狐は上を見ている。春の夢をまだ望んでいる。それしか見えていないのだから。それしか見えなくなったのだから。


「四肢をもがれてもまだ生き抜くしぶとさ、いやはや天晴と称賛する他ございません」


 音もなく、五つめの影が、狐の前に立ち塞がった。男か女か分からない声に、暗く赤黒い長袴の裾。顔を見ずとも、見えずとも誰かは知れた。


「しかし、えぇ、しかしながら……封じられた時が長すぎましたねェ……ンフフフ、残念。伝説にものし上げられたアナタの輝き、ぜひ見てみたかったものです。まあアナタの屍と恨み辛みが手に入ればそれで良いのでどうでもよろしいのですがァッハハハハ!」


 狂った口調を聞き流す狐の視界は、既に新月。けれど幻の朧月が浮かんでいる。優しい黄金の朧月。身をとろかす甘い夢。封じられて眠る間も忘れられず、焦がれ続けた至上の光。


「ねぇ、アナタ。落ちぶれて煤けて、それどころか汚れたアナタ。見窄らしくて卑しいアナタ。悔しいでしょう、恥ずかしいでしょう……そして何より、憎いでしょう?」


 カッ、と鮮紅が蘇る。視界が真っ赤に染まっていく。ああ、そうだ、憎い。憎い憎い憎い。私ではない別の女が、あの夢に居座っていることが。あの光を、一身に注がれていることが。


「ええ、ええ、ええ! 憎いでしょう憎いでしょう! そんなに痛いのだって、そんなに汚れてしまったのだって、ぜェェんぶ一人の女のせい! ほら、このように」


 背後から刺突が胴を貫く。途端、今までの痛みが次々に去来した。


「ァ……ァアアアァァァ!?!!」


 最初にもたらされた貫通の激痛。

 鈍く遠かったはずの右腕の鈍痛。

 気にならなかったはずの左腕の疼痛。

 倒れる衝撃と一緒の右腿の鋭痛。

 ゆっくり襲い来る左腿の苦痛。

 痛み、痛み、痛み、痛み、痛み、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたい――!!!


「ああ、ああ。痛いでしょう、辛いでしょう、苦しいでしょう。可哀想に、可哀想に」

「……ぃ、た、い……」

「ァハハ、そうでしょうとも。痛いでしょうとも。でも、それはね……すべて、花居志乃という妖雛、のうのうと他を踏み潰して生きてきた小娘のせいなんですよ。あの小娘さえいなければ、ね? アナタはこんな目に遭わなかったんですよ?」


 黄金の朧月は掻き消えて、甘い紫煙がまとわりつく。青みがかった夜の中、赤染めの地へ落とされた女の胸に、薪が焚べられていく。

 花居志乃、花居志乃。消すべき女、殺すべき女。ゆるさない、ゆるさない。引き裂かなければ。喰い破らなければ。痕跡一つたりとも残さず消し去ってやる。ゆるさないゆるさないゆるさない――!


「ね、ね。殺してしまいましょう。殺せなくとも、ずうっと呪ってやりましょう。アナタならそれができるのですから」


 蒼白い炎が満たす外。唯一赤く塗られた庭に、私怨が燃えて紫煙が重なる。白などとうに失い、煤けて薄汚れた女が唸る。ゆるさない、ゆるさない。呪ってやる、呪ってやる。我が力の全てを賭してでも。我が身の全てを懸けてでも。


「ンフフ、ええ、ええ。アナタの想いは至上の呪い。ワタクシが集めてきた怨恨の中でも、とびきり強くて消えない源。故にこそ――最後のにえに据えていたのです」


 ぴたり――渦巻く怨念が、止まった。

 贄。贄と言われたのか、この私が? 強く美しく有り続けたこの身が、贄だと?

 真っ黒で役立たず、塞がってしまった視界の代わりに、澄まされた耳がけたたましい狂笑を拾う。逃げることなどさせまいと、声が叩きつけられる。


「ァハ、アハハハハ! そうですよォ、アナタもまた贄、肥料。最初っからそのつもりで封を解いたのですから。もちろん途中で気取られないよう幻惑のあれそれを張り巡らせて馴染ませてアナタを盲目にしてはいたのですが……ね、佳饌かせんになった気分はいかがですか? 糧にされる気分は初めてでしょう?」


 ケタケタケタ、きゃらきゃらきゃら。楽しそうな嘲笑は、喧しく明瞭に、言葉を織り重ねていく。


「アナタのことなんて誰も見ていないんですよ、めくらの駄獣。見窄らしいアナタ、溝鼠どぶねずみの如きアナタ……アァ窮鼠は猫も噛めると言いますがそんな余力も残っていない。見窄らしい娘が見初められる寓話もありますがアナタのことなんてだァれも見つけてくれない! そんなアナタを視界に入れるだけで……ンフフ、ァハ失礼おかしくって!」


 ばきり。

 骨が折れた音。けれど痛みはやって来ない。それならきっと、心の音だ。煤けた身を嗤われ、疎まれ、蔑まれていた頃に割れた心の。美しい男に癒やしてもらったはずなのに、また砕けてしまっている。

 きゅるきゅるきゅる。一人で狂騒を演じる鬼の声が響く。かと思えば、不意にまた静かな口調で紡ぐ。


「でも、それはね。やっぱり花居志乃のせいなんですよ。雷雅殿はアナタという花を忘れて、新しい花ばかり見ている。見られているのはずーっと、これまでもこれからもずーっと花居志乃!」


 忌々しい名が繰り返される。惨酷な現実が突き付けられる。嫉妬が増す、憎悪が増す、憤怒がまたも沸き起こる。


「あの花が愛でられる籠の外、忘れ去られたアナタは踏み躙られて、ゆっくりゆっくりき潰されて、惨めに汚く死ぬんです。ほら、許せないでしょう? 誰とも知らぬ小娘が、何にも知らない顔をして、へらへら笑って、アナタの大切なものを奪っていくのは」


 早まったり遅くなったり、けれど言葉は鮮明に、毒の鬼は薪を焚べる。ささやいて、惑わせて、最後の一欠片を丁寧に擦り潰す。


 べきり、ばきり。ぎちり、ぎちり。


 服も肌も、臓物も骨も。細かく引き裂き引き千切り、ばらばらにして分担する。けれど意識はまだ残す。残っていないと憤らない。恨まない。憎まない。ありとあらゆる負の感情を集められない。

 最後の一滴が滲み落ちるまで、ねじり上げて、絞り上げて。余すことなく収めなければ。壺の中へとしたたらせねば。これは至上の捧げ物。毛の一筋まで無駄にはできぬ。


 ごりごりごり、ごりごりごり。ずりずりずり、ずりずりずり。


 擦り潰す、挽き潰す。さながら石臼を回すように。痛みはそのまま意識に繋げて。頑丈で強い精神だから、そう簡単には潰れまい。詰め込めるだけたくさん詰めて、怨恨の炉心を形作る。

 今にも焼き切れそうな意識を、ぎりぎりまで保たせて。途切れることなど許さないで。喧しい声が枯れるまで、枯れてもまだまだ詰められる。


 切り離したものが済むと、ちょうど子の刻がやって来た。花になれなかった未完成の装いごと、煤けた獣は夢幻ごと砕かれて、胸から上だけが残っている。意識もまだ残されていた。心臓も脳もしぶとく生かされ、気絶もできないまま、苦痛屈辱を絶え間なく伝達する。

 食い荒らされた勝者の虫。最初に残すと決められて、敗者に成り果てた最後の供物。向けられてきた数多の呪いと、自分が抱いた盲信の呪いで、さなぎの中は泥のまま。羽化などできるはずもなく、知らぬ間にすすられて、跡形もなく呑み干される。

 じわりじわり、潰して挽いて。びちゃりびちゃり、染み込ませて。元より呪いを撒き散らし、また多方から受け止めて、反動も物にしてきた体。丁寧にしていったなら、呪詛は溶け合い大きくなる。

 そうして、最後の呪詛が染み渡った。奪い痛めつけ栄えた者が、奪われ踏まれ貶められて生まれた呪い。潰された数多の命が間際に残し、死後も残って重なり続けた怨念。ぎっしりと濃くて重い呪いは、土を通して下へ、下へ。


 ああ、ああ。どうして、どうして。くるしい。いたい。くるしい。いたい。いたい、いたい、いたい、いたい。ゆるせない。ゆるせない。ゆるせない。ゆるせない。

 あの女のせいで、私はこんなにもつらいめに遭っている。くるしい。いたい。ゆるせない。のろってやる、のろってやる。この苦痛を、屈辱を、憤怒を、絶望を、知らぬなどと言わせぬ。刻みつけてくれる。二度と忘れられぬように。忘れることなど、決して――。




 ――そう、決して。

 忘れることなど、ゆるさない。


 ■


 二つの怪火に導かれ、芳親と紀定はついに屋外へと脱出した。寒く冷たい怪火に囲まれているのは変わらないが、踏み出したのは瓦屋根の上。確かに外へと出られている。


「……、……ここ……花楼じゃ、ない」


 前方に楼閣を捉えた芳親が、訝しげに零した。二人が出たのは渡り廊下の屋根上、しかも湯楼から花楼に向かう形となっている。いつの間にか花楼を出て、湯楼を経由し、迷路を脱したようだ。


「まさか湯楼まで迷路と化しているとは……いえ、忘花楼全体がそうなのかもしれませんね。どこも青一色ですし」


 芳親の後ろで紀定が左右を確認するが、どちらも怪火の壁で阻まれている。忘花楼が現在どんな状態に陥っているかは不明だが、ひとまず目の前にそびえる花楼上階は、特に変わりないようだった。志乃がいるだろう九階に至っては、暖かな光を灯している。

 完全に無関係な働き手たちの安否も気になるところだが、二人とも、無事は確保されているだろうと予測していた。というのも、白雨が一週間に一回の頻度で避難訓練を実施、さらには緊急事態への対処を記した冊子も配布していたので。

 もちろん、働き手だった芳親と紀定も訓練に参加し、冊子にも目を通していた。経営面を含め、白雨が持つ統率能力の一端を知れる情報でもあったのだが、今は二人とも複雑な気分でいる。討伐すべき相手だが、優秀な能力者なのは間違いない。加えて、あの蜘蛛が引き起こした惨劇を思えば、その苦しみを味わわせたくはなかった。


「……それにしても、膳立てをされているようですね。左右は炎に挟まれ、後ろは迷路。前にしか進ませないという意図が見えます」

「同感」


 注意深く周囲を見回しつつも、二人はゆっくり足を進める。先導の怪火たちは素早さを潜め、同じくゆっくり、ふよふよ漂っていた。

 行く先にあるのは、花楼三階の外廊下。渡り廊下を進んだなら二階に通じているが、いま伝っているのは屋根のため、一つ上の階に通じている。


「――ああ、お越しになられましたか」


 半ばまで進んだ所で、不意に声がしたかと思うと、花楼からするり人影が現れる。影は勿体ぶらずにスタスタと歩き、距離を置いて止まった。


「こんばんは。お久しぶりですね、芳親殿に紀定殿。うちの五井としょうがお世話になりました」


 怪火に照らし出されたのは、ひょろりと背が高く、青みがかった鈍色の着物を着た男。白と紺青の奇抜な色をした跳ね髪に、薄黄の目を持つ男。

 初めて会った時の、芝居がかった騒々しさが嘘のような静けさを纏って、青柳亭青鷺が立っていた。


「……この怪火は、青鷺の、なの?」

「ええ、そうです。忘花楼の照明は、我ら青柳座が……いえ、あっしが担っておりましたので」


 単刀直入な芳親の問いに、青鷺も即答で返す。喜怒哀楽が抜け落ちた、抜け殻の愛想笑いをして。


「あっしが迎えに来たと申しても、信じていただけないでしょうね。思念が炎を伝って、いつぞやの記憶を覗かせてしまったようで。いやはや失礼いたしました」

「……どういう、こと、なの」

「見た通りですよ。白雨が封じられる契機となった、千年ほど前の蹂躙。その中に、あっしの仲間たちも巻き込まれ、食い殺されたのです」


 答える青鷺の声は、静かを通り越して虚ろ。浮かべる微笑もいよいよ仮面めいている。


「お二方があっしの年季や、五井と小の正体を見抜けなかったのは、火を通して幻術を展開していたゆえ。何せ忘花楼が建設された時から展開しておりますのでねぇ、馴染んで、もはや真実まことの域に達しておりました。お二方でなくとも、見破るのは困難だったかと思いますよ。白雨に至っては、利毒の香で感覚を鈍らされていましたし」

「……けど。会った時は、提灯以外に……火なんて」

「そりゃあ、あの時はあっしだけに術を使えば良かっただけですから。先も申しましたでしょう、あっしは千年ほど前からいるんです。いつわあざむくはお手の物どころか、それが普通ですらあった。例えるなら、余所行きの着物をずーっと着ていた、みたいな感じでしょうかね」


 青鷺の口は、驚くほど滑らかに回っていた。言葉の一つ一つも明朗。器用に羽織を着込んで、仰々しくも美しい身振りで語る。

 だが、噺家もかくやの語りや身振りは、かえって青鷺の空虚さを際立たせていた。笑っているのに、生きているのに、付き従う影が奈落の深奥を覗かせる。


「狂っているとお思いですか。あっしもそう思います。けど、色んな物事に長く嘘を積み重ね、隠し通してきたもんですから、抱いていたのだろう目的も、すっかり忘れてしまいました。哀しい辛い苦しいと思っていたかもしれませんが、それだって忘れちまいました」

「……利毒を、阻止、するって……いうのは」

「ああ、それはありますよ。でも、それはつい最近の目的なんです。つい最近、我が家族を食らい尽くした害獣が出たと言うんで、雷雅様に乗らせていただいた形になります。ま、復讐するほどの憎悪なんて、最初から無かったんですが」


 すとん。糸が切れたように、青鷺の動きが止まる。声の覆いも、笑みの仮面も抜け落ちる。

 あらわになった青鷺の姿はには、どこにも、何も浮かんでいなかった。青い怪火に照らされて、蒼い影だけが落ちていた。


「どうやらね。あっしは相当きちまったようで。昔の記憶も朧気なんです。哀しみも怒りも覚えないまま、すっかり空っぽになったらしいんです。なんで、復讐やら何やらは全く考えなかったし、今も考えてなんざいません。どうだっていいんです。もう、あれも死んだことですし。ずいぶん惨めに死にましたよ。ただ、しばらくやかましくて、利毒も散らかしてましたから、お二方には少しお待ちいただきましたが」


 つらつらと、歯切れの良さは変わらない。しかしそれが、いっそう青鷺の虚無を突きつけ暴き立てる。

 言葉を連ね終えるなり、さっ、と青鷺は扇子を振るった。途端、二人から見て左にあった怪火の壁が消え、青い火明かりに満ちた忘花楼の全容が現れる。青い光は中庭へ注がれ、赤黒い血まみれの一角を明らかにしている。

 赤黒の中央には、こんもりと土が盛られていた。それを囲うように四匹の蜘蛛が並び、花楼を正面に仰ぐ場所には、見覚えのある鬼の横姿が見えている。二人の視線を察してか、角に引っ掛け衣をかづいた鬼は振り返って、ニタリと笑った。


「利毒……!」


 紀定の呟きと同時に、芳親が手を持ち上げて牡丹を咲かそうとする。が、突如として上から落ちてくるものがあった。ズンッ、と重たい音を立てて着地したそれは、利毒を遮り立ち塞がる。


「悪いが、それは阻止させてもらう」


 身の丈と同じ程の、巨大な金棒を携えて、新たに来襲したのは風晶だった。同時に、ほとんど無風だった中、風が巡り始める。自然と澱みは解消されて、芳親も紀定も少し楽になった。


「お前たちの目的は知っている。だが、忌々しいことに、私は雷雅に逆らえない。その忌々しさも消えかけだ。よって、奴の指示通りお前たちを足止めする」

「何故。利毒の呪詛を止める手立てが、そちらにあるとでも言うのか」


 だが、当の風晶に友好的な空気は纏われていない。どころか、情の抜け落ちた口調をしている上に、青鷺のような虚ろの微笑すら浮かべない顔も相まって、ひどく冷酷な雰囲気を放っている。問い返す紀定の声が尖るのも無理はなかった。


「いいや、呪詛は止められん。だが、青鷺とも約定を結んだ通り、呪詛の拡散は完全に防ぐことができる。ただしそのためには、お前たちにまた待機してもらわなければならない」

「ええ。利毒の呪詛が完成しようと、。この敷地内だけで完結すればいいだけのこと。あっしの都合を付け加えさせていただくなら、この裏舟吉の街に呪詛が広がらなければそれでいい。故にあっしは雷雅様に従い、色護衆とて許容した。唯一、直武様ご一行だけが、言うなれば仲間外れだったのですよ」


 ――ぐわん。

 空気が重く、歪む。


 考えるよりも早く、芳親は後ろ手に牡丹を咲かせ、紀定を防御壁で包んだ。自分でも袖内に牡丹を咲かせて口を覆う。変わらず風晶の起こした風が巡り、いくらか空気を和らげているが、それでも危機を悟らせる歪みが現れている。

 一気に警戒を高める芳親、そして彼の防御壁があっても、自身を護る術式を整え始める紀定を、風晶は感心したように眺めていた。と言っても、それが分かるのはごく少数、この場で分かる者はいない。


「賢明な判断だな。利毒の作っていたモノが出てくるまでは、そのまま動かない方がいい。何せ、溜め込んだ呪詛が全て溢れ出てくるのだから。さすがにお前たちだけでは危険ゆえ、私も空気の浄化はするが」

「……二人は、良いの」

「おやおや、お心遣いありがとうございます。問題ありませんよ。風晶様が既に言われた通り、空気の清浄は何とか保たれております。それに、あっしはこうですので」


 青鷺が扇子を持っていない方の手を上げると、見る見るうちに青く燃え盛る。異様な光景に驚き、目をみはるのは芳親と紀定のみ。当の青鷺は虚ろな目で炎を眺めている。


「実はね。あっしは禁術を行使してたんです。魂を向こう岸へ渡らせず、あたかも生きているかのように、幻の皮を被せて使役するという術を。ですので反動を受けて、こうしてゆっくり燃え落ちているのですよ。これがホントの焼き鳥、ってね」


 笑えない冗談を、やはり空っぽな笑みで言う青鷺の体に、どんどん火が燃え移っていく。

 物言わず、芳親たちに寄り添い留まっていた怪火も取り込まれ、一羽の巨鳥が出現した。青い炎を纏うそれは、不気味なほど音を立てず、翼を広げて伸び上がる。


「安心すると良い。青鷺には感覚が残っていなかった。討っても苦しむことはない。この状態ではもう、何もかも全て忘れ去っただろう。核は見た通り胸にある。刺し殺せばいい」


 淡々と告げる風晶を、芳親も紀定も睨んでいる。無論、二人の意見は討伐で合致していた。だが安心などできるわけがない。痛みがあろうと無かろうと、青鷺たちは救われるべきもの。その意思を以て向き合うべきという意見もまた、合致していたが故に。


「ふむ。腹は決まっているが、不服そうだな。私もかつては同じ情を抱いただろうし、分からんでもないが……しかし、お前たちに青鷺を案じる余裕など無いぞ。雷雅に利毒、青鷺、そして色護衆が考案した呪詛拡散回避の策は、お前たち直武一行にだけ不利益だ」


 初めて、風晶の顔に憐憫めいた色が差す。けれどすぐに見えなくなった。


「我々が選択した拡散回避の方法は、利毒の呪詛を、ただ一人に受け止めさせること。その受け止め役として選ばれたのが、他ならぬ花居志乃なのだからな」

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