花に風、叢雲

 前触れもなく急に現れた途轍もない存在を前に、いつも通りを貫いたどころか、指名まで受けた芳親。彼に何を言えばいいのだと、ただ笑うしかなかった小鷺とは違い、住居楼にて話を聞いた紀定は盛大に叫んだ。


「……こんっっっっっの!! ドアホめがあァァァァァ!!」


 あの場にいた小鷺、同じく話を聴いた五井鷺の代弁も含まれていながら、しかし妖鳥二人が驚くどころではない豹変ぶりと声量の叫び。しかし涼しい顔を崩さない芳親を、紀定は胸倉を掴んで揺すぶりながら怒鳴り散らす。


「こんッのアホバカクソボケ目ぇ離したら何しよるか分からへんクソガキが! 何をどないしたら慧嶽けいがくなんぞに気に入られて顔も名前も憶えられてわざわざ案内役を任されるなんちゅうことになるんや! おのれが平気でもこっちは大騒ぎじゃボケェ!!」

「でも平気だったもん」

「なぁにが『でも』じゃ『もん』じゃしばき倒すぞワレ! こっちが大騒ぎじゃ言うとんのや!! だいったいお前は昔っから他人様の都合を考えへんで動きすぎやええ加減にせえ! 妖雛やさかいしゃあないなぁなんていつでも許される思うたら大違いやぞ! 直武様がお許しになられても兼久殿が許しても俺や宗典むねのり殿は許さへんわ!!」


 もはや誰なのか分からないくらいの口調で、紀定は見ている側も気圧されるほどの説教をまくし立てる。がっくんがっくん揺すぶられ続けた芳親も、段々と苦渋を飲まされた顔になっていた。


「……紀定ぁ……」

「あァ!?」

「……ごめんなさい……」

「聞こえへんなァもういっぺん言うてみィ!!」

「ごめんなさいー!」


 そんな顔ができたのかとばかりの、情けなさ極まれりの顔で謝られると、ようやく紀定は胸倉を離して芳親を解放した。が、その後も腕を組んで仁王立ちをし、しゅんと項垂うなだれた芳親を見下ろして淡々とお叱りを追加。それも終わる頃には、どんどん頭を下げていた芳親は完全に突っ伏し、動かなくなってしまっていた。


「……。……お二方」


 一方、紀定は落ち着いたのち、この世の終わりを目の当たりにしたような顔で鷺たちを振り返る。


「……私の、言葉遣い。とんでもなくなっておりました、よね?」

「あー……なってやした、ね……」


 目を泳がせつつ正直に告げた五井鷺に、こくり一つだけ頷く小鷺。双方の反応を確認すると、紀定は一変、菩薩のごとく安らかな表情を浮かべた。


「お見苦しい所をお見せしてしまい、大変失礼いたしました。切腹は綺麗に済ませますので、どうぞお構いなく」

「おおおお構いやすよ!? 落ち着いてくだせェ!!」


 小刀を取り出した紀定を、鷺たちが取り押さえる。図らずも大騒動となってしまい、両隣お向かいに留まらず、同階層の部屋の住人たちから様子を見に来られ、鷺部屋に一時現れた地獄は終わりを告げた。


「はあ、はあ……もう大丈夫ですか、紀さん」

「はい……落ち着きました……」


 床に寝転がって息も絶え絶えな小鷺の問いに、同じ状態の紀定が答える。五井鷺は壁にもたれて息を整え、芳親はいつの間にか部屋の隅でいじけている。地獄は終われど死屍累々ししるいるい、どう回復しろってんだ馬鹿野郎状態となっていた。


「……慧嶽もそうですが、芳さん。あのあと白雨から呼び出しがあったんでしょう。そっちも考えないといけやせんぜ」


 混沌の名残を振り切ろうと、五井鷺がまた別の問題を引っ張ってくる。最優先で話し合わなければならないのはこちらの方だった。

 引き続き残っていた白雨の術により、何とか働き手たちが動けるようになり、小鷺も芳親の手を借りつつ動けるようになった後。白雨は芳親に、一人で自室を訪ねてくるよう告げたのだ。応じないという選択肢は無いため、万全の備えを整えて行くという答えが自然と出ていたのだが。


「ただでは、とは言いんせん。何か要望をいくつか、聴いて差し上げんす」


 と付け加えられたせいで、芳親も小鷺も、他二人と話し合った方が良いという判断を下した。しかし突如として現れた慧嶽に芳親が易々と接触し、あろうことか案内役を即答で了承したことに紀定が激怒して、それどころではなくなっていたのだ。


「……、……。……紀定……怒って、ない……?」


 飼い主の顔色を窺う犬よろしく、ちらりと三人を振り返る芳親に、紀定もぐったり顔を上げた。


「ええ、もう怒っていません。話し合いに戻りましょう」


 ずるずる体を起こす紀定と小鷺、壁から部屋の中心へよたよた寄ってくる五井鷺、恐る恐る三人の方へ近寄る芳親。疲れ果てた動きで四人が集合する様は、しかばねが寄り集まっていると例えられそうなほど草臥くたびれていた。


「さて。それでは白雨の所に芳さんを一人で行かせることに関してですが」


 何事もなかったかのように、きりりと進行を開始した五井鷺に合わせ、他三人も背筋を伸ばした。


「何らかのわながないとは言い切れませんが、可能性は低いかと。現在、芳親殿は慧嶽から案内役を担わされているのですから、害するような真似はしないでしょう」

「ですねェ。何せ相手は天狗の祖、古くは神霊として存在していたモノ。さすがの白雨も慎重にならざるを得ない」


 慧嶽を語る五井鷺の口調は重々しい。人間に近い姿を取り、言葉を介しての接触を選択してはいるが、あの鬼は天災そのものになりうる。話題として触れるだけでも、畏怖と緊張が付きまとう。


「話し合うべきは、要望についてでしょうな。けど、こちらも答えは出ているようなもんでしょう。芳さんに危害が及ばないよう掛け合う以外に何かありやす?」


 一同をぐるり見回した五井鷺に、異論を唱える声は上がらない。慧嶽が去った後、目の色の珍しさを理由に、白雨が芳親を獲物として狙うおそれは大いにある。先手を打っておくべきなのは明白だった。


「……僕を、食べないで……って、言えば、いい?」

「ええ。……そうだ、五井鷺殿。釣り堀の件も聞き出して来てもらうというのはいかがでしょう」

「釣り堀?」


 小鷺が紀定の言葉を繰り返し、芳親ともども首を傾げる。提案を受けた五井鷺は、二人に戯楼での会話内容を説明してから頷いた。白雨自身が釣り堀の設置を考慮していたこと。忘花楼を建造したのは利毒であり、もし設計上の理由などから反対したのだとすれば、かの鬼が作ったかもしれない基地や隠し部屋を暴けるかもしれないこと。そこに直武がいるかもしれないことを。


「わしが訊くより、芳さんに訊き出してもらう方が早いでしょうなァ。どうです、芳さん。頼まれてくださいやすか」

「うん。……師匠が、どこに、いるのか……突き止め、られる、かも、だし」


 浮かべる真剣を強めた牡丹色の目に、三人も重く頷く。かくして芳親は一人、上階にて待つ妖狐に会い見えるべく、再び花楼へと足を向けることとなった。




 白雨の自室は花楼の八階、その階層一つが丸ごと彼女のためにある。最上階の九階もまた、白雨が客を迎えるためだけに存在しているため、出入りは容易でない。しかし事前に呼ばれた芳親は作り物の式神しきがみ禿かむろに導かれ、ひっそり設置されていた上昇箱に乗って八階へ入った。

 狐火が収められた燈會ランタンの照らす、彩鱗国いろこのくにとその隣国の様式が組み合わさった広い部屋。その主は九尾を露わに牀榻しょうとうで寝そべり、煙管と香の煙をくゆらせて芳親を出迎えた。


「ふふ。顔なんてもう隠さなくたっていいじゃないか。ああ、でも、あんたはどうやら目が良すぎるらしいね。それを防いでいるのかい」


 くるわ言葉ではなく、素のものらしい口調で妖狐は笑う。自分も取り繕わない、と伝えたいのだろうか。見当をつけた芳親は短い逡巡しゅんじゅんののち、布面を取り払った。


「おや。言っておいてだけど、いいのかい?」

「……今の、貴女、は……僕を、食べない」

「っはは、そうだね。食えるわけないさ、あんたがいないと困るのはこっちだもの」


 かん、と煙管の灰を落とし、紅混じりの白銀が牀榻から抜け出てくる。神々しさすらまとった女が歩み寄って来ても、芳親は引き下がらない。


「いいね、その目。色もそうだが光もいい。確かにこれじゃあ食べたくなる」

「要望」


 覗き込もうが一向に臆する様子もなく、どころか簡潔な単語を渡してきた芳親に、白雨はきょとんと瞬く。だが心当りはすぐ顔を出し、笑みを取り戻させた。


「そうだったね。今は鬼だけど元は神霊の相手をしてもらうんだ。叶えられるかは分からないけど、聴くだけなら一つと言わずいくらでも聴いてやる。立ちっぱなしも疲れるだろう、茶は出してやれないけど、席は設けられる」


 音もなく九尾を仕舞い、白雨は芳親から見て右側、より異国の様式が強い一角へと歩いていく。机と同じ調度の椅子に座った狐にならい、ついて行った芳親も腰を落ち着けた。


「じゃ、一つ目。……慧嶽が、いなく、なって、も。……僕のこと、食べないで」

「あはは、正直で結構。いいよ、気を付けてあげる」


 確約はしないのか、と芳親が訊き返すことはない。彼自身が予測済みで、仲間たちも同じくだ。気を付けてくれると明言してもらっただけマシ、あとは自分で抵抗する他ない。白雨はそういう相手なのだから。


「一つ目って言ったね、他のも言いな。あんたを呼んだのは激励のためだったけど、野暮だったみたいだし。さっきも言ったけど、叶えるならともかく、聴くだけならいくらでもできるからね」

「じゃあ、二つ目。……要望、っていうより、質問、だけど……いい?」


 こてん、と首を傾げて問う芳親に、白雨もにこりと笑って「いいよ」と返す。傍から見ればずいぶん微笑ましいやり取りをしているが、片方は警戒を解かず、片方は禍々しさを表に出さず抑えている。


「……友人、が……釣り堀、どうして、無いのか……どうして、作れなかった、のか……不思議、がって、た。……理由、あったら、教えて」

「ん? あんたは知らないのかい? 利毒に連れてこられたんだろう、あんたともう一人は」

「そう、だけど……何も、教えられない、で……放り込まれた、だけ、だから」


 もう答えは貰ったようなものだったが、芳親は正確な答えを待った。「へえ、そうだったの」と、白雨は意外そうな顔のままでいる。


「釣り堀を作れなかったのは、利毒が庭の景観を損ねたくないって駄々こねたからさ。見かけと趣味に寄らず……いや似たようなもんか? まあともかく庭いじりが好きな奴だからね。立ち入られたり、勝手にいじられたりするのは嫌なんだと。あたしも釣りは好きだから、作ってみたかったんだけどねぇ」

「好きなの? 釣り」


 急に、友達へ語り掛けるような態度になった少年を、白雨は咎めない。馴れ馴れしい態度は嫌いなのだが、芳親のそれは不思議と嫌ではなかった。たぶん、無邪気で無垢だから、幼い子どものそれだからだろう。


「性分じゃないけどね。余裕ありきで成り立たせられる芸当だし、何より待つって行儀がいいだろう? 良く見られたい相手がいるから、綺麗なあたしを取り繕ってるのさ」


 語りながら、妖狐は蜂蜜色の目を細めて、妖雛の青年を眺める。


「ねぇ。あんた、常世にいたことがあるでしょう。力の感じも、目もそうだけど、何より声と言葉がそうだ。力を抑えて出してるだろう」

「……分かるん、だ」


 唐突に話題を変えられても、芳親の内に波は起こらない。ただ少し驚きはした。この妖狐は分かる側なのかと。


「先祖返り気分で、仙術絡みのもんをたしなんだことがあったからね。あそこは真正の仙人が行き着く場所でもあるだろう、だからちょっとは分かるのさ。辛ければそっちの言葉で話しても構わないよ、理解はできる」


 いつの間にか気分が良くなって、白雨は大らかになっていた。けれど芳親はふるふると首を横に振る。


「ありがとう。……でも、僕、は……こっちの、言葉で、話すって……決めて、る」

「ふうん? じゃ、よっぽどこっち側にいたい理由でもあるんだねぇ」

「お嫁さんがいるから」


 胸を張っての即答に虚を突かれ、目を丸くして一拍おいたのち、白雨は吹き出して笑い声を上げていた。途端、不満げな半目をする芳親に、「ごめんごめん」と謝りながらも笑いを止められない。


「はあ、まさか『お嫁さん』とは……ふっ、くく……一つ目の要望もそうだけど、馬鹿みたいに正直だこと。あんたも恋で変わったクチか。けど分かるよ、あたしだってそうだもの」


 そんなことまで口走るとは。自らの浮かれ様に苦笑しながら、仕方ないじゃないかとも胸中で呟く。だって、今まで進んできた源は、絶世の美しさを誇る鬼へ焦がれる心なのだから。

 妖狐が口を滑らせた一方で、芳親は目を瞬かせる。恋に触れた白雨の姿が、ただの少女でしかなかったために。邪悪も威厳も無い、可憐な面影を睫毛まつげに乗せて、素朴な含羞がんしゅうを覗かせていたために。


「っはは、変なことばっかり話しちゃった。他に要望は?」

「ない」

「じゃ、お開きにしよう。二日後は頼んだよ、慧嶽の傍にいられるのは、あんただけなんだからさ」

「大丈夫。……任せて」


 ほぼ同時に席を立ち、堂々と言い放つ芳親に、白雨も不敵に笑う。それ以上、両者は言葉を交わさなかった。

 再び現れた式神禿に従って退室した芳親を見送ったのち、白雨は牀榻に逆戻りする。一応、利毒にも声をかけておいたのだが、結局かの鬼は気配すら現さなかった。


「ま、重要な時期だって言ってたしねぇ」


 呪詛の完成間近につき、呼び出しにほぼ応じられなくなるだろうとは聞かされている。嵐の前の静けさ、というやつだろう。さすがに、慧嶽を呼ばれたことについては文句の手紙を書いて、白雨の手紙と一緒に雷雅へ送ったらしいが。

 開放しっぱなしの窓から入ってくる、夏の気配をはらんだ生温い風に目を細めて、白雨は先に思いを馳せる。ここには梅雨を飛ばして夏が来ると。白雨すなわち夕立の名を提案された自分の元へ、雷を従えた鬼が来ると。

 事実、雲は積み重なり広がっている。徐々に翳りゆく世界の中、妖獣は怪火を携えて、願い叶う時を待つ。

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