魔縁・後
「きぃ、はは! ああ、来たな、来たな、境田の!」
軋むようにけたたましい
兼久は幽世に、縄張りに招かれたのだ。その主たる鬼は、月に
「かぁ、ひ、ははは。良き戦意、良き殺意、良き眼差し。ああ、なれらはこれだから堪らぬ。これだから遊びがいがある」
外へ跳ねる銀髪は輝きを弾き、黒い白目の中に嵌った瞳を
「江営で暴れないよう計らってくださり、ありがとうございます。貴殿の礼に報いるべく、境田兼久、ここに参上いたしました」
「きぃ、はは、ははは。その畏敬、しかと受け取った。だがまだ遊ぶかも分からぬぞ。なれのもてなし次第では、われは昂りを持て余して、なれらとの約定を破ってしまうからの?」
こてんと可愛らしく首を傾げて見せるものの、白肌から赤肌へと変わっていく顔は、凶悪な笑みで歪んでいる。元々赤かった手足は、爪ごと黒く変わっていた。
慧嶽も一応、色護衆に協力する側の妖怪ではある。だがその性質は、晴成が見抜いた通り神に近い。故に捧げるのは、合わせるのは人の側だ。要求に見合った対価を差し出せなければ、ただ蹂躙されるのみ。
「では早速」
ひしひしと皮膚に染み入る空気の重圧を、兼久が巨斧で振り払う。あれほど巨大な影形をしていながら、彼の姿は一瞬で消えた。先ほどまで立っていた場所に出来た地面の罅が、彼の先手を告げている。
間もなく――慧嶽の立っていた岩山の腹が、崩れた。否、両断された。ごうと崩落の断末魔に、空中にて逆さになった慧嶽は、うっとりと目を細める。
「くぅ、ふ、ふふふ。境田にしては品が良いかと思うたが、やはり豪放! けはは、なれらはそうでなくてはの!」
ケタケタ笑う鬼の元へ、飛び散った
「言葉の挨拶より分かりやすいでしょう?」
だが、兼久もすぐに追いつく。同じ岩山に着地するなり、刀よろしく巨斧を振るって攻め立てる。
「あ、今さらですけど。どこまで壊していいんですかね、ここ」
「かぁ、は、ははは! くだらぬことを。なれの思うまま暴れよ! なれら十三家の者どもが利口な飼い犬に徹しておること、われがそれを忌まわしく思っておること、知らぬとは言わせぬぞ」
談笑しながら、しかし両者は
「そら、もっと
後ろ向きに飛び退りながら追われていた慧嶽が、己と兼久の間に岩山を隆起させる。塞ぐようにどんどん連ね、針の山を再現した。
その
「そら、もっと
黒く長い人差し指が、同じく黒い長爪を伴い、指揮するように宙を切る。途端、兼久に断たれた巨岩が、彼に向けて殺到した。
兼久は顔色一つ変えず、ぐるり、己の体ごと鉞を回転させて打ち払う。「怪力」の妙術が可能にする、馬鹿馬鹿しすぎて乾いた笑いすら零れそうな破断の舞踏を、軽々しく演じて見せる。
けれど鬼は悦に笑う。自らの力で壊れぬ玩具が、宙に舞う瓦礫の隙間から、殺意で固めた
「きぃ、ひ、ははは! あはははは! ああ、岩ども、なれらが羨ましくてならぬわ! 境田の、われの肌に刃を振るえ! 血潮が熱くて頭が茹だりそうだ!!」
心臓を剥き出しにするかのように、兼久を迎え入れるように、慧嶽は両腕を広げる。鬼の指揮に従って、鬼が振るった風の刃に斬られて。舞い上がる瓦礫の群れも、障害に残されていた岩たちも両脇へ押しやられ、清々しいほど広い道が現れた。
一歩、兼久が踏み込む。それだけで地割れが蜘蛛の巣を描く。弓矢よろしく弾き出された体が、瞬く間に慧嶽と距離を詰める。流れるように構えた斧を振り抜いて、鬼の胴を両断――などと。容易く許す慧嶽ではない。
ギィン、と。鋼のぶつかり合う音。妙術で威力を上乗せされた巨大な鉞は、さらに長さを増して小刀のようになった慧嶽の爪に受け止められていた。
「……ッハ。その手のどこに、うちの術を止める力があるんです」
「くぅ、ふ、ふふふ。形こそ今は人に
微笑んで、慧嶽が斧を払う。掘削と破壊の進撃は終わり、両者は剣の間合いで相対した。兼久は斧を地面に突き立てると、帯びていた得物を抜刀する。
ひゅうぅ、と。無惨に変わり果てた岩山に、最初とは異なる風の声。鳴き声が収まり、凪が降りた直後――火花を散らして剣舞が幕を開けた。
平らになった岩盤の上、鬼と人が舞い踊る。爪と刀が交差し、時に蹴りが流れを乱して変えていく。慧嶽の装いに差された帯紐の赤と、結び目を飾る梵天の白が、動作の軌跡に残光を引いていた。
研ぎ澄まされた兼久の顔と、昂りを隠さない慧嶽の笑みが、互いの気迫を食らい合う。ぶつかり合う力の余波が、空気を揺らし歪めていく。
「きぃ、ひ、ははは!」
刃が布も皮膚も裂き、慧嶽から血液ごと熱を奪っていく。それでも熱は込み上げる。頭を闘争に駆り立てる。反面、兼久は爪に斬られ流血しても、射殺さんばかりの視線を放つ無表情を崩さない。その中に確かな獣の殺意を垣間見て、慧嶽はまた、けたたましい哄笑の軋みを上げた。
「きぃははははは! きゃははははは!! その顔だ、その顔だ! なれらが何かを殺す顔、これに勝る面構えは無い!!」
次々重ねた打ち合いに、終止符の一撃を交差して。慧嶽は大きく飛び退り、兼久から距離を取った。あちこちに出来た細かな傷から血を流したまま、けれど顔には、人間の子どもを思わせるほど無邪気な笑みを咲かせて。
「かぁ、は、ははは。もっともっともっともっと遊びたいところではあるが。われの望む通り、なれが頭の茹だりを治めおった故、見切りが付いてしまったな。ま、途中で雷雅の若造あたりが呼びに来て、興醒めするよりはマシかの」
慧嶽の肌が、白肌の擬態へと変わっていく。兼久も息を一つ吐いて、刀を納めた。が、その後の右手は斧の柄に添えている。
「ご満足いただけたのなら何よりです」
「うむ、とりあえず満足した。現世では遊ばぬよ。その分、幽世で遊ぶがな。雷雅の若造のことだ、なれに劣らぬ玩具を用意しておるであろ。……ああ、そうだ」
今までの殺気や戦意どころか、常に纏っている威圧まで嘘のように消して、慧嶽はとことこ兼久に歩み寄る。人ならざる顔に、人と同じ無垢を宿して、兼久の顔を覗き込む。
「雷雅の若造めが張った結界。あれを解くのは諦めて正解だったの。利毒の
「では、これからも解かずに見ていろと?」
「きぃ、ひ、ははは。そうなるの。だが、その方が良いぞ。雷雅の若造は滅多に力を出さぬが、今回は恐らく出す、というかもう出しておる。幽世に閉じ込められた
それが雷雅という鬼であることを、兼久も分かっている。しかし、直武ですら手も足も出ないと断言されては、さすがに反論が込み上げてきた。尤も、すぐさま喉奥で抹殺したが。
変わらぬ愛想笑いの裏、兼久が行った黙殺に、慧嶽はすぅと目を細める。見逃さず、見咎めるように。
「ああ……これだから、なれらの飼い犬ぶりが疎ましいのよ。様々な制約を乱すわけにいかず、餌をぶら下げても待てと止められる。しかもそれは弱きを守るためと来た。全くもって憐れよの。己より弱く脆いもののために牙を抜かれるなど。弱きものなど、早々に捨ててしまえば良かろうに」
「それをしないからこそ人間ですよ」
兼久も微笑みながら即答する。笑みにも声にも、揺るぎない強さを湛えて。この鬼が理解することなど無くとも、答えることこそに意味があると確信して。
案の定、慧嶽は「けはっ」と嘲笑った。愚かなものを見る目をして、けれどその中に、愉快と光を露わにして。
「どいつもこいつも馬鹿者ばかり。遊びがいも壊しがいもある玩具よの。きぃ、ひ、ははは。はははは。また遊ぼう、境田の」
別れの挨拶だったらしく、パッと慧嶽の姿が消える。さんざん破壊し尽くした岩山も消え去り、周囲は江営の外れに広がる草原に戻っていた。月も元の大きさに戻り、べたつく生ぬるい空気が、体に纏わりつく。
――あれの思うままであろうな。
言われたばかりの言葉が蘇って、「チッ」と舌打ちが漏れた。目前にいながら手を差し伸べられない。どうにもならなさに歯噛みして、拳を握りしめるしかできない。
「くそが」
取り繕う相手もいないからと、悪態も零れた。だがそれだけ。兼久はすぐさま優秀の仮面を被り、得物を背負い直して踵を返す。
――それでも。できないことに
目を見開いた先には、江営の都。舟吉町の辺りはぼんやりと明るくなっている。同位置の幽世で利毒が強大な呪詛を完成させようとしている今、引き寄せられて成り損ないが増えている今、守るべきはこの街だ。
兼久もまた歩き出す。舟吉町に構えた拠点で、自らの役目を果たすために。直武一行の帰還を待ち、無事に合流するために。
どうかご武運を、と。胸中で祈りを繰り返しながら、舟吉町へと駆け戻って行った。
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