巣食う場所にて

 波の音が聞こえる。潮の生臭さと、武器や血が漂わす鉄の臭いが入り混じる。

 目を開けて見れば、濃霧が立ち込める海が広がり、軍船いくさぶねの死骸が数多浮かんでいる。あと一歩のところで、極大に類され名も付けられていた物の怪を討伐できなかった日の記憶――直武にとっては、もはや懐かしさすら感じる悪夢だ。


 寄せては返す波に足を打たれるまま、直武は我が身を見下ろす。よろいで覆った、志乃や芳親と変わらぬ十と幾つかの体を。視線を上げることなく水面へ向かわせれば、ざばりざばりと歩いて来る男の足元が見えた。

 男が数歩前で止まったのを確認してから、顔を上げる。濃霧と船を背景に立っているのは、青白い顔と乱れた髪の鎧武者。深く濃く、崩れそうな悲嘆を浮かべた彼に、戦の装いは不釣り合いすぎる。

「やはり」と。変わりつつあった声を発した。同じ夢で同じ文言を繰り返していれば、わざわざ言おうと思なくとも口が動く。


「貴方は、生まれてくるべきではなかった」


 放った言葉が、男の濁った眼を鈍く光らせる。悔しそうに、けれど悲しみはそのままに、男が距離を詰めてくる。せ返るような潮と血の臭いが鼻を潰すより早く、直武は喉が絞まるのを感じ取った。

 後ろへ倒され、圧し掛かられて、冷たく震えた手が殺しに来る。苦痛を味わいながらも、直武は男の顔を見据えていた。泣き出しそうな兄の顔を。

 ところが、表情を悲哀で染め抜いた兄に反して、今も生きている弟は嘲笑う。……この夢を見せてくる仇敵は、本当に、兄のことを何も分かっていないと。




 束の間の暗転を挟んで、再び目を開く。新たに見えたのは右手を塞ぐ壁と、吊り灯篭が下がる天井だった。

 降り注ぐ白い光に目を細めつつ起き上がれば、両手足に重みと冷たさと、じゃらりと鉄が擦れる音。羽織が掛布団と一緒に掛けられていた以外、装いは何も変わっていなかったが、手枷足枷が増えている。


「さっそく窮地に立たされてしまったか」


 つぶやく声色に焦燥はなく、頭は冷静に動き出していた。

 枷の鎖は長く、身の回りのことをする際に邪魔はしないようだが、術が掛けられているらしい。おそらく力を奪う類だろうと推測しながら、立ち上がって部屋を歩いてみた。

 十二畳と狭さは感じさせない部屋の中、床には寝ていた布団以外に何も置かれていない。窓や入り口は見当たらず、四方を壁に囲まれているが、うち一枚は本を立て積んだ違い棚に埋め尽くされている。


 目だけでなく手で触れて回り、物色してみたものの、怪しい物や外へ続くような出入口は見つからない。さすがの直武も、どうしたものかと戻った布団の上で腕を組んでいると、しゃらんしゃらんと神楽鈴を振るような音が転がり込んできた。

 布団が敷かれている場所の反対に面した壁が、下から上へ向かって薄らいでいく。代わりに、嵌め込まれた鉄格子が現れ、途端に部屋は座敷牢へと変貌した。

 鉄格子の先には引き戸も現れており、外で開錠したのだろう音が落ちた。間もなく戸も開かれ、見知った影が入って来る。


「おや、お目覚めになられましたか」


 直垂ひたたれと長袴を身に纏い、濃紫の髪が流れる頭には女物の小袖を被き、側頭からは二本の歪な角を生やした鬼。足元に蜘蛛を二匹従えて、やって来たのは利毒だった。


「お会いするのは数十年ぶりですねぇ、麗部直武。棚盤山たなざらやまには身代わりを向かわせましたし、アナタも後方におられましたから」

「ああ、ずいぶんと久しぶりだ。で、用件は?」

「そんなに急がなくてもいいじゃありませんかァ! ンフフ、まあ、情報が少なすぎますからねぇ。とりあえず夕食をお持ち致しましたので、食べながら聞いていただければ」


 冷然と返す直武に笑い声で応じ、利毒は片方の蜘蛛に牢の扉を開錠させると、もう片方の蜘蛛と入って来た。自らは膳台を、蜘蛛の背には盆を載せて。


「ワタクシは現在、忘花楼ぼうかろうという娯楽施設を経営しておりまして。これは提供している食事でございます。アアもちろん安全でございますし人間が食べられる食材で作っておりますよォ。アナタに死なれると妖怪も困りますからねぇ冗談でなく」


 相変わらず、どこか狂った調子で言いながら、毒の鬼がせっせと膳を整える。差し出された料理を受け取る前に、直武が「あの子たちは無事かい」と微笑も浮かべず問うと、利毒はにっこり笑みを咲かせた。


「無事ですとも! 何かあったらワタクシどもも困ります。志乃殿は雷雅殿と、芳親殿と紀定殿は青柳座の妖鳥たちと、それぞれ一緒におられますよぉ」

「……なるほど、だいたい読めた。それじゃあ私を閉じ込めた目的は?」

「何と素っ気ない! いろいろ説明しなければと、ワタクシ楽しみにしておりましたのに」

「雷雅がいるということは、全て奴が引く手ぐすねのまま、手のひらの上ということだ。奴の目的が推測できれば、どうということもない。さっさと私の質問に答えろ」


 味方に接する時とはまるで違う、無表情と声を投げつける直武。けれど鬼はニタニタと、梅紫の目を細めて笑っていた。


「ンフフフ。アナタを幽閉した理由は三つほどありますが、どれもアナタが呪詛持ちだからですよ、麗部直武」


 ふざけているような雰囲気は変わらないものの、姿勢を少し正してから、利毒は口を開いた。


「今でこそ薬学にも手を出しておりますが、色護衆しきごしゅうに申告した通り、ワタクシの研究は呪詛でございます。呪の害悪を明らかにすることで、対抗あるいは防御する術式の解明にも協力する。まずその点から、明掛あかけの物の怪に呪われたアナタを調べたいというのが一つ」


 言いながら三本指を立て、終わると一本折りたたむ。


「しかし呪詛持ちというのは、物の怪が狙い定めた獲物。危害を加えようものなら横取りと見なされ、暴れられてしまいます。そうなれば現世どころか幽世にも被害が及びますから、妖怪も呪詛持ちへの対応は慎重になる。アナタをこうして隔絶しているのは予防のため、というのが二つ目。あァそうそう、ですから料理に毒を混ぜるなんてことはいたしません」


 信用を得ようという気が無さそうな調子で付け加える利毒だったが、直武は内心、鬼の言葉は本当だと確信していた。呪詛持ちはどこにいようとも、呪いをかけた物の怪に生死が伝わるというのは本当のこと。それを分かっているからこそ、いちいち嘘か真かと問いただす必要はない。


「そして三つ目は、呪詛がどこまでアナタを侵食しているのかを調べるため。これは雷雅殿や色護衆の要望でもありまして。アナタがたが江営こうえいに滞在中、ワタクシは専属医のようなものを務めることになります」

「ふむ……確かに、洛都らくとを離れてからは、呪詛の詳細を知れていなかったな」

「既に簡単な診察は済ませておりますが、侵食は進んでいれども速度はかなり遅いようです。まあ、物の怪から離れれば離れるほど、呪詛の効きが遅くなるのも事実ですからねぇ。旅に出たのはそういった理由もあってのことなのでしょう?」


 返答は沈黙。問われているのではなく、確認されているのだと分かっているが故に。しかし利毒は不満げに眉を八の字にした。


「分かっているからとは言え、口頭で答えていただけないのは楽しくありません」

「私が欲しいのはお前の機嫌ではなく、情報だからな。次は企みと動機を話せ」

「ァハハ単刀直入な質問ですねぇ! さすがにすべてをお話しすることはできませんが、そうですね、ワタクシは蠱毒を試みているのです。忘花楼もそのために造りましたが、案外楽しく経営しております。料理もその一端ですので、そろそろ召し上がっていただきたいのですが」

「ああ、悪かった、忘れてしまっていた。お前が動機を話してから食べよう」


 本当に忘れかけていたため、直武は素直に謝った。「仕方ありませんねェ!」と芝居がかった利毒の言動には冷めた視線を送ったが。


「動機はもちろんワタクシが追い求めるもの、究めるもののためですが、もう一つ……ワタクシは花を育てているのですよ。この世で最も美しいだろう花、ワタクシが収集した怨恨によって咲く花を」


 今までの躁狂じみた素振りが嘘のような、平静と真摯が合わさった笑みと声。


「物の怪を作ると言っているようにしか聞こえないが」


 けれど直武が返せば、不気味な鬼の顔が戻って来る。


「ンフフフそう誤解されても致し方ありません。物の怪とは怨恨によって形作られるモノですし、実際、得られる情報は物の怪討伐にも役立てるでしょう。けれどもそれは、副産物に成り下がってしまいました。至上の花が見せる、たった一度きりの晴れ舞台を整え、見届ける。それが今、ワタクシにとって一番の目的でございます」

「そうか、憶えておこう」


 丁寧な語りにあっさりと返したのち、直武は膳の前で合掌して、出されっぱなしだった料理に手を付ける。宣言通りに食べてもらったからか、満足そうに笑う利毒だったが。


「アアそうだお節介ながら一つ。志乃殿のお体についてなのですが」


 一言で、上品を物語っていた箸の動きを止めさせる。再び直武からの視線を受ければ、屈託なかった笑みに妖しい色を混ぜる。


「志乃殿の体には、空白があるようなのです。何かを呑み込めるような空白が。アナタは志乃殿に、灯火を見つけるよう進言したとのことですが。体も心も空白とあっては、志乃殿が望み望まれる変化は、得られないものと思われますよォ?」

「余計なお世話だな」

「ですから先に申し上げたではありませんかァッハハァアナタがそんなことも分からぬ阿呆のわけが無い。でものんびりしている暇が無いのも確かでしょう? どんなに遅らせようとアナタには定まった死期があり志乃殿は雷雅殿に見つめられているそんな中、アナタは一体どうするのか。とても気になっているのですよ」

「黙って見ていれば分かることだ」


 加速していく利毒の語りを聞きながらも、既に食事を再開していた直武は、心情を窺わせない声で手短に答えていく。それから間もなく、出された料理を全て食べ終えた。


「美味しかったよ、どうもありがとう」

「ンフフフ、感謝の言葉は気持ちがいいですねぇ。こちらこそ、完食していただきありがとうございます。次は現世が辰の刻になる頃合いに参りますが、何か必要なものなどありますか?」

「枷の鍵と牢屋の鍵、あと私の杖を返してほしいな」

「あは、駄目です」


 冗談を言い合うような調子でやり取りしたのち、上機嫌で膳を片付け終えた利毒は、蜘蛛を従えて去って行く。手錠に掛けられた術のせいもあり、見送るしかなかった直武は、頭を切り替えて思考を巡らせる。


「さて、どうなることやら」


 出入り口が隠され消された密室に、呟く声が静かに消えていった。

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