青雷と毒蟲

 利毒が潜伏する石柱のごとき岩山。その頂に、喜千代班が到達しつつあった。芳親と晴成も列に加わり、喜千代のすぐ後ろに続いている。


「ここを開けば会敵ね。本当に何もしてこないとは……随分と余裕ですこと」


 投げやりな丁寧語が、喜千代の苛立ちを如実に表していた。何も無いに越したことはなく、そう見せかけている可能性も捨てきれないが、あなどられているようで気に食わない。

 懸造りの舞台と、間を繋ぐ階段の終着点。先頭を進んでいた喜千代の前には、岩山の内部へ続いているだろう巨大な扉が現れていた。木製の扉に装飾はほとんどなく、頑丈さを重視して作られたらしいと察せられる。


「芳親くんと晴成くんは、話した通り志乃ちゃん優先で。負傷があれば、撤退して宗典班の所まで戻りなさい」

「承知した」


 しっかり声に出す晴成と違い、芳親は黙ったまま頷く。しかし、牡丹色の目は強い感情を隠せずにいて、了承していることも伝わってきた。


「では、これより突入します」


 まず刀で触れ、扉に仕掛けが施されていないことを確かめてから手を掛ける。さすがに喜千代だけでは開けられないため、左右を固めていた芳親と晴成、そして班員たちも手伝って開扉した。

 扉の先には、松明たいまつの掲げられた短い洞窟が伸びており、橋掛かりのような木造の廊下へと繋がっている。さらに先には露天の舞台があるのだろう、差し込んでいる月光が見えていた。

 と、月光を背に受けて、ゆらりと人影が現れる。ふらふらした足取りで、まとった衣を揺蕩たゆたわせて。右手に持った刀が時折、月光や松明の光をぎらりと反射させていた。


「……、志乃?」


 かすかな芳親の声に、ぴたりと人影が足を止める。うつむいていた顔が上げられ、すらりと伸びた角と、青白く光る双眸が現れる。それと目が合った瞬間、芳親の背筋に悪寒が滑り落ちた。


「ッ!」


 逡巡の間もなく、刀を構えて喜千代の前に飛び出る。冷静が追い付く前に、鋼のぶつかる甲高い音がして、重い衝撃が刀に圧し掛かってきた。


「ぐ、うっ!」


 押し返すと、志乃は自ら飛び退すさって間合いを取った。何を考えているのか分からない青白の目が、じっと芳親を凝視してくる。


「どうやら正気ではないらしいな」


 並び立ってきた晴成の一言に、思わず芳親は視線を取られた。分かっていたことなのに、いざ言葉にされると信じがたい。


「喜千代殿。我々で防ぐ故、その間に抜けられよ」

「分かったわ。芳親くん、やれそう?」

「――うん。大丈夫」


 動揺は一時。ゆっくりと目を開閉して、芳親は態勢を整えた。直後、すぐさま腕を振るって、志乃の周囲に花を咲かせる。花は見る間に壁となって、志乃を覆い閉じ込める。自らに使う防壁を応用して、志乃の動きを封じる障壁にしたのだ。


「総員、駆け抜けて!」


 機を逃さず喜千代が叫んで先陣を切り、班員たちと共に洞窟を走り抜けていく。その背が見えなくなっても、芳親は牡丹の壁を解かずにいた。


「……おかしい。抵抗、されて、ない」

「花を消した途端、襲ってくるかもしれぬ。用心に越したことはなかろう」


 晴成の言うことは尤もだった。突進してこられても対処できるよう構えつつ、慎重に花びらを剝がしていく。ところが、志乃は顔が見られるようになっても動かず、うつろな目で二人を見据えていた。

 本当に抵抗する気が無いのかと、芳親は残った花びらで拘束を試みる。これは飛び上がって抜け出されたが、その後に反撃を仕掛けてくるような動きは見せない。


「……もしや、そっくりに作られた傀儡くぐつではないか」

「それは、ない、と思う。気配は、間違いなく、志乃、だし」

「はい。志乃様で間違いありません」


 疑問の応酬に突如、新たな声が割り込んで、二人の視線を奪い取った。

 背後から聞こえてきた声の持ち主は、薄い金色の髪と目を持つ青年。雷雅から志乃の元へと遣わされ、観察を続けているはずの雷吼丸らいこうまるだった。

 が、彼は姿を現さないでいるため、晴成からすれば音もなく背後を取った不詳の者としか見えない。されど敵意は感じられないからか、刀を構えることはせず、いぶかしそうな顔をするに留めていた。


「何者だ、其方」

それがしはただの使者でございます、星永晴成。名乗るほどの者ではございません」


 全く同じことを言われた記憶が蘇って、今度は芳親が顔をしかめる。怪訝から当惑へ表情を変えた晴成に説明したいのは山々だが、時間が取られるため「敵じゃない」とだけ即答しておいた。


「詳しいこと、は、後。……それで、何しに、きた、の」


 こうしている間にも、志乃が襲撃してくるのではと警戒はしていたが、やはりそんな気配はない。分かっているからなのか、それとも元々か、雷吼丸は無表情を貫いている。


「このままでは時間ばかり過ぎるため、事を動かすようにと命を受けました。今回は某から働きかけられませんので、行動自体はお二方にやっていただかなくてはなりませんが」

「そうすれば、志乃は正気を取り戻すのか」

「正気に戻っていただくための、処置の一つです。あなた方には、志乃様と戦ってもらわなければなりません。志乃様が消耗しなければ、落ち着いて残りの処置を施すことは難しいと」


 一瞬、芳親と晴成は目を見合わせたが、言葉を交わさずとも選択は決まっていた。心苦しいなどと思っていられない戦いは、今までもこれからも山積みされている。


「……何を、すれば、いい、の」

「志乃様に語り掛けてください。今の志乃様は、それだけで襲撃を始めます」


 答えるなり、「では」と雷吼丸は飛び退り、姿を消した。ぞんざいにすら思えてくる態度に、芳親は元より晴成も顰め面をしたが、いちいち構ってはいられない。


「……確かに。僕が、呼んだら、襲って、きた」

「ふむ、言われてみればそうだったな。では、今度は己が呼ぼう。準備は良いか?」


 こくりと頷いて、芳親は目を志乃へと向ける。ほぼ常に浮かんでいた笑みが消え、生気すらとぼしくなった鬼の少女は、こちらの姿を映しても捉えてはいない。

 だが。


「切り結び踏み込んで、己たちと舞い踊ろうぞ、志乃!」


 遠くまで突き抜けていくような声が轟いた瞬間、青白の目に空っぽの狂気が宿る。

 普段からは想像もつかない咆哮を上げ、自身と刀身に電をほとばしらせた鬼が突っ込んでくる。迎撃の牡丹群が開花し、新たな戦いの開幕を咲き示した。


 ***


 一方、喜千代たちは露天の舞台にて、蜘蛛を従え脚部に腰かけた紫の鬼、利毒と対峙していた。


「こんばんは、色護衆しきごしゅうの方々。境田兼久が率いる隊が来ると聞いておりましたが……小隊を率いていらっしゃるお方、貴女とは初対面ですね?」

「そうね。初めまして、私は木下喜千代っていうの。憶えても憶えなくてもいいわ、よろしく」

「ンフフ、そんなつれないことを仰らないでくださいませ。確かに、妖怪は興味のない人間をすぐに忘れますが、ワタクシ、貴女のことは少々気になっております」

「興味を持たれるようなこと、した憶えは無いんだけど」


 一同は既に抜刀していたが、空気は未だ張り詰め切ってはいない。利毒も、喜千代との会話を優先させたいのか、完全な戦闘態勢に入ってはいない。それどころか、両者は笑顔を向け合っている。


「案外、貴女の存在は認知されているのですよ。境田家の人間が率いる隊で、女性にも関わらず、熊井家や瀧家の人間に劣らぬ活躍をしている人間がいると。名が知られていないのは、これといって有名な家の人間ではないからですが……失礼ながら、どちらの出でいらっしゃる?」

藍山あいざん府は朋河ともかわ郡の片田舎。普通の人より力が強かったから、いっそのこと守遣兵しゅけんへいになろうって上洛して、本当に色護衆に入れちゃったの」

「ンフフ、ご謙遜を。色護衆に入り、そして守遣兵になるためには、力があるだけでは到底足りません。循環回路を更に強化して、術を用いるようにならなければいけませんし、数年にわたって学業も修めなければならない。貴女は相応の、あるいはそれ以上の努力をしてきたのでしょう」


 パチパチと、利毒の拍手が響く。元の口調のわざとらしさも相まって、褒めていても嘲りのようにしか聞こえてこないが。


「努力をする人間は好きですよ。努力をした分だけ、情報が詰まっているわけですから。その情報と貴女の強さに興味があるのです、ワタクシ。そしてもう一つ」


 蜘蛛の足から腰を上げ、ふわり降り立つと、利毒は改めて笑みを浮かべる。先ほどよりも歪になった笑みを。


「貴女を喪った場合、境田兼久がどんな顔をするのか、とてもとても気になっていまして。もし、絶望が浮かぶのなら、あぁアア! 是非、この目に焼き付けたいと!」

「気持ち悪い」


 ずばり言い切るのと同時に、喜千代は笑みを消した。無表情なようでいて、瞳の奥には嫌悪や憤怒が燃えている。


「志乃ちゃんをあんな風にしたの、あんたでしょ。それだけでも腹が立つのに、兼久くんも害そうってわけ?」


 あの場では抑えてこそいたが、喜千代もまた変貌した志乃に動揺し、あっただろう経緯を予想して、歯を食い縛っていた。ああなった原因には、自分がこぼしてしまった発言も絡んでいると確信していたため、なおさら。


「うちの隊長は簡単に乱される人じゃないけど、そう働きかけようって目論もくろんでるなら容赦しない。志乃ちゃんのことも含めて、あんたみたいな害虫は、徹底的にぶちのめすべきだわ」

「おお、怖い怖い。嫌ですねぇ、そんな。志乃殿に関しては、死なないようにちゃんと解呪の手段を施しておりますよ。この場で死なれたらワタクシが困りますし、何より、雷雅殿を敵に回したくありませんから」

「まだ何か、あの子にするつもり?」


 不穏な言葉を逃さず問えば、鬼の笑みはさらに醜悪を増して歪む。「もちろん!」という歓喜の一声と共に、利毒は両腕を天に突き上げた。


「むしろこれからですとも。ンフフ、フフフ、あぁァ、そちらへ考えを馳せさせないでくださいませ。ただでさえワタクシ、今回の計画には興奮しているのです。つまづくかと思ったところを、思わぬ形で乗り越えられましたので。その一因とも言える志乃殿が、我が根城へお越しくださった時、完成する研究……アア、楽しみですねェ……境田の妖雛殿と星永の若殿には、しくじらないよう頑張って解呪してほしいものです」

「……ほんっとうに、気持ち悪いな、お前」


 侮蔑ぶべつと嫌悪の睨視げいしを刺して、喜千代は得物をかすみに構える。切っ先は月光を受けて冴え、敵を断ち切る瞬間を待っている。


「私の強さに興味があるんだったな。お望み通り、存分に叩き込んでやるよ。くたばるまでたっぷり味わえ、虫けら」


 殺意を隠さない声に、利毒の哄笑こうしょうが答える。それを合図に双方、蜘蛛と班員たちも突撃し、戦闘を開始した。

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