侮れぬ蠢動

 煙幕に覆われたのは、妖雛たちも同じだった。

 初めからこの状況を作り出すと決まっていたのか、蜘蛛たちは軒並み煙を吐き散らして爆散。ひらひらと破れ舞う紙片のような状態となり、消え失せてしまった。人が傷つけるのは困難な硬い甲殻ですら、まとっていた蜘蛛ごと散っている。


「視界が塞がってしまいましたねぇ……はてさて、どうしたものでしょうか」


 志乃は刀を収めず、周囲を警戒したまま呟く。敵の気配はなく、味方の気配が感じ取れるのみ。芳親に至っては、まっすぐ歩いて行けば合流できる位置にいる。だからこそ気を抜けない。いたちの逃走時間を稼ぐだけという可能性もあるが、自爆までする必要はあるのだろうか。

 巡る志乃の思考はしかし、がくりと姿勢が崩れたことによって、遮られた。


「え――」


 地面の感触が音もなく、突然失われたかと思うと、背中から倒れて転がり落ちる。どうやら足元に急斜面が現れたらしいが、回る視界では全容を捉えられない。

 次いで表れたのは受け止められた、否、挟まれた感覚。咄嗟とっさに、しっかり握れていた刀を振ろうと試みるが、ちくりと腕に走った痛みに阻止された。直後、刀のつかが抜け落ちていく。手にしびれが走り、握っていられなくなる。

 声を上げることも、自分を捕らえたものを視認することもできず。志乃の意識は遠ざかり、消えていった。






 突如、足場を失ったのは志乃だけではない。他の四人もまた、急に現れた穴に落下していた。


「っ……!」


 穴の底は人ひとりが横臥おうができるほど広く、ふかふかとしていたため、みな無傷だった。けれど今は、他の現状など知るよしもない。故にこそ焦りを覚えて、芳親は素早く周囲に視線を巡らせた。柔らかいのは底だけでなく、壁も同じらしい。


「……糸、か。これ」


 穴を覆う柔らかな物体は、千切ってみればすぐに正体が分かった。様々な太さの糸が集まり、敷物のようになっている。それが重なり、緩衝かんしょうの役目を果たしていた。


「……。地蜘蛛じぐも?」


 面の下で眉をひそめる芳親に、答えるものは無い。彼もまた、答えを必要としてはいない。今はここから脱することが最優先だ。

 逡巡しゅんじゅんの間もなく、牡丹の階段を咲かせて駆け上がる。答え合わせに穴の主が出てくるかと懸念もあったが、脱出後も敵影は現れない。しかし、未だ煙の晴れぬ前方には、気配が二つ。

 片方は志乃、もう片方は間違いなく敵。戦闘音が聞こえてこないことを考えると、おそらく状況はかんばしくない。援護に向かうべく足を踏み出したが。


「……? 何で」


 たった一歩で動けなくなった。原因を探るべく、地面に目を凝らしてみれば、ちらりと淡い虹色に光る何かが見えてくる。穴に落ちた時と同様、芳親はすぐ正体を看破した。


「蜘蛛の、糸……!」


 自爆した蜘蛛たちの置き土産か、細くも頑丈な糸が、荒れ果てた川原の広範囲を覆っていた。牡丹を咲かせて吹き飛ばそうと試みるも、幾重にも敷き詰められているせいで、なかなか除去できない。

 蜘蛛たちが糸を使う様子がなかったのは、このためだったのかもしれない。いや、その前に。穴にも糸があった時点で警戒を高めていれば、動けなくなる失態を演じることも無かった。


 舌打ちを零す芳親を嘲笑あざわらうように、何かが這い上がってくる音が聞こえてくる。


 思わず動こうとするも、足を絡めとられているため移動できない。牡丹を咲かせても、この濃煙を払うだけの風力は出せない。芳親の牡丹は自爆できるように見えて、実際は彼が花びらを操作しているため、衝撃による風を起こすことは不可能だった。

 敵影に攻撃することも考えたが、相手の様相が分からない上に、志乃がどういった状況なのかも不明なようでは危険。蜘蛛たちのように自爆されるかもしれず、毒を撒かれる可能性もある。相手は名に毒を冠する鬼の遣いだ、主ともども、何をしでかすか分かったものではない。


「……くっ、そ」


 打てる手を考え続けているのに、何も浮かんでこない。加速する思案と焦燥はしかし、がちゃん、と立て続けに起こった音に注意を持っていかれ、止まった。

 月光が温情とばかりに映し出してくれる敵影が、変化していく。ずんぐりとした横長の体が、折れそうなほどか細いものへと変わり、背にあたる部分からははねが広がっていく。蜻蛉とんぼのような影は、「逃亡」の二文字を否応なく連想させ、芳親は唇を噛んだ。


 ――もう、考えている余裕は無い。


 すぐさま牡丹を咲かせると、翅めがけて刃の花びらを飛ばす。ところが、攻撃が届く前に、蜻蛉らしき敵はビュンと飛び立った。羽ばたきによって生じた風が、煙の波を叩きつけてくる。


「うぐ……っ」


 風が止み、咄嗟に覆った顔から腕をどけてみれば、敵の姿も気配も消え失せていた。

 吹き散らされた蜘蛛糸と煙の残片が漂い、降雪にも似た風景を作り出している。寂れながらも美しい景色だったが、うつむいた芳親には見えていない。


「いぃ、よいしょっ……と! あー、やっと出てこられた」


 聞きなれた声と、ずしんと地面に落ちる重い音が聞こえ、ハッと顔を上げる。彼から見て左の山林側に、穴から這い上がってくる兼久と、巨大なまさかりの姿があった。

 気付かず握り締めていた手を解いて、駆け出す。途中で星永兄弟も這い上がってくるのが見えたが、二人とも無事なようだ。


「義兄上!」

「ごめん、芳親。遅くなっ……ぁあ危ない!?」


 ほぼ倒れるように飛び込んできた義弟を、兼久は慌てて受け止める。ぼすん、と芳親が触れた場所から、土埃と糸が舞った。


「……、……あれ?」

「うん? え、何、どうしたの」


 急に、上体のあちこちをバシバシ叩かれ始めて、兼久は狼狽の声を上げる。対して、叩いている側の芳親は真剣だった。というのも、違いを見つけたために。兼久に付いている糸は、芳親に付いているものよりも、べたつきが若干強いようだった。

 自分が落ちた穴と、仕組みが異なっていたのか。最初はそう考えた芳親だが、べたつきが強いのは袖だと気付くと、今度は兼久の足を触り始める。「本当に何ぃ!?」とわめき始める義兄を「うるさい」の一言で黙らせたのち、仮説に行き着いた。


「……義兄上」

「うるさいって言われた……義弟にうるさいって……うるさい……」

「ごめん、なさい、義兄上。……うるさくない、よ」


 引きつった笑いを浮かべた顔で、ブツブツ呟いていた兼久だったが、虚ろな目にカッと光を取り戻す。いつの間にか合流した星永兄弟が、二人のやり取りを見ていたのだが、残念な何かを見る目をしていた。もちろん、兼久は全く気付いていない。


「僕こそごめんね芳親!! どうしたのかな!? 何でも訊いていいよ!!」

「……穴の、壁……直に、登って、出てきた、の?」

「うん、そうだよ。ベタベタしてたから、登りづらくて一苦労だったけど」


 兼久の証言により、仮説は正しいと明らかになった。芳親は牡丹を駆け上がったため、壁に張り巡らされた糸の妨害を受けなかったが、兼久たちはそう簡単にいかなかったのだ。


「ところで、芳親、志乃はどうしたのだ」

「たぶん、さらわれた」


 調査は終わったと見た晴成に横から問われ、芳親は即答する。けれど口頭では続けず、懐紙かいしと筆、墨池ぼくちを取り出して字に起こした。速筆で端的に書かれた内容は、すぐさま読み取り把握してくれる兼久に見せる。


「ふむふむ。志乃ちゃんもおそらく罠にめられ、蜻蛉のような蟲に攫われてしまったと。地上に出ても、足元は蜘蛛の糸で覆われていて、歩けば足を絡めとられてしまい、志乃ちゃんが攫われるのを見過ごすことになったと」


 平淡な声で改めて突き付けられる事実に、芳親は唇を噛んだ。窮地に立たされてはいたが、本当に打破できない状況だったのだろうか。もっと思慮深く動けば、まだ蟲の逃走を妨害できたのではないだろうか。

 僕が、もっと冷静だったなら。ちゃんと守れたかもしれないのに。


「芳親」


 再び回り始める思考と後悔を、するりと止める清廉な声が一つ。弾かれるように隣を見れば、晴成の藍色の目が、仮面と前髪から覗く牡丹色の目を覗き込んでくる。


「いま我々がすることは、次に向けて動くことだ。反省や後悔は、事が終わればいくらでもできる。まだ終わっていないうちに、雑念に埋もれるな」


 真剣な晴成の顔は、「それに」と続く言葉で少し緩む。


其方そなたは、我々が脱出に手間取っている中、最善を尽くすべく戦ったのだろう。それは断じて無駄な足掻きではない。其方は立派な態度で以て、窮地に立ち向かった。誇るべきことだ」


 武骨ながら、どこか爽快な気風が覗く口調で言葉を紡いで、晴成は笑った。月しか浮かばない幽世に、太陽が現れたかと思わせるほど晴れやかに。

 清々しい笑みに照らされて、芳親は何となく、体が軽くなったように思えた。理由を考えるより先に、頬が緩む。何故かこちらまで、晴れ晴れとした気分になっていた。


「ひん……最高に可愛い義弟とお友達の笑顔まぶしすぎる……」


 が、見ていた兼久は目を焼かれつつあった。情けない顔で「若いって素晴らしいね……尊いね……」と謎なことを言い始める彼に、「貴殿もまだお若いだろう」と、靖成が優しい指摘をする。これが他の隊員や紀定だったら、冷たい視線を浴びせているところだ。


「して、これからいかがなさる。私としては、志乃殿が嵌った罠を調査すべきかと思うが」

「そうですね。まだ同じ罠が仕掛けられているかもしれませんし」


 何も無かったかのように、兼久は平静な顔を取り戻して靖成に応じたのち、芳親に案内を頼んだ。志乃が落ちた穴は、三人が落ちた穴から見て川の方、芳親が落ちた穴の前方で、まだ口を開いている。


「おお、全く違うな。すり鉢状になっている」


 晴成の言った通り、たどり着いた穴はすり鉢状で、四人が嵌った蜘蛛の罠とは異なっている。

 最深部に志乃の刀が落ちていたため、芳親が牡丹の道を作って拾いに行った。もちろん、事前に敵が潜伏していないかは確認済み。方法は、兼久が鉞を叩きつけるという手荒いものだったが。


「この形状だと、蟻地獄ありじごくの巣穴を模した罠だったのかな。もしそうなら、芳親が見た敵影は、薄羽蜉蝣うすばかげろうかもしれないね」


 蟻地獄とは薄羽蜉蝣の幼虫であり、蟻を始めとした虫たちを捕食する。すり鉢状の巣穴の底で息をひそめ、入ってきてしまった虫が落ちてくるのを待ち構え、捕らえるのだ。一度落ちれば抜け出しにくい巣穴は、捕獲向きの罠だと言えよう。


「なるほど。確かに、地中に罠を張って対象を捕え、退路は空に確保する。敵ながら面白いことを考えるな」


 兼久の分析と晴成の称賛に、異を唱える声は上がらない。後者に至っては、みな少しは感じていたことでもあったので。


「それにしても、やってくれるな利毒め。芳親の牡丹も、先生の妙術も対策済みとは」

「む、何か厄介な術が使われているのでござるか」


 両手を腰に当て、やや大げさなため息をついた兼久だったが、晴成の問いかけには、「ああ、いや。今のところは違うみたい」と軽やかに答える。


「先生の影は地中を探れないんですよ、地中には影が無いから。地表に掘られた痕跡があれば、何か埋められているっていうことが分かるけど、土竜もぐらみたいに、最初から地中にいて移動するようなものは察知できない。芳親の妙術は単純に、視界不良が弱点だけど」


 丁寧な説明を、晴成はもちろん靖成も、興味深そうに聞いていた。志乃の刀にさや代わりの花びらを纏わせ、反対側に帯刀しながら聞いていた芳親は、一言で片づけられたことに不満な顔をしていたが。


「先生の妙術の穴を補助できるのは、四大術家の瀬織家なんです。『探知』の妙術を受け継いでいて、麗部うらべ家の『深影』では届かない場所――さっき言った地中とか――のことを把握できるんですよ。今は先生が色々と頼んでいるらしくて、こちらの任務には参加できませんでしたが」


 この場にいない家についても触れたところで、「さて」と兼久は独特な調子で足踏みをし、紀定を呼んだ。直後、身軽な装束を纏った青年が、近辺にあった茂みの影から無音で現れる。


「蜉蝣のことにございますか」


 紀定は駆け寄って来るなり膝をつき、単刀直入に問いかける。「見えてた?」と兼久から訊き返されれば、慇懃に首肯した。


「元助班に合流しておりましたが、しかと。蜉蝣は岩山の方へ向かいましたので、急ぎ喜千代班の状況を確認いたしましたが、特に変わったことは無いとのことでした」

「欲しい情報、全部持ってきてくれたね、ありがとう。となると、先に喜千代班を動かすことになるか」


 兼久はしばし黙考したのち、紀定に各班への伝令を預け、影中へと戻らせた。済めば即刻、自分の班員たちに向き直る。


「では、改めて指示を出します。芳親と晴成は、岩山方面の喜千代班に合流して、志乃ちゃんの救出を。必要なら、利毒への攻撃を開始しても構わない」

「分かった。晴成、ごめん」

「うん?」


 なぜ謝る、という晴成の質疑は叶わなかった。芳親に素早く担ぎ上げられたかと思うと、そのまま駆け出されたので。時に牡丹の足場を使って跳躍しているため、当然ながら速い。

 問いを投げる間もなく連れ去られた晴成と、連れ去った芳親を見送ると、兼久は靖成と目を見合わせる。


「僕たちは元助班に合流して、残りの鼬を討伐したのち、喜千代班に合流します」

「あい分かった。では、さっそく行こう、兼久殿」


 簡潔な了承を受け、兄二人組も動き出す。――討伐戦は、第二段階へ突入した。

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