華烈なる戦刃・後

 華麗にして苛烈かれつ。不屈の蜘蛛と自由な妖雛による、目まぐるしい戦闘が繰り広げられる傍ら。後方にて、いたちらは始動の機を窺っていた。

 最も厄介な妖雛二人は、蜘蛛の相手で手一杯。残る人間たちも、奇襲の際の速攻からして手ごわいのは明白。無暗に襲い掛かっても、こちらが痛手を見るだけだろう。

 痛ましい姿に成り果てながらも、鼬の頭は冷静に思考を巡らせている。しかしそこへ、けたたましく、しつこく、割り込んでくる声がある。


『本当にそれで良いのですかァ?』『住処を荒らされた』『仲間を殺された』『憎い』『敵わない』『無力ですねぇ』『何もできない』『しょせん獣はその程度』


 二重三重に響くそれは、蟲を操る鬼の声。うるさくて、鬱陶しくて敵わないそれを止めようと、これまで戦ってきた。加えて、割り込む声は他にもある。


『また誰かが住処を荒らす』『また誰かが仲間を殺す』『鉄の嫌な臭いが』『血の臭いが』『痛い』『苦しい』『逃げたい』『逃げられない』『逃げるわけにはいかない』『逃げれば仲間が』『山が』『敵が』『自分が私が俺が僕が』


 止めどない怒り、恨み、苦しみ、痛み。己が抱く声、仲間の声もまた、頭を搔き乱し冷静を失わせる。頭にも体にも生じ続ける苦痛や幻覚、幻聴は、いつになったら終わるのか見当もつかず、終わらせたくて駆けずり回っている。


『ギ、ィ……ァァアアアアアア!』


 後ろで、仲間がまた狂った。何十回と聞いた絶叫と、吐血の音がした。束の間に戻って来た、けれど僅かな思考の冴えが失われていくのは、あまりにも早すぎる。

 せめて、と。月を見上げた。自分も、今この巨体を作り上げている仲間たちも、直に狂う。いずれ名月の美しさも忘れて死ぬ。ならば、最期に焼き付けておきたかった。仲間たちと幾度も見上げた夜空を。


『……?』


 かすみ始める視界にて。天蓋の満月に突如、黒点が現れた。翼やはねは無く、鳥や蟲の類ではない。手足の影も見えず、人獣でもない。それ以上は分からない。分からなくても良かった。

 誰でもいい、何でもいいから、早く終わらせてくれ――思うことなど、願うことなど、終わり以外にないのだから。


 ■


 ズドォン! と地響きがとどろき、砂礫されき土埃つちぼこりが舞い上がる。鼬らの最前列に、上空から何かが落下してきた。相当な重量を持った何かが。

 濁った視界が晴れるにつれて、月下に姿を現したのは、巨大なまさかり。鋼の冷気をまとう幅広の刃の下には、脳天を割られ潰された鼬が倒れている。


『……ッ。シィィィ……』


 一気に警戒を跳ね上げて、鼬らは周囲に敵の気配を探す。ところが、敵を探る必要は、早々に無くなった。相手がこちらへ駆けてくるのだ。

 前方、斜め左。妖雛たちが引き付けた蜘蛛の死角をくぐり抜け、走ってくる影が三つ。横に並んだ二人に隠れて、もう一人が続いている。


『シャアッ!』


 最も近い所にいた鼬が、敵に向かって駆け出していく。相手に合わせ、後続が二匹。しかし、敵は三対三で向かって来ない。前を走る二人は鼬の方へ急転換し、隠れるように走っていた一人は強く地面を蹴って、跳躍するように前進した。

 背丈を遥かに超える巨躯きょくの鼬が三匹。人間二人では分が悪すぎるにも拘わらず、下段に刀を構えた二人組は止まらず加速する。間もなく、一匹目の両爪りょうそうと斬り合うかと思った矢先、二人組はそれぞれ鼬の片腕に飛び乗ったかと思うと、足場にして更に大きく飛び上がった。


『ギッ!?』


 完全に不意を打たれた後続の二匹。防御もままならない体に、正面から斬り上げが繰り出される。容赦ない一撃に、鼬らの変化はあっさりと解除された。

 二人組は、姿を維持できなくなった彼らが散ると共に着地し、間髪入れずに方向転換。先ほど足場にした鼬に向き直る。


『ッッシャアァァァア!!』


 まとめて薙ぎ払わんと振り下ろされる巨爪きょそう。さすがにそれは受けきれないが、後退による回避は取られない。藍色の二人組は大きく踏み込み、瞬く間に相手の首へ到達したかと思うと、互いの得物を突き刺す。途端、一匹の巨獣は数十匹の鼬となって崩れ落ちた。


「ふう。兄上の速さに追随するのは一苦労にございます」

「どうだか。その様子ではまだ余力があると見えるが」


 一糸乱れぬ連携で、巨鼬を三匹立て続けに沈めた星永兄弟。速攻の奇襲を成功させたのも納得の働きをしてみせながらも、そろって余裕を崩さないでいる。

 だが、余裕なのは彼らだけではない。

 跳躍するように大きな歩幅の走法で、鼬らに飛来した鉞に到達したもう一人、兼久は。鉞の太い持ち手を掴むなり、片手で軽々と持ち上げる。さらに、すぐさま標的へ狙いを定めると。


「よっ、とぉ!」


 もう片方の手を添えて、左足を前に踏み出し。横薙ぎに得物を振り抜いた。

 一連の動作に伴う速度は、信じられないほど速い。鉞自体、人が扱えるような大きさではなく、ましてや、涼しい顔で振るうような物では断じてないのだ。事実、彼が踏み出した足元では、地面が大きく凹んでいる。

 けれど。細身で優和な顔立ちの好青年は、背丈を遥かに超えた戦斧せんぷを操る光景を、容易に実現してみせる。


『グギャッ……』


 放たれたのは、斬撃というよりは打撃。分厚い刃を叩きこまれた鼬は、体をくの字に曲げて吹っ飛んだかと思うと、途中で変化が解けて散った。

 ずしん、と。落ちた刃が再び地面を揺らす。川原にめり込んだ刃と、握った長い柄をそのまま支えにして、兼久は大きく飛び上がった。目線の先には、こちらへ襲い掛かろうと飛び込んできた鼬がいる。


「いい反応速度だけど、ごめんね。僕の方が速い」


 呟く兼久は、空中で形作った蹴りを、鼬の頭に命中させる。途端、潰滅かいめつの断末魔を上げて、相手は頭がひしゃげるとともに、体ごと地面に沈みこんだ。

 彼の蹴りは一見、絶大な威力を持つようには見えない。だが、妙術によって重量も威力も増幅されていた。「怪力」の名を冠するそれは、重いものを持ち上げ、容易く扱うことのみが効果ではない。繰り出す体術を、一撃必殺の凶器と化すほどの威力に仕立て上げることもできる。

 止まることなく、蹴り沈めた反動で得物を抜き、刃を引き上げる。またも片手のみで。妙術による強化を得ていながらも、細身の青年が巨大な鉞を片手で操る姿は、やはり異常の一言に尽きた。


「次いくよー」


 軽快ながら、抜けた調子で発せられる気合の声が、その異常に拍車をかける。

 倒れた蜘蛛の上でそのまま踏ん張り、後続の一匹に戦斧を叩きつけ、斜めに叩き斬る。めきり、ぐしゃりと肉や骨が潰れる音、再び地に刃がめり込む震動が空気を揺らし、一時の暴風が巻き起こる。尋常ではない重さの一撃が、不釣り合いどころではない速さで、いとも容易く繰り出されていく。


「いー、よいしょぉっ!」


 間を置かず、今度は両手で引き抜かれた凶刃きょうじんは、大きな跳躍と共に宙へと連れて行かれた。

 上空にて冴えた月光を受け、無慈悲な鋼の輝きを増した鉞。姿も威力も圧倒的なそれを振りかぶる兼久の姿は、柔和な好青年でありながら、荒ぶる戦神のごとし。

 一切の容赦なく、断頭の刃が下る。直後――爆発にも勝る衝撃が、天地をあまねく震わせた。

 妖雛たちの戦闘でも、さほど荒れなかった川原は、鉞の数撃で惨状と化す。ただでさえ不安定な足場が、さらに凹凸だらけの様相に成り果て、潰れ両断された鼬らの遺骸が転がっていた。


「うわ……やっぱり酷いな」


 抜けた声を出しながら、手遊びのように軽々と鉞を振り回し、周囲を見渡す兼久。自身の得物と妙術がもたらす結果は当然わかっているが、目の当たりにすると、思わず言葉が落ちてしまう。

 先ほどの気迫が嘘のように消え失せ、ぽつんとたたずむ彼は、油断すらしているように見える。もちろん、敵が見逃すわけもなく、変化が解けても生き残っていた鼬らが飛び掛かるが。


「ここにいるのは僕だけじゃないよ」


 つぶやきに答えるように、斬撃を従えた疾風が巻き起こる。星永兄弟が駆けつけていた。

 宙に跳ぶ鼬らに、正確無比な斬撃を叩きつけただけでなく、視界に残像すら捉えさせない速攻は、少しも衰える気配が無い。兼久もただ突っ立っているわけではなく、鉞から刀に得物を変えて応戦した。

 妖獣たちを息つく間もなく倒し、三人が改めて並び直すまでにかかった時間は、三十を余裕で数えられる程度。鼬側が負傷しているとはいえ、数では大きく差があることなど忘れさせるほど、圧倒的な勝利だった。

 無論、これで終わりではない。巨鼬きょゆうはまだ十匹前後が残っている。ところが、鼬らはひらりと身を翻し、山林へと撤退していった。


「いかがなさる、兼久殿。残りは挟撃にて仕留めるか」

「ええ。二班とも、もうすぐ傍まで来ているはずで――ッ!」


 靖成と兼久のやり取りを遮るように、背後から迫りくる気配が複数。三人が咄嗟に後方へ向き直れば、正体がすぐ分かった。数匹の大蜘蛛だ。妖雛を惹きつけ囲い、攻撃する蜘蛛と、兼久たちを狙う蜘蛛の二手に分かれている。

 新手を視認するなり、兼久の体は自然と刀を収め、鉞を持ち直していた。考えずとも染み付いた動きが、びることなく体勢を整える。


「僕についてくることだけを考えて!」

「あい分かった」「承知!」


 硬い甲殻を持った大蜘蛛を、複数同時に相手をするのは分が悪い。大打撃を与えられる自分が道を切り開く。思考の冷静を維持しつつ、鉞を振りかぶって叫ぶ兼久に、星永兄弟も応答したが。


 ――ドンッ!!!


 幾重もの爆発音が空気を震わせ、世界に白煙が充満した。

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