奇襲
開戦の音と花が散った谷底へ、鋭い
『キシャアァァァァッ!!』
前列の数匹が上げた声は、後列へと伝染していく。声はやがて、山を揺らすような大合唱と化した。
目と鼻の先の敵に向けて、
間もなく、月光の白に満ちる対岸に、ぽつんと立っている人影が見えてくる。敵の姿は彼らを燃え立たせ、勢いを殺させず進ませた。
『ッ!? シャ――』
しかし、中には踏み止まった鼬もいた。警戒の声を上げようとするが、水面を牡丹が埋め尽くしたのが先。
急に、下から
「残念」
花上に捕らわれたのが運の尽き。
術者の一言で牡丹が閉じ、対象の動きを封じる。残った牡丹は開花の動作とともに爆散し、華麗なる地獄を展開した。
『シャアアアア……ッ!』
花びらの刃に弄ばれ、切り刻まれるまま、消耗していく妖獣たち。踏み入ればたちまち
相手が動きを封じられている間に――花吹雪の中を、
一部の耳元で、バチリと微音が鳴ったかと思えば、重い沈下の音と揺れが響く。鼬に混ざって最前にいた大蜘蛛が一匹、早々に真っ二つとなって、群れの中に沈んでいた。
「こんばんは。現世に合わせるのであれば、こんにちは」
死骸の上には、いつの間にか鬼がいた。青と黒に銀を織り交ぜた姿の周りでは、バチバチと細い雷が舞っている。
「
刀の峰を肩に担ぎながら、ひどく暢気な音色で
「あははぁ、皆様お元気ですねぇ、喧嘩のお相手として申し分ありません。しかしながら、俺のお相手は最初から決められておりまして。皆様のことは失礼ながら、無視させていただきます」
『『『キシャアァァァァァァッ!!!』』』
言葉の内容を聞き取って
「っ、ははぁ」
びしゃり、顔に
「いいですねぇ、えへへ。楽しくなってきましたぁ」
『フシャァッ!!』
一方、対岸にまだ残敵がいると気付いた鼬らは、川での惨劇を忘れて駆け出す。水面を牡丹が彩ることは無く、代わりに三つの人影が、それぞれ三方向から飛び出してきた。
不意を打たれた鼬らは、ほんのわずかに戸惑う。生じた
勢いそのまま、後続の三人は妖獣の群れへ突進する。蜘蛛を狙って派手に暴れる鬼と、飛び込んできた新手の速攻。いつどこに咲くか分からない牡丹の存在に、たちまち妖獣たちは浮足立つ。
「あははは! 遅いですよぉ!」
追い打ちのように、外れて狂気じみた調子の声も降ってくる。
志乃は蜘蛛の脚部を斬って体勢を崩し、胴体を攻めるという数撃で打ち沈めては、牡丹を足場に次の標的へ飛び移っている。行為すべてに伴う狂笑があちこちから聞こえ、鼬らの精神を削っていく。反面、彼女以外は一言も声を漏らさないため、志乃に注意を取られていると、距離を詰められ斬り捨てられてしまう。
完全に
『ギイィィィィ……』
対して、後方はまだ動ける余地があった。大蜘蛛は利毒の遣いのため、受けた指示しか実行しない機械のように前進するが、鼬らは乱戦の最中へ飛び込む愚行はせず、残っている。
『……ッ。キィィィオォォォォォッ!!』
一匹が、意を決したように雄叫びを上げる。高音ながら、
声は後方群に
「全員、攻撃止め。志乃ちゃんも戻って!」
追い詰めることはせず、兼久は様子見を選択した。遊撃手として跳ね回っていた志乃も、指示を聞くなり即座に戻る。
兼久を中心に、前方を志乃と晴成、後方を芳親と靖成が囲う。志乃は前方へ視線を向ける前に、芳親ににこりと笑いかけた。
「牡丹での支援、ありがとうございましたぁ、芳親。思ったところに咲くので、とても動きやすかったです」
「うん」
戦場での芳親の応答は素っ気ない。しかし頷きはしっかりとして、自信に満ちている。
最初こそ、盛大に花を咲かせて術を誇示していた彼だが、後続の兼久たち三人が来て以降、鼬に向けては攻撃を放つことなく、志乃の支援と大蜘蛛への攻撃に徹していた。呪力の花が無くとも、混乱状態の劣勢に
「奇襲は成功、ここからが踏ん張りどころだ。喜千代班と元助班が挟撃の準備を整えるまで、持ちこたえる。もちろん、利毒から見れば一網打尽の好機だから、そっちの警戒も忘れずに、ね」
利毒の居場所は、鬼自身が気配を消しているため、妖雛たちでも探知できていない。かの鬼がどこから、どういう風に仕掛けてくるのかは、各班共通の警戒事項だった。
「……む。兼久殿、蜘蛛の様子が」
じっと、敵を観察していた晴成が声を出す。直後、前方で倒れ伏していた大蜘蛛たちがピクリと身じろいだ。利毒が付けたのだろう甲殻をギシギシ、ミシミシと鳴らして、歪な震えと共に動き出す。
「俺の攻撃が足りなかったのでしょうか」
「いや、違うよ」
眉根を寄せた志乃に、兼久が至極冷静に返す。彼女が初手で真っ二つにした蜘蛛もまた動き、何やら足をぎこちなく動かしていた。
絶えず生じる軋みの調べに、ぐちゃり、パキリと音が増える。蜘蛛たちが脚で、周囲に転がっていた鼬の死骸を引き寄せ、食べ始めたのだ。
「利毒が作る蟲は、簡単に倒れるようにはできていないんだ。恐らく、内部に複数の動力源を有していて、今はそれで動いてる。小蜘蛛を鼬に付けて、怨嗟を集めていたのも、その動力源を作るためだったんだろう。あの鬼の常套手段だよ」
不快な
「では、鼬を食べているのは何故に」
「その動力源とやらにくべるから、ではないか」
晴成の疑問に答えたのは、彼の背後にいる靖成。「十中八九、そうでしょう」と、兼久も肯定した。
「それに。どうやらあの蜘蛛たちには、鼬も材料として使われているらしい。だから、
ずるり、と。兼久の解説を裏付けるように、蜘蛛が新たな脚を生やす。先ほど食べ取り込んだ鼬の毛と、全く同じ色の毛を生やした脚を。さらに、志乃が両断した胴体にも、継ぎ接いだように毛だらけの箇所が現れていた。
『シュウウゥゥ……』
変化を見せるのは蜘蛛だけではない。後方に下がっていた妖獣たちも動いていた。
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