第七章 棚盤山

入山

 定刻。諸々の最終確認を終えると、討伐隊は複数の小部隊に分かれて、行軍を開始した。城下町からの出立は昼四ツ、巳の刻。棚盤山たなざらやまへは、近道をしても山を二つ越えなければならない。

 休憩も挟みつつ、全部隊が目的地、棚盤山の真向かいに位置する山に辿り着いたのは、九ツ半を過ぎたあたり。到着した面々から作成に取り掛かっていた、討伐隊の陣地および結界が完成したのは、それから間もなくだった。


「――それでは、これより入山前の儀を執り行います」


 さらに半刻も経たぬうちに、兼久が粛々と宣言する。

 棚盤山は名のある霊山ではないが、山というものは並べて超常を秘め、魔に通じている。故にこそ、神にも魔にもなる存在に呑み込まれないよう、入山の際には儀式が必要となる。こういった事情のため、討伐隊には若鶴の神社関係者と、祭式に慣れている静も同行していた。

 儀式は、陣地が作られる際、合わせて作られた祭壇の前で行われる。祝詞が上げられ、大幣おおぬさが振るわれ、しかるべき手順を持って厳かに。無事に終了すると、祭壇は丁重に撤収される。


「志乃、芳親。そして兄さまたちも。どうか気を付けて」


 静が、後援部隊に混ざって下がる前に、二人へ声を掛けにやって来た。わざわざ茉白と宏実ひろざねも引き連れて。宏実も討伐隊に混ざれるほどの実力はあるが、静の護衛として、現世に残ることとなっていた。


「私からも。気を付けてね」

「ありがとうございます、静様、茉白」


 志乃が慇懃に言葉を受け取り、礼をする。芳親も、静に対しては綺麗な一礼を返していたが、茉白に対しては無言で抱擁ほうようし、頬を引っぱたかれていた。


「……痛い……なんで?」

「なんで、じゃない。公衆の面前で、こういうことするんじゃありません。面前じゃなくてもやめて、恥ずかしいから」


 揚げ足対策も抜かりなく施して、茉白はそっぽを向いた。しゅんと落ち込んでいた芳親だったが、完全に逃げられたと分かるなりむくれていた。


「とても良い音がしたわね」「ええ。すぱぁんと」

「頬の紅葉も、見事に残っているな」「くっきり残っておりますねぇ」


 一部始終を間近で見ていた三人、後から晴成も加わって、ニコニコ、ニヤニヤとささやき合う。茉白は顔を真っ赤にしながら、確信犯だったのだろう静の名前を怒鳴るように呼んだ。


「ふふふ。お騒がせしてごめんなさい。改めて、皆様。どうぞご無事で帰っていらして」


 最後は真剣に、しかし優雅に一礼して、静は茉白たちと共に陣の後方へと下がっていった。


「討伐隊、突入班は点呼。完了次第、幽世へ入ります」


 間を置かず、再び兼久の指示が入った。

 結成された四つの班から、声が上がり始める。橙路府の人間も混ざる班を率いるのは、兼久とその直臣たちである。

 志乃と芳親、そして星永靖成と晴成は、作戦の内容も関係して、兼久が率いる班に固まっていた。直武と紀定は、宗典むねのり班と行動を共にすることになっており、今、近くにはいない。


「それにしても。まだ明るいうちから、妖怪の方々を相手にするというのは、奇妙な感覚ですねぇ」

「意外とこういう事例はあるよ、妖怪とか妖獣相手なら」


 早々に点呼を終え、のんびりと言う志乃に、兼久が律義に答えた。

 討伐対象が物の怪なら、落日によって現世と幽世が繋がり、相手が出てくるのを待たなければならないが、今回の相手は妖獣と妖怪。しかも、わざわざ待ち構えていると手紙で伝えてくる鬼が相手だ。夜を待たず、こちらから幽世へ攻め入ることも可能である。


「喜千代班、確認完了」「元助班、確認完了した」「宗典班、こちらも完了だ」


 兼久班に続き、次々と報告がなされ、幽世突入の時はすぐさまやって来る。兼久は全体をぐるりと見渡すと、一つ息を吸った。


「それでは、これより棚盤山のいたちおよび、利毒討伐任務を開始する! ……靖成やすなり殿、開錠をお願いいたします」


 高らかな宣言と、一転して静かな声で依頼する兼久。靖成は頷きで応じ、懐から札を一枚取り出した。弥重郎から預かった、鍵の役目を持つ札は、掲げられるとひとりでに浮いて宙に留まる。

 神出鬼没の物の怪と違い、妖怪や妖獣相手に攻め込むという選択肢が取れるのは、こういった鍵の存在がある。沢綿島さわたじまの団史郎が使っていたものと同じ――あちらは転送陣の仕組みを取り入れ、改造していたが――幽世への入り口を開けるためのもの。鍵がない場合、四大術家の人間であれば、入り口を開けることも可能となる。


「我、棚盤の鼬より招請され、現れし魔を滅す者なり。幽世への口を開け、我を通せよ」


 静かながら有無を言わさぬ低音をのぞかせて、文言が紡がれる。直後、札がぐるり歪んだかと思うと、丸い入り口へと変化した。緑あざやかな風景に、ぽっかりと闇色の穴が開く。


「敵の反応はねーな。行けるぜ、隊長」


 すかさず、術を巡らせて探知を行った宗典に、兼久が頷き返す。彼と彼の班員を先頭に、討伐隊は異界へと行軍を開始した。

 先陣を切った兼久班の中で、最後に入り口をくぐった妖雛二人は、幽世に入るなり姿が一変する。

 芳親は頭に犬の面をくくりつけ、白の狩衣かりぎぬ臙脂えんじ単衣ひとえ、深紫のはかままとう。志乃はひたいから二本の角を生やし、黒と白の片身替わりとなまり色の袴を、紺色の羽織で覆う出で立ち。それぞれが持つ、牡丹色と青白い双眸は、鮮やかさと輝きを増していた。


「なんと。二人そろって見事な姿になったな」


 後続の邪魔にならないよう避けた先で、晴成が目を丸くする。芳親は自慢げに胸を張るが、志乃は少し肩を縮めた。服の色は地味だが装飾が派手なため、未だに苦手意識が抜けていない。


「志乃は角も持っているのか! そちらも立派だな」

「えへへへ、ありがとうございます。よろしければ、触ってみませんか」

「良いのか? それなら失礼して」


 慎重に、晴成は角へ手を伸ばして撫でる。角を触られても、くすぐったさや不快感があるわけではないため、志乃はされるままになっていた。なんとなく、頭を撫でてもらっている時と似ている気がして、正直なところ頭ならどこでも触ってもらいたくなる。

 並行して、次々とやって来る守遣兵しゅけんへいや橙路府旧武家の面々から、必ず一回は視線を浴びてもいたが、いつものことなので気にしない。それをいいことに、芳親もついでとして、晴成に頭を撫でてもらっていた。


 入り口は閉じられず、宗典班によって隠形おんぎょうの結界がほどこされる。彼らが仕事をこなす間に、各班は地理の確認を行った。

 棚盤山の真向かいにある山、その地理は幽世でも変わっておらず、棚盤山も同様。唯一違うのは、風尾弥重郎率いる鼬らの屋敷が構えられているくらいだ。懸造かけづくりの舞台まで備えているという屋敷は、現在地からでは全容が窺えない。

 現在地は、真向かいの山の中腹。対して弥重郎の屋敷は、横向きの姿がわずかに見えるだけとなっている。山同士は真向かいでも、建物は真反対に位置していた。

 討伐隊は背後から、屋敷を目指して忍び込むこととなっている。


「……鼬も、蜘蛛くもも……気配は、たくさん、ある、けど。……みんな、反対側、だね」

「そのようで。背後にはまるで気を配っていないようです」


 地理ではなく、気配の探知を行っていた妖雛二人の報告に、兼久は少し思考を巡らせる。が、何か発案することはなく、礼だけ言った。


「ありがとう。……他、どうかな。何か気になることはある?」


 妖雛たちだけでなく、各班を見渡すように問いかける。特にこれといったことは挙がらず、宗典班も結界を張り終えていた。


「よし。それじゃあ、各班は持ち場へ移動して。先生は影の展開をお願いします」

「うん、任された」


 直武と紀定、宗典班は留まり、残る三班は事前に取り決められていた持ち場へ、素早く移動していく。その間、直武は自身の妙術、深影しんえいを行使して準備を開始した。

 目を閉じ、両手を乗せた杖を体の前に置いて、立っているだけに見える直武。しかし彼の足元からは、湖をい広がる氷の様に、影が周囲へと広がっていた。これにより、直武は影を通して、山での出来事を大まかに把握し、何かあれば支援も可能となる。棚盤山一帯が庭と化すのだ。

 紀定も自信の妙術、影潜えいせんを用いて、直武が作り出した影の海へ潜る。残る宗典班は周囲への警戒を強め、直武の護衛を開始した。平常とは異なる顔ぶれに、直武はどこか不敵に笑う。


「任せたよ、君たち」

「とーぜんですよ。瀬織せおりの連中にぎゃーぎゃー言われたくねーですし」


 四大術家のうち、麗部うらべ家に仕える術家の名前を出しつつ、宗典も不敵に笑った。

 色護衆の中枢たる十二家は、自分たちが従える家、自分たちが仕える家を誇っている。だからこそ、拮抗する実力を持つ他家に敬意を抱き、同時に対抗心を燃やす。直武と宗典の笑みの応酬は、そんな事情の表れだった。

 一方、喜千代班と元助班は、屋敷から見て山の裏手、不気味なほど静まり返る山林に潜伏した。二つの班が背後から屋敷へ向かうと、挟撃が可能となる。


「……ああ、あれね」


 入り口を開けた山から見て、真反対に向かう班を率いる喜千代は、潜伏場所に着くと小さく声をこぼす。前方に、独立した断崖絶壁の岩山がそびえていたのだ。

 弥重郎から伝えられた情報に含まれていたため、存在自体に驚きはしなかったが、思っていたより大きい。柱のようにも見えるが、そう形容するには分厚くがっしりとしている。ほぼ垂直の崖には、懸造りの舞台がいくつか、階段のように連なっているのが見て取れた。


「利毒に占拠されてる可能性が高いけど。使えるなら、どう使ったものかしら」


 口の端を吊り上げた後。喜千代はすぐに班員たちへ指示を飛ばし、態勢を整えていった。

 残る兼久班が向かったのは、弥重郎の屋敷の真正面。こちらにも山があり、山間には幅広の浅い川が横たわっている。彼らもまた、山林に身を潜めていた。


「あれが弥重郎殿のお屋敷ですか。立派ですねぇ」


 木立の隙間から窺える建物に、志乃がのんびりと感嘆した。

 同じく高所にあったが、ほとんど頂上に立っていた団史郎の屋敷と違い、弥重郎の屋敷は中腹の斜面に沿うようにして建っている。懸造りの建物もいくつかあり、兼久班から見て左方向には、懸造りの舞台が連なっている岩山も見えていた。


「……屋敷の、周り……気配で、埋め尽くされてる。……後ろにも、気、遣えばいい、のに……」

「それだけの手勢がいないのかもしれぬ。だからと言って、油断はできないが」


 晴成が答えるかと思いきや、芳親に返したのは靖成だった。ほとんど初めて口を利きつつも、くだけた口調で話す彼を、芳親はまじまじと見つめる。


「……ねえ」

「何だ、芳親殿」

「……僕の、こと……呼び捨てで、いい、から……呼び捨てに、して、いい?」

「芳親ぁ!? 洛都らくとならまだともかく、靖成殿は旧武家の当主で」

「ああ。構わない」

「靖成殿ぉ!?」


 馴れ馴れしすぎる義弟を注意した兼久の声が、眉一つ動かさず即答した靖成によって、勢いよく裏返される。ついでに、振り返る動作も勢いがあったせいで、姿勢も変になっていた。


「兼久殿から、貴殿の事情は聞き及んでいる。さすがに、皆の前でそれでは後々面倒がある故、敬称を付けて貰うが、この場では呼び捨てても構わぬ」

「ありがとう。……義兄上も、ありがとう」

「どういたしまして!」


 胸中は未だ複雑な兼久だったが、義弟からのお礼には、ほぼ反射で返していた。無論、緩んだ態度のままでいるわけもなく、隊長としての顔をすぐに取り戻す。


「では。これより兼久班は、陽動を開始します。先陣は、特に目立つ人妖兵二名、花居志乃と境田芳親に切ってもらいます」


 妖雛二人も暢気のんきさを取り払い、きびきび「はい」と返事をする。

 立てられていた作戦は、兼久班が陽動を担い、残る二班が屋敷の後方から挟撃するというもの。人妖兵、四大武家、旧武家の兄弟と、抗うことが困難な戦力を最初に、それも真正面から叩きつけることにより、相手の大幅な戦力消耗や、混乱を引き起こせると見込まれていた。


「芳親、合図を」


 確認も全て言い終え、兼久は義弟に、否、班員に告げる。「了解」と静かな返答と共に、芳親は片手を天へと伸ばし掲げた。

 月光降り注ぐ空中に、赤紫、白、まだら模様の大輪が現れる。あでやかながらも異様な花々は、まりを形作るかのように集まって開花し、やがて花の大玉を作り上げた。

 主が躊躇ちゅうちょなく手を握り締めると、威容すら纏う花球はぐしゃり、あっけなく潰れる。しかし立った音色は琳琅りんろうとして、山々に響きこだまする。

 任務内容には似合わない、清廉な音色を合図に、討伐戦が幕を開けた。


 ***


 岩山に連なる舞台のうち一つ。手すりに腰かけて、牡丹の大玉花火を見物する鬼が一人。彼とも彼女とも言えないそれの足元にまで、澄んだ破砕はさいの音が響き渡ってくる。


「何ともまあ、美しい合図ですこと」


 うっとりと目を細める利毒だが、清涼な余韻はすぐさま、獣たちの絶叫に塗り潰される。けれど、浮かぶ恍惚こうこつは薄まるどころか、色濃く笑みを刻み付ける。


「ああぁ、たぎります、滾ってしまいます。これから起こる全てを想像するだけで……ッア、ハハハ、ハァぁ」


 落下しそうなほど危なっかしくもだえるうちに、笑みは醜く歪んでいく。


「しかも、これはまだ、ワタクシにとっては序盤。こんな贅沢があっていいものでしょうか。アア、何て幸せ! 我がうるわしき依頼主様に感謝が尽きません!」


 鬼は高らかに、名を呼んで謝辞を叫びながら、後ろの床上へ倒れ込んだ。両腕を広げて天を仰ぎ、哄笑こうしょうする姿は狂信者のごとし。


「ハァァァ……ふう。いけませんねぇ、ワタクシってば。お客様の歓迎をせずにどうします」


 ずるずると手すりに這い寄り、身を乗り出して、ぼそりと言葉を落とす。波紋が広がるように、弥重郎の屋敷周辺から殺気が立ち上るのを感じ取って、再び笑った。うっとりと、ニタリと。


「ァハ、ハハハ。お待ちしておりますよぉ、境田兼久ご一行様。そして――花居志乃殿」

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