〈特使〉・後
「俺の体、ですか? 特に不調はありませんが」
ぺたぺたと自分の体を触り始める志乃に、首が横に振られた。
「今はそうだろうけれど、後々不調が出てくるよ。君の人間としての肉体は、人間が持ち得ない力を二度も循環させ、妙術を繰り出している。これはかなりの負担なんだ。結果として、君の寿命を縮めるほどにね」
「……つまり、俺が今回三日も寝ていたのは、その負担のせいということで?」
「そういうこと」
「なるほど。だから芳親さんが謝罪してくださったんですねぇ」
暢気に言う志乃とは反対に、芳親は再び、申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「何とかする方法があるから良いものの、寿命を縮めるなんて、本当は頭を下げるだけでは済まないんだけどね。まあ、一旦それは置いといて。その何とかする方法について話そう。さっき私が言った、〈解放の儀〉という言葉を覚えているかな?」
「ええ。どんな内容かはさっぱり分かりませんが」
「いや、教えただろ」
即座に入ってきた辻川の指摘に、志乃は「あれ?」と首を傾げる。しばし思い出すべく視線をさ迷わせていたが、清々しい笑顔を浮かべたかと思うと。
「すみません親方ぁ、さっぱり思い出せません!」
笑顔できっぱりと答えた。
怒らせるどころか、呆れさせてくるその笑顔に、辻川も笑みを返す。何故か、志乃はその笑みに嫌な予感を覚えた。
「そうか。それ、中谷に教えるよう頼んだことなんだけどなー」
「えっ……」
一瞬で笑みが引きつり、青ざめる志乃の顔。あまりの変わりように、向かい側の二人は笑いを堪えている。
「中谷に教えて貰ったのに覚えてないってことは、またあいつに教え直してもらわねぇとならんなぁ。まあ嘘なんだけど」
さらりと付け足された一言を呑み込むまで、少し時間がかかった。理解するなり、志乃は盛大なため息をつく。
「あああああ……死ぬかと思いました……」
「説教では死なねぇだろ」
「死にます。それよりも悪質な嘘はやめてください親方。本当に悪いと思っておりますので」
断言するなり、志乃は早口に抗議した。そのやり取りを、芳親共々笑い声を出さないよう
「では、〈解放の儀〉の説明を先にしようか」
「はい、
動揺から立ち直ると、志乃は聞く姿勢を取り直した。
「まず、妖雛は普通、人間より身体能力が高く、体も頑丈で回復速度も速いが、本来の力を全く出しきれていないと言ってもいい状態にある。『封をしている状態』とも言うね。というのも、この状態だけでは妙術を使いこなせないからだ」
封をしている状態、と聞いて、志乃の頭に芳親の謝罪が過る。「許可なく志乃の封を解いたこと」というのは、この状態を一時的に解いたことを指していたのだろう。
「妙術は高度な呪術で、体への負担が大きいから、妖怪や妖雛、そして限られた人間にしか使えない。でも、妖雛が持つ呪術を用いるための循環回路の耐性は、現世に戻って来ると人間のそれと大差がなくなるんだ。だから妙術を使えなくなってしまうのだけれど、強い呪力を叩きこむと、短時間だけ使えるようになる。
でも、この状態は人間が妙術を使っている、つまり無理矢理動かしている状態だから、負担が掛かってしまう。放っておけば、最終的には短命になって、若くして死んでしまうんだ」
「おぉ、そうでしたかぁあだだだっ」
あまりにも暢気な返しをしたため、志乃は辻川に無言で頬を引っ張られてしまった。
「これを何とかする方法こそ、〈解放の儀〉という儀式。妙術を使えるようになる、つまり妖雛としての力を完全に発揮できるようにするために、体の中身を妖怪寄りに戻す儀式だ」
元々、妖雛は幽世にいたため、体の内部――呪力が巡る道を始めとする、様々な場所――が妖怪寄りに変化している。それが現世に戻ると、自然と人間のものに変化するのだ。「戻す」という表現が使われるのは、こういった背景ゆえである。
説明の所々に相槌を打ちながら、志乃は段々と教えて貰ったことを思い出し始めていた。
「確か、その儀式には膨大な呪力が必要なのですよね? 洛都にいる呪術師を一定数集めないとならないほどの」
「そう。だから、この儀式は通常、洛都でしか行えない」
何故自分は上洛するのか。その説明を受けた時、この儀式についても教えて貰ったのだ。そして、その儀式を通過して平気でいられなければ、人妖兵になれないのだとも。
「志乃君の体には、既に負担が掛かってしまっている。だから、早急にこの儀式を行わないとならないのだけれど、通常とは異なる手段で行うことになる。簡単に言うと、幽世で妖怪に協力してもらって行うんだ」
「……。出来るのですか、それ?」
純粋一色の疑問に、直武だけでなく芳親も首肯した。
「……僕が、常世で、やったから……できる」
「妖怪にとっても物の怪は敵だからね。それを倒してくれる存在であれば、喜んで手を貸してくれるよ。交渉次第ではあるけれど、それは私の役目だから」
「左様ですか」
相槌を打ちつつも、志乃はちらりと辻川に視線をやる。彼も頷いたのを見て、やっと納得した。
「さて、志乃君に話さないとならないことは、これで全てだ。君が〈特使〉という存在であること、君の体についてのこと、そして、君を旅に同行させる理由。……何か、質問があれば遠慮なく言ってくれていいよ」
「いえ、特には」
「なら一段落だね。あー、長く話したなぁ」
ぐっと伸びをして、直武は晴れやかな笑みを浮かべた。芳親もどこか姿勢に緩みが見えている。二人につられるようにして、辻川と志乃も力を抜いた。
「遅くなりましたが、茶を持ってこさせましょうか。茶菓子もありますし」
「おや、そうだったのかい」
「話の内容からして、先に出さない方が良いと思ったんで、俺が言ったら出すよう指示は出してあります」
辻川は答えながら応接間から顔を出すと、近くの部屋に待たせていた団員に、目配せで指示を出した。
「そう時間は掛かりませんので、しばしお待ちを」
「ありがとう。話の後に出すのは賢明な判断だったね。茶菓子が最初から出ていたら、芳親が話に集中できなかっただろうから」
「……そんなこと、ない。……、……多分」
思いっきり目を逸らし、小さな声で余計なことを付け足してしまったせいで、芳親は自らその可能性を潰してしまっていた。そんなことをしなければ、まだ信用の余地があったかもしれないのに。案の定、辻川の呆れた視線が刺さる。
「食い意地が張ってる奴か。今も昔も苦労してばっかりですね、先生」
「苦労人なのは私の性らしいから、仕方ないよ」
苦いながらも不快には思っていないらしい笑みは、そのまま彼の人の良さを示している。どこか旧友のようにも見える直武と辻川のやり取りを、志乃は不思議そうに見聞きしていた。
「そう言えば、親方と麗部殿がどういった関係なのか、まだ聞いていませんでしたねぇ。親方、そこのところどうなのでしょう」
「……。色々だな」
当てはまる言葉が多かったせいか、辻川は虚空を見たまま大雑把にまとめてしまう。答える気が無さそうにも見えるその態度に、直武が呆れの混じった困惑の笑みを浮かべた。
「色々なのは事実だけど、それでは分かりにくいだろう。一番当てはまるのは師弟関係だね。武術や学問、礼儀まで、辻川君に教えたのは私だ」
「おぉ。では、麗部殿は親方より強いのですねぇ」
「当たり前だろお前……今の俺でも先生には勝てねぇぞ」
今度は志乃に呆れた視線が向けられたが、彼女は気にする素振りも無く、興味津々といった顔で直武を見る。
ふと、直武の笑みに、どこか
「志乃君、私と手合わせをしてみるかい?」
「よろしいので!?」
喜んで身を乗り出す志乃へ、哀れなものを見る視線が二つ刺さる。当の本人は、全く気付いていなかったが。
「私は君たちを育てなければならないからね。今現在の技量がどれほどか、見ておいて損はないさ。お茶菓子をいただいた後の軽い運動になるけれど」
「ええ、もちろんですとも」
「なら良かった。辻川君、場所はあるかな?」
「稽古場があるんで、そこでどうぞ」
何かを
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます