〈特使〉・前

 案内役に目礼して、直武と芳親が客間の敷居を跨ぐ。室内では堂々とした姿勢の辻川と、綺麗に背筋を伸ばした志乃が待っていた。


「お待ちしておりました、先生。それに芳親。どうぞお座りなさってください」

「うん、ありがとう」


 直武は辻川の向かいに、芳親はぺこりとお辞儀をした後、直武の隣、志乃の向かいに座る。「では」と辻川が先に口を開いたが、直武がそれを制した。


「辻川君。先にいいだろうか」

「ええ、もちろん。何でしょう」


 いつもの微笑を浮かべたのち、直武は芳親に視線を送る。つられて辻川が彼の方を向くと、芳親は申し訳なさそうな……というよりは、叱られることを既に察している犬のような情けない顔で、辻川に体を向けた。


「……許可なく、志乃の、封を、解いた、こと……私欲に、駆られて、志乃に、喧嘩を、吹っ掛けた、こと……ご迷惑を、おかけした、こと。お詫び、いたします。……申し訳、ありません、でした」


 手をつき、深々と頭を下げる芳親に、辻川は目を丸くした。続けて、志乃にも頭が下げられる。


「志乃、も……三日、寝かせる、ことに、なって、しまって……ごめん、なさい」

「いえ、そんな」


 慌てたように胸の前でぱたぱたと手を振ると、志乃は助けを求めるように直武たちを見た。軽い謝罪ならまだしも、大仰な謝罪はされ慣れていない。


「芳親は謝らなければならないことをしてしまったからね。頭を下げるのは当然のことだよ」

「そう、なのですか」

「謝罪してくれただけ充分でしょう。そいつより迷惑なことして、しかも謝らなかった奴なんて山のようにいますし」


 遠い目をした辻川に、直武は困ったように笑って首肯した。

 辻川より長く守遣兵しゅけんへいとして駆け回った分、直武は辻川以上に、そういう連中から面倒をかけられている。命が危機にさらされても謝罪されないどころか、翌日には屈託のない笑顔で挨拶されるなんて経験が珍しくなくなるくらいにはあった。


「ま、そいつらのことは頭の片隅に追いやって……本題に入りましょうか」

「うん。今日、訪問させてもらったのは、志乃君にまた、色々と話をするためなんだけど」

「はい、親方から聞いておりま……」


 いつもの暢気な笑みを浮かべかけた志乃だが、脳裏に閻魔えんまの姿をした中谷が現れたため、慌てて頬を抑えた。そんな彼女を直武は不思議そうに見ていたが、何となく胸中を察して微笑む。


「礼儀は大事だけれど、そこまで気を付けなくていいよ。私は気にしないから」

「ですが、その」

「肩に力を入れたままでは疲れてしまうだろう。それに、志乃君は笑顔が素敵だから、笑っていてほしいな」


 ななめ上の結末を聞かされたかのような顔をし、志乃は目を瞬いた。が、中谷閻魔が盛大なため息をついて脳内から去ると我に返り、頬から手を離す。


「『私』も、無理に使わなくていいからね」

「うっ……すみません、ありがとうございます」

「どういたしまして。さて、君にしないとならない話だけれど。まずは、君を旅に同行させる理由を詳しく話そうか」


 す、と直武の顔から笑みが抜け落ちる。雲が通りかかって出来た影が地を滑るように。


「簡潔に言うと、君は妖雛ようすうの中でも特異な存在、〈特使〉と呼ばれる存在なんだ。私は〈特使〉を育てる任を受けている。だから、君を旅に同行させなければならなかった」

「なるほど」


 真顔の直武とは反対に、志乃は驚くことも戸惑うこともなく、ただ笑っている。自分が何であると言われても、彼女にとっては一言で済ませられることなのだ。


「しかし、俺にはその〈特使〉とやらである、という実感はありません。人違いというのは考えられませんか」

「それはない」


 即答かつ断言したのは、直武ではなく芳親だった。


「……僕も、〈特使〉だから、分かる。……志乃は、僕の片割れ。間違いない」

「俺には、そういったことは感じられませんが」

「……それは、まだ……志乃が、本調子じゃない、から」


 怪訝けげんそうに首を傾げる志乃と、微動もしない芳親。固まってしまった二人の空気を、「その話はあとで」と直武の声が緩める。


「〈特使〉だと言われても、不思議そうにすらしないね、君は」

「あぁ、いえ。不思議ではあるのですが、それより間違いではないかという思いが強いです。先ほど申し上げましたが、俺には〈特使〉とやらだという実感がありませんから」


 首を傾げたまま言う彼女に、直武は笑みを深める。


「それは君が〈解放の儀〉を済ませていないからだね。まだ完全になる準備すら整っていない状態だから、何も感じないんだよ。

 とはいえ、それでは実感を得られないままだ。そこでこれを使う」


 言いながら、直武は懐から小箱を取り出して開け、志乃の方へ寄越した。小箱の中には、銀色の龍をかたどった小物が収まっている。


「これは……色からして、幽月神かくりつきのかみでしょうか」

「ああ、その通り」


 幽月神は銀のうろこを持つ龍神。姉神の常日神とこひのかみは金の鱗、弟神の現龍神うつしたつのかみは青の鱗を持つとされている。だが、どうして〈特使〉という妖雛の話に、三龍神のうち一柱が出てくるのか?


「手に取ってごらん」

「よろしいのですか? 高価な物なのでは……」

「確かに高価、というか宝物だけど、今世では君の物だから大丈夫だよ」


 片眉を上げつつも、志乃は慎重に銀龍を手のひらに載せた。すると、ぞわりと全身に何かが駆け巡る。


「――っ……!」


 一瞬で目が青白く変化し、口から牙が覗く。しかし、当人はそんなことに全く気付かず、例えようのない奇妙な力が体内で暴れまわっている感覚に戸惑っていた。


「……っあ……」


 奇妙な力が嵐の如く去ると、志乃は息を吐き出す。同時に肩がゆっくり下がっていく間、牙は引っ込み、目も元の黒色に戻っていた。

 目に見えない力の奔流ほんりゅうが通り過ぎても、まだ理解が追い付かず呆然とする志乃に、直武は穏やかな声で説明する。


「それは証でね。〈特使〉でなければ持っていることすら出来ない、特殊な力が込められているんだ」

「さ、左様でしたか」


 若干こちら側に戻って来ながらも、志乃はやはり呆然としたまま頷いた。殺気にも動じないどころか、嬉々として闘志を漲らせる彼女が呆けたようになるというだけで、感じたのであろう力が特殊であることは明白である。


「それを持っていられるということが、今のところ、君を〈特使〉と裏付ける証拠だ。試しに」

「俺が持ってみろ、ってことですか」


 先読みした辻川が言うと、直武は満足げに頷く。辻川は志乃が持つ銀龍に手を伸ばしたが。

 ――バチッ!


「いっっってぇ!」


 見えない壁にでも阻まれたかのように弾き返されてしまった。

 思いっきり顔をしかめ、辻川は痛みを取り払うように手を振る。志乃の丸くなった目が、彼の手と銀龍を交互に見ていた。


「先生、予想以上に痛てぇんですけど!?」

「うん、ごめんね」

「軽っ!」


 しかし、声と調子に反して、直武の表情には申し訳なさがある。直武が心の籠っていない謝罪をしたことはないため、辻川はそれ以上文句を言わなかった。


「私も、箱越しでなければ触れられないんだ。他に触れられるのは、志乃君と同じ〈特使〉の芳親だけだね」


 こくこくと頷いて、芳親も懐から、直武が出した物と同じ小箱を取り出した。その箱にも龍の小物が入っているようだが、差し出された手に載っていたのは金色の龍、常日神を象った小物だ。


「……これも、その龍と、同じ。……辻川、触って、みる?」

「触らねぇよ。何で触ると思ったんだ、痛い目見たのに」


 嫌そうな辻川の返答に、芳親は「ああ、そっか」と言わんばかりの顔をした。痛い目を見たら同じことを繰り返さないということを、忘れていたかのように。


「さて。これでひとまず、〈特使〉であるという実感は持ってもらえたかな」

「はい、一応」

「呑み込みが早くて助かるよ。じゃあ、〈特使〉について詳しく説明しよう」


 再び、直武の顔から笑みが抜け落ちる。


「さっき言った通り、〈特使〉というのは特異な存在だ。妖雛の中でも飛び抜けて強く、普通より人ではないモノ寄りの存在。そして、人間と物の怪との戦に、何らかのきざしがあると現れることが分かっている。主に人間側が劣勢の時にね」

「戦と言いますと……名前がついている物の怪と、ですか。物の怪が現れて以来、ずっといるような」


 あまりにも強大――災禍をもたらす規模が「極大」に分類されている物の怪には、名前が付いている。しかし、そんな存在がいるということ、そういうモノたちと戦をしているということは、戦禍に巻き込まれ続けてきた黄都府以外には、あまり知られていない。


「その通り。よく知っているね」

「それはそうですよぉ。俺はいずれ上洛する身ですから」


 志乃は当然のように笑うが、直武が一瞬浮かべた笑みは苦い。


「その名前持ちの物の怪たちとの戦は、現在睨み合いが続いている状態だ。しかし、君たち〈特使〉が現れたとなると、この先、人間側が劣勢を強いられる可能性が高い。

 実際、その兆しはちらほらと見えているんだ。私の余命があと一年ほどということも、その一つだね」

「え」


 瞠目どうもくして、志乃は直武をまじまじと見つめる。たった一年の命しか持っていないなんて、とても信じられない。


「呪詛持ち、という名前を聞いたことはある?」

「簡単なことであれば知っています。そういった方々がいらっしゃることもありますし、ここでそうなってしまう方も少なからずおりますから」


 さらりと言われたが、それは花柳界の闇に沈む事柄の一つだ。主に人間関係が原因で呪い呪われ、悲惨な末路を辿る者たちを時に始末するのもまた、花街の警護を担う者たちの役目である。


「ですが、人間の呪詛はともかく、妖怪や物の怪の呪詛というのは、目印でもあると聞きました。決して獲物を逃がさないための」

「うん。私にかけられた呪詛もそうだ。私はとある物の怪に狙われていてね。いずれ相討ちで死ぬ定めにある」


 自分が死ぬという事実を、直武は穏やかな顔色を全く変えずに話した。諦観も悲観も無く、容易く聞き流せる程度の一言のように。


「その前に、私は君たちを育て上げなければならない。これもさっき言った通り、そういう任務でね」

「そういうことでしたか」


 ふむふむと頷く志乃の表情に、納得以外の色は一切ない。自分が重要な存在であること、直武の死が決定されていること。普通なら引っ掛かる箇所を、あっさりと呑み込んでしまう。


「ところで、麗部うらべ殿。質問をしたいのですが、よろしいでしょうか」

「もちろん。どうぞ」

「〈特使〉と三龍神には、何か関係があるのですか?」


 小箱を指さす志乃に、「うん」と直武は軽く頷く。


「最初の〈特使〉誕生には、その二柱が関わっているらしいからね」

「……。それって、すごいことでは?」

「すごいことだね」


 先ほどの会話よりずっと軽い調子なのに、志乃はこちらで明かされたことの方に驚きを見せた。


「でも、二柱が直接関わっているのは、最初の〈特使〉だけ。以降の〈特使〉には間接的にしか関わっていないんだ」

「ほうほう」


 それでも関わっていることに変わりは無いのだが、志乃の驚きはあっさりと引く。


「とは言っても、三龍神と〈特使〉の関りには謎が多くてね。そもそも〈特使〉自体が謎に満ちた存在だから、それ以外に詳しいことは、まだ分かっていないんだ」

「そうなのですか?」

「うん。調べるとなると神代までさかのぼらないとならないし、そこら辺の史料も少ないから、研究が進んでいないんだ」


 残念そうに肩を落とした後、「さて」と直武はすぐに話を切り替える。


「この辺りで次の話に移らせてもらうね。次の話は、君の体についてのことだ」

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