鬼と使い
聴いた者の胸を否応なく
演奏者は、異国の様式で造られた庭の
「あー、
暢気に間延びした口調で言い、にっこりと笑う男。結い上げてもなお長い濡れ羽色の髪に、異国の要素が混じった衣服を身に
美しい鬼の名は
「志乃を見に来てた人間のこと、何か分かったぁ?」
「詳細までは突き止められませんでしたが、
「橙路府かぁ」
さして驚いた様子も無く、にこにこと雷雅は繰り返す。雷吼丸は瞬き一つもせず、後ろで結んだ少々長めの髪と同じ、薄い金色の目を雷雅に向けていた。
雷雅が訊いた人間とは、志乃が成り損ないを倒す様子を遠目から見、宿場町にて芳親と短い会話をしていた、素性の分からない人間のこと。彼がどこから来たのかを突き止めるのが、雷吼丸に命じられたことだった。
「橙路府のどことまでは、分かんなかったのー?」
「はい。途中で撒かれました。境田芳親も言っていましたが、優秀な人間です」
「へぇー。なら、確かに優秀だねぇ。じゃあ、旧武家か、その臣下の人間かなぁ」
「おそらくは」
返答があろうとなかろうと気にしていないのか、雷雅は考え込む素振りを見せた。雷吼丸もまた、報告が済めばそれでいいのか、彫像のように黙って立っている。
そのままどちらも動くことなく、ただ思い出したように瞬きするだけの状態が続いた。傍からは、東屋に二体の彫像が置かれているかのように見える。
一枚の絵画のごとく停止した空間に、新たな足音が入って来たのはすぐのことだった。
「おい、雷雅」
新たな足音の持ち主は、突っ立ったままの雷吼丸を通り過ぎ、雷雅の前に立って彼を呼ぶ。不機嫌さが前面に押し出された声だったが、雷雅はにっこりと笑って顔を上げた。
「わー、
「どうしたもこうしたもあるか
更に不機嫌さを増した声を出すと、来客はこの世で最も忌々しいものを見ているかのような顔で雷雅を睨んだ。実際、彼にとって最も忌々しい存在は、本当に雷雅なのだが。
風晶と呼ばれたこの来客もまた鬼。
「風晶が走り回るのは、それが好きだからでしょー?」
「そんなことは今までに一度も言っていない。貴様が動かんから私が動かなければならなくなるのだ」
「あははは」
空っぽの笑い声を以て返してきた雷雅を、風晶はさらに睨み付けるかと思いきや、不意に表情を無に落とす。しかし、彼の目には殺気を纏った冷たい光が灯っていた。
動作も言葉も無く、風晶が妙術で作った風の刃を放つ。近距離から放たれた不可視の凶器は、逃げる素振りのない雷雅の首へ、あっさりと叩きこまれた。ところが結果は、綺麗に垂れた雷雅の髪を微風が揺らしただけ。
「飽きないねぇ、何回も。風晶は俺を殺せないでしょー?」
「うんざりすることにな。いっそ誰かに依頼して殺してもらいたいくらいだ」
「それ、俺の希望通る? 最期に喧嘩したい奴、わりといるから通してほしいんだけどー」
「通さんが?」
無表情から一転、「何を言っているんだお前」と言わんばかりの形相で見られても、雷雅はへらへらと笑っている。一瞬のうちに殺そうとした者と、殺されるところだった者のやり取りとは思えないほど平和だが、何百回と同じことを繰り返した末の、慣れが生み出した光景だ。
「ともかく、例の二件の話をするぞ」
「えー。今、志乃のこと考えてたから後で」
皆まで言わせず、風晶はまたも動作なく妙術を使い、突風を雷雅に叩きつける。雷雅は暢気な声を上げ、無抵抗で澄み切った庭池に転落していった。
「微動もしなかったな、雷吼丸とやら」
「助けろと言われませんでしたので」
「ああ、なるほど。あれの見張り以外に命じられていることが無いのか」
腰を下ろし、納得したように言う風晶に、しかし雷吼丸は首を傾げる。
「あれ、とは」
「雷雅が育てた娘のことだ」
「志乃様のことですか。……何故、雷雅様は志乃様を気にかけておられるのでしょう」
全く視線を逸らさずに投げられた問いに、風晶は思わず「は?」と目を見開いた。
「お前、何も知らずに命じられたことを遂行しているのか?」
「はい。それが役目ですので」
「……いや、雷雅はそういう奴だったな」
深いため息をつきつつ、風晶は池に呆れた視線を向けた。
雷雅は喜怒哀楽が皆無と言っていいほどに薄いため、使役するものに感情を与えることができない。加えて、遂行してもらうこと以外の事柄は、ほぼ何も伝えない。雷吼丸が何も知らず、疑問も無く任務を完了したのは、この事情のせいだった。
「先ほどの問いに答えよう。雷雅があれを気にかけているのは、親を気取っているからだ。あれを手放した後もな」
「親ですか」
「そうだ。加えてあの阿呆は、人間の親は子どもを見守るものだと思っている。だから、あれがもう十七になっても、お前に見張らせているというわけだ」
「……年齢は、その行為の良し悪しに関係しているのですか」
「しているとも。十七なぞ人間からすれば大人だ、親の目が必要な子どもではない。それに、あれはいずれ見守りだけでは留まらなくなり、悪影響をもたらすばかりになろう」
「そうなのですか」
言葉は感心したもののようだが、平坦な声と口調に加え、ずっと変わらない能面のような表情のせいで、全くそういう風に聞こえてこない。が、風晶は気にすることなく、再び池に視線を向けた。
「雷雅、いつまで沈んでいるつもりだ。さっさと上がって来い」
叱りつけるような声が放たれてから、一拍おいて水音がする。次の瞬間には、雷雅が東屋の
「あはははぁ。池の中は静かだから、よく考えられたよぉ」
「それは良かったな。落としてやった私に感謝しろ」
「えー。まぁでも、いいやぁ、ありがとー」
全身ずぶ濡れだからか、雷雅は東屋の中に戻ってこようとはしない。が、指摘する者はこの場にいなかった。
「でさぁ、風晶。今後起こりそうな問題の中で、もうすぐ起こりそうな二件について話しに来たんだよねぇ?」
「そうだ。やっと話を聞く気になったか」
「うん。でもちょっと待ってー。聞いてほしいことがあるんだー」
口を閉ざし、風晶は目線で先を促す。
「例の二件、片方は橙路府の
「ああ。このままいけば、
「知ってるー。だから橙路府の人間、それも旧武家に関連する家の人間が、夜蝶街の物の怪騒動を見に来たんだよー」
まだ聞いていない情報に、風晶の眉が片方だけ上がる。雷雅は雷吼丸を見、説明させた。
「――なるほど。で、その橙路府から来た名も分からぬ男が、この件にどう関係しているというのだ」
「その人間、物の怪みたいな人外を相手にする戦い方を、事前に調べに来たんだと思うよー。見くびられたくないって。ほら、橙路府と
「つまり橙路府の人間たちが、物の怪までとは言わずとも、強力な妖怪であれば倒せるまでに成長すると、そう考えたのか? 黄都府もとい洛都からの援助に頼りたくないという一心で?」
「さすがに協力しないと駄目だろうけど、十分考えられることでしょー?」
自信も不安もなく、ただ思いついただけのことを述べたという様子の雷雅に、風晶は素直に頷いた。確かに考えられると。
「加えて、旅をしている直武にも、橙路府に行けっていう命令が下ると思うんだよー。呪詛持ちだけど直武は強いしー、手元には妖雛が二人もいるしー、その二人の訓練にもなるしー」
「それは確実だろうな」
「でしょ? つまり、鼬の方は人間たちで十分、迎え討つだけの力があるってことなんだよー」
雷雅はその先を続けなかったが、風晶には明確なまでに伝わっていた。
「だから、もう一件の方に尽力しろ、と」
「危険さで言えば、鼬なんかよりこっちの方が上だからねぇ。それに用心深いし。相手が用意周到に手を打っているなら、俺たちだってそうするべきじゃないかなぁ。それに」
再び、雷雅は突っ立ったままの雷吼丸に
「鼬は雷吼丸とか、他の使いに見張らせられるもの。いざとなれば助力して、時間も稼げる。俺と風晶はもう一件の対処に取り掛かれる。一石二鳥ってやつだよー」
「ふむ。……これからの方針を話す手間が省けたな。だが話はまだ終わらんぞ。ついでに雷吼丸も留まらせて話を聞かせる」
「風晶の言うことも聞くように言ってあるから大丈夫だよー。それよりさぁ、服乾かしてくれない? 髪も服も、水吸っちゃって重いんだよー」
「では雷吼丸、ここに留まって話を聞け。そしていい加減に座れ」
雷吼丸に指示を出しながら、風晶は雷雅に容赦ない強風をぶつけて乾かしてやった。応じて雷吼丸が着席した後に、雷雅も欄干を越えて元の場所に座り直す。
「はあ。何百年と思って来たことだが、貴様と会議を行うと、開始までに疲れが溜まる」
「大丈夫? 妖怪でもちゃんと休まないと弱るよー」
「誰のせいだと……まあいい、始めるぞ」
若干投げやりにも聞こえる声で言い、疲れ顔の風晶と笑顔の雷雅、そして能面のような無表情の雷吼丸と、三者三様の会議が始まった。
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