女の話

 志乃の衣服は、見回り番の組み合わせも含め、全て志鶴が作っている。一見すると男物だが、女性でもしっかり着られる仕組みの服を作れるのは、彼女くらいしかいない。

 その志鶴が待つ客間に到着すると、志乃は中へ声をかけた。


「失礼いたします。花居志乃、参上いたしましたぁ」

「そんなかしこまった挨拶要らないよ。入っておいで」


 元々浮かべていた笑みを深め、ふすまを開ける。部屋では志鶴と山内が、将棋盤を挟んで向き合っていた。


「お待たせいたしました、志鶴姐さん。聞いたところによると、旅装束を仕立ててくださったとか」

「そうだよ。ちょっと待ってな。すぐ済ませる」


 にやりと笑い、志鶴は白魚の手を遊ばせて駒を打つ。山内はそれをにこにこと眺めていたが、ぱちんという小刻みの良い音の後に「あっ」と身を乗り出した。


「ははは、打たれたその時まで気づかないとは、まだまだだねぇ。それじゃあ、いつまで経っても健光たけみつに勝てないよ?」

「うぐぅ……」


 中谷に関しては負けず嫌いの山内は、悔しそうにうなって盤上を睨み付ける。志乃はその上から、ひょこっと戦局を俯瞰ふかんした。


「……兄貴、盤上の戦いには滅法弱いですよねぇ」

「えっ。急にそういうこと言わないで志乃。兄貴泣いちゃう」

「すみません」「弱っちいこと言うんじゃないよ」


 謝罪と叱咤の声が重なる。志鶴は言うのと同時にかたわらの風呂敷包みを解き、畳まれた旅装束を取り出していた。


「ったく。……ああ、志乃、アンタの旅装束を届けに来たんだ。広げてみな」

「ありがとうございます。では、着てみますねぇ」


 当然のように着物に手をかけ、着替えを始める志乃。何の前触れもなかったため、山内は慌てて後ろを向く羽目になった。


「志乃、着替える前に一声ちょうだい?」

「? ……あぁ、失礼いたしました。山内の兄貴や中谷の兄貴には、さらしだけの姿を普通に見られておりましたから、つい」

「もう晒も駄目なんだけどねー。気を付けなよ? 旅の仲間は男しかいないんでしょ? うっわ男連中の中にこんな可愛い子放り込むとか冗談じゃない無理」

「見回り番も男所帯じゃありませんかぁ」


 笑いながら答えつつ、志乃は素早く着替えていく。新しい着物とはかまに加え、脚絆きゃはんと手甲、引き回しの合羽かっぱ菅笠すげがさと、身に付けるものが多い。全て着終えると、旅をする若武者のような出で立ちになっていた。


「さすがの出来ですねぇ、姐さん。素晴らしい着心地です」

「そりゃあそうだろうさ。何年アンタの服を仕立ててやってると思ってんだい」


 会話の内容から着替えが済んだと察して、山内も志乃の姿を見る。しかし、「おー」という声を上げた後、何となく微妙な顔をした。


「……それじゃあ男に見えちゃうね、志乃」

「いつものことでは?」

「そうだけど、俺はそれが嫌なんだよー。親方と中谷は『男に見えるんならそれを利用する手もある』とか言ってたけど、志乃は女の子じゃん。だったら一回くらい、綺麗な着物着てほしいのよ兄貴は」

「ですが先ほどは、男連中の中に可愛い子を放り込むなんて冗談じゃないと」

「くそっ、本心だったけど要らんこと言ったか」


 複雑そうな顔をしながら、山内は両手で自分の頭を掻き回す。たまに言われる言葉と、たまに見られる動きだったため、志乃はにこにこと兄貴分の様子を眺めていた。


「それに、女性の着物は動きにくい……あ、いえ。それでもやれる方法はいくらでもありましたねぇ」

「もー、そうやってすぐ物騒なことに繋げる。姐さんも何か言ってくださいよ」

「無理」


 すぱっと一言で切り捨てられ、山内は渋々口を閉ざした。

 その後、座るなどして更に着心地を確かめてから、志乃は丁寧に着替えて旅装束を畳む。風呂敷に包み直していると、「そういえば」と志鶴が切り出した。


「アンタ、刀はどうすんだい。見回り番の刀は、自分の刀を見つけるまでの支給品だし、持って行けないだろう」

「刀は旅先で見つけることになりましたが、親方が短刀を一振りくださるそうです」


 ありがたいですねぇ、と志乃は笑っていたが、山内は半目になっている。


「志乃。何回も言ったけど、刀は苦無くないとは違うからね。苦無みたいな扱いしちゃだめだからね」

「え、は、はい」

「しかも、親方の短刀なんて絶対いいもんだろうから、大切に扱うんだよ?」

「はい……」


 中谷から説教されるときほど怖がってはいないが、笑みを引きつらせて志乃は頷いた。それを志鶴が物珍しそうに眺めている。


「富太も志乃を叱る時があるんだねぇ」

「それはありますよ。刀を包丁代わりに使ったり、穴掘りに使ったりするのなんて言語道断ですし。空腹を放ったままにして倒れたなんてこともありましたし」

「た、倒れたことは今、関係ないことではないでしょうか。というか、何で兄貴も親方もそればっかり言うのですか」

「最も『馬鹿やったなこいつ』ってみんなに思われてることだからだよ」

「あう、う、あううぅ……」


 何も反論できず、志乃は眉を八の字にして、情けない声を出した。完全な敗色に、志鶴はからからと笑い声を上げる。


「いやぁ、富太も変わったもんだよ、本当に」

「俺のことは散々いじったからいいでしょ、姐さん。志乃の前で昔の俺の話はやめて、羞恥で死ぬ」

「そうなんですか?」

「うん、死んじゃう。そういうわけだから俺の過去を掘り下げるのはやめてね志乃。中谷の野郎に訊くのもやめてね」

「分かりましたぁ」


 のんびりと言って、志乃は小指を差し出す。山内は一瞬、「ん?」と首を傾げていたが、指切りだと気付くなり、満面の笑みで応じた。


「ああー、志乃は可愛いなぁー。可愛いからこそ心配だけど、旅をさせなきゃならないんだなぁー」

「その旅で、志乃が良い相手を見つけてきたらどうすんだい」

「うぐふっ!?」


 見えない拳で殴られたかのように、山内は胸と腹をそれぞれ掴んで倒れ込む。志乃はそれを不思議そうに眺めていた。


「どうなさったのですか、兄貴」

「何でもあるけど何でもない、気にしないで。……姐さん、何て恐ろしいことを」

「恐ろしいも何も、可能性は十分あるだろう。志乃も年頃だし。何ならあの芳親っていう子と、そういう仲になるかもしれないよ?」

「イヤァァァァッ!!」


 高い声で悲鳴を上げ、山内は頭を抱えるなり畳に突っ伏した。


「やだやだ、志乃が嫁に行くなんて嫌だぁぁぁ! うおぉぉぉ耐えられねぇぇぇ!!」

「へ? 俺の嫁入りの話だったんですか?」


 志乃の素っ頓狂な声は、「そんな奴いたらぶっつぶしてやるぅ……」と物騒な文言を呟く山内には聞こえていないらしい。それを良いことに、志鶴はにやりと笑いかける。


「実際、どうなんだい。芳親って子は」

「無いかと。そもそも、俺にはそういったことがまだ分かりませんし」

「唐突に分かることもあるさ、そういうのは。まるで雷に打たれたみたいに、びりびりっとね」

「姐さんは、そういったことがあるのですか?」


 純朴さが窺える問いに、志鶴は艶然えんぜんと――その方面には疎い志乃の心すら、ざわりとさせるほど――笑んでみせる。彼女が花魁の衣装を着ていると幻視してしまうほど、美しい笑みだった。


「……っははは、何だい、顔を赤くして」

「えっ」


 知らず志鶴の艶笑えんしょうに心を奪われていた志乃は、指摘で我に返るなり、自身の頬をぺたぺたと触り始めた。


「? どうしてでしょう、熱くなっています」

「これくらいでのぼせるなんて、初心うぶだねぇ」


 気持ちよく笑う志鶴に、志乃は首を傾げる。それから間もなく山内が復活し、ゆらりと身を起こした。


「あぁ、兄貴。大丈夫ですかぁ?」

「うん」


 わりとよく見る奇行だったため、のんびりと安否確認を取る志乃に、山内はまだどこか青い顔で笑いかけた。綺麗すぎるあまり、逆に不気味な笑顔で。


「志乃、もしそういうクソ野郎……こほん、相手を見つけたら、これだけは確認しておいてほしいんだけど」

「はい、何でしょう」

「俺もしくは中谷より強いか。これだけは絶対に確かめてね」

「分かりましたぁ、憶えておきます」


 志乃はのほほんと答えたが、志鶴は呆れ顔で山内を見、深いため息をついた。


「さて、アタシはそろそろ戻るかね」

「お送りいたしましょうか?」

「いや……ああ、やっぱり送ってくれるかい、志乃。アンタと過ごせるのは、あと二日か三日くらいだし。ついでに、ちょっと散歩に付き合っとくれ」


 袖頭巾を被り、上品な身のこなしで立ち上がる志鶴に続き、志乃も立ち上がる。何とか立ち直った山内はついて行かず、将棋盤の片付けに取り掛かっていた。


「じゃ、富太。相手ありがとう、またね」

「ええ、こちらこそ。志乃は行ってらっしゃい」

「はい、行ってまいります」


 ひらひらと手を振ると、志乃は志鶴に続いて客間を出る。最初は斜め後ろにいた志乃だが、志鶴に手招きされると、彼女のとなりへ歩を進めた。

 屯所を出、また人が少ない通りを進んで行く両者の姿は、貴婦人とその護衛をする若い侍のように見える。しかし、時おり談笑し合う様子は、親子か姉弟を彷彿ほうふつとさせるほど親しげだった。

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