狂喜の喧嘩

 危なっかしく揺れたものの、志乃は倒れず、刀も落とさず、その場にしっかりと立っていた。それを確認すると、芳親はやっと起き上がった物の怪に目を向ける。


「……弱くて、よかった。……強かったら、すぐ起きて、すぐ攻撃、してくる、から」


 安堵するかのように笑い、牡丹色の瞳は志乃の方に視線を戻す。


「じゃあ、志乃。いいよ」


 言葉が発された瞬間。志乃の姿が芳親の前から消え――異形の首が、あっさりと斬り落された。

 一拍遅れて斬撃の音と、首が地面に落ちた音がする。続いて、頭を失った巨体も倒れた。その音が聞こえてから、彼はもう一度そちらを向く。

 呆気なく倒された物の怪の残骸。冴え冴えとした月光が降り注ぐその上に、一人の妖雛がたたずんでいた。彼女の持つ月のような青白い目もまた、芳親の方を向いている。

 視線がかち合った途端、異色な妖雛は喜びに打ち震えた。


「……ああ、やっぱり。……片割れ、だったんだ、ね」


 心の底から引き揚げたような、静かながらも喜びに満ちた声。その声で丁寧に言葉を吐露すると、芳親の顔に笑みが浮かんだ。ゾッと寒気を覚えてしまう、人ではないモノの笑みが。

 二か月前、如月。直武と旅をすることが決まっていた頃、芳親は決定的な気配を感じ取った。この世で、これ以上に自分をたかぶらせてくれるものはないと、直感するほどの気配。その持ち主が今、目の前で本性を現わしている。


「志乃。……ちょっと、で、いいから……僕と、喧嘩、しよ?」


 子どもがねだっているかのような口調に、志乃は返答をしない。しかし、笑んで刀を構えるという反応をすぐに見せた。紛れもない了承の動作に、芳親も構える。


「それじゃあ、行くよ」


 開戦の火蓋が落ちるなり、ほぼ同時に地面を蹴った双方は、風となって衝突した。静まった月下の平原に、はがねの打ち合う甲高い音が響き渡り、刹那せつなの火花が咲いて散る。

 凄まじい膂力りょりょくで押し込まれ、噛み合った刀は拮抗し、ぎりぎりと唸っていた。今や人外の体の一部となったそれは、持ち主たちの戦意を代弁して叫んでいる。持てる全てを尽くして、この相手と戦いたいと!

 素早い打ち合いで火花を散らした後、両者は一旦間合いを取った。が、息つく間もなく志乃が跳び、上から斬りかかる。骨を砕くかというほど重い斬撃を、芳親は進み出て余裕で受け止めたどころか、そのまま押し返した。


「っ、はは、は……っ!」


 芳親の口から笑い声が落ちる。狂喜に満ちた、血を求める刃のような声だった。

 乱れた前髪の隙間から覗く、鮮烈な牡丹色の瞳。歪んだ口から覗いた犬歯。どちらにも、笑い声と同じ純粋な狂喜があった。それは視線を介して志乃の瞳にも伝染し、宿る。

 氷輪ひょうりんのような、しかしどこか黄色みもある青白い瞳。弧を描く口から覗く牙。戦いに陶酔とうすいしているかのような笑みを浮かべる少女は、まさに鬼――芳親はそう確信したが、すぐさま頭の隅に片付けた。

 刃と刃が交わる一瞬に生じる、狂おしいまでの楽しさを心身が求め、それに手を伸ばすのを最優先としている。他には何も要らないという思考すら、頭の片隅に追いやられ、消えつつある。


 目の前にいる相手と戦うこと以外、全てどうでもいい。それに勝ることなど、今、この時には存在しない。


 地面を蹴り、芳親が仕掛ける。真上から斬り込んできた志乃とは違い、横薙ぎの一閃いっせんを放った。志乃は華麗な宙返りでひらりと避け、着地するなり刀を水平に構えたかと思うと、槍を扱っているかのように投擲とうてきした。


「へっ!?」


 思わず頓狂とんきょうな声を出しつつも、芳親は飛んできた刀を払い飛ばす。が、刀に視線を取られていたために、戻した視界の端でひるがえった黒い尾が何なのか、攻撃を受けるまで気づかなかった。


「――ぅぐっ……!!」


 無論、黒い尾とは志乃の髪に他ならない。

 刀を払い飛ばした際、つかから離していた片手。咄嗟とっさに腹をかばった手のひらから沈みこんできた衝撃。投げた刀で視線を逸らし、がら空きになった胴に一瞬で間合いを詰めて放たれた拳が、防がれつつも威力は衰えることなく打ち込まれていた。

 このまま刀を振るっても、手首を掴まれて防がれる。即座にそう読み、芳親は刀を捨てて彼女の手首を掴んだが――強烈な悪寒が背筋に走り、反射的に手を離して飛び退った。

 直後、バチリと嫌な音がする。音の出所は志乃の手だ。先ほどまで掴まえていた手首から、小さな雷が発生し、手のひらへ這い伝ってバチバチとうねりを上げている。


「……危ない、なぁ」


 言葉の内容に反して、芳親の笑みは深まっていく。好奇と興奮が加わった笑みは無邪気な子どものようだが、そこから人外の面影が拭われることはない。


「……じゃあ、次は……妙術、で――っ!?」


 楽しさに満ちた芳親の声が、突如として崩れた。合わせるように、膝もガクンと崩れる。

 体勢を崩したのは芳親だけでなく、志乃も同様。しかし、ぎりぎりのところで両手をつけた芳親に対し、彼女は何の抵抗も無く倒れ込んだ。気絶したらしく、完全に沈黙してしまっている。


「――あ、う――」


 その証拠に、芳親も気を失う寸前になっている。動きが遅くなっていく脳内で、彼は自分の身に起こっていることを分析し、以前にも同じ感触を味わったことを思い出した。

 第三者から力を抜かれ、強制的に戦闘不能の状態にされる。それこそ、自分と志乃の身に起こっていること。そんなことが出来るのは妖雛や妖怪、妙術を扱える少数の人間で――今、この夜蝶街周辺にいる中では、麗部うらべ直武にしか出来ない。


 何とか答えを導き出したところで、芳親は自ら地面に身を横たえる。怒られることを懸念しつつも、素直に目を閉じて、あっさりと意識を手放した。

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