共闘

 まだ人がいた本陣とは違い、先陣の方には人が全くいない。志乃はそれを疑問に思うことなく、むしろ当然だと考える。

 人間が敵わない、もしくは手こずるからこそ、人間より頑丈で強い自分が向かわされる。強い相手に上物の武器で挑むことと同じように、深く考えずとも明白なことだ。


 月明かりだけが頼りになっても、志乃は道を迷うことなく進み、先陣に無事たどり着いた。本陣よりも簡素な作りのそこにいたのは、同年代と思われる少年一人だけ。

 背丈が志乃とほとんど同じ少年は直立不動で、平原の方を眺めていた。前後ともに長い髪や着物を風にもてあそばれているが、本人は「絵の中の人物なのでは」と錯覚してしまいそうなほどに動かない。

 彼の異様な雰囲気には、近寄りがたさも含まれていたが、志乃は躊躇ためらうことなく歩み寄る。


「こんばんは、お兄さん」


 緩く投げられた挨拶に、少年は初めて身じろぐと、続けて緩慢な動きで彼女の方を向いた。前髪の隙間から覗く目が少女の姿を捉え、こてんと首が傾げられる。


「……。……、……志乃?」


 数度目を瞬かせると、少年は久しく会った知人の名を確かめるかのように問う。志乃は笑顔を崩すことなく、「はい」と素直に頷いた。花柳界に限るとはいえ、名前や外見が知れているため、急に名前を言い当てられても動揺しない。


「初めまして。花柳界では『夜蝶の志乃』と呼ばれております、花居志乃と申します」


 改めて名乗り、お辞儀をする志乃。青年はそれをぼうっと眺めていたかと思えば、一拍遅れて緩慢な返礼をした。


「……僕の名前は、境田芳親。職業は人妖兵じんようへい。……よろしく」

「境田殿ですね。貴殿と共闘することになりましたので、どうぞよろしくお願い致します」

「知ってる。……あと、芳親、の方で、呼んで。……境田は、呼ばれ慣れて、ないし……殿も、付けなくて、いい。……僕と、歳、変わらない、でしょ?」


 不慣れな言語を話すかのような、ゆっくりとした独特な口調。だが、声には親しみの色があり、志乃の笑みを深めさせた。


「では、芳親さんと呼ばせていただきますね」

「……まあ、いいか。うん。……」


 こくっと。否、かくっと。何だか眠たそうにも見える頷きを返した後、芳親は再び、観察するかのように志乃を見る。その目には、明らかに疑問が浮かんでいた。


「……うーん……」

「どうなさいました? 俺の顔に何か付いていますでしょうか」

「違う。……、……志乃、もしかして……妙術、使えない?」

「はい」


 即座に頷かれると、芳親はますます首を傾げ、眉をひそめる。理解しがたい難問にぶつかった、学者か何かのような顔になっていた。


「……おかしい……うん、おかしい。……だって、使えない、なら……感知、できない、はず……街に来ても、何も、感じなかった、から……おかしい、とは、思ってた、けど……」


 眉間のしわをさらに深くした芳親だったが、急にがくんと項垂うなだれた。続けて、残念がっているらしいため息をつく。


「……何も、感じなくても……何かの拍子に、妙術、使ってくれさえ、すれば……楽しく、やり合えると、思ってた、のに……」

「よく分かりませんが、一応謝罪しておきますねぇ。申し訳ありません」

「ううん。……謝ってもらう、ことじゃ、ない。……喧嘩は、売るなって、言われてた、から……使えなくても、全然……というか、使えなくて、いい」


 似たようなことを言われていたため、志乃は一瞬、ぎくりと肩を震わせる。芳親の方は、残念そうな感じを拭いきれていなかった表情を、思考するような表情で塗り潰し、切り替えていた。


「……でも、妙術、使えない、なら……何で、二か月前、感知、出来たんだろう……。……志乃、何か、やった?」

「二か月前といいますと、如月ですか? ……あぁ、そういえば、なかなかに手ごたえがある妖怪の方が団体でいらっしゃいましたねぇ。周囲の方に多大なご迷惑をかけていらしたので、さっさと片付けたのですが」


 自然と上を向いたあごに手を当てつつ、しかし志乃は首を傾げる。


「ただ、申し訳ないのですが、その時の記憶は全くありません。俺が片付けたらしいのですが、気絶したと思ったら白灯堂――医療施設です、屯所にある――の寝台で目覚めて、それから事の顛末を聞かされたので、実感も無く。何だか不思議な体験でしたねぇ」

「……そういう、こと。……大体、察した」


 難しい顔が消え、芳親は何度も頷いていた。何か納得できたらしい。


「……それなら……うん。早めに、終われる、かも」


 独り言を零すと、芳親は平原の方へ視線を向ける。志乃もつられるように平原に目を向け――さざめくような血潮のうごめきを感じ取った。

 何かがいる。こちらへ来る。空気を伝ってきたその気配に、口角が上がっていく。


「おぉー。成り損ないの時に感じた気配より、ずっと濃密ですねぇ」

「……本体、だから、ね」


 恐怖を掻き立ててくるような不穏な空気が、風に乗って流れてくる中、両者は暢気なやり取りをしていた。平原へ向けられた目は、どちらも一見しただけで人外と分かる色へと変わり、鮮やかに輝いている。

 月に雲がかかり、陰が素早く広がっていく。その陰から、ずるりと何かの体が盛り上がってきた。雲が落とした陰の中、黒い体の持ち主は次々と現れ、獣のような姿を取っていく。その数、およそ五体。


『『『『『――オォォォォォォォン!!!!!』』』』』


 響き渡る遠吠えの合唱と共に、あまりにも濃い怨恨えんこんの念と殺意が満ちた。

 再び落とされた月光の元に、狼を基に作られたかのような、いびつな獣の群れが現れる。大きさは狼より一回り大きく、熊と同等ほどと見受けられた。


「これが物の怪ですかぁ。何とも禍々しくて――手ごたえがありそうですねぇ」


 異形の大きな獣の群れ、それらが放つ怨恨と殺意の波動。普通ならば戦意を喪失してもおかしくない光景を前にして、志乃は興味津々とばかりに身を乗り出していた。物の怪と同じかそれ以上の、殺気と戦意が籠った笑みを浮かべて。


「……今の、志乃なら……全員に、手ごたえ、あるだろう、けど……こいつら、雑魚ざこ。……減らして、強い奴、作って……遊ぶ方が、良い」


 対して、芳親の顔にはいかにも退屈といった、場違いの表情が浮かんでいる。彼ら人妖兵からすると、小規模な物の怪というのは瞬く間に片付けられる程度なのだ。相手の怨念や殺意が、どれだけ強かったとしても。


「はあ、雑魚ですか。……ん? 芳親さん、先ほどおっしゃった『作る』というのは、どういうことでしょう」

「……まあ、見て、て」


 どこか得意げな笑みを浮かべると、芳親は片手を物の怪の方へ向けた。途端、群れを囲うように、巨大な牡丹が咲き誇っていく。半透明ながら、夜の中でも鮮やかかつ幻想的に咲くそれに、志乃は呆気に取られた。

 とても攻撃できるとは思えない美しい花だが、役立たずの代物ではないだろう。そんなことは志乃にも分かっていたし、先日、彼の牡丹に囲われた男もそうだった。男の場合、察したゆえに無闇に動くことは無かったが。


『ガルアァァァァァッ!!』


 今夜囲われたモノたちは違う。一頭が上げた雄叫びを合図に、物の怪たちは牡丹の囲いを蹴散らさんと駆け出した。

 物の怪たちの足が動くのとほぼ同時に、柔らかく広がっていた牡丹の花びらが分離する。一枚一枚が自由になった花びらは、あでやかな色の刃と化して、物の怪たちに襲い掛かった。


『『『ガアァァァァァッ!?』』』


 刃の花吹雪にさらされ、物の怪たちは一斉に体勢を崩す。一体は早々に倒れ伏し、もう一体も成すすべなく倒れた。

 一方的な攻勢、しかも大規模な妙術での攻撃は、芳親が持つ人外の異常さを象徴している。この場に人間がいれば間違いなくそう思うだろう。

 しかしながら、この場にいる彼以外の存在は志乃だけ。妖雛の彼女が感じているのは、本当にこれらは雑魚なのだという脱力感のみだった。

 もう一体が膝をつく。すると黙っていられないとばかりに、まだ力の残っている二体が駆け出した。襲い掛かる花びらの刃を振り切り、迫っていく。


『グルァァァァァッ!!』


 怒り一色の唸り声と共に、妖雛二人へ牙を剥き出しにして飛び掛かろうとする物の怪。志乃はゆったりと柄に手を掛けたが、芳親のまとう空気が変わったのを感知して手を離す。入れ替わるように、彼女の隣から疾風が起こり、真っすぐ物の怪に向かって行った。


『――!?』

『グルッ!?』


 片方が異変に気付いて踏み止まるも、その禍々しく赤い目に映ったのは、あっさりと首を絶たれて倒れた仲間の死骸。そしてしかばねの前に立つ、刀を持った忌々しい敵の姿。


「……うん、やっぱり。……弱いし、遅い。……今、気付いたなんて」

『――ッヴルァァァァァァッッッ!!!!』


 言語など通じていない。だが、牡丹色の目は雄弁に語っていた。――お前たちなど足元にも及ばない、と。

 紛れもない挑発と侮辱ぶじょくの視線を向けられた物の怪は、いきどおる思いのままに敵の体を食い千切り、骨を砕かんと、巨大な口を開けて飛び掛かった。しかし、芳親は慌てる素振りなど一切見せず、ゆったりと刀を下段に構える。


「……ありがと。狙いやすくて、助かる」


 つぶやかれた言葉は、物の怪には聞こえていなかった。空中ですれ違いざまに斬られ、上下に両断されていたので。

 ドササッ、と鈍く大きな音を立て、地面に落ちた物の怪の残骸に対し、芳親が立てたのは、かさり、というわずかな足音だけ。彼が何も無かったかのような無表情で戻って来ると、志乃はにこりと笑んで見せた。


「お見事でした。でも、まだ斬り残しがありますよ?」


 小首を傾げながら言って、彼の背後を指す。その先には、花びらの刃を一身に受け、膝をついたまま周囲を見回す物の怪が残っていた。弱々しく周囲を見回す姿は、自分以外が事切れたことを悲しんでいるように見えなくもないが、生憎あいにくと、妖雛二人にはどうということもない。


「……あれは、いい。……強くする、ために、残した」

「?」


 さらに志乃が首を傾げると、残った一体がよろよろと立ち上がり、


『――オォォォォォォォン!!』


 一体分になった遠吠えを上げた。

 呼応する声は無いが、斬り伏せられた死骸たちが小刻みに震えたかと思うと、ずりずりと残った一体の方へ這って行く。


「おや、俺が相手をした成り損ないと同じですねぇ。仲間を取り込むことで、さらに強くなるというわけですかぁ」

「うん。……群れには、よく、ある」


 自然の摂理を観察しているかのように話す二人の前で、物の怪は大きくなっていく。体は見上げるほどの巨躯きょくになり、目に痛いほどの赤い口は裂け、目玉は六つに増える。膨れ上がった形状は狼の面影を無くし、そう作ろうとして失敗したかのような、異形の獣となっていた。


「……じゃあ、志乃。あれ、倒そう」

「分かりました。しかし、随分と巨大ですねぇ。一体どこから攻めたものか」


 一見して、敵わないと諦めてしまいそうになる見た目の獣を前に、妖雛たちはあっさりとした雰囲気で会話を続ける。二人がまとう雰囲気は、「食材をどう料理したものか」という日常の会話に漂うものと全く同じだった。


「……首、落としちゃえば、いい」

「ですが、あまりにも太すぎるかと。俺の膂力りょりょくで斬れるでしょうか」

「うん。……あれは、継ぎ接ぎした、だけの、張りぼて。……力は、マシになっても……体は、脆い」

『グォォォォッ!!』


 言葉を遮るかのように、巨大な爪が振るわれた。

 芳親は頭上に牡丹を咲かせ、容易に防いでみせる。横薙ぎの追撃にもすぐさま対応した。猛攻はそれだけに留まらず、物の怪は両手の爪を振るい続け、噛みついて来さえするが、透明な牡丹の防壁はびくともしない。


「……物の怪は、今、僕しか、眼中にない、から……前から出て、こいつの背後、取って。……僕が、空中に、足場、作るから」

「任されました。ところで、足場というのは?」


 問いかけに、芳親は壁を保ちながらでも、余裕で足元に花を咲かせ答える。志乃がそれを踏んでみると、牡丹は崩れることなく、しっかりと足を支えてくれた。


「おぉ! 攻防に役立つどころか、足場にもなるとは! 何とも便利な牡丹ですねぇ」

「でしょ。……じゃ、よろしく」


 芳親が手を前へ向けると、物の怪の下肢の先、待ち受けるかのように牡丹が咲く。志乃はすぐに抜刀すると、間隙をって緩められた防壁から矢のように走り出て、獣の腹の下を駆け抜けた。

 瞬く間に牡丹の元へ駆け付け、足を触れた途端、上空に次々とつぼみが現れて開いていく。既に牡丹の感触は分かっているため、志乃は迷いなく飛び上がって行った。

 最後の足場から大きく跳躍し、物の怪の無防備な項を視界に捉えると、接近する間に構え、


「――フッ!」


 息を吐くと共に斬り込む。振り下ろされた刃が鉄槌のごとく叩きこまれ――しかし、両断には毛ほども至らない。


『ギァァァァァッ!!』


 完全な不意打ちと痛みを受け、怒りの声と共に物の怪が振り返る。獣はその目に志乃を捉えたが、逸らされた視線は隙を生んでいた。物の怪の胸と顎近く、鼻先に巨大な蕾が出現したかと思うと、開花の動作と共に破裂し、巨躯の姿勢を崩す。


『ガルアァッ!!』

「受け身、取って!」


 今までのゆったりとした口調から一転、鋭くなった芳親の声が飛ぶ。言われるまでも無く受け身を取っていた志乃は、彼が空中に出現させた花に受け止められた。さらに足から落ちた先にあった、柔らかな花に着地する。

 牡丹が消えるのと同時に、志乃はすぐさま芳親に合流した。顎と鼻っ面に強烈な一撃をくらった物の怪は悶絶しており、すぐには体勢を整えられないでいる。


「申し訳ありません、芳親さん。やはり俺では力量不足のようです。全力を出しても、食い込みすらしませんでした」

「ううん。……まあ、予想、通り」

「? どういうことでしょうか」


 のたうっている物の怪を前に、芳親は笑みすら浮かべている。余裕一色の笑みだったが、志乃は不思議と、彼が油断も慢心もしていないと確信していた。


「志乃。……『これから言うこと、忘れないでね』」

「え」


 発せられた芳親の声が、奇妙な響きを持って志乃の耳に入ってくる。声は氷の手となって心臓を掴み、志乃の体を芯から凍らせていった。何が起こっているのか全く分からないものの、その感覚は憶えにある。


 ――『これから俺が言うことを忘れるな、志乃』


 記憶の中から蘇ってくる、この奇妙な響きと同じ声。辻川の声だ。彼の声でこの言葉を聞いたのはつい最近、二か月前の如月だった。

 志乃が思い出している間に、芳親は言葉を続ける。


『刀は君の爪。刀は君の牙。敵をほふり、切り裂くもの』


 水底から響いてくるかのような声が、志乃の頭に染み込み、体へ行き渡っていく。


『その爪で、その牙で、君は敵の首を取る』


 どこか厳かなものを感じる言葉。それは呪文のようでもあり、祝詞のりとのようでもあった。唱え終わると、芳親の掌に透明な牡丹が咲く。


『……いいよ、って言ったら、ね』


 くすり、と悪戯を提案するかのような笑みを浮かべて。芳親は一切の躊躇ちゅうちょなく、透明な牡丹を志乃の心臓の真上に、やんわりと押し入れる。途端、凍っていた志乃の体の中に熱が駆け巡り、どこかで何かが、パキンと割れる音がした。


「あ、れ」


 ぐらりと頭が揺れる感覚を最後に、彼女の視界は暗くなった。

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