第十四話 個室 賑わうテーブル
「お待たせしました。」
きれいな硝子のお猪口を二つと天ぷらを店員が共に持ってきた。
深い海の群青色が透き通ったようなきれいなそれを店員が丁寧に置いた。派手さはなくシンプルだが美しく、なんとなく彼に似合うなと思った。
彼はそれを手に取り、オレンジの照明に照らした。
「きれいだね。日本酒飲むなんて若いのに渋いな。」
普段飲まないものを勢いで注文したが、彼の顔を見るとそれにして正解だったと感じた。彼は日本酒が好きなようで、明らかに先程より楽しそうにしているのが伝わってきた。
これで彼を酔わすことができるかもしれないが、過去の恋愛で何かあっただろう彼に突っ込んだ質問をするのが今更ながら憚られた。
今の楽しげな表情から寂しい顔に戻るのを見たくなかった。俺の発言でそうさせてしまうと思うと、胸がキッと傷み苦しくなった。
「失礼します。」
店員が仰々しい木の箱を持ってやってきた。覗くと箱の中は朱肉のような赤で、日本酒がなみなみいっぱい入った鉄製の徳利のようなものが入っていた。箱に氷水を入れて冷やしているようだ。俺は日本酒がこんな風に来るものだとは思っていなかったので、驚いて彼を盗み見た。しかし彼も同様に驚いているようで、その顔が好奇心旺盛な少年のようで頬が緩んだ。
天ぷら、揚げ出し豆腐、ゴーヤチャンプルー、刺身の残り。机が賑やかになったので、目のやり場に困ることはなくなった。
「すごいね。これチロリで冷やすんだね。」
彼は俺が徳利だと思っていた物を持ち上げて言った。俺がお猪口を持つと彼はそれにゆっくり日本酒を注いだ。
俺はそれを彼から貰い、その時に手が触れた。ほんの一瞬だったがずっと触りたいと思っていた指に触れた。全神経が手に集中して、握りしめたいという欲求で一気にドクドクと心臓が高鳴り、猛烈な喉の渇きを覚えた。彼がさらっと手を離し、チロリもよく冷えていて俺の手もどんどん冷却され、彼の感触を奪っていった。
彼もお猪口を取り、俺は彼に習いトクトクと透明の液体を注いだ。
お互いに静かに酒を注ぐ、その行為がなぜこんなにしんどいんだろう。俺が一瞬触れた彼の指をそのままずっと眺めていたい、そしてもう一度触れたい。その一連の動作だけで彼との距離が近づいて、また離れた気がした。苦しい。
「これチロリっていうんですね。」
居心地の悪さでどうでもいいことを訊ねた。彼は残りのビールを放って、日本酒をちびちび飲みだしている。
俺も口を付けたが味など分からず、彼から目が離せない。俺の味覚はどこかに行ってしまったらしい。
「普通は熱燗で。錫かな?熱伝導がいいからお湯張って持ってきたりするところもあるよ。」
「日本酒好きなんですね。」
「最近はあんまり…でもいいな。なんか風情ある感じで。」
その目尻の皺に触れたい。手を伸ばしてしまいそうになる。
「俺ビールもらっても良いですか。」
変な思考を止めようと半分以上残っていた彼のビールが目に入り、言ってしまったが、言ってから少し図々しかった気がした。
「いいの?俺飲んだのに。」
彼は少し戸惑ったのか、揚げ出し豆腐を食べるのを止めて俺を見た。俺は返事をせずにそれを奪い一気に飲み干した。
「鹿島さんほんまはビール好きちゃいますよね。」
彼は目を丸くしてまだ俺を見ていた。胸が熱い、頭もクラクラする。
彼は少し照れるように微笑んだ。彼が俺といて楽しんでくれているのなら、もうそれでいい。俺の脈が速くなって、胸も痛くて、体は熱くて、彼に触れたい気持ちをなんとか堪えるのが辛い状況でも、今まで感じたことがないほど俺は満たされていた。
俺は彼が好きだ。
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