第十二話 個室 ビール
「お通しお待たせしました。」
話し出すタイミングで店員が戻ってきて、何を話すかも考えずに呼びかけていたのでちょうど助かった。彼を酔わすはずだったが、もう自分が酔ってしまいたい気分になっていた。なんでこんなに緊張していて、熱いんだろう。彼から何かのフェロモンが出ていてこの個室に充満しているようだ。おじさんのペースに飲まれている。
彼が注文を終えるのを俺は待ちながら、彼のメニューを持つ手を眺めていた。おじさんの筋張った手と血管。可愛くもないのになぜこんなに何度も見てしまうんだろう。
「それでフラれでもしたの?」
彼は俺に話しかけた。
「え、俺ですか。」
「君しかいないよ。」
そうここには二人しか居ない。馬鹿な返しをしてしまったと思いながら、俺はその話に乗ることにした。そこから彼の恋愛観が分かるかもしれない。他人の恋愛話など今まで全く興味がなかったが、彼のものは知りたかった。
「好きって何ですか。」
「んー…」
ビールを飲む彼を見て、俺もそれを口に含んだ。苦みが染みて、美味しく感じない。「失礼します。刺身盛り合わせです。」
いつも良いタイミングで持ってくるな、と店員を睨みたくなったが振り返り対応した。彼は深夜にも関わらず意外と多く注文したようだった。
二軒目まで行っていたはずなのにあまり食べなかったのだろうか。俺が食べると思っているのか、不健康そうな瘦けた顔からはそんなに食べるようには見えなかった。酔いたい気分ということもあり、彼の視線から逃れるようにビールを飲んだ。苦くて冷たいそれは体の熱を少し和らげてくれた気がした。
「旨いよ。食べな。」
彼は刺身を食べ出して、山葵は付けないことが目に付いた。
「鹿島さん、山葵はいらないんですか?」
なぜか聞いてしまった。彼の全てのことが気になってしまう。
「あー忘れてた。いるいる。」
箸で山葵を取り、醤油皿に溶かした。彼は山葵は溶かすタイプらしい。そんなどうでもいいことを知れて少し嬉しくなっていた。
俺はただ目の前にある刺身を食べ続け、ビールももうほとんど無くなっていた。先程の質問はなかったことになっているのか。もう一度聞くべきか迷っていると彼が話し出した。
「好きって難しいよね。」
彼が手に持つビールは全然減っていない。
「一緒に居たいとか、他の人に渡したくないって若い子は思うもんじゃない?」
「鹿島さんは違うんですか?」
目が合った。目を逸らすように俺はグラスを手に取り、残り少ないビールを飲み干した。続けざまにお通しの里芋を口に入れ、味わうことなく胃に流し込む。
「んー。好きな子には幸せになって欲しいって思うよ。」
低い小さな声は寂しさを含んでいるようで、ぱっと彼を見ると目が合った。思った通りの哀愁を含んだ目をしていた。彼は眉を少し下げて微笑み、俺から目線を逸らし里芋を食べだした。
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