第九話 喫煙所

俺は彼とこの後どうするのが正解か分からなかった。

花嫁を連れ去ったダスティン・ホフマンはその後どうしたのだろう。バスの中で放心した表情を浮かべていた彼は彼女とどこへ向かったのだろう。

俺はあの場から彼を連れ出したことでどこか満足してしまっていた。ただ寒空の中、彼が煙草を燻らせている姿を見ているだけで満たされていた。


彼をホテルに連れ込みたいわけでもない。整った顔をしているが、至近距離で見ると皺や隈がはっきり分かった。どこからどう見てもおじさんだ。彼がもしゲイだったとして、彼を抱けるかと聞かれたら答えはノーだ。そんな想像が全く出来ない。そう思ってはいても目が勝手に彼を追っている。自分が自分ではないようだ。この感情は何なのか。


彼がこちらを向いた瞬間に思考が中断し、咄嗟に目を逸らした。彼の漆黒の瞳でまた見られるのが耐えられない気がした。いつもなら俺から目を合わせにいくのに、彼相手だとおかしな言動をしてしまう。

「君は煙草は吸わないの?」

彼の静かな声が俺の耳に響いた。

「吸わないです。」

なぜかきつい言い方になった。俺の大きな声のせいで喫煙者達の注目を浴びている。

普段なら吸うタイミングだった。会社では喫煙者が多く、上司や先輩に誘われれば後を追って一緒に行くことにしていた。それだけで吸わない奴より可愛がられることを俺は知っていた。肩身の狭いコミュニティはそこに属するだけで仲間意識を持ちやすい。つかなくていい嘘をついて拒絶するように出た言葉。なぜか彼の前で煙草を吸いたくなかった。理由は分からない。

「じゃあ離れてろよ。ずっと吸えなくてさ、ごめんね。」

彼は左手の人差し指と中指に煙草を挟み、それを俺から離し彼自身も一歩離れた。ゴツゴツとした手は男のものだ。全く可愛くない。筋張っていて、血管が浮き出ていて、年齢を感じる。

「酔ってるのか?大丈夫か?」

ぼーっとしてしまっていたのだろう。彼が問いかけた。俺はぐっと近づき、彼を少し見下ろす形になった。喫煙者達も俺たち二人をちらちらと見ている。

「俺……」

頭が回らない、何か言わないとおかしい奴だと思われる。すでに思われてるかもしれない。酔いも冷めたはずなのに、何をしたいのか分からない。可愛い子と今頃ホテルにいたはずなのに、俺はおじさんと二人で何をしているんだろう。彼が額に皺を寄せて俺を見上げている。その瞳に俺はどう映っているのだろう、彼に見られるとざわざわと俺の中で何かがうごめいて、全てが止まっている感覚がした。


「鹿島さん……」

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