第五話 それぞれの金曜日
「田村、あの子はやめとけって。」
俺が出汁茶漬けを啜っているのを見ながら、後藤が戒めるように言った。愛しの笹井さんの話をしている時と違う声色だ。後藤は酒に強いが、彼女の話をなかなか切り出せずに、ピッチを上げて飲み過ぎたのだろう。いつもよりも出来上がっていた。
その会話は無視し、旨すぎる茶漬けに俺は舌鼓を打った。
「めっちゃ旨いよ。後藤も頼めば良かったのに。」
「可哀想なことするもんじゃない。」
後藤は俺の会話を遮った。可哀想?いやいや、可哀想なのはお前だよ、女に良いように使われてるのが分からないのか、と言ってやろうかと思ったが止めた。折角良い気分になっている同僚を、崖から突き落とすようなことは言わない。嫌な気持ちになることは、できるだけ言わない方が人間関係上手く回る。
「何が可哀想なの?」
「どうせ今日やって終わりだろ。あんな男っ気もなさそうな子じゃなくてもいいだろ。」
後藤の語尾がきつい。酔っているからか声も抑えられていない。
これは止めとかないと、俺と後藤の間に亀裂を生むことにもなりかねない。それにこの店が気に入ったこともある。また来ることを考えると、そこの店員に手を出すのは始末が悪い。
「分かったよ。それより俺ってそんな軽薄?」
「どうせこれから探すんでしょ?」
相変わらず呆れ顔を向けられたが、語尾が優しくなった。見ず知らずの女の貞操を俺から守ることができて安堵したのだろう。
「二件目、行く?」
「俺は止めとくよ。今日は帰る。」
後藤は迷いもなく、きっぱりと断言した。
「えー。」
一人で行くつもりだったが、一応嫌がっておく。後藤が来ないことは分かっていた。貞操観念が高く、もう頭の中は笹井でいっぱいなのだ。帰って一人、彼女を思うのだろう。
トイレに行く途中でテーブル席を見ると、あの草臥れた男のグループはいつの間にか居なくなっていた。その席では、四十代位の男達が揚げ物をビールで流し込み、歓談していた。一瞥したが、あの彼のように目を引く男はいなかった。
トイレから戻ると、後藤は会計を済ませていた。わざわざ俺に礼を言って、笹井とのことを頑張るともう一度大きな声で決意表明した。
俺が半分払うと言っても突っぱね、にこやかに笑った。可愛いな、とまた思ったが、やはり後藤では想像できなかった。
「俺が笹井さんやったら後藤と付き合うわ。」
それは本心だった。そういうと後藤は照れたようにまた笑った。
店も少し落ち着いたのか、先程の子が見送りに出てきてくれた。
「また来るね。ご馳走様。」
後藤が俺に視線を寄越したのが分かったので、それ以上話さなかった。その子は、またお待ちしてます、と可愛い笑顔を向けてくれた。後藤はそれを満足げに眺めていた。
俺たちは金曜の二十三時過ぎ、それぞれの週末に向けて店先で別れた。
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